2026-06-09

函館本線仁山駅の思い出

2026年3月13日限りで、函館本線の仁山駅が廃止になった。正確にいうと、客扱いが終了してかつての信号場に戻ることになった。
仁山の名前を初めて耳にしたのは半世紀も前のこと、鉄道ファン誌で仁山を取り上げた記事を覚えている。仁山越えの急勾配を登る機関車の盛大な煙が印象的だった。
当時はまだ小学生だったので現地に行く機会はなく、その後も何度か駅を通過して車窓から目にするだけだった。

函館駅

しかし、廃止が決まったと聞いたら居ても立ってもいられない。函館を訪れる用事のついでに訪ねることにした。2025年10月2日のことである。
函館8時23分発の普通長万部行きに乗車した。

仁山駅

仁山駅到着は8時56分。次の下りまでは2時間近く空いているが、上りの函館行きは約30分後にやってくる。
その上りで函館に戻るというわけだ。我ながら完璧なスケジュールである。

仁山駅

仁山駅の名所案内には、仁山高原まで徒歩1時間と記されていた。
歩いた人はどれだけいるのだろうか。今ではヒグマが恐くて、とてもではないが歩く人はいないだろう。

仁山駅

仁山駅はもちろん無人駅。がらんとした待合室にノートが置かれていた。
この駅を訪れる人が書き込んできたものだ。それも、もう更新されることはない。

仁山駅

駅を出たものの、ヒグマが恐いのであまり離れる気になれない。最近は、この渡島地方にも出没情報が流れているそうだ。

ところで、仁山駅を出てすぐのところに石碑があった。下の写真で、駅舎の右側、木の左下あたりに写っている。
両面に文章が書かれていて、駅の反対側に書かれている内容はwikipediaにも記されているように、仁山駅の現在地移転に際して、土地の所有者である医師が取付道路用の土地を提供したことに対する感謝が刻まれていた。

仁山駅

碑の反対側の文面を読むと、その医師がなぜこの土地を持っているのかがわかる。
東大病院在籍、スイス留学をへて「日高の赤ヒゲ」と呼ばれた医師が、ここに結核患者の療養施設であるサナトリウムを建設するために土地を購入した。
しかし、惜しくも昭和20年11月に患者からうつされた発疹チフスで死去。その遺志を後世に残そうと、碑を建てるにあたって息子さんが碑の片面に文章を残したのである。

仁山駅が廃止になれば、もう碑を見る人はほとんどいなくなるだろう。そんなエピソードも時代とともに忘れられてしまうかもしれない。

仁山駅前

駅周辺には温泉施設やキャンプ場があるが、朝だったこともあって人影は見えず、しんとしていた。
温泉の宿泊施設は営業しているようだが、立ち寄り入浴は休業中との貼り紙があった。

駅から20分ほど道を下っていけば国道5号線上に峠下というバス停があって、函館と長万部を結ぶバスが1日に3.5往復走っている。
でも、ヒグマが恐いのでそこまでは歩いていけない(しつこい)。

仁山駅

駅のホームに戻ると、下りの札幌行き北斗5号が通過していった。
この区間は単線なのだが、行き違いのために駅構内は複線になっている。そのため、今後は客扱いをしない信号場として残されるわけだ。

ちなみに、仁山駅の函館側の隣駅は北海道新幹線の現時点での終点である新函館北斗駅。わずか4kmほどの距離だが、大きな違いである。
そんな新函館北斗駅も、新幹線が開通する前までは、渡島大野駅という小さな無人駅だった。

仁山駅

9時29分、定刻通りに函館行きがやってきた。乗るのは私一人。下車する人はいなかった。

2026-06-06

ルネサンス文化が花開いたラファエロの故郷ウルビーノ

今回の旅の報告の最終回は、マルケ州内陸に位置してルネサンス文化が花開いた都市ウルビーノ。
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの治世のもとで栄え、ラファエロが生まれた世界遺産の丘上都市だ。

平日ならば宿泊地のファーノから(しかも宿のすぐそばが始発)直通バスがあったけれど、あいにく休日だったのでペーザロ駅で鉄道からバスに乗り換えて1時間弱。ウルビーノのバスターミナルに到着した。

ウルビーノ旧市街

16年ぶりの訪問となったのだが、バスを降りたところで周囲の光景がまったく違っていることに驚いた。
バスターミナルの位置が、旧市街の西端から北端に移転したのだった。

ウルビーノ旧市街

斜面にできたショッピングモールの中をエレベーターで10階分垂直移動して、一気に旧市街の入口の一つ、サンタ・ルチア門の前に到着。
前回の経験から、バスを降りてから上り坂の連続を覚悟していただけに、門をくぐるとしばらくは下り坂。これには拍子抜けした。

とはいえ、周囲には地味な建物が続く。「ここが本当に世界遺産の町なの?」と不審がる妻。
5分ほど歩くと、ようやく中心部に近づいてきた。

レプッブリカ広場

町の中心部、賑やかなレプッブリカ(共和国)広場。
以前は、右奥に見える門の外にバスターミナルがあって(いまもバス停はあるらしい)、上り坂をひいこらいって中心までやってきたのだった。

ドゥオーモ前広場

ドゥカーレ宮を見学する前に、まずは軽く腹ごしらえ。
この日も9月下旬にしては暑かった。ドゥオーモ(右)とドゥカーレ宮の外観を眺めながら、昼間からテラスで飲むビールはうまい。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵

ドゥカーレ宮に2枚あるピエロ・デッラ・フランチェスカの作品のうちの1枚。スポットライト風に光が当てられていた。
この人の絵は、素人の私でもすぐにわかるほど特徴的。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書斎

そして、前回なぜか見損なったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書斎を無事に見ることができた。
驚くほど精巧な寄せ木細工で、だまし絵まである。上には世界の賢人たちの絵が飾られている。

ウルビーノ旧市街

町を歩いていても、一幅の絵画のような風景が目に飛び込んでくる

ウルビーノ旧市街

イタリアの丘上の町ではよく見かける風景だけど、やっぱりこの分かれ道がたまらない

夕日を浴びて輝くウルビーノ旧市街

夕日に照らされる旧市街。もう少し待てば真っ赤に色がつくはずだけど、バスの時間が迫っていた。

2026-05-31

フェリーニ監督の故郷に寄り道

サンマリノからの帰り、バスから鉄道への乗り換えとなるリミニ(リーミニ)でひと休み。
リミニといえば、映画監督フェデリコ・フェリーニ(原音に近いのはフェデリーコ・フェッリーニ)の出身地にして、名作『アマルコルド』の舞台となった町だ。

もっとも、一般的にはアドリア海沿いの保養地としてのほうが有名。
15年ほど前にやはり乗り換えで1時間ほど徘徊したことがあったが、そのときは乗り換え時間を利用した1時間ほどの駆け足で町をめぐった。
今回も乗り換えのついでだが、もう少し長居をすることができた。

マラスティアーノ教会

駅から中心部に行く途中、いかにもファサードが未完成という感じのマラスティアーノ教会 Tempio Malatestianoの前を通りかかる。
日本語にすれば教会だが、イタリア語ではChiesa(キエーザ)でもBasilica(バジリカ)でもなくTempio(テンピオ)、つまり神殿であるのが珍しい。
異教的(カトリックにとって)な要素が多いため、あえてそう呼ばれているのだとか。
設計は、ルネサンスの万能人レオン・バッティスタ・アルベルティら。私が中学生のときに教科書のほんの3、4行の記述を読んで憧れた人だった。

トレ・マルティリ広場

駅から10分ほど歩くと中心部に至る。旧市街の中心部にあるトレ・マルティリ(3人の殉教者)広場。
この周辺は15年前と同じく、いやそれ以上に人でごったがえしていた。
外国人観光客はほとんどが欧米人で、アジア系は目にしなかった。

アウグストゥスの凱旋門

旧市街の東側にあるアウグストゥスの凱旋門。古代ローマの凱旋門のなかでも現存する最も古いものという話。

ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の像

トレ・マルティリ広場の東端に立つユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の像。
そう、この町の近くにはルビコン(ルビコーネ)川が流れているのだ。もっとも、かなり小さな川なので、本当にそこをカエサルが渡ったのかも不明だという。

結婚式

教会では結婚式があった模様。ピチッとしたカッコいいスーツに身を包みつつ、なぜか真っ白のスニーカーをはいた新郎みずから、いろいろと仕切っていた。

フルゴール映画館

フェリーニの残影を探していると、中心部にシブい映画館があった。フルゴール映画館 Cinema Fulgorといって、フェリーニが子ども時代に足しげく通ったらしい。
裏の建物にはフェリーニ博物館があるというが、夕方5時までの営業なので入ることはできなかった。

ティベリオ・アウグスト橋

町随一の観光ポイント、旧市街の西側にあるティベリオ・アウグスト橋。
アウグストゥス帝の時代に着工し、ティベリウス帝の西暦21年に完成。いまもその姿を残している貴重な橋である。

ティベリオ・アウグスト橋あたり

ティベリオ・アウグスト橋を歩いて散歩する人びと。
テラスで食前酒スプリッツを飲みながら、ぼんやりと眺めていた

書店の日本マンガコーナー

町の中心部の本屋で見た日本マンガコーナー。これは一部に過ぎず、この5倍くらいの棚があった。

駅で見たもの

駅で見つけたフェリーニ監督の残り香。あの有名な映画「道」ですね。

2026-05-30

動態保存されているリミニ - サンマリノ鉄道

サンマリノ共和国では、ただ観光をしていただけではない。懐かしの乗り物もチェックしている。

第2次世界大戦中の1944年、英軍機の誤爆(サンマリノは中立国だった)がきっかけとなり、開業からわずか12年で運転休止となった悲運の鉄道リミニ - サンマリノ鉄道。
最近になって、保存会の努力で電車1両が動態保存され、短い区間でときどき運転会をしていると聞いて訪ねてみた。

バスターミナルの看板

バスターミナルのこの看板を見ると、どうやらここが昔の駅の跡だったということがわかった。

旧市街に向かう観光客に背を向けて歩くこと2、3分、怪しいトンネルが見えてきた。

廃線跡のトンネル

しかし、ここに停まっているはずの動態保存の電車の姿が見えない、ということは、このトンネルの向こうにいるのか。

標識を見ると立入禁止に見えるけれど、よく見ると「上のシグナルが点滅しているときは通行禁止」とある。
逆にいえば、点滅していないから立ち入っていいと解釈した。

廃線跡のトンネル

おそるおそるトンネルに入って先に進むと、素彫りの部分もあって、ちょっとおどろおどろしい。
戦時中には、このトンネルないに避難して暮らしたイタリア人も多いとのことだ。

廃線跡のトンネル

5分以上歩いてかなり心細くなったころ、ようやくトンネルの出口が見えてきた。

動態保存されているAB03号

予想通り、動態保存されている電車AB03号がここに停まっていたのだった。
保存協会の会員らしき男女2人がいて、床下やらなにやらチェックしていた。

車内を覗いてみると、一等席らしき立派な座席も見える。

AB03号の反対側の正面

これは反対側の車両前面。

貨車

貨車も保存されていた。右に写っているのは保存会の人。

保存されている台車

バスターミナルには台車も保存tされていた。

静態保存されている車両

ふもとにはもう1両、高架橋上にAB51号車が静態保存されている。旧市街から見えたけれども、時間と体力がなくていけまなかった。

それにして、山の上までどうやって走っていたのか不思議だ。
ラックレール式(アプト式など)ではなかったいようで、ループ線を描いて登ったようである。さっき歩いたトンネルも、そのループ線の一部だったらしい。歩いているだけでもわかるほど、かなりの勾配だったのが印象的だった。

保存協会のサイトによると、将来はさらに長い距離を走らせたいとのことだ。

2026-05-28

観光客であふれる崖上の共和国サンマリノへ

ファーノ起点の町歩き2日目の土曜日は、サンマリノ(サンマリーノ)共和国へ初訪問。

当初は翌日訪ねる予定だったけれど、日曜日は大混雑しそうな予感がして日程を変更した。
それでも、リミニ駅からサンマリノ中心部へ向かう直行バスは満員で、続行バスが運行されたほど。

グアイタ城砦

山岳都市の親玉のような存在として訪れないわけにはいかない町だ。
周囲をイタリア領に囲まれた独立国で、第2次世界大戦時には中立国だった。
ユーロは使えるが、EUには加盟していないので車のナンバープレートは独自のものだった。

旧市街の入口

リミニから30分ほど走ると、サンマリノの岩山が見えてくる。
観光案内では岩山ばかりが取り上げられるが、そこはあくまでもサンマリノ市だけであって、周囲の平地もサンマリノ共和国の領内である。
バスは最後に急勾配のヘアピンカーブをいくつも曲がり、旧市街の入口にたどりつく。

上の写真は、バス停から5分ほど歩いた旧市街入口の門の一つ。

城砦の道

サンマリノの岩山には、崖の上に4つの塔が建っている。これで外敵の侵入を見張っていたわけだ。
4つなら全部めぐってみたくなるのが人情というもの。
観光客はみな同じようなことを考えていて、9月の厳しい日射しをまともに浴びつつ、ひいこら言いながら急な坂道を上り下りしていた。

旧市街の中心部遠景

これは何番目だったかの塔の上から北側を望んだ光景。左に共和国宮殿が小さく見える。

共和国宮殿(市庁舎)

サンマリノの共和国宮殿(市庁舎)と広場。グッビオの宮殿とちょっと似ている。
この周辺は、観光客でぎっしり。

共和国宮殿(市庁舎)

市庁舎の内部は自由に見学できる。これは、共和国の国会が開かれる部屋。

旧市街の中心部

サンマリノ旧市街の中心部は、どこもかしこも坂だらけ。市庁舎の周辺には飲食店や土産物屋が建ち並んでいた。

サンマリノのクラフトビール

最近のイタリアは、どこでも地元のクラフトビールを気軽に飲める店が増えて喜ばしい。
この日は暑かったので、生ハム・サラミの盛り合わせをつまみにクラフトビールを注文。左はサンマリノ国内でつくられているビール。右はマルケ州のビール。

土産物屋の忍者刀

サンマリノくんだりまで、忍者刀を土産に買う人がいるのか……と思って写真を撮ったのだが、店内ではいかにもオタクっぽい客と店の人とが会話をしていて、「マンガ、ジャッポーネ(日本)」という単語が聞こえてきた。
カタナ(katana)という単語はaで終わるから女性名刺と認識されているのか、複数形をカタネ(katane)としているのが笑える。

2026-05-26

セニガッリアで出会ったオタクの祭典

コリナルドからの帰り、アドリア海沿岸のセニガッリア Senigallia 駅に向かうバスをセニガッリア中心部に近いバス停で下車。
せっかくだから、セニガッリアの町をぶらぶらすることにした。
ちなみに、セニガッリアは知る人ぞ知る写真家マリオ・ジャコメッリが生涯暮らした町である。

セニガッリア駅

これは行きに撮ったセニガッリア駅の正面。
この駅前からバスに乗るのだが、乗りたい時刻のバスだけが時刻表に書かれていない。
うろたえながら周囲でバス待ちをしている人に聞いたところ、「大丈夫、このあとで来る」と教えてくれた人がいた。
それでも、イタリアのことだから半信半疑だったが、無事にやってきた。

コリナルドからセニガッリアへ

これは、コリナルドからセニガッリアに戻るバスの車窓から見た風景。

ガリバルディ広場

中心部には、とにかくだだっ広いガリバルディ広場があった。
だが、ひと気があまりなく、寂しい感じ。しかたがないので、ぶらぶらと駅に向かって歩いていった。

すると、駅近くにある城砦周辺ではコスプレをしているイタリア人の若者がうろうろしているではないか。
聞くと、Fumetti(フメッティ)祭りとのこと。つまり、マンガ祭りである。
あとで調べたところによると、正式名称は「ユートピア - ファンタジーフェスティバル」というらしい。毎年9月下旬に開かれているという。

ファンタジー祭り

コスプレをした青年たちがビールを飲んで歓談している様子が楽しそうだったので、「写真を撮っていい?」と聞いたところ……。
そのままの様子を撮りたかったのに、わざわざビールを友人に預けてポーズをとってくれました。
まあ、これはこれでサマになっている。バックの城砦がRPGの舞台のようでぴったり。

ファンタジー祭り

もう「マンガ」はイタリア語にもなっていて、本屋ではスヌーピーなどがある「フメッティ」コーナーとは別に、その3倍以上の面積で日本の「マンガ」(もちろんイタリア語版)専用コーナーが設けられているほど。
コスプレ、コスプレイもイタリア語になって、そのまま通じた!

ファンタジー祭り

男女問わず、オタクはみんな心根が優しい。
オタクっぽい男の子が、この女の子の写真を撮っているところに入って、一緒に撮らせてもらった。

ファンタジー祭り

こんな出し物もあった。本物の火を使った踊り。
はじまるまで、みんな真剣に練習をしていたっけ。これも背景の城砦がいい感じ。

ファンタジー祭り

ゴジラも捕獲(笑)日本語が書かれたTシャツはあちこちで見かけた。

ファンタジー祭り

ファンタジー祭りだから、こんなものもあった。
大きな音をたてて走るクラシックカーとカメラ目線の運転手。

マンガで日本語を覚えたという子も多かったし、もちろん最近のマンガやアニメについては私と比較にならないほど知識が豊富。
恐るべしソフトパワー。

2026-05-25

中世の城壁に囲まれた丘上都市コリナルド

ファーノをペースキャンプとした町歩きの初日は、中世の城壁に囲まれたコリナルド Corinaldo。
10世紀ごろに町の基礎が築かれたのち、現在の城砦の堅固さからもわかるように、とくに14世紀から17世紀ごろかけて、さまざまな名家や領主による抗争があったという。
だが、今ではマルケ州内陸のなだらかな丘陵に位置する平和で静かな町となっている。

コリナルド旧市街遠景

アドリア海沿岸を走る幹線のローカル列車に乗って20分ほど南下。セニガッリア駅前から、日中1~3時間に1本ほど出ているバスに乗り換えて、マルケ州の丘陵地帯をアップダウンしながら走ること約50分。目的地のコリナルドに着いた。

「ここで降りるのがいい」と運転手にいわれて、城砦のふもとのバス停に降り立ちました。
バス停のある新市街から旧市街を見上げる。

コリナルド旧市街遠景

この城砦のなかに町があるなんて驚きである。どこから入ればいいのかと思って近づいてみると、どうやら写真右下に見える坂道を登って旧市街に入っていくらしいことがわかった。

サンタマリア・デル・メルカート門

スロープを登ると、こんなサンタマリア・デル・メルカート(市場の聖マリア)門が目の前に現れる。
これは、どう見ても単なる城の門だ。これが町の入口だなんて。

ポレンタの井戸がある階段

門をくぐって右に曲がると、目の前に階段が出現した。スカリナータ・デル・ポッツォ・デッラ・ポレンタ Scalinata del pozzo della polentaといい、日本語にすれば「ポレンタの井戸の階段」「ポレンタの井戸がある階段」である。

井戸は、写真中央の人が写っている右側にある。この井戸は15世紀に造られたもので、かつて粉ひき職人がこの井戸にトウモロコシの粉を落としたところ、粉が水と混ざってポレンタになったという民話があるそうだ。

ポレンタの井戸がある階段

階段の上から見るとこんな感じ。シチリアのカルタジローネを思い出させる。
ポレンタの井戸が、画面中央に見える。

城壁からの眺め

丘の上に築かれた旧市街は、町全体が美術館のようである。
三角形の町なので方向感覚が狂うのだが、300mも歩いたら町のへりまでたどりつくので問題ない。
ひたすら狭い路地を右へ左へと、ぶらぶら歩き続けた。

旧市街を歩き疲れたところで城壁から出てみると、穏やかなマルケの丘陵地帯を見わたすことができた。

1944年8月10日通り

平和な町に見えるが、現代史も刻まれている。
町のメインストリート(といっても幅6mほどの狭い道)である1944年8月10日通りは、ナチス・ドイツ軍からコリナルドが解放された日にちなんで名付けられたもの。

聖マリア・ゴレッティ聖堂

1902年に11歳で命を絶たれた少女マリア・ゴレッティに捧げられた聖マリア・ゴレッティ聖堂。
イタリア人は、コリナルドという地名を聞くと彼女を思い浮かべるらしい。
彼女について詳しくは、こちらを。
正面に肖像画が飾られている。建物は工事中で入れなかった。

夕方のオヤジ軍団

この町でも夕方になるとオヤジ軍団が集合。おばさんもまじっている。
ここはクルマが入れる町の裏側。夕方になると、小さな旧市街の通りに面した店々も、ようやく開きはじめる。

ポルタ・ヌォーヴァ

道が狭すぎてバスは旧市街には入れないので、町をぐるりと一周する。便によって停車するバス停が違うので要注意だ。
ここは町の裏門にあたるポルタ・ヌォーヴァ Porta Nuova(新しい門)
地元住民の自家用車は、ここを出入りできる。

それにしても、帰りのバスがちゃんとやってくるとほっとする。
イタリアでは、いくら心配してもしすぎることはないからだ。

2026-05-23

拙著『果てしなきイタリア旅』が第8回「旅の良書」選定

2025年9月のイタリア旅の連載中ですが、ここで臨時ニュースです。

拙著『ローカル鉄道と路線バスでめぐる 果てしなきイタリア旅』(草思社)が、日本旅行作家協会による第8回「旅の良書」に選ばれました!

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最優秀賞である「斎藤茂太 旅の文学賞」は逃しましたが、「旅の良書」はそれに次ぐ11冊です。
つまり、1年間に山ほど出版された旅の本のなかでベスト12冊に選ばれたわけです😆

2025年2月の発売直後、日経新聞の書評に紹介されたこともあり、好評のうちに1回増刷されています。
まだお読みになっていない方は、ぜひこの機会に(笑)

Amazonのページはこちら、紀伊國屋書店のページはこちら、hontoのページはこちら です。

2026-05-21

ファーノの町で飲み食い三昧

アドリア海沿岸の町マルケ州ファーノのつづき。
普段はあまり食べ物について取り上げないけれど、5泊もしたので(最後の1泊は交通ストのため延泊)、いろいろとレストランやバールをめぐることができた。
超高級店はなくても、満足できる店ばかりなのが、イタリアの地方都市のいいところだ。

前菜専門店の盛り合わせ

イタリア人は基本的に皿のシェアをしないけれど(大皿の前菜やビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ<フィレンツェ風Tボーンステーキ>などは例外)、最近は外国人旅行者によるシェアの要望も当たり前のように受け入れられるようになってめでたい限りである。
前菜もパスタもメインもシェアすれば、いろいろ楽しんで腹いっぱいになり、値段もそこそこ。メインまで食べると、店の人も喜んでくれる。

上の写真は、宿のそばにある人気の前菜屋の一皿。これがミニサイズ(ピッコリーノ)。だいたい2人前。

やや高級店

ここは旧市街のやや高級店レ・チェザリーネ Le Cesarine。予約なしで行ったら「きょうは満員」と言われたけれど、よく聞いたら店内なら空いているという。
どの店も店外(テラス席というより道端席)のほうから埋まっていくのが興味深い。

 

イカスミのパスタ

ファーノは港町でもあるので、海の幸もいろいろ。イカスミのパスタを注文したら、こんなおしゃれな料理が出てきた!
「イカスミを頼んだんだけど……」といったら、にっこり笑って「これがそうですよ」と。
上に乗ったものをどけると、よく見かけるイカスミのパスタが顔をだした。

モレッタ・ファネーゼ

「食後酒は何がある?」と聞くと、「食後酒というわけではないけれど、モレッタ・ファネーゼはどうですか」という。
これがファーノの名物の飲み物だった。リキュールとコーヒーと砂糖(店によってはさらにブランデーなど)を加えてレモンの皮を入れた一品。
漁師が暖をとるために考え出したとのこと。スプーンでかき混ぜてから飲む。

モレッタ・ファネーゼ発祥の店

最終日には旧市街を出て海岸あたりをぶらぶら散歩。
これが、モレッタ・ファネーゼ発祥の店といわれる港近くのカッフェ・デル・ポルト Caffè del Porto。モレッタ・ファネーゼ用のリキュールまで買ってしまった。

アスコリ風オリーブ

カフェ・デル・ポルトでは、昼間からドロミティビールと飲んで、おつまみにアスコリ風オリーブ(オリーヴェ・アッラッスコラーナ)。
種を抜いたオリーブに肉を詰めて揚げたもの。アスコリ・ピチェーノの名物だけど、今回はマルケ州のあちこちで(ローマ空港でも)食べることができた。ビールのおつまみに最高!

4日通ったバー

ファーノに滞在した5泊のうち、4日通ったバー。
店の夫婦とすっかり仲良くなって、最後にはワインをプレゼントしてくれた。

山猫という名の店

交通ストライキのおかげで延泊した夜に行った店、ガットパルド Gattopardo。
山猫を意味する店名の由来は、シチリアを舞台にした有名な映画ではなくて、おじいさんが所有していた漁船の名前だったという。
入口は高級店っぽくてやや緊張したけれど、中に入ると庶民的だった。

イカの串焼き

メインに頼んだイカの串焼き。日本とは味付けがまた少し違って美味だった。
この店で食べていると、近くに座っていた地元の初老夫婦に、「ジャポネーゼ(日本人)?」と声をかけられた。
そうだと答えると、「やっぱり! 雰囲気や言葉でそうだと思った」という。
彼らの親しい知人に日本人女性がいるとのこと。その後は、ああだこうだと店の人も交えて大騒ぎ。SNSで友だちになりました。

ざくろの生搾りジュース

最後に、ざくろの生搾りジュースを提供するバール。ミックスジュースも多種揃っていた。

こうした田舎町ならば、ちゃんとしたレストランでも、ワインを500~750cc頼んで2人で60~70ユーロ程度。高級な店でも90~100ユーロだった。
なんといってもワインが安いのが大きい。ローマ、ミラノ、ヴェネツィアだと、同じ質と量で2倍以上するかも。

2026-05-20

マルケ州の穏やかな海岸の町ファーノ

アドリア海沿岸で宿泊地に選んだのは、ファーノ Fanoという町。
この周辺には行きたい町がいくつもあるのだが、どこも観光客であふれていそうで宿泊には向いていない。そこで、ベースキャンプとして考えに考えた末に選んだのがこの町だ。
情報はほとんどないが、鉄道駅もあり、町の規模は大きすぎず小さすぎず、派手ではなく地味すぎることもなさそう。
なによりも、旧市街が残っていて飲食店もそこそこあることが地図でうかがえた。

ファーノの夕景

結果的に大正解だった。落ち着いた町には、おいしい店が数多くあり、親切で楽しいイタリア人と数多く出会うことができた。

上の写真は、宿のアパートメントの屋上からの眺め。正面に見えるのは旧市街の中心の広場に面した劇場。

9月20日広場

その衷心広場というのが、この9月20日広場。1日じゅう人が集まっている。

9月20日広場

広場には夕方になると人びとが集まってきて、アペリティーヴォや食事を楽しんでいる。
広場の片隅には、こんなかわいい教会も。

アントニオ・コスタンツィ広場

9月20日広場から狭い目抜き通りを東に歩いていくと、聖アントニオ・アバーテ教会に面したアントニオ・コスタンツィ広場がある。
この周囲には、見るからにおいしそうな店が並ぶ。

聖フランチェスコ教会跡

宿の近くにある聖フランチェスコ教会跡は、数少ない観光スポットの1つ。
旧市街でツアーの観光客らしき姿を見たのはここだけ。

近所のバール

宿の窓から見えるバールには、朝から晩まで人が集まっていた。
月曜の昼から食前酒を飲んでおしゃべりする人びと。

アウグストゥスの凱旋門

ファーノ旧市街の南西側の入口にあたるアウグストゥスの凱旋門。
写真の左側に小さなバスターミナルがあり、市内バスのほか平日はウルビーノに向かうバスも発着する。
鉄道駅はこの正反対にあたる町の北東側にある。

漁師小屋

ファーノは漁師町として発達したとのことで、夏には海水浴にやってくる人も多いそうだ。海岸沿いには立派なホテルもいくつかあった。
これは、漁港のそばで見かけたやや近代的な漁師小屋(トラボッコ/トラブッコ)。ここの地元の人は、また違う発音で呼んでいた。

ジャコモ・マッテオッティ通り

この狭い通りが旧市街のメインストリート、ジャコモ・マッテオッティ通り。
平日夜は静かだけれど、週末の夜はたくさんの人で賑わっていた

フィアット850 クーペ

クラシックなフィアット(あとで850クーペと知る)を撮っていたら、近くのカフェにいた持ち主がやってきた。
ドアを開けて「乗ってみない?」と声をかけてくれたけど、遠慮しました。

«地味だけど味わい深い町イゼルニア

著書

  • ローカル鉄道と路線バスでめぐる
    果てしなきイタリア旅 (草思社)
  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)