胎内市中条の町並みと料亭(2)
胎内市という名前は、かなりインパクトがある。市内を流れる胎内川に由来しているとのことだが、では胎内川はなぜそんな名前なのか。
どうやら、渇水期には扇状地で伏流水となって水が見えなくなり、河口近くになって再び水が出てくることが、母の「胎内」から出てくる様子を連想させたのではないかとのこと。
ほかにも諸説あるようで、アイヌ語の語源説もあるそうだが、こちらは近年になって否定されたようだ。

さて、前回紹介した国指定文化財の蔵の向かいには、「南都屋」という立派な料亭がある。ランチもやっているようで、裏口近くを通るとぷうんといい香りが漂ってきた。

本町通りから裏通りに入り、足の向くままぶらぶらしていたら、またもや趣深い料理屋があった。「割烹 市丸」という看板が出ていた。
それほど大きくない町なのだが、50mほど離れた場所に立派な料亭と割烹があるのには驚いた。だが、さらに50mほど歩くと、また別の割烹が姿を表したのにはびっくりした。

地元の人たちが割と気軽に冠婚葬祭で利用するのだろうか。これだけの料亭・割烹がやっていけるのだから奥が深い。
割烹小川から100mほど進むと熊野若宮神社があった。塀や土塁もなく開放的なのが心地よい。

これは、熊野若宮神社の脇を流れる水路。神社は写真の左側にあたる。
水路の脇には、昭和42年8月28日の羽越水害について記された看板が立っていた。
胎内川の氾濫や支流の土石流によって死者・行方不明者46人、重軽傷者275人、住宅全半壊313棟、床上・床下浸水約6000棟という大きな被害を受けたという。ネットで写真を見ることができるが、大変な災害であったことがわかる。

小一時間のぶらぶら散歩を終えて中条駅前に戻ってきた。
改めて駅前を見ると、こんな幕が下がっていた。「微細米粉発祥の地」が、かなりの自慢のようである。調べて見ると、胎内市は1998年に日本で最初に米粉専用の製粉工場ができた「米粉発祥の地」だそうだ。
これまで、胎内市というと強風やフェーン現象による高温などで名前を聞くことがあったが、今回ようやくこの目で見ることができた。山のほうに行くと、スキー場やクラフトビールの醸造所もあると知った。
« 胎内市中条の町並みと料亭(1) | トップページ | 昭和レトロの香り漂う豊栄の町 »
「ニッポンぶらぶら歩き(東京、沖縄以外)」カテゴリの記事
- 交通の要衝・新見でなまこ壁と商店街を味わう(2025.08.07)
- たたら製鉄でも栄えた出雲街道の宿場町・根雨(2025.08.05)
- 山間の小さな城下町・江尾(2025.08.04)
- 町の北部に昔の町並みが残る商都・米子(2025.08.03)
- 豪壮な屋敷が並ぶ農村集落・所子(2025.08.02)











コメント