函館本線仁山駅の思い出
2026年3月13日限りで、函館本線の仁山駅が廃止になった。正確にいうと、客扱いが終了してかつての信号場に戻ることになった。
仁山の名前を初めて耳にしたのは半世紀も前のこと、鉄道ファン誌で仁山を取り上げた記事を覚えている。仁山越えの急勾配を登る機関車の盛大な煙が印象的だった。
当時はまだ小学生だったので現地に行く機会はなく、その後も何度か駅を通過して車窓から目にするだけだった。
しかし、廃止が決まったと聞いたら居ても立ってもいられない。函館を訪れる用事のついでに訪ねることにした。2025年10月2日のことである。
函館8時23分発の普通長万部行きに乗車した。
仁山駅到着は8時56分。次の下りまでは2時間近く空いているが、上りの函館行きは約30分後にやってくる。
その上りで函館に戻るというわけだ。我ながら完璧なスケジュールである。
仁山駅の名所案内には、仁山高原まで徒歩1時間と記されていた。
歩いた人はどれだけいるのだろうか。今ではヒグマが恐くて、とてもではないが歩く人はいないだろう。
仁山駅はもちろん無人駅。がらんとした待合室にノートが置かれていた。
この駅を訪れる人が書き込んできたものだ。それも、もう更新されることはない。
駅を出たものの、ヒグマが恐いのであまり離れる気になれない。最近は、この渡島地方にも出没情報が流れているそうだ。
ところで、仁山駅を出てすぐのところに石碑があった。下の写真で、駅舎の右側、木の左下あたりに写っている。
両面に文章が書かれていて、駅の反対側に書かれている内容はwikipediaにも記されているように、仁山駅の現在地移転に際して、土地の所有者である医師が取付道路用の土地を提供したことに対する感謝が刻まれていた。
碑の反対側の文面を読むと、その医師がなぜこの土地を持っているのかがわかる。
東大病院在籍、スイス留学をへて「日高の赤ヒゲ」と呼ばれた医師が、ここに結核患者の療養施設であるサナトリウムを建設するために土地を購入した。
しかし、惜しくも昭和20年11月に患者からうつされた発疹チフスで死去。その遺志を後世に残そうと、碑を建てるにあたって息子さんが碑の片面に文章を残したのである。
仁山駅が廃止になれば、もう碑を見る人はほとんどいなくなるだろう。そんなエピソードも時代とともに忘れられてしまうかもしれない。
駅周辺には温泉施設やキャンプ場があるが、朝だったこともあって人影は見えず、しんとしていた。
温泉の宿泊施設は営業しているようだが、立ち寄り入浴は休業中との貼り紙があった。
駅から20分ほど道を下っていけば国道5号線上に峠下というバス停があって、函館と長万部を結ぶバスが1日に3.5往復走っている。
でも、ヒグマが恐いのでそこまでは歩いていけない(しつこい)。
駅のホームに戻ると、下りの札幌行き北斗5号が通過していった。
この区間は単線なのだが、行き違いのために駅構内は複線になっている。そのため、今後は客扱いをしない信号場として残されるわけだ。
ちなみに、仁山駅の函館側の隣駅は北海道新幹線の現時点での終点である新函館北斗駅。わずか4kmほどの距離だが、大きな違いである。
そんな新函館北斗駅も、新幹線が開通する前までは、渡島大野駅という小さな無人駅だった。
9時29分、定刻通りに函館行きがやってきた。乗るのは私一人。下車する人はいなかった。
















































































































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