ルチェーラの夕べ
宿でひと休みして大聖堂周辺をぶらぶらしたあと、日が暮れないうちにと向かったのは町はずれの城砦だ。下の動画がそれである。ガイドブックには17時までと書いてあったが、9月中旬だったためか18時までオープンしているとのことで運よく入ることができた。
フェデリーコ2世は、シチリアて反乱を起こしたイスラム教徒をここに住まわせて自治権を与えたという。住民たちはその温情に応えて、彼に心から感謝して、いざ戦いがあると惜しみなく力を発揮したとのことだ。
フェデリーコ2世の印象的なエピソードといえば、十字軍遠征を求める教皇との軋轢である。そんなことに興味のない彼は、さんざんはぐらかしていたのだが、破門をちらつかされて、とうとうエルサレムに向かって進軍することになる。
ところが、現地では戦うことなくイスラム教徒の君主アル・カーミルと意気投合。厚い友情を結んで、キリスト教徒とイスラム教徒の共存を実現する。
そして、キリスト教徒が安全にエルサレムに巡礼できるよう、話し合いをつけたのである。12、13世紀の人とは思えない、どこまでも破天荒で合理的な人だ。ところが教皇は、「イスラム教徒と戦わないとは何事か」と激怒して彼を破門してしまったのである。
さて、のんびりと町なかをぶらぶらしていたら、いつのまにかとっぷりと日が暮れた。昼間はまだ夏の暑さが残る時期だったので、夜になってようやく気温が下がると、中心部に人が増えはじめた。
8時を過ぎたところで、私たちは宿のマダムにすすめられたレストランに向かった。こんな田舎町に? と思うような創作的な料理が出てくる素敵なレストランでびっくり。
それにしても、宿のマダムもレストランのおやじも、私がフェデリーコ2世という名前を口にしたとたん、雄弁にその偉業をたたえはじめたのには驚いた。それだけ、この町では今も尊敬して親しまれているだろう。
ネコちゃんも涼しい石畳で休憩中。
ルチェーラの宿は旅行者用アパートではなくB&Bなので朝食が出る。
歴史がありそうな立派な建物だけあって、昔は居間だっただろう朝食部屋は、赤を基調にしたゴージャスな雰囲気。正直なところ客室はだいぶくたびれた感じだったが、この部屋は別格だった。
駅へ向かう路線バスの時刻と停留所を教えてもらい、スーツケースを引っ張って石畳を歩いていくと、あちこちで即席の露店が出ていた。
これは、色鮮やかな野菜売りのご夫婦である。
バスは町のあちこちを遠回りしていくので、1時間おきに発車するガルガノ鉄道に間に合うのか、心中穏やかではなかったが、そこはきちんと接続していることに感心した。
発車の5~7分ほど前には、私たちのバスを含めて、町の各方面からやってきた4台の小型バスが駅前に揃った。
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