ラヴェンナでモザイク三昧(下)
4世紀の末、ローマ帝国が東西に二分されたが、当初西ローマ帝国の首都だったミラノに代わって首都となったのがラヴェンナだった。
その後、西ローマ帝国は東ゴート王国に滅ぼされ、6世紀に入ると東ローマ帝国のユスティニアヌス帝がラヴェンナを制圧する。
そんな激動の時代につくられて、当時の繁栄を偲ぶよすがとなっているのがラヴェンナのモザイクなのだ。
6世紀なかごろに完成したサンヴィターレ聖堂は、8角形をしたユニークな教会だ。イタリアでは珍しい存在で、東ローマ帝国内で栄えたビザンティン文化の影響だといわれている。
実は、ここには1981年に訪れたことがあった。写真が残っているのでわかったが、そのときは中で結婚式をしていたことを思い出した。
ここもまた色鮮やかなモザイクを見ることができる。とくに、緑色が印象的だった。
創建当時のモザイクが残されているのは一部に限られているが、注目は内部の構造である。
ほかのイタリアの教会と違って、祭壇を取り囲むようにいくつものアーチが連なり、独特の雰囲気をかもしだしていた。
さて、このラヴェンナ訪問のメイン・イベントが、このガッラ・プラキディア廟堂である。
サンヴィターレ聖堂と同じ敷地内にあるが、その素朴な外観からもわかるように建てられたのはずっと古く、キリスト教が西ローマ帝国の国教とされた直後の430年ごろという。
小さな建物のなかに一歩入ると、そこにはめくるめく世界が広がっていた。
皇帝の母だったガッラ・プラキディアの墓所といわれてきたが、どうやら字が読めない人たちのために、キリスト教の教えを絵解きする礼拝堂だったらしい。
内部には聖書に関する象徴的な図柄が、鮮やかなモザイクで描かれている。
それにしても、1981年にはすぐそばのサンヴィターレ聖堂に入ったのに、ここは見ていない。
当時はラヴェンナに関する日本語の情報なんてほとんどなかったからしかたないが、なんとも惜しいことである。
ところで、ネットで購入した5つの建物の入場券を見ると、ほかの教会や博物館は日付が指定されているだけだったが、ここと前回紹介したネオニア洗礼堂だけは、15分刻みで入場時間が指定されていた。
だが、次の目的地にいくためには、その時間まで待っているとバスに乗れない。
指定された時刻の1時間近く前だったが、とにかくトライしてみることにした。
入口でチェックしているおばちゃんに何かいわれたら、泣き落としするしかないと覚悟していたが、おばちゃんはQRコードを手元のタブレットで読み取ると、あっさりと入れてくれた。
そんな融通が利くのもイタリアのいいところである。観光客が集中する8月だったら、そうはいかなかったかもしれないが。、
最後に訪れたのは、中心部から少し離れたサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂である。
建物の前まで来てわかったのだが、ここにも40年近く前に訪れて写真を撮ったことがある。
長方形の聖堂の内部の片側には初期の聖人たちが、もう一方には殉教者たちがずらりと並んでいて壮観である。
もちろん、すべてモザイクだ。
まさにラヴェンナはモザイクの町である。
あとから知ったことだが、幸運にも東ローマ帝国の支配が弱まったために、偶像破壊運動を免れてラヴェンナにこれだけのモザイクが残されたのだそうだ。歴史の綾を感じるエピソードである。
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