大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(1)
天王寺で阪堺電車の今昔写真を撮り終えたが、まだ時間がたっぷり残っていたので、かつて平野線が走っていた平野終点あたりまで足を伸ばしてみようと思いついた。
昔の写真はスキャンしてデジタル化し、クラウドに保存してあるので、いつでも呼び出して比較できるのである。
当時は想像もできなかった技術の進歩だ。

天王寺から地下鉄に乗ればすぐなのだが、それではおもしろくないので、バスで向かうことにした。
ところが、道路は混んでいるし、ずいぶん遠回りをしているようなので、途中から近鉄南大阪線に乗り換えて平野近くまで行くことにした。

おかげで、こんなときでもなければ歩くことはないだろう東住吉区のぶらぶら散歩を体験できた。
上2枚の写真は、北田辺駅前。このあたりには、なかなか趣深い商家があった。
古い家屋と商家の組み合わせというと、東京では看板建築が圧倒的なのだが、こちらではなんとも表現しがたい複雑な加工がほどこされていた。
その後も、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、気ままに迷いつつ、ようやく日が暮れる前に平野にたどりついた。

上の写真は、廃止直前の1980年8月に撮影した西平野停留場。車両は239号車。味わい深い光景で、気に入っている写真の1枚だ。
どの停留場で撮ったのか、ずっとわからなかったのだが、グーグルストリートビューで探していたある日、左に写っている今村電化のビルが当時のままで今でも営業していることを見つけた。

今では公園になっており、時あたかも桜が満開の時期。夕暮れの温かい風のなかで、地元の人がのんびりと桜をめでていた。
今村電化のビルは桜の陰になっているが、看板にあるパナソニックの青いロゴがちらりと見えている。
公園のコンクリートの塀には、かつてここに平野線が走っていたことが記されていた。

次の写真もまた、どこで撮ったのかわからなかったが、去年かおととしになって西平野~平野間であると判明した。恵美須町からやってきた245号車が、まもなく平野終点に到着するところだ。
写真を拡大してみると、車掌が後ろの窓から顔を出して私のほうを見ていることがわかる。
それにしても、大阪市内とは思えない牧歌的な情景!

現在、軌道敷はカラオケ・ビッグエコーのビル(手前)やアパート(奥)に変わっていたが、この道の突き当たりにあるお宅が健在であった。

平野駅付近の探訪はまた次回。
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