カテゴリー「ニッポンぶらぶら歩き(東京、沖縄以外)」の294件の記事

2026-06-09

函館本線仁山駅の思い出

2026年3月13日限りで、函館本線の仁山駅が廃止になった。正確にいうと、客扱いが終了してかつての信号場に戻ることになった。
仁山の名前を初めて耳にしたのは半世紀も前のこと、鉄道ファン誌で仁山を取り上げた記事を覚えている。仁山越えの急勾配を登る機関車の盛大な煙が印象的だった。
当時はまだ小学生だったので現地に行く機会はなく、その後も何度か駅を通過して車窓から目にするだけだった。

函館駅

しかし、廃止が決まったと聞いたら居ても立ってもいられない。函館を訪れる用事のついでに訪ねることにした。2025年10月2日のことである。
函館8時23分発の普通長万部行きに乗車した。

仁山駅

仁山駅到着は8時56分。次の下りまでは2時間近く空いているが、上りの函館行きは約30分後にやってくる。
その上りで函館に戻るというわけだ。我ながら完璧なスケジュールである。

仁山駅

仁山駅の名所案内には、仁山高原まで徒歩1時間と記されていた。
歩いた人はどれだけいるのだろうか。今ではヒグマが恐くて、とてもではないが歩く人はいないだろう。

仁山駅

仁山駅はもちろん無人駅。がらんとした待合室にノートが置かれていた。
この駅を訪れる人が書き込んできたものだ。それも、もう更新されることはない。

仁山駅

駅を出たものの、ヒグマが恐いのであまり離れる気になれない。最近は、この渡島地方にも出没情報が流れているそうだ。

ところで、仁山駅を出てすぐのところに石碑があった。下の写真で、駅舎の右側、木の左下あたりに写っている。
両面に文章が書かれていて、駅の反対側に書かれている内容はwikipediaにも記されているように、仁山駅の現在地移転に際して、土地の所有者である医師が取付道路用の土地を提供したことに対する感謝が刻まれていた。

仁山駅

碑の反対側の文面を読むと、その医師がなぜこの土地を持っているのかがわかる。
東大病院在籍、スイス留学をへて「日高の赤ヒゲ」と呼ばれた医師が、ここに結核患者の療養施設であるサナトリウムを建設するために土地を購入した。
しかし、惜しくも昭和20年11月に患者からうつされた発疹チフスで死去。その遺志を後世に残そうと、碑を建てるにあたって息子さんが碑の片面に文章を残したのである。

仁山駅が廃止になれば、もう碑を見る人はほとんどいなくなるだろう。そんなエピソードも時代とともに忘れられてしまうかもしれない。

仁山駅前

駅周辺には温泉施設やキャンプ場があるが、朝だったこともあって人影は見えず、しんとしていた。
温泉の宿泊施設は営業しているようだが、立ち寄り入浴は休業中との貼り紙があった。

駅から20分ほど道を下っていけば国道5号線上に峠下というバス停があって、函館と長万部を結ぶバスが1日に3.5往復走っている。
でも、ヒグマが恐いのでそこまでは歩いていけない(しつこい)。

仁山駅

駅のホームに戻ると、下りの札幌行き北斗5号が通過していった。
この区間は単線なのだが、行き違いのために駅構内は複線になっている。そのため、今後は客扱いをしない信号場として残されるわけだ。

ちなみに、仁山駅の函館側の隣駅は北海道新幹線の現時点での終点である新函館北斗駅。わずか4kmほどの距離だが、大きな違いである。
そんな新函館北斗駅も、新幹線が開通する前までは、渡島大野駅という小さな無人駅だった。

仁山駅

9時29分、定刻通りに函館行きがやってきた。乗るのは私一人。下車する人はいなかった。

2025-08-07

交通の要衝・新見でなまこ壁と商店街を味わう

[岡山県新見市]

6月末から7月初めにかけての山陰の旅。ながながと綴った町歩き日記もこれが最終回。
伯備線の普通列車は分水嶺を越え、鳥取県から岡山県へ。線路に沿って流れる川は、日本海側の日野川水系から瀬戸内側の高梁川水系に変わる。
そして、陰陽を結ぶ交通の要衝だった新見へ。

新見駅

かつては鉄道の町として賑わった新見の表玄関新見駅。
さあ、歩くぞ! と思ったけれど、古い町並みが残る御殿町までは、歩いて15分以上かかりそう。35度近い気温と日射しに負けて駅前からタクシーを利用することにした。

御殿町の町並み

以前も新見で列車を乗り換えたことがあったが、時間がないのと重い荷物を持っていたことで、御殿町まで来たのはこれが初めてである。
漆喰となまこ壁の家々が美しい。1980年代から町並み保存の気運が高まったとかで、1994年には観光センターである御殿町センターが建てられた。
もっとも、過度に観光化されているわけでなく、住民が実際に暮らしながらほどほどに美化されているところがいい。電柱や電線もある。

御殿町の町並み

「カツマル醤油醸造会社」の正面には、なぜかオードリー・ヘップバーンの写真が貼りだされていた。

御殿町の町並み

新見陣屋に向かう松原通りには、美しい白壁の商家が建ち並んでいた。
このあたりが新見市新見で、江戸時代から栄えた地域である。

御殿町の町並み

なまこ壁ファンにはたまらない光景!

御殿町の町並み

櫺子格子(れんじこうし)が美しい民家。

新見銀座商店街

駅から御殿町に向かう途中には、新見銀座商店街がある。その東端(御殿町側)に位置する「田原屋」。明治時代の建物とかで、モダンなデザインの虫籠窓が特徴だ。

新見銀座商店街

とにかく日射しが痛いほど暑い日だった。

250806i

新見銀座商店街の西端(新見駅側)にある「佐々奈美精肉店」はもう営業していない。
行きに乗った若い女性のタクシー運転手は、「昔はアーケード街で賑わっていたんですよ。学校帰りにここで揚げ物を買って食べたっけ」と懐かしそうに語ってくれた。

新見

商店街から駅に向かって歩いていく途中にも、多くの商店が並んでいる。これは酒とたばこを売っていた「荒木酒店」。残念ながら営業していないようだ。

新見駅

市内でランチを食べてから新見駅へ。ここからさらに伯備線の普通列車で岡山へ。
結局、米子から岡山まで、ずっと普通列車で乗り通したことになった。

岡山駅構内

岡山駅で新幹線を待つ間、クラフトビールを飲みながらで今回の旅をしみじみと振り返る。

それにしても暑かった! 日程上、梅雨の雨が心配だったけど、雨にあうこともなく大団円。日傘(帽子)、日焼け止め、サングラスの「三種の神器」のおかげで、なんとか酷暑の町歩きを完遂できた。

2025-08-05

たたら製鉄でも栄えた出雲街道の宿場町・根雨

[鳥取県日野郡日野町根雨]

江尾(えび)からバスで向かったのは5kmほど南にある根雨(ねう)。
ここは津山を経由して姫路に向かう出雲街道と、新見を経由して岡山に向かう日野往来の分岐点として栄えた宿場町である。今でも周辺ではそこそこ大きな町で、伯備線の特急「やくも」の約半数が停車する。

根雨の町並み

バス停のあるバイパスから日野川を渡って町に入る。

近藤家住宅

周辺では日野川でとれる砂鉄をもとにした「たたら製鉄」が古くから行われ、江戸時代になると豪商近藤家を中心にして大いに繁栄したという。これは、たたら製鉄で財をなした近藤家の住宅。

近藤家住宅

近藤家住宅を反対側から見たところ。豪商の近藤家住宅は宿場町のほぼ中央に位置している。

水舟

わき水を貯めてある「水舟」。昔は数多くあったが、町内に現存しているのはこれを含めて2つだけとのこと

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近藤家の分家の建物で、現在は日野町公舎の看板が出ていた。

根雨の町並み

赤い石州瓦の味わい深い旧家。

根雨の町並み

細かい意匠まで手が込んでいる。

旧本陣

旧本陣の門。母屋は近代的な建物になっていた。

旧山陰合同銀行根雨支店

旧本陣の隣に立つ旧山陰合同銀行根雨支店。

根雨の町並み

駅に近づくにつれて店舗もちらほら。

伯備線根雨駅

旧宿場町の外れに位置する伯備線根雨駅。

伯備線根雨駅

特急「やくも」の行き違い。右の出雲市行きは根雨に停車する。左の岡山行きは運転停車なので、停まるけれども乗降できない

2025-08-04

山間の小さな城下町・江尾

[鳥取県日野郡江府町江尾]

帰路は、米子から伯備線の普通列車を乗り継いで岡山へ。
陰陽を結ぶ伯備線は、岡山県との県境まで、昔の出雲街道(日野往来)に沿って走る。

江尾駅

まず途中下車したのは、城下町江尾(えび)。全線電化されている伯備線だけど、乗った普通列車は1両のディーゼルカーだった。
中国山地を走るJR線は、どこも閑散としてしまったが、ここ伯備線だけは陰陽連絡の幹線として特急「やくも」が走り、そこそこ活況を呈している。もっとも、約1時間おきに走る普通列車は通学時間を除いてガラガラなのが寂しい。

江尾駅

駅は町の交流センターやスーパーが同居していて立派な建物だった。
江尾は、今では川沿いの静かな小さい町だが、戦国時代には尼子氏の家臣で江尾城主の蜂塚氏と毛利氏との壮絶な戦いがあって、江尾城は落城したという。ここに来て初めて知った。

江尾

まずは、町を南北に貫く街道を南へぶらぶら。南側は、昔の雰囲気を残しながら、それぞれの家は近代的に改装されているところが多かった。これは道端の祠。

線路に沿って旧街道が続く。この手前に踏切があって、このあたりが町の南端である。

踵を返して駅から北側をぶらぶら。こちらのほうが古い家が残っている。
「勝部歯科医院」の表記が残る建物は、昔のマンガのロボットのようなユーモラスな表情。今はシルバー人材センター、ボランティアセンターの看板が出ている。

江尾の町並み

さらに街道を北へ歩くと、旅館が何軒かある。たいして旅行客が訪れるとは思えないので、昔の商人宿なのだろうか。
写真右側の裏山に登れば天守が復元されているそうだが、あまりの蒸し暑さに断念。旧街道沿いの家々を眺めるにとどめた。

米子屋旅館

旧街道の北の端近くあった木造三階建ての「米子屋旅館」

特急やくも

丘の上の集落に登ったところで踏切の鐘が鳴り出した。特急「やくも」が来たのであわてて撮影。

日の丸自動車のバス

次の列車まではかなり間があった。ちょうどいいタイミングで隣町までのバスがあったので、橋のたもとの待合室で休憩してバスを待った。

2025-08-03

町の北部に昔の町並みが残る商都・米子

[鳥取県米子市]

山陰道めぐりを終えて宿泊地米子に帰還。米子は山陰地方の中央に位置する人口15万人近い商業都市で、私にとって地方中核都市では残り少ない未踏の町の一つだった。未知の町を訪れるというのは、いつになっても楽しいものである。

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米子駅。この駅名標の形は、「八雲立つ」というイメージか。特急「やくも」も走っているし。
米子は伯耆国だけど、出雲国とはつながりが深いので問題ないだろう。

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かつて、米子と法勝寺(ほっしょうじ)を結んでいた日ノ丸自動車法勝寺鉄道の車両が、町なかに状態よく保存されている。イギリス製の貴重な客車で鳥取県保護文化財。
これとは別に、電動車が法勝寺に1両保存されているけれど、時間がなくて今回は行けなかった。

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米子の中心部は1970~80年代に区画整理が行われたそうだが、北側の尾高町から岩倉町にかけては古い商家が残っているというので、最後の力を振り絞って夕暮れの町を歩いてみた。

上の写真の建物には、「理髪店 第一モテル館」という看板の店。きれいに散髪するとモテるという意味か。今は集会所とヘルパーセンターになっていた。

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静かな商店街には昭和レトロな店が並ぶ。これは「持田金物店」

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町を貫く狭い加茂川の周囲には、小さな飲食店が建ち並ぶ。いかにも昔の色街という感じ。

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加茂川のほとりに立つ蔵。

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飲食店街を抜けると、いきなり昔ながらの立派な旧家が出現する。坂口財閥とも呼ばれたという豪商坂口家。
戦後の昭和天皇米子行幸では、ここに天皇が宿泊したとか。天皇がくぐった門だというので、ここはそれ以後誰も通れないことになったのだそうな。門の手前に柵があるのはそのため。
右端に見える建物は「坂口合名会社ビル」

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その先にも、また坂口家住宅の母屋があった。どちらもだだっ広い敷地に驚く。

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さらに夕暮れの町を北上して岩倉町まで行くと、なまこ壁の商家もちらほらと出現する。

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そろそろデジカメでも撮影が困難になってきた。

2025-08-02

豪壮な屋敷が並ぶ農村集落・所子

[鳥取県西伯郡大山町所子]

御来屋(みくりや)から米子方面行きに乗って2駅目の大山口(だいせんぐち)で下車。
この日最後の訪問地、伝統的建造物群保存地区のある所子(ところご)へ。

大山口駅

御来屋駅とは打って変わってモダンな大山口駅で、上下の列車(キハ40系)が交換。。

大山口駅前

駅から徒歩だと20分近く。蒸し暑いので1時間に1本ほど走っている日本交通のバスに乗車した。東京にあるタクシーで有名な日本交通(日交)とはまったくの別会社。
2つ目の所子入口で下車。バス停のある表通りから5分ほど歩くと、所子の集落に着く。

所子の美甘家

有力な家の一つ「美甘(みかも)家」は、庭が開放されていると書かれていたので入ってみた。コワモテの当主が母屋の前にドンと構えていたが、親切に出迎えてくれた。
門をくぐってすぐの庭も、苔がむして立派だと思ったが、主は中庭をぜひ見ていけという。実に見事な庭で、農家というより土豪だったのだろう。

旧所子郵便局

この右のお宅が、なんと旧所子郵便局。当時は町の有力者が郵便局長をしていたのだろう。

所子集落

これは、たばこの乾燥所だったという建物。

所子集落

所子は、江戸時代以前から続く農村集落として伝統的建造物群保存地区に指定されている。

所子集落

農村集落というけれど、「農村」というイメージからかけ離れた豪壮で風情ある家並みが印象的。
大山の雪解け水なのか、村のどこからでも聞こえる用水の水音も味わい深い。

所子集落

右が村の最有力者の「門脇家」。左がたぶん分家の「東門脇家」、奥には「南門脇家」もある。
この風景は、もはや「農村集落」ではない。

門脇家の門

門脇家の門はしっかり閉まっていたので、大きな茅葺きの建物は見えなかった。左奥にちらりと一部が写っている。

門脇家

裏側から見た門脇家の巨大な茅葺き住宅。

大山遠景

帰りは大山を眺めながら大山口まで20分近く速歩き。
1時間に1本の列車になんとか間に合って、周囲が明るいうちに宿のある米子に帰り着いた。

2025-08-01

後醍醐天皇ゆかりの港町にして宿場町の御来屋

[鳥取県西伯郡大山町御来屋]

赤碕(あかさき)から山陰本線の普通列車米子行きに乗って4駅。降りたのは名和駅。
ここから隣駅の御来屋(みくりや)までの間に、山陰道(伯耆街道)の宿場であり港町でもある御来屋の町並みが続いている。

名和駅

列車にはそこそこ乗客がいたけれど、名和駅で降りたのはまたしても私一人だった。

名和駅

無人駅の名和駅の駅舎を出て踏切を渡る。踏切の向こうに連なる家並みを見て、なんとなく期待が高まる。

御来屋宿の町並み

山陰道御来屋宿の町並み。この建物は酒造会社らしい。

旧酒造所

酒の醸造所だったようだが、今は操業していないようで、つたに覆われていた。

御来屋宿の町並み

古い建物をリフォームした喫茶店。残念ながらもう閉店時間だったようだ。

御来屋宿の町並み

昔は宿屋だった建物か。家の前に後醍醐天皇上陸の石碑が立っている。漁港はこの家の裏すぐ

後醍醐天皇御腰掛けの石

御来屋は、1333年に隠岐の島から脱出した後醍醐天皇がたどりついた港といわれる。
御来屋漁港にある「後醍醐天皇御腰掛けの石」は、天皇が一息ついて腰掛けた石とされる。その上に小さな祠が立っていた。

御来屋宿の町並み

かつての山陰道はもっと山側を通っていたらしいが、江戸時代には海岸に沿った道がメインルートとなったそうだ。

御来屋駅

御来屋駅に到着。名和と御来屋の駅間は、ここだけ1kmちょっと。都会並みに極端に短いのは、何か経緯があるのだろう。

御来屋駅

御来屋駅は、山陰地方で現存する最古の駅舎とのこと。昔の窓口や運賃表なども、そのまま残されている。

御来屋駅

やってきた米子行き普通列車は、名探偵コナンの登場人物がラッピングされた「まんが王国とっとり」車両。
これに乗って、この日最後の訪問地に向かう。

2025-07-31

山陰道沿いに果てしなく続く赤碕の家並み

[鳥取県東伯郡琴浦町赤碕]

八橋(やばせ)から山陰道(伯耆街道)の西5kmほどのところにあるのが、隣の宿場だった赤碕(あかさき)の町。
気候がよければ旧街道を歩いて移動するところだけど、あまりの酷暑で断念。赤碕の中心部までバスに乗り、日傘を差して町歩きを決行した。

赤碕駅近く

赤碕駅の手前でバスを下車。海鮮ものがおいしいという食堂に入ろうとしたら、すでに営業終了。やむなくランチ難民のまま旧街道歩きを開始した。上の写真の右の道が旧街道に続く。

赤碕の町並み

味わい深いカーブと勾配。このくねくねとした坂道をツマミに、酒が一升飲めそう。

化粧橋

「化粧橋」という名前だけあっておしゃれなデザイン。
このあたりから、海岸線に沿った旧街道の両側に、何kmにもわたって味わい深い民家や商家がびっしりと並んでいる。

赤碕の町並み

八橋から赤碕まで、短い距離で宿場が隣り合っている。その理由は、山陰道(伯耆街道)から倉吉に向かう八橋往来が、八橋で分岐したかららしい。

赤碕の町並み

はてしなく街道の町並みは続く。これだけ古い家並みが続く風景は本当に珍しい。
近年になって町並み保存の気運が盛り上がってきたというが、あまり観光化もされておらず、ほかに観光客は一人も見かなかった。

赤碕の町並み

古民家のあらゆる要素がつまったような家。

喫茶「旅路」

帰りに別の道を通ったことで、ようやく見つけた飲食店。「旅路」という店名が旅情をそそる。

喫茶「旅路」

中年女性が一人で切り盛りする店内は、超地味な町並みとは対照的にセンスがよくおしゃれ。
体力を使って空腹だったのでカツカレーを注文した。おいしい。

山陰本線赤碕駅

山陰本線の赤碕駅。ここから列車で次の目的地に向かう。

2025-07-30

山陰道の宿場町で城下町でもある八橋の渋い町並み

[鳥取県東伯郡琴浦町八橋]

伯耆大山から山陰本線の普通列車で向かったのは八橋(やばせ)。
山陰道(伯耆街道)と八橋往来(八橋~倉吉)との接続点として栄え、江戸中期から明治大正時代の古い建物が街道沿いに建ち並んでいます。

八橋駅

鳥取行きの1両のディーゼルカーから降りたのは私一人。
車内には、倉吉や鳥取に行くのだろう、そこそこ乗客が乗っていた。なかでも目立ったのは、大きなトロリーバッグを持った若い韓国人旅行者である。そういえば、前日に境港線に乗っていたら、米子空港で旅行者がずいぶん乗ってきた。そのときは、ちょうど香港便が到着した直後だったようだ。香港、台湾、韓国から、それぞれ週に何便か飛んでいるようである。

八橋駅

寂しい駅にぽつんと残されるのは、一人旅の醍醐味である。
右奥のこんもりとした林は八橋城址だ。この土地が伯耆国にあって軍事上の要衝だったことを偲ばせる。戦国時代には毛利氏と尼子氏の争奪の場となり、最終的に毛利の勝利に終わったという。

八橋

駅前の道を直進して国道を渡ると、すぐに旧街道に突き当たる。街道沿いには立派な家が建ち並んでいるが、これはとくに豪壮なお屋敷。酒屋だったようだ。
この日は特に暑かった。しかも昼前の時間で、建物の影に隠れることができない。立っているだけで辛いくらいだった。

旧中井旅館

さきほどの建物の並びにあるのが旧中井旅館。1891(明治24)年に小泉八雲とセツ夫妻が宿泊したという。当時としてはモダンな外観だったに違いない。
現在は営業しておらず、建物の前に案内のプレートが立っている。

八橋

小さいながらも城下町らしく、枡形(鍵型の道、クランク)があり、それを越えて街道を東(倉吉方面)へ歩いていくと、まもなく小さな川を渡る。このあたりから倉吉側が八橋往来(八橋往還)となる。

八橋

街道沿いには、シブく味わい深い町並みが延々と続く。

八橋

裏通りに入ってみると、こうした板壁の家が続く。

八橋

踵を返して西(米子側)へ歩いていくと、こちら側にも「枡形」の跡があった。
酷暑のもと、私以外に観光客の姿はなく、歩いている地元の人もほとんど見かけなかった。

日本交通バス

八橋からは、宿泊地の米子に戻りつつ沿線の町をめぐる。米子方面の列車はしばらくやってこないので、国道を走るバスに乗車。
倉吉から、八橋の隣駅の赤碕(あかさき)の町まで、1~2時間に1本ほど走っている。

日本交通バス

エアコンの効いたバスでひと息つく。

2025-07-28

米子のベッドタウン日吉津村に残る農村集落・富吉

[鳥取県西伯郡日吉津村富吉]

妻は、たまたまとれた前日の夜行「サンライズ出雲」で帰京。私は米子駅前に泊まり、翌日からは本格的な町歩き。鳥取の地味な町を一人でめぐった。
米子駅前から買い物のおばちゃんたちと一緒にイオンモール行きバスに乗って向かったのは、鳥取県内唯一の村である日吉津村(ひえづそん)の富吉集落である。

日吉津村富吉a

日吉津村は面積がわずか約4.2平方キロで、三方を米子市に囲まれていながら(もう一方は海)孤高を保っているのは、村内にある大きな王子製紙の工場からの固定資産税があるからだろう。イオンモールは巨大で何でも揃い、福祉も充実していると聞く。

日吉津村富吉

富吉は、もともと農村集落として発展したらしく、漆喰と板壁、赤い石州瓦を使った民家が集中していて見事。
現代的なイオンモールから徒歩5分のところに、こんな板壁ワンダーランドがあるのだ。
赤い瓦は石州瓦だろうか。島根県や山口県に多いけれど、ここ鳥取県でもよく見た。

日吉津村富吉

このお宅は窓をアルミサッシにして、おそらく白壁も直しているけれど、違和感なくセンスよく改修されている。

日吉津村富吉

蔵も板壁と石州瓦で装飾もおしゃれ。

日吉津村富吉

右端は道祖神だろうか。「塞の神 」(さえのかみ)というくらいで、悪霊や疫病が入ってこないよう、村の入口に置かれているものだ。村の中心にあるということは、もとあった場所から区画整理などの理由で村の真ん中に移設したのかもしれない。

日吉津村富吉

土蔵が中央にデンと据えてあるお宅。

日吉津村富吉

近年は米子のベッドタウンとして人口も増えているというから、田んぼや畑はあるものの「村」というイメージからはほど遠い。
鳥取県の市町村で人口が増えているのは、ここだけだとも聞いた。

伯耆大山駅行きの一畑バス

イオンモールからやってきた一畑バスの伯耆大山(ほうきだいせん)駅行きに乗車。

伯耆大山駅

山陰本線の伯耆大山駅に到着。米子から東へ2つ目の駅である。信号の色みたいな3台の車が停まっていた。この駅から次の目的地に向かう。

ところで、サンライズ出雲で東京へ変えるはずだった妻だが、なんと車両故障で東海道本線の近江長岡でストップ。名古屋まで東海道本線に乗り、新幹線に乗り換えて帰ったそうな。

より以前の記事一覧

著書

  • ローカル鉄道と路線バスでめぐる
    果てしなきイタリア旅 (草思社)
  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)