800体のしゃれこうべが眠る平和な保養地オートラント
レッチェ滞在3日目は日曜日。スドゥエスト線は8割以上減便となり、路線バスはほぼ全路線運休になってしまう。
そこで昼間は市内観光にあてていたのだが、夕方の便で東海岸の保養地オートラントに行くことに決めた。

オートラント支線は休日3往復。レッチェからは片道1時間半をかけて到着。15年前と駅の様子はまったく変わっていなかったが、車両は新しくなった。前回はまばらだった乗客も、そこそこ乗っていた。

オートラントの海岸には、保養地に不釣り合いなほどの城砦がある。というのも、オートラントから対岸のバルカン半島アルバニアまでは直線距離で70kmほど。何度も外敵の進入があったため、これほど頑丈な城壁にしたのだろう。
なかでも、15世紀後半のオスマン帝国軍の襲来は、オートラントに深い爪痕を残した。オスマン帝国に抵抗を続けたアルバニアの英雄スカンデルベグ(ジェルジ・カストリオティ)が没すると、オスマン帝国のメフメト2世はバルカン半島を平定してイタリア侵略の足掛かりとして軍勢をオートラントへ差し向けたのだ。

オートラントを支配していたナポリ王国は、フィレンツェのメディチ家との闘争にうつつを抜かして防御を怠っていたため、あっというまにオートラントは占領されてしまった。捕らえられた市民800人はイスラム教への改宗を拒否して惨殺されたという。

もっとも、観光客で賑わう現在のオートラントからは、そんな歴史を感じとることができない。
唯一その悲劇が実感できるのは、オートラントの大聖堂(ドゥオーモ)である。

大聖堂へ行くと日曜日夜のミサをやっていた。教会内陣の右側にある礼拝堂に向かう。

礼拝堂の壁面には、ガラス越しにしゃれこうべがぎっしり!
改宗を拒んでオスマン軍に殺害された市民800人の骨である。町の奪還後に遺体は収容されて祀られるようになり、のちに聖人として認定され、ここに納められたという。

前回の訪問では、まるで情報がなかったので礼拝堂を見損なっていた。教会の床に描かれたモザイクのヘタウマさ加減に気を取られてしまい、奥間で進まなかったのである。もちろん、このモザイク画も貴重なもの。聖書の各場面が描かれている。

名残惜しいけれど終電を逃すわけには行かないので、食前酒のスプリッツを1杯だけ飲んでアリヴェデルチ・オートラント。
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