東京タワーを眺めつつ、津波と石垣りんを思う
26日夕方、家に戻ると留守番電話が入っていた。
「ご心配でしょうが、奥さまは問題ありませんでしたので、ご安心ください」
スマトラで地震があったのは小耳にはさんでいたが、妻とその友人がダイビングに行った先が、震源地のすぐそばであることとは結びついていなかった。
おかげで、心配する時間がなくて済んだのは、幸いだったかもしれない。大昔の神経質な私だったらば、すぐに思い当たって、ずっと気を揉んでいたことだろう。
だが、夜になって次々に入ってくる悲惨なニュースを見て、さすがの私も少々心配になってきた。
友人たちからのメールに、「大丈夫らしい」と返信しながらも、なんとなく不安。
しかし、次の日に迫った締め切りに間に合わせるために、夜なべの仕事をやらざるをえないのがフリーのつらいところである。
27日の昼ごろ、旅行社に電話をしたら、津波が起きた時点で、すでに妻と友人はクルーズ船に乗って沖に出ており、ほとんど影響がなかったという説明を受けた。
なるほどね、悪運の強いやつらである。
というわけで、安心して27日は忘年会に出席。帰りにほろ酔い気分で東京タワーのそばを通った。
展望台に灯で描かれた2004という数字は、1日になったとたん2005になるのだろう。
小学生のころは、2000年が来ることさえ、信じられないほど遠い未来だったのに。
ふと、ここで、詩人の石垣りんが亡くなったというニュースを思い出した。
中学生の国語の教材を作る仕事をしていたときに、よく利用させてもらったっけ。中学生でもわかる言葉で、人生の厳しいところをついてくる。まあ、初期の作品はちょっとプロレタリア文学臭いけれど。
石垣りんの詩の中では、有名どころだが、、「シジミ」が好きだった。
ほんとうにギリギリの集中力をもって生きていた人なのだろうなあ。
東京タワーを眺めながら、そんなことを思った元文学青年の私であった。
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