山陰道の宿場町で城下町でもある八橋の渋い町並み
[鳥取県東伯郡琴浦町八橋]
伯耆大山から山陰本線の普通列車で向かったのは八橋(やばせ)。
山陰道(伯耆街道)と八橋往来(八橋~倉吉)との接続点として栄え、江戸中期から明治大正時代の古い建物が街道沿いに建ち並んでいます。

鳥取行きの1両のディーゼルカーから降りたのは私一人。
車内には、倉吉や鳥取に行くのだろう、そこそこ乗客が乗っていた。なかでも目立ったのは、大きなトロリーバッグを持った若い韓国人旅行者である。そういえば、前日に境港線に乗っていたら、米子空港で旅行者がずいぶん乗ってきた。そのときは、ちょうど香港便が到着した直後だったようだ。香港、台湾、韓国から、それぞれ週に何便か飛んでいるようである。

寂しい駅にぽつんと残されるのは、一人旅の醍醐味である。
右奥のこんもりとした林は八橋城址だ。この土地が伯耆国にあって軍事上の要衝だったことを偲ばせる。戦国時代には毛利氏と尼子氏の争奪の場となり、最終的に毛利の勝利に終わったという。

駅前の道を直進して国道を渡ると、すぐに旧街道に突き当たる。街道沿いには立派な家が建ち並んでいるが、これはとくに豪壮なお屋敷。酒屋だったようだ。
この日は特に暑かった。しかも昼前の時間で、建物の影に隠れることができない。立っているだけで辛いくらいだった。

さきほどの建物の並びにあるのが旧中井旅館。1891(明治24)年に小泉八雲とセツ夫妻が宿泊したという。当時としてはモダンな外観だったに違いない。
現在は営業しておらず、建物の前に案内のプレートが立っている。

小さいながらも城下町らしく、枡形(鍵型の道、クランク)があり、それを越えて街道を東(倉吉方面)へ歩いていくと、まもなく小さな川を渡る。このあたりから倉吉側が八橋往来(八橋往還)となる。

街道沿いには、シブく味わい深い町並みが延々と続く。

裏通りに入ってみると、こうした板壁の家が続く。

踵を返して西(米子側)へ歩いていくと、こちら側にも「枡形」の跡があった。
酷暑のもと、私以外に観光客の姿はなく、歩いている地元の人もほとんど見かけなかった。

八橋からは、宿泊地の米子に戻りつつ沿線の町をめぐる。米子方面の列車はしばらくやってこないので、国道を走るバスに乗車。
倉吉から、八橋の隣駅の赤碕(あかさき)の町まで、1~2時間に1本ほど走っている。

エアコンの効いたバスでひと息つく。
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