三陸縦断の旅3: 陸前高田に到着
13時2分、陸前高田着。20年ぶりの訪問だったが、心は重かった。
6時10分に上野駅を出てから約7時間。もっとも、一関(駅名は一ノ関)で1時間10分の待ち合わせ、陸中松川で1時間ほどぶらぶらしていたから、移動時間は実質5時間である。
気仙沼からのBRT(バス高速輸送システム)の車窓は、一見するとのどかで美しい風景なのだが、海が見える場所に出るたびに、津波の爪跡であろう更地が広がる。

BRTの陸前高田駅は、大船渡線陸前高田駅から北へ約1.5km。台地の上にある。
BRTであるが、この区間はずっと一般道を走るので駅といってもバス停となんら変わりない。
鉄道も見当たらない丘の上に、JR東日本のマークの付いたプレハブの「駅」があるだけで、尋常ではないものを感じざるをえない。

その背後には、やはりプレハブの大きな建物があった。
陸前高田市役所の仮庁舎である。市役所の仮庁舎の前に駅(バス停)がつくられたいったほうがいいかもしれない。仮庁舎の前には、金融機関のATMがずらりと並び、その脇には飲料の自動販売機が何台か並んでいる。
津波で大きな被害を受けた市街地は、この丘を南に降りたところから大船渡線の駅のあたりにかけて広がっていた。有名になった「奇跡の一本松」は、大船渡線の駅からさらに1kmほど南にある。

20年前に陸前高田を訪れたときは、その町並みが気に入って、時間をかけて市街地を歩き回り、写真を撮っていた。その後、気仙川の対岸にある今泉地区に古い町並みがあることを知り、次回はぜひそこを見ようと心に決めていたのである。
ところが、3月11日の大津波によって、陸前高田市の市街地は壊滅状態となってしまったのはご承知の通りである。死者・行方不明者を合わせて1800人という多くの犠牲者が出てしまった。

すぐにも陸前高田に足を運びたいとは思っていたが、たいして手助けになるようなことはできそうにない。しかも、あまりの被害の大きさに二の足を踏んでいたのである。
それでも意を決して、多忙の合間にぽつんと空いた時間を利用して再訪することにした。当時の町並みの印象が強かったために、この目で現状を見なくてはどうもすっきりしなかったのだ。

あの賑わいのあった市街地が、すべて更地になっていることは、グーグル・ストリートビューでもわかっていた。それでも、丘を降りるに従って、徐々に目に入ってくる光景には、やはり慄然とするしかなかった。
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