« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

2025年7月の10件の記事

2025-07-31

山陰道沿いに果てしなく続く赤碕の家並み

[鳥取県東伯郡琴浦町赤碕]

八橋(やばせ)から山陰道(伯耆街道)の西5kmほどのところにあるのが、隣の宿場だった赤碕(あかさき)の町。
気候がよければ旧街道を歩いて移動するところだけど、あまりの酷暑で断念。赤碕の中心部までバスに乗り、日傘を差して町歩きを決行した。

赤碕駅近く

赤碕駅の手前でバスを下車。海鮮ものがおいしいという食堂に入ろうとしたら、すでに営業終了。やむなくランチ難民のまま旧街道歩きを開始した。上の写真の右の道が旧街道に続く。

赤碕の町並み

味わい深いカーブと勾配。このくねくねとした坂道をツマミに、酒が一升飲めそう。

化粧橋

「化粧橋」という名前だけあっておしゃれなデザイン。
このあたりから、海岸線に沿った旧街道の両側に、何kmにもわたって味わい深い民家や商家がびっしりと並んでいる。

赤碕の町並み

八橋から赤碕まで、短い距離で宿場が隣り合っている。その理由は、山陰道(伯耆街道)から倉吉に向かう八橋往来が、八橋で分岐したかららしい。

赤碕の町並み

はてしなく街道の町並みは続く。これだけ古い家並みが続く風景は本当に珍しい。
近年になって町並み保存の気運が盛り上がってきたというが、あまり観光化もされておらず、ほかに観光客は一人も見かなかった。

赤碕の町並み

古民家のあらゆる要素がつまったような家。

喫茶「旅路」

帰りに別の道を通ったことで、ようやく見つけた飲食店。「旅路」という店名が旅情をそそる。

喫茶「旅路」

中年女性が一人で切り盛りする店内は、超地味な町並みとは対照的にセンスがよくおしゃれ。
体力を使って空腹だったのでカツカレーを注文した。おいしい。

山陰本線赤碕駅

山陰本線の赤碕駅。ここから列車で次の目的地に向かう。

2025-07-30

山陰道の宿場町で城下町でもある八橋の渋い町並み

[鳥取県東伯郡琴浦町八橋]

伯耆大山から山陰本線の普通列車で向かったのは八橋(やばせ)。
山陰道(伯耆街道)と八橋往来(八橋~倉吉)との接続点として栄え、江戸中期から明治大正時代の古い建物が街道沿いに建ち並んでいます。

八橋駅

鳥取行きの1両のディーゼルカーから降りたのは私一人。
車内には、倉吉や鳥取に行くのだろう、そこそこ乗客が乗っていた。なかでも目立ったのは、大きなトロリーバッグを持った若い韓国人旅行者である。そういえば、前日に境港線に乗っていたら、米子空港で旅行者がずいぶん乗ってきた。そのときは、ちょうど香港便が到着した直後だったようだ。香港、台湾、韓国から、それぞれ週に何便か飛んでいるようである。

八橋駅

寂しい駅にぽつんと残されるのは、一人旅の醍醐味である。
右奥のこんもりとした林は八橋城址だ。この土地が伯耆国にあって軍事上の要衝だったことを偲ばせる。戦国時代には毛利氏と尼子氏の争奪の場となり、最終的に毛利の勝利に終わったという。

八橋

駅前の道を直進して国道を渡ると、すぐに旧街道に突き当たる。街道沿いには立派な家が建ち並んでいるが、これはとくに豪壮なお屋敷。酒屋だったようだ。
この日は特に暑かった。しかも昼前の時間で、建物の影に隠れることができない。立っているだけで辛いくらいだった。

旧中井旅館

さきほどの建物の並びにあるのが旧中井旅館。1891(明治24)年に小泉八雲とセツ夫妻が宿泊したという。当時としてはモダンな外観だったに違いない。
現在は営業しておらず、建物の前に案内のプレートが立っている。

八橋

小さいながらも城下町らしく、枡形(鍵型の道、クランク)があり、それを越えて街道を東(倉吉方面)へ歩いていくと、まもなく小さな川を渡る。このあたりから倉吉側が八橋往来(八橋往還)となる。

八橋

街道沿いには、シブく味わい深い町並みが延々と続く。

八橋

裏通りに入ってみると、こうした板壁の家が続く。

八橋

踵を返して西(米子側)へ歩いていくと、こちら側にも「枡形」の跡があった。
酷暑のもと、私以外に観光客の姿はなく、歩いている地元の人もほとんど見かけなかった。

日本交通バス

八橋からは、宿泊地の米子に戻りつつ沿線の町をめぐる。米子方面の列車はしばらくやってこないので、国道を走るバスに乗車。
倉吉から、八橋の隣駅の赤碕(あかさき)の町まで、1~2時間に1本ほど走っている。

日本交通バス

エアコンの効いたバスでひと息つく。

2025-07-28

米子のベッドタウン日吉津村に残る農村集落・富吉

[鳥取県西伯郡日吉津村富吉]

妻は、たまたまとれた前日の夜行「サンライズ出雲」で帰京。私は米子駅前に泊まり、翌日からは本格的な町歩き。鳥取の地味な町を一人でめぐった。
米子駅前から買い物のおばちゃんたちと一緒にイオンモール行きバスに乗って向かったのは、鳥取県内唯一の村である日吉津村(ひえづそん)の富吉集落である。

日吉津村富吉a

日吉津村は面積がわずか約4.2平方キロで、三方を米子市に囲まれていながら(もう一方は海)孤高を保っているのは、村内にある大きな王子製紙の工場からの固定資産税があるからだろう。イオンモールは巨大で何でも揃い、福祉も充実していると聞く。

日吉津村富吉

富吉は、もともと農村集落として発展したらしく、漆喰と板壁、赤い石州瓦を使った民家が集中していて見事。
現代的なイオンモールから徒歩5分のところに、こんな板壁ワンダーランドがあるのだ。
赤い瓦は石州瓦だろうか。島根県や山口県に多いけれど、ここ鳥取県でもよく見た。

日吉津村富吉

このお宅は窓をアルミサッシにして、おそらく白壁も直しているけれど、違和感なくセンスよく改修されている。

日吉津村富吉

蔵も板壁と石州瓦で装飾もおしゃれ。

日吉津村富吉

右端は道祖神だろうか。「塞の神 」(さえのかみ)というくらいで、悪霊や疫病が入ってこないよう、村の入口に置かれているものだ。村の中心にあるということは、もとあった場所から区画整理などの理由で村の真ん中に移設したのかもしれない。

日吉津村富吉

土蔵が中央にデンと据えてあるお宅。

日吉津村富吉

近年は米子のベッドタウンとして人口も増えているというから、田んぼや畑はあるものの「村」というイメージからはほど遠い。
鳥取県の市町村で人口が増えているのは、ここだけだとも聞いた。

伯耆大山駅行きの一畑バス

イオンモールからやってきた一畑バスの伯耆大山(ほうきだいせん)駅行きに乗車。

伯耆大山駅

山陰本線の伯耆大山駅に到着。米子から東へ2つ目の駅である。信号の色みたいな3台の車が停まっていた。この駅から次の目的地に向かう。

ところで、サンライズ出雲で東京へ変えるはずだった妻だが、なんと車両故障で東海道本線の近江長岡でストップ。名古屋まで東海道本線に乗り、新幹線に乗り換えて帰ったそうな。

2025-07-27

木次線の小駅・白壁続く加茂中の町並み

[島根県雲南市加茂町加茂中]

木次の次に訪れたのは、同じ木次線を4駅戻った加茂中(かもなか)。木次線は、日本海沿岸と奥出雲を結ぶ街道(東城往来)に沿って敷かれており、この町にも昔の町並みが残っていると聞いてやってきた。

加茂中駅

木次線の宍道行きを加茂中駅で下車。昼下がりの1両のディーゼルカーには乗客が数えるほどだった。
写真からも暑さが伝わってきそう。それにしても、まさかこの車両の座席にスマホを置き忘れていたとは……。

加茂中駅

スマホがないのも気がつかず、駅の様子をのんきに撮影していた。

加茂中駅

線路は町よりも一段高くなったところにあり、ホームから駅舎へは階段と坂道を下っていく。
その間に咲くあじさいは、雨不足で乾燥気味だ。気温が上昇してレールが過熱したときは、列車運行を中止して、しかも代行バスは運転しないとの張り紙が木次駅にあって、ちょっと心配になってきた。

加茂中駅

木次線は超閑散路線というイメージだけど、木次まではそこそこ走っている。
と、ここでスマホがないことに気づく!

加茂中の町並み

あわてて、妻のスマホを使って、あちこちの駅や忘れ物センターに電話をするが一つとして通じない。最近になって駅の電話は外部からつながらないようになっているらしく、JR西日本の忘れ物センターも、回線が混み合っているとのことで、LINEのメッセージでやりとりしろという。
LINEのメッセージを送ろうとしたら、ここでも混み合っているとして受け付けてくれない。

しかたがないので、落ち着かない気分のまま街道を散策することにした。

加茂中の町並み

木次よりもずっと町の規模は小さいが、白壁の家はずっと多い。ここは小さい虫籠窓が特徴的なお宅。

加茂中の町並み

街道(東城往来)には車がそこそこ通る。

加茂中の町並み

色のついたなまこ壁も味わい深い。

加茂中駅

落ち着かないまま駅に帰還。無人駅にいてもしかたがないので、タクシーを呼んで有人駅の木次に戻ることにした。
それが正解だだん。スマホは折り返した列車の運転士が確保してくれていて、木次駅で無事に手元に戻った!

2025-07-26

木次の町並みと潜水橋を探索

[島根県雲南市木次町]

前夜は知己を頼って松江市内でともに美食と痛飲。次の日は木次線に乗って木次の町歩きをしようと思っていたところ、ちょうどその日に観光特別列車「あめつち」が木次線に入線することを知って、妻と乗車をすることに。

「あめつち」の車内

米子発出雲横田行きの観光列車「あめつち」は普通グリーン料金が必要だけど、なかなかリッチな気分になる。松江~宍道では宍道湖の車窓を楽しむことができる。
月曜日だから乗客は少ないが、停車駅では駅員や地元の人たちが手を降ってくれるのが楽しい。朝からホームに出て見送ってくれる人はご苦労さまである。

木次駅

40分ほどで木次駅に到着。ホームでは地元の人たちが神楽の衣装で出迎えてくれた。
上の写真は停車中の「あめつち」(右)。 私たちはここで下車。鉄道愛好家でこの路線名を知らなければモグリだけど、木次で下車して町歩きをした人はあまりいないことだろう。

木次の町並み

木次は山陰沿岸と奥出雲を結ぶ街道に面しており、道の両側に古い商家が建ち並ぶ。この街道は、当時の山間の中心地東城(現・庄原市東城町)へ向かう道で、東城往来と呼ばれていた。
幟が立っているのは、名物「焼き鯖寿司」を売る魚屋。興味をそそられたが、まだ午前中で腹が減っていなかったので残念ながら買わなかった。次回への宿題か。

木次の町並み

駅前から延々と続く街道筋の商店街。本屋が健在だった!

木次の町並み

いかにも昭和の看板建築もそこここに。これは「日本板硝子」の切り文字が打ち込まれた看板建築。

木次の町並み

こちからの看板建築の店には「月星地下タビ」が!

木次の旅館「天野屋」

古い日本家屋や商店も多い。これは旅館「天野館」

木次の旅館「天野屋」

本館の向かいにあるこちらが「天野館」の別館。

斐伊川

35度近い暑さの中、力を振り絞って河原へ。堤防には桜並木があった。春は見事らしい。

斐伊川の潜水橋

斐伊川に架かる潜水橋(沈下橋)。洪水があると水面下に沈むが、欄干がないので壊れるリスクが低いのが特徴。高知県の仁淀川にかかっているのを多く見たが、ここにもあることを知った。
橋の右側にある構造物は、上流から流れてくる木などから橋脚を守るためのものか?

さらに奥に行けばもっと渋い町並みがあったのだが、暑さに負けて駅へ帰還。次の目的地に向かう列車を待つ間、しばし駅前のスーパーで涼むことにした。

2025-07-25

美保関から境港へ徒歩で県境越え

[鳥取県境港市]

美保関から斐伊川対岸の境港市へは、かつて渡し船が通っていたが、境水道大橋の開通もあって廃止となってしまった。
その代わりに、旧渡船場でコミュニティバスを乗り換えることで、端を渡って境港駅まで行くことができる。
平日ならばどちらのバスもほぼ1時間おきに運行されているため、うまく接続して乗り換えることができる。だが、この日は週末だったために、逆港行きの本数が少なく、殺風景な乗り換え場所で1時間近くまたなくてはならなかった。

境水道大橋

境水道大橋は水面から40mという大きな橋だが、よく見ると対岸まではたいした距離ではない。そこでふと思いついて、歩行者でも渡れるのかとバスの運転手に聞いてみた。
「渡れますよ、今日は暑いけど」
その言葉に勇気100倍。橋に向かう分岐点に近い「長島」というバス停で下ろしてもらった。

境水道大橋

かなり無茶ではあったが、紫外線遮断効果のある帽子、サングラスがある。さらに、日焼け止めクリームを塗り直してチャレンジした。
こうして炎天下に長さ709m、高さ40mの境水道大橋を渡り、島根県から鳥取県へと県境を越えることができた。
上の写真は、橋の中央部にあった標識。ここからが鳥取県である。

境港の岩牡蠣

「橋を渡ったら『境港お魚パーク』があって、その場で買ったものが食べられますよ」という情報は、バスの運転手から得ていた。
2枚目の写真の左下隅に写っている緑色の屋根の建物である。
注目は、カニと岩牡蠣。境港のブランド天然岩牡蠣「夏輝」をいただくことにした。夏が旬の牡蠣で、冬が旬の真牡蠣にくらべると格段に大きい。値段もかなりで、1つ1500円ほどした。海のミルクと呼ばれるだけあって、こってりしてミルキー!

境水道大橋

『境港お魚パーク』から町の中心部までは、懲りずに徒歩で移動。実は川幅自体は200mもない。向こう岸は島根県だ。
島根県側は山がちなのだが、鳥取県側は砂州だったこともあって平地が続いている。

境港市内

これは、廃業した酒蔵を改修してできた「海と暮らしの史料館」。サメから小さな魚まで、膨大な数の魚の剥製が並び、「水のない水族館」がキャッチフレーズである。なかなか興味深い。

境港市内

境港市は、妖怪マンガで知られる水木しげるの出身地。中心部までさらに20分以上歩いて、「水木しげる記念館」にたどりついた。記念館の前は、昭和の雰囲気が漂う昔ながらの商店街で、水木しげるロードと名づけられていた。

水木しげる記念館

水木しげる記念館は、少年時代から南方での戦争体験などが、ビジュアルを有効に使ってわかりやすく展示されていた。
まあ、水木しげるファンである私は、ほとんどのマンガのシーンは見たことがあったが(笑)
記念館の前でうろうろしていると、彼の妖怪マンガでおなじみの死神が出てきて、うろうろしていた。記念写真を撮る人も多い。だが、さすがの死神も熱中症が恐いらしく、なかなか日なたまでは出てこない。

境港市内

水木しげる記念館の正面にあるかき氷屋。創業は昭和34年とのこと。

境港市内

水木しげるを輩出していなければ、この通りは完全なシャッター街と化していたに違いない。
記念からから駅までは、さらに15分ほど歩く。

境港市内

駅近くにある千代むすび酒造。

境港駅

炎天下を歩き続けて、ようやくJR境線の境港駅に到着。乗客は、ほとんどが水木しげる記念館に立ち寄ってきた観光客のように見える。死してなお、地元に貢献しているのは素晴らしい。
この車両は、砂かけばばあがテーマ、次の車両は子なきじじいだった。

2025-07-23

島根半島東端に位置する美保関の家並み

[島根県松江市美保関町]

松江滞在2日目は、島根県の北東端、三方を海に囲まれた美保関(みほのせき)へ向かうことにした。
例によって行き当たりばったりの旅だが、さすがにバスの本数が限られているので、バスのおおまかな時刻だけは把握して出かけた。

美保関への道

以前は島根半島の先端にある美保関港まで一畑バスが通っていたというが、現在は途中の美保関バスターミナル止まり。
そこから最後の15分ほどは松江市のコミュニティバスに乗り換えなくてはならない。
コミュニティバスは中海に沿って快走。どこまで乗っても200円なのは、ちょっと申し訳ない感じだ。

美保関終点

途中、小さな集落をいくつか経由したのち、視界に美保関の漁港が見えてくる。
それまでの車窓とは打って変わって、大きなホテルや旅館が建ち並んでいてびっくり。

美保関

美保関は北前船の寄港地として賑わったという。昔は陸路ではなく、海路がメインルートだったことを思うと、ここは辺境の地ではなくて、日本全土に開けた場所だったと理解できる。

美保関

まずは、港の一番奥から歩きはじめることにした。当時の船宿が今でもあちこちに残る。この家も重要文化財。
漁港らしく、表通りから1本入ると狭い道がくねくねと続いていく。

小泉八雲記念公園

入り江から1本入った裏通り歩きが楽しい。ここは空き地になっているが、もとは小泉八雲が宿泊した船宿「島屋」があった場所。それを記念して小泉八雲記念公園として、レリーフも刻まれていた。
知らなかったが、小泉八雲はこの町で見聞した生活風習をもとにして紀行文も書いているという。

美保関

イカはここの名物だそう。小さな食堂でおばちゃんが焼いてくれたシロイカのイカ焼きは、やわらかくてウマかった。

美保関

町内には、昔の船宿だった住宅だろうか、1棟貸しの家も多い。「タダ同然で借りられるから別荘にどう?」と醤油醸造所の若旦那に勧められた。
上の写真の正面の家が、その醤油屋。せっかくなので、おすすめの甘露醤油を1本購入した。

旅館「美保館」

さらに裏通りを町の中心に向かって歩いていくと、重要文化財の旅館「美保館」の前に出る。通りの両側に本館と別邸が向き合っている。
この付近の道は、積み荷を運ぶために、海から切り出した青石を敷き詰めた石畳としており、「青石畳通り」と呼ばれている。
ここまで歩いてくると、観光客の姿も多くなってきた。

250723k

これが美保神社。出雲の国譲り神話の中心人物であるコトシロヌシノカミを祀っているとのこと。
現在の美保関は、この神社を目的地として観光にやってくる人がメインなのだそうだ。いわゆるパワースポットとして出雲大社と合わせてお参りするといいことがあるのだとか。そういえば、コミュニティバスにもそんなのが好きそうな30~40代くらいの女性が3人ほど乗っていた。
本殿の正面は珍しい造りになっている。

美保神社

美保神社に参拝したのちに、本殿に尻を向けて入り江を撮影。海が見えるのが気持ちいい。

旅館「美保館」

3枚上に写真にある「美保館本館」の裏口は、港に面していてこんな感じ。
2時間近く滞在したのち、帰りのコミュニティバスがやってきた。しかし、このまま松江市内に戻るのも芸がない。まだ昼を過ぎたばかりである。

2025-07-22

木綿街道の名残をとどめる雲州平田の町並み

[島根県出雲市平田町]

ちょっとした用件のついでに、6月末から7月初めまで、島根県東部から鳥取県西部にかけての地味な町々をめぐってきました。
しばらくお付き合いください。まずは、出雲市平田町から。

木綿街道の町並み

出雲大社や出雲市内でうろうろしているうちに、日が傾いてしまった。
宿泊地の松江に戻る前に、途中下車したのが雲州平田駅。駅の北側へ10分ほど歩いたあたりにあるのが木綿街道。木綿で栄えた昔の町並みが残っている地域と聞いて訪ねてみた。
上の写真は、豪商石橋家による本石橋邸。

来間屋

これは、木綿街道の西側にある「来間屋」。伝統的な菓子である「生姜糖」で有名だという。
日が長い時期だからか、Googleマップによる営業時間をすでに過ぎていたが店は営業中。

来間屋

昔ながらの店内が懐かしい雰囲気。妻は知人らへの土産に生姜糖などを買い込んでいた。

木綿街道の町並み

この周辺は宍道湖の干拓でできた土地だという。汽水であるため農耕にはあまり適さず、その代わりに木綿の栽培が盛んになったのだそうだ。
木綿街道は、その集積地として栄えた町並みである。

木綿街道の町並み

木綿街道の中央あたりには味わい深い建物がぎっしり。なまこ壁ファンにはたまらないこんな家も。

木綿街道の町並み

時が止まったような町で、時が止まったようなポスターが! 若き日の郷ひろみ。

木綿街道の町並み

失礼にも時が止まったような町と書いてしまったが、古い建物のあちこちがリフォームされて興味深い店がいくつもあった。
これはクラフトビールの醸造所。近くでは古民家の内部を改装したおしゃれなイタリアンがあって盛況だった。若い人が頑張っているのは頼もしい。

木綿街道の町並み

醤油蔵も複数あった。ここ「岡茂一郎商店」では醤油のテイスティングができるそうだ。残念ながらこの日の営業はすでに終わっていた。

木綿街道の町並み

川面に映る風景が美しい……と言いたいところだけど、風がないから夕方でも蒸し暑いのなんのって!

一畑電車雲州平田駅

雲州平田駅には一畑電車の車庫がある。列車到着までのしばらくの間、のんびりと写真を撮ることにした。
中央奥の旧型車を使った運転体験のイベントもあるそうだ。

2025-07-21

久しぶりの一畑電車(2)

松江しんじ湖温泉発の列車は、日中のほとんどが途中の川跡(かわと)駅止まり。
出雲大社前に行くには、ここで乗り換える必要がある。

川跡駅

川跡駅で3方向に向かう列車が勢ぞろい。乗ってきた一番左の1番線の列車は、折り返して松江しんじ湖温泉へ。
2番線は電鉄出雲市行き、3番線はこれから乗る出雲大社前行きである。
当日は土曜日だったからか、かなりの観光客で川跡駅は賑わった。電鉄出雲市方面から出雲大社駅に向かう人も多いようだ。

出雲大社前駅

そして出雲大社前に到着。この駅は、何十年も前に来たときと変わってない。
車両だけは変わった。この1000系電車は東急からやってきた車両だ。

出雲大社前駅

駅舎も昔とたぶん変わっていないが、以前は駅舎の写真を撮っていなかったのでよく覚えていない。

出雲大社前駅

駅の待合室もクラシックな雰囲気。折り返し電車の改札がはじまったので、待合室はがらんとした。
構内には一畑電車の売店があって、そこでクラフトビールを購入。

出雲大社前駅

ホームの横には廃車となったデハニ52が展示されていた。

出雲大社前駅
車内にも入れるのがいい。

2025-07-19

久しぶりの一畑電車(1)

6月末から7月初めに向かったのは山陰。JALのマイレージの一部が期限切れになるので、松江に住む友人への訪問を兼ねて、島根、鳥取の町をめぐる旅をしてきた。
例年なら梅雨真っ盛りの時期なので出発前から不安だったが、行ってみるとすでに梅雨が明けたような猛暑。日傘(帽子)、日焼け止め、サングラスの「三種の神器」を手に旅を続けた。

松江しんじ湖温泉駅

出雲空港からいったん松江に向かい、ホテルに荷物を預けてから一畑電車に乗車して出雲大社へ。
久しぶりに訪れた松江しんじ湖温泉駅は、すっかり近代化されていてビックリ

松江しんじ湖温泉駅

発車を待っていたのは京王電鉄からやってきた5000系である。

5000系の車内

車内は島根産の木をふんだんに使い、ボックスシート化されていた。
なかなかよい乗り心地である。

一畑口駅

宍道湖を左に見て電車は快走。やがて一畑口に到着する。
駅名標を見るとわかるように、ここでスイッチバックする。

一畑口駅

戦前は、出雲市から開通した路線が、この先の一畑口まで線路があったが、不急不要路線として廃線に。
一方、松江からここまで線路が伸びたこともあり、結果的に平地なのにスイッチバックとして残った。
味わい深いホームである。

一畑口駅

そんなわけで、一畑口には0キロボストがある。

布崎変電所

布崎を出たところで、車窓に飛び込んできたこの光景。あわてて写真を撮った。
一畑電車の布崎変電所だと知った。

« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

著書

  • ローカル鉄道と路線バスでめぐる
    果てしなきイタリア旅 (草思社)
  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)