2025-06-25

梅雨時の夕刻の牛天神参り

雨上がりの夕方、飯田橋からの帰り道、久しぶりに春日の牛天神(北野神社)へ。

牛天神入口

住宅街の坂道にひっそりとある入口。
もともとは貧乏神を祀った神社だけど、この神様の言いつけを守った貧乏旗本に運が向いて金持ちになったとのこと。

牛天神入口

石柱には「皇紀二千六百年記念」の文字が。

牛天神のあじさい

急な階段を登るとあじさいが満開。

牛天神の階段

すべらないように気をつけて階段を登る。

牛天神境内

おみくじはここに結びつける。ネコのようにも見えるけれど、やっぱり牛だろうか。

牛天神境内

神社の本殿を脇役にした不埒な写真(笑)

牛天神境内

牛がいた!でも、撫でると幸運を呼ぶという「牛石」を見損なった……。

2025-06-21

京都駅で列車待ちのひととき

石山から東海道線で京都へ戻ったときには、とっぷりと日が暮れていた。
予約した新幹線にはまだ時間があったので、ふらふらと京都駅ビルの10階まで上がって、夕食代わりに生ビールとラーメン。
客の半分ほどは欧米人。みんな器用に箸を使って食べている。
残りの半分は東アジア人のようだけど、たぶん日本人はそのまた半分ぐらい。

京都駅ビル大階段

京都駅ビルの大階段はLEDでしゃれた演出が。
刻々変わる絵柄に、外国人観光客が盛んにシャッターを切っていた。

京都駅ビル大階段

この図柄は外国人観光客に理解できたのだろうか😆
いや、若い子だと日本人でも知らないかも。

2025-06-19

石山寺駅から瀬田の唐橋あたり

膳所本町から乗った京阪石山坂本線の電車は、終点石山寺に到着。
昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にちなんで、駅全体が紫式部推しで駅舎も紫色に塗られていたのには驚いた。

石山寺駅

大河ドラマはほとんど見ていないのだが、石山寺は紫式部に縁が深いのだとか。
個人的には、『源氏物語』を現代語訳も参考にしつつ全巻原語(古文)で読んだことが自慢の私である。
確かに石山寺や三井寺は平安文学に欠かせないところだが、詳細までは知らなかった。
とはいえ、最終の新幹線に乗り遅れるわけにはいかないので、石山寺はまた次回の宿題。

石山寺駅前

駅前を出て国道を渡ると、目の前に瀬田川が見える。
車がひっきりなしに通る国道を背に、川原に広がる緑地でひと息。へ

石山寺駅付近

石山寺駅から折り返す電車を撮影しようと思っていたら、カメラを構える前に発車。
なんとか後追いはとらえることができた。

石山寺~唐橋あたり

石山寺駅から隣の唐橋前駅まで歩くことにした。
大津市田辺町のひそやかな町並み。

唐橋町

唐橋前駅から、その名前の由来となった瀬田の唐橋へ。
瀬田川西岸は唐橋町。交通量の多い旧東海道沿いにも、こんな家が普通に残っている。

唐橋町

「瀬田の唐橋」西詰。右奥から左手前に走るのが旧東海道。

瀬田の唐橋

瀬田川をわたる「瀬田の唐橋」。この橋の上も旧東海道。

瀬田町

「瀬田の唐橋」を渡ると東側と大津市瀬田町。東海道線の瀬田駅は遠いので、歩いては行けない。
旧東海道沿いには、こんな不思議な建物も見かけた。

2025-06-18

膳所で旧東海道をぶらぶら

びわ湖浜大津から再び京阪石山坂本線に乗って膳所本町で下車。
膳所(ぜぜ)は難読地名ではあるけれど、歴史好きか鉄道好きなら知っている地名である。
膳所駅は東海道本線にあるけれど、旧東海道に沿って古くから栄えた町並みや城跡が残るのが膳所本町駅周辺だ。

膳所本町駅前

膳所本町駅前の踏切。線路に対して道が斜めに横切っているので、歩行者はこんな鋭角の場所で待たなくてはならない。

膳所本町駅前

上の写真は、膳所本町から膳所城址に向かう駅前通り。突き当たりに見える建物が駅舎、左が膳所神社、右に膳所高校がある。
そして道を手前側に行くと琵琶湖に突き出した膳所城址公園へ。

膳所神社

立派な膳所神社。鳥居の向こう側にある表門が重要文化財だったのだと、帰ってから知った。

旧東海道

膳所神社を抜けて50mほど歩くと、旧東海道と交差。道沿いには由緒ありげな家々が並んでいる。
この写真は鈴木味噌店。すでに廃業しているけれど、内部には昔の味噌造りの道具が保存されているという。

旧東海道

滋賀県といえば、「飛び出し坊や」の本家本元。

旧東海道

屋根瓦は新しくなっているけれども、微妙にふくらんでいるカーブは昔からなのだろう。屋根には煙出しが付いている。
もとは商家だったのか、手の込んだつくりだ。

旧東海道

粋な塀と木々が残るお宅。向こう側には「飲料水 食料品」という看板が趣深い太田商店が並ぶ。

中ノ庄駅

膳所本町から一駅分歩いて、中ノ庄駅から再び石山坂本線に乗車する。

2025-06-16

浜大津をぶらぶらして鮒ずしを購入

京阪の石山坂本線は、鉄道事業法ではなく軌道法に拠っている路線で、早い話が路面電車と同じ扱いである。だから、走っている車両も小型の2両編成で、一般の鉄道では見ないような急カーブが連続している。
関東でたとえると江ノ電に似ているが、江ノ電は戦後に軌道から普通鉄道に扱いが変更になっている。

三井寺駅

坂本から京阪石山坂本線に乗って下車したのは三井寺駅。
上の写真のように、ここまでは専用軌道を走っていたが、ここからしばらくは路面電車のように道路との併用軌道となる。
この境目がなんとも言えない。

最初は三井寺まで行こうと思ったが、駅からの距離と連続する上り坂を目の前にして断念。
延暦寺で寺は満腹気味だったので、三井寺は次回への宿題とした。

琵琶湖疎水

三井寺駅近くのもう一つの観光スポットといえば、この琵琶湖疎水である。
琵琶湖の水を京都市内に引き込んでいるわけで、つい最近この疎水の様々な箇所が国宝や重要文化財に指定された。
観光船で京都市内まで行けるそうなので、ぜひ機会を見つけて乗ってみたい。
……と思って帰ってきてから価格表を見てビックリ。なんと片道1人1万2000円である。
それでも、国宝・重要文化財になったことで客は集まるんだろうなあ。

大津の町並み

三井寺駅まで戻るのもつまらないので、びわ湖浜大津駅まで1駅分を歩くことにした。
大津市は琵琶湖の南岸から西岸にかけて細長い市域だが、伝統的な中心部はJR大津駅ではなくて、この石山坂本線が走る浜大津あたりだ。
そこで、行き当たりばったりで古い町並みがありそうな道を選んで歩くことにした。
上の写真は、趣深い商家の3連続。中央は豆屋だった。

商店街

三井寺駅から7、8分ほど歩いたところで行きあたったのが、アーケードの長等(ながら)商店街。
上の写真では、アーケードを突っ切った先に、寺の門が見えるというなかなか珍しい風景である。

阪本屋

さらにぶらぶら歩いたところで目に入ったのが、この由緒ありげな立派な店構え。
「元祖 阪本屋鮒寿司」という看板が出ている。そうそう、琵琶湖といえば鮒ずしである。
迷わず突入を決意した。

浜大津

ご存じ鮒ずしは熟鮨(なれずし)の一種で、琵琶湖で獲れたニゴロブナを何年もかけて発酵させた食品である。
くせがあるのがたまらないが、これはダメという人も多い。店によって味に特徴があるそうで、それは発酵に利用されている菌が違うからだそうだ。
「地元の人でも鮒ずしは食べられない人が多いんですよ」とご主人。
「私は東京生まれなんですが納豆は苦手で、でも鮒ずしは好きなんです」とつまらないことを言ってしまった。

「ご自由に撮ってください」というご店主のお言葉に甘えて、店内をパーチパチ撮った。

鮒ずし

自宅用ということで、卵の入っていないお手軽な値段の鮒ずし2000円也を購入した。
これだけあれば、日本酒が1升飲める。もちろん一度に飲むわけではないが……。
それにしても、最近は昔ほどニゴロブナが獲れないと聞いたことがあるが、その割にはまずまず手頃なお値段だった。
鮒ずしが苦手な人のためには、甘露煮なんかも売っていた。

京阪大津線

ぶらぶら歩いているうちに方向感覚が失われてしまった。
線路が見えたから石山阪本線かと思ったら、京都の地下鉄線からはるばるやってくる京津(けいしん)線だった。
こちらも軌道法による路線だが車両は大きく、4両編成が路面を轟音をあげて走っていく様子はわくわくする。

2025-06-13

比叡山の東のふもとに位置する坂本の町

万博にちょっとした手伝いで行った翌日、せっかくなので関西のどこかに寄っていこうと考えて、思い立ったのが比叡山。
人生初の延暦寺訪問だったが、いろいろと時間が足りずに東側だけを見るだけになってしまった。
国宝の根本中堂が大改修とは深くにも知らなかった。完成は2030年ということなので、それまで健康に注意して再訪したい。

行きは京都に荷物を預けて湖西線で比叡山坂本駅へ。そこからケーブルカー乗り場まで歩いていこうかと思ったが、うまい具合にバスが出ていたのでそれを利用した。

比叡山坂本ケーブル

何も考えずに来たので、結局行きも帰りも坂本ケーブルカーを利用したが、京都市内から京阪と叡山電車、ロープウェイ、ケーブルカーを乗り継いで比叡山頂に行き、そこからバスと徒歩で坂本ケーブルカーまで来る周遊コースがあると知った。
次回はそれを利用して再訪しよう。

ケーブル坂本駅

坂本ケーブルカーは、全長2025mで日本一の長さとか。2025年に乗ることができたのはめでたい。
上の写真はふもとにケーブル坂本駅。山上のケーブル延暦寺駅の駅舎とともに重要文化財に指定されている。

坂本の穴太積

帰りは京阪石山坂本線に乗ることに決めていたので、ケーブル坂本駅から500mあまりを徒歩で移動することにした。
ゆるい下り坂なので、気持ちよくブラタカシを楽しむことができた。
坂本は、古い商家の町並みや穴太(あのう)積みと呼ばれる石積みで知られている町だ。
上の写真は、穴太積の石垣が続く町並み。塀の向こうは寺だったり立派なお屋敷だったりする。用水の流れる音も心地よい。
これまでも駅のまわりをうろうろ徘徊したことはあったけど、雨が降っていたのでここまでは足を延ばすことができなかった。

日吉そば

これは昔ながらの「日吉そば」の店。
この脇道にいい町並みがあるのだが、時間がなくて今回は残念ながらパス。そばもまた次回の課題である。

鳥居

向こうに見えるのが比叡山。この鳥居は比叡山のふもとにある日吉大社のもの。
日吉大社は、延暦寺を建てた最澄(伝教大師)が守護神として敬った神社で、幼い最澄もこのあたりで遊んでいたのだろう。
鳥居をくぐると京阪石山坂本線の駅はすぐである。

坂本比叡山口

坂本と石山(石山寺駅)を結ぶ石山坂本線。スマートな新しい電車になっていた。

2025-06-12

大阪 久しぶりに南海汐見橋線に乗車

怒濤の締め切り地獄の2カ月を経て、ようやくブログを書く多少の余裕ができました。
今回は、5月末に大阪・関西万博のついでにめぐったブラタカシこと、ぶらぶら散歩から。

万博会場での約束の時間まで多少の余裕があったので、久しぶりに乗ってみようと思ったのが南海汐見橋線。前回の訪問から9年ぶりとなった。

汐見橋駅

通称汐見橋線は、実は南海高野線のかつてのターミナル駅で、地下鉄(大阪メトロ)千日前線と阪神なんば線の桜川駅に隣接している。
現在は大阪側のターミナルは難波に移行し、汐見橋~岸里玉出はローカル線化。運転間隔30分おきという閑散路線となってしまった。

それでも、改札口上の地図が新調され、車両も新しくなっていた。2両編成に10人弱の乗客を乗せて発車。

木津川駅

「都会の秘境駅」木津川駅で下車。降りたのは私一人だった。
1日の利用客は、乗る人と降りる人を合わせて160人ほどという。
もっとも、この写真を見ると、ごく普通の駅に見える。

木津川駅

かつては貨物輸送があったらしく、構内は広い。
不可思議なのは、出口はなぜか住宅地と反対のほうにしかないことだ。近隣の工場に勤める人のために設置されたからだろう。
前回訪れたときには赤錆びていた駅名標は取り外され(上の写真の出入口上に跡が残っている)、壁の汚れも落とされていた。

木津川駅

殺風景な駅前。以前は、駅前に自家用車やトラックが停められていたけれど、締め出されたようだ。
こちらの出口を出ると工場と倉庫ばかり。
木津川に向って歩を進める。

落合上渡船

木津川の下流に向って10分ほど歩くと、渡し船がある。大阪市内に8カ所残っている渡し船の1つ「落合上渡船」だ。
手前の西成区津守から対岸の大正区平尾までは100mほどで無料。
川はお世辞にも水質がよいとはいえない。なんともいえない臭気が漂い、黒っぽい水面をよく見ると無数のクラゲが浮かんでいた。
日中は15分おきに運航されており、私以外はみな自転車利用の地元の人たちだった。

西天下茶屋駅

対岸に渡って15分ほど歩くと、もう一つの「落合下渡船」があるので、それに乗って汐見橋線のある西成区にリターン。
汐見橋線の西天下茶屋駅まで15分ほど歩いた。
閑散路線にはもったいないような優雅な駅舎である。以前訪れたときは、線路に雑草が生い茂っていたが、今回はきれいになっていた。

2025-04-18

台湾鉄道・台東旧駅でありし日を偲ぶ

台東(新)駅からバスで20分ほどで台東の中心部へ。
ここには、廃駅となった台東旧駅が「鉄道芸術村」として保存されているというので訪ねてみた。
バスの終点が、まさに昔の駅前だった。

台東旧駅

現役時代さながらの雰囲気を残していていい感じ!
調べてみると、2001年に台南新駅からの支線が廃止された時点で廃駅となったとのこと。
「つい最近じゃないか!」と思ったけれど、よく考えてみると廃止から四半世紀もたっているのだった。

東急車輛製のディーゼルカー

保存されている車両は日本製っぽいなと思って銘板を見ると、やはり1971年東急車輛製のディーゼルカー。

台東旧駅の駅名標

ホーム跡には駅名標も残されて雰囲気満点。

台東旧駅のターンテーブル

もったいないくらい広い構内がそのまま残されていて、ターンテーブルもあった。

台東旧駅

台湾人の若い観光客もちらほら。SNS映えするのだろう。

台東旧駅

これが駅の改札口らしい。
1970年ごろまでは北回りで台北から花蓮を経由して、はるばるやってきた終点が台東だった。
しかも、狭軌の軽便鉄道。鉄道ファンの先達が撮った写真を見ると、たまらなくいとおしい光景が展開されていたようだ。
寝台車もあったというから、まさに地の果てのようなイメージだったのだろう。南回り線ができてからは、台南や高雄から山越えでわずか2時間ほど。町も大きく変わったに違いない。タイムマシンがあれば、軽便鉄道が走っていた時代に訪れてみたい。本当に。

2025-04-06

台南から特急列車で台東へ

台南から高雄に行こうと、やってきた特急列車に乗車したときのこと。
特急列車の自強号でもICカードで乗れるという情報は手に入れていた。だが、新自強号はダメだとは知らなかった。
そんなこともつゆ知らず、乗った列車が台東行きだと知って、「せっかくだから台東まで行ってしまおう」と妻と意見が一致した。

新自強号

検札に来たお姉さんにICカードを見せて「台東」と言うと驚いた顔をされた。
そこに至って、自強号と新自強号の違いを知ったのだが、乗ってしまったものはしかたがない。
割増の乗り越し料金を払わされたけれども、台東まで乗っていくことにした。

台東駅にて

台南から台東までは2時間あまり。南廻り線は山地をトンネルで抜けると、やがて車窓に太平洋が広がった。
まあ、これを見ただけでも割り増し料金を払った価値があると、勝手に自分に言い聞かせた。

1枚目の写真は乗ってきた新自強号、2枚目の写真はローカル列車用の車両である。

台東駅にて

ところで、台湾ではどの町の公共交通機関でも、普通話(北京語)、台湾語、客家語、英語の4言語で案内をする。
ところが、台東到着直前、まったく別の言語での案内があって驚いた。

台東駅

フィリピンのタガログ語のような響きだったが、それが台湾先住民族の言語なのだろう。
あとでWikipediaを読んだところ、どうやらアミ族の言葉のようだとわかった。もしかしたら、ブユマ族の言葉かもしれない。
帰りの車内放送にはなかった。行きに録音しておけばよかったと悔やむが、知らなかったのだからしかたがない。

台東駅

駅を出ると、漁業の技術に優れた先住の少数民族の漁船が飾られていた。売店で、そうした人たちが獲ってきた魚を原料にしたスナック菓子を買ってみた。なかなかの美味である。

市内へ向かうバス

台東駅前からバスで台東の中心部に向かう。
都市間バスのほとんどすべてが駅と中心部を経由しているようで、10分おきくらいに頻繁に発車する。
観光バスのような派手な塗装のハイデッカーバスがやってきた。

2025-03-22

台湾・高雄をぶらぶら

宿泊地の台南から高雄へは、台鐵(在来線)で1時間弱。高鐵(新幹線)の台南駅は都心から遠いうえに、高雄は手前の左営が終点。だから、台鐵で往復するのが便利で安価である。ICカードの悠遊カードも自動改札で使える。

台鐵高雄駅

高雄駅は前回訪れたときとは激変。新しい駅は上の写真のように広々としたコンコースが印象的だった。
もっとも、コンコースに売店も喫茶店もなかったので、落ち着くことができなかったのは残念である。
旧駅の駅舎は、新駅の隣に保存されていた。まだあちこち傷んでいたので、これから修復するのだろうか。

地下鉄美麗島駅

これは、地下鉄(MRT)の美麗島駅のコンコース。たまたまネットで見つけたので立ち寄ってみた。
「世界で二番目に美しい地下鉄駅」というキャッチフレーズがあるそうだ。
ナポリの地下鉄でも美しい駅があったけれども、どちらがいいかというのもヤボなものである。
SNS映えするからだろう、多くの人がここで写真を撮っていた。

旗津島への船

地下鉄で終点の哈瑪星へ。ここでは、前回書いたように鉄道ワンダーランドでしばし楽しんだのちに、日本家屋が残る町をぶらぶら。
そして、船で対岸の旗津島へ10分ほどのプチトリップ。

旗津島

旗津老街では海産物の店が軒を連ねていた。商店街を抜けると海岸近くにはびっしりと屋台が並んでいる。
なかでも、新鮮なものを扱っていそうなおばちゃんのところで、焼きイカを注文。時間をかけてじっくりと焼いてくれて、たれに加えて唐がらしもたっぷり。なかなかうまかった。

西子湾亨利咖啡

帰りの船は、行きとは別のコースで西子湾へ。歩き疲れたのでGoogleマップでよさそうな喫茶店を探し当てた。
とはいえ、それまで台南で飲んだコーヒーは、どこも今一つというのが正直な感想だった。
ハンドドリップで、そこそこおしゃれな店もあるのだが、味がイマイチ。端的にいえば薄いコーヒーばかりだった。
まあ、台北に行けばおいしい店もあるのだろうが……。

西子湾亨利咖啡

 だが、「亨利咖啡」というその店に入ってびっくり。店内はゴージャスで落ち着いた内装である。
接客してくれたマスターが、メニューについて丁寧に英語で説明してくれる。
何よりも驚いたのが、正面に据えられていたイタリア製の最高級エスプレッソマシンだ。全部で3種類3台のマシン。
日本やヨーロッパでもコーヒーの勉強をしたというマスターがいれてくれたコーヒーは、それまで台湾で飲んだコーヒーのなかでもピカイチである。

以前イタリアで撮ったエスプレッソマシンの写真を見せたら、もう話が止まらない。最後に、このマシンで入れてくれたエスプレッソまでごちそうしてくれた。それはそれは、イタリアでもめったに飲めない一品だった。

哈瑪星代天宮

コーヒーを飲んでのんびりしているうちに日はとっぷりと暮れた。
地下鉄の駅までぶらぶらと歩いていくうちに、通りかかったのがこの「哈瑪星代天宮」という大きな道教の寺。
境内に屋台がいくつもあるのだが、驚いたことに半分くらいが臭豆腐の店。おかげで、周辺にはあの独特の臭いが漂っていたのである。

六合夜市

最後に高雄駅近くにある「六合夜市」。何十年も前に訪れたことがあるが、ほとんど記憶に残っていない。

六合夜市

観光夜市と銘打たれていて、店のほとんどは食料品の屋台だった。
ただ、アルコールが飲める店が限られているようである。よくもまあみんなビールも飲まずにつまみっぽいものを食べられるものだと感心した。

«台湾鉄道のワンダーランド高雄港駅跡(旧打狗駅故事館)

著書

  • ローカル鉄道と路線バスでめぐる
    果てしなきイタリア旅 (草思社)
  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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