カテゴリー「ニッポンぶらぶら歩き(東京、沖縄以外)」の270件の記事

2023-08-27

夕刻に訪れた伊予長浜 瑞龍寺

ながながと続いてきた2022年春の四国の旅は、やっと最終回。伊予長浜の町をぶらぶらしているうちに、日が傾いてきた。

瑞龍寺

肱川の対岸にある瑞龍寺でしばし休息。全然知らなかったのだが、映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」のロケ地だったそうで、一時はたくさんの観光客が訪れたのだという。境内の鐘楼の横には、牛の石像とお釈迦様の涅槃像(牛の左側)があった。

瑞龍寺

瑞龍寺の山門で出迎えてくれたのは、素朴でユーモラスな仁王像だった。

瑞龍寺

これも牛の像だろうか。エジプトの壁画に描かれていて不思議ではない。

伊予長浜駅

海岸で日没を愛でたのちは、肱川を渡って伊予長浜駅に戻る。

伊予長浜駅

2時間に1本の予讃線(海線)の列車で松山へ戻ったのであった。

2023-08-14

予讃線(海線)に乗って伊予長浜へ

2022年5月の四国旅行を長々と書いてきた紀行も大詰め。最終日の午後は松山からどこに出かけようかと考えて、決めたのが予讃線の旧線(海線)だ。海線といえば、下灘駅が「海に一番近い駅」として一躍有名になったため、連休の最中は人でごったがえしていると考えて(事実そうだった)、その先の伊予長浜(大洲市長浜)へ向かった。

伊予長浜駅

そこそこ古い町並みがあるようなので、夕日を眺めがてらのんびりしようという目算であった。
1両のディーゼルカーに乗って伊予長浜駅に到着。

伊予長浜駅

そのまま町歩きに出ようとしていたら、地元の人らしきおじさんが、「もうすぐ『伊予灘ものがたり』がくるよ」と教えてくれた。松山と八幡浜を海線経由で結んでいる観光列車である。カメラを出して車両を写していたのだから、親切にも教えてくれたのだ。丁重に礼をいい、順光で「伊予灘ものがたり」を撮った。

伊予長浜の町並み

古い町並みは、駅から5分ほど歩いたところにある。さっそく味わい深い商家を発見した。残念ながら閉まっているが、四つ角にあわせてコーナーを削る形になっている。

伊予長浜の町並み

さらに進むと、スーパーの正面に食堂も発見。この日は閉まっていたが、普段は営業しているようだ。最近はこうした町の食堂がめっきり少なくなってしまった。

長浜大橋

町外れに流れるのが肱川。冬の朝、上流から川面を伝って流れてくる「肱川あらし」が有名だ。
川をわたる開閉橋の長浜大橋は、なんと塗装中だった。まあ肝心の中央部が見えたからいいか。そして、橋を渡って対岸へ。


2023-08-08

豪壮な家並みが残る内子の町

松山に滞在中に向かったのは内子町である。日本における町並み保存の嚆矢ともいえる町で、私にとっては1980年に訪れていたく感動した町でもある。2019年には拙著『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)で新旧の対照写真を撮るために訪問したのだが、そのときは時間が限られていた。

1980年に訪れたときの写真は、拙サイト「道楽者の部屋 本館」→「懐かしい日本の町並み」のコーナーにある「内子(愛媛県)」のページでもご覧になれます。一部に新旧の定点比較写真があります。

内子座

木造の立派な芝居小屋「内子座」。1980年に訪れたときは町の商工会館だった。

内子座

きれいに復元された「内子座」の舞台。木蝋の製造などで栄えた当時の賑わいを偲ばせる。
今も歌舞伎をはじめとする演劇や演奏会などが催されているようだ。

本芳我家

坂の上にある重要文化財が続く八日市の町並み。中央は、木蝋でうるおった芳我家の本家にあたる本芳我家の蔵。その向こうが母屋。細部まで金がかかっていることがわかる。

蔵

資料館になっている旧商家から、通りの反対側に建つ蔵を眺める。

上芳我家

分家にあたる上芳我家はきれいに修復されて、内部が木蝋資料館となっていた。昔撮った写真を見せると「わー、きれいになる前だ!」といって喜んでくれた。

上芳我家のカフェ

上芳我家の蔵を改装したカフェで、浅煎りのおいしいコーヒーをすする。

森文旭館

映画館だった「森文旭館」。これも登録有形文化財だ。

2023-08-03

松山市内で乗り物三昧とぶらぶら散歩

2022年春の四国の旅は、最後の宿泊地である松山に到着。松山では知人との飲み食いに終始した印象があるが、それでも昼間は元気に乗り物三昧とぶらぶら散歩を堪能した。

JR松山駅

八幡浜から乗った列車は、アンパンマンが描かれたディーゼル特急「宇和海」。松山駅は1番線に到着するが、ここの名物は特急が顔を突き合わせて停車すること。おかげで乗り換えは大変便利だ。

230730g

松山駅は昔ながらの有人集札口が味わい深い。駅の改修が予定されているので、それまではこのままでいくのだろう。
一方で掲示板の液晶は新しいものらしく、シャッタースピードが速くてもきれいに写るのは気持ちがいい。

JR松山駅

30年以上前に初めて松山を訪れたときと、ほとんど変わっていない松山駅の駅舎。高架化工事が進行中で、この駅舎もあとわずかである。
この右手のバス乗り場からは、高知や岡山に向かうバスも発車する。

230730h

そして、松山に来るとどうしても撮ってしまう伊予鉄道の鉄道線と軌道線の平面交差。JR松山駅から1停留所のところにある大手町である。平面交差なんて、昔は珍しくなかったけれど。

銀天街

ぶらぶら歩いて伊予鉄道の松山市駅へ。繁華街は、JR松山駅ではなくて松山市駅の周辺に広がっている。
上の写真は、松山市駅か続く銀天街。同じ名前の商店街は各地にあるが、要するにアーケード街である。このあたりは、栄えているのか寂れているのか微妙な感じ。

松山市内線

そして、松山市のまさに中心部である大街道をゆく市内線。旧型の電車がまだ走っていた。

松山市内線

大街道で路面電車を待っていたら、反対側の線路を「坊っちゃん列車」がやってきたので、あわててカメラを出してシャッターを切った。通常運賃180円に対して、「坊っちゃん列車」は1300円! 以前はもっと安く乗れたのだが……。
明治時代のマッチ箱客車を忠実に再現した客車は、現代人には狭苦しくて乗り心地も悪い。見て楽しむほうがいいかも。

道後温泉

180円払って普通の電車で道後温泉へやってきたが、本館は修復中だった。入浴はできるようだが、連休中とあって待ち時間がかなりかかるとのことで断念。周囲をぶらぶら歩いて戻ることにした。

2023-07-29

八幡市保内町の川之石地区をぶらぶら

八幡浜では路線バスに乗って、現在は八幡浜市の一部になった海辺の保内町(ほないちょう)川之石地区へ。古い家はほとんど姿を消したり、大きく改築されたりしていたが、昔を偲ばせる町並みの雰囲気を味わうことができた。

青石の護岸

上の写真は、町を流れる宮内川。護岸には伊予で採れる通称・青石と呼ばれる緑泥片岩が使われている。スレートのように細長く薄く割れる石で、それを矢羽根状に積み重ねている様子が美しい。土木学会から推奨土木遺産として認定を受けているそうだ。
昔ながらの町並みは、この向こう側の道沿いに広がっている。

愛媛蚕種株式会社

湾の内側に発達した保内町には明治大正時代にさまざま産業が発達し、愛媛県初の銀行設立や電灯設置など、先進的な地域だったそうだ。
今も当時を偲ぶよすががあちこちに残されている。これは、今も操業を続けている愛媛蚕種の作業場の入口。

龍潭寺

岬に行く道から見えた臨済宗の龍潭寺。寺のたたずまいも両側の家も魅力的なので、疲れた体に鞭打って上り坂と階段にチャレンジした。

龍潭寺

龍潭寺から見る川之石地区の町と湾の眺め。寺の境内には桜の大木があって、春は花見で賑わうそうだ。

岬へ続く道

岬へ続くカーブの道が趣深い。

みかん畑

柑橘類の栽培が盛んな保内町の様子は、少しだけ南イタリアのアマルフィに似ていないこともない。
一応、観光にも力を入れているようだが、残念ながら食事処も喫茶店も見つけられなかった。帰りのバスには1時間以上の間があったので、通りがかりに見つけたタクシー会社に駆け込んで八幡浜駅へ戻ることにした。

2023-07-18

八幡浜の中心部をぶらぶら

予土線に乗って宇和島を経由してやってきたのは八幡浜である。宿泊地の松山に向かう途中で下車することにした。

JR八幡浜駅

予讃線の八幡浜駅は、クラシックな外観の駅舎だった。おそらく、国鉄時代に建てられたのだろう。外観は改修されているのだろうが、昔ながらの好ましい姿である。今どきにしては駅前には多くのタクシーが停まっており、佐田岬方面へのバス便もあった。岬の突端まで乗っていきたい衝動を押さえて、町歩きを開始する。

大正湯

町の中心部までは歩いて20分ほど。途中の町並みは、とくに古いわけではないが、いわゆる昭和レトロという雰囲気の民家や商家を見ることができた。
ほとんどがくすんだ色の建物なのだが、これはそのなかでも緑色が鮮やかな大正湯である。ストリートビューを見ると、2015年から2018年の間に塗り直したようだ。名前の通り公衆浴場だが、宿泊もできるらしい。

レンガ通り

八幡浜の中心部に続くレンガ通り。レンガ塀でもあるのかと思ったら、敷石がレンガだからのようだ。写真の手前側には新町銀座のアーケード街が続き、左側には地名の起源になった八幡神社がある。

八幡浜の商店街

新町銀座の商店街は、ご多分にもれず今一つ活気に欠けてシャッターの閉まった店舗も多かったが、さりとて寂れきったわけでもなく、精一杯盛り上げてようという意気もあちこちに感じられた。
これは学生服の店か、巨大な男女の学生服が吊り下げられていた。

八幡浜の町並み

新町銀座から一歩裏通りに入るとこんな味わいのある家並みも。かつては料亭だったのだろうか。

2023-07-15

美しき予土線の車窓

窪川駅に戻ると、すでにトロッコ列車が入線していた。貨車を改造したいわゆるトロッコ車両は指定席なので、あせって乗る必要はない。あちこちのアングルから撮影することにした。

予土線のトロッコ車両

車内はこんな感じ。四国に来てから乗ることを決めたのだが、最初に調べたときは満席。もう一度チェックしたら誰かがキャンセルしたのか、2席が奇跡的に空いた。

予土線のトロッコ車両車内

土佐大正駅を過ぎたところで、指定券を持っている人はぞろぞろとトロッコ車両に移る。
まさに貨車(無蓋車)を改造した車両なので、はっきり言ってものすごく乗り心地が悪い。座席は木製で狭苦しく、座面も背ずりもクッションがない。自分たちを含めて、わざわざこんな車両にカネを払って乗るのだから笑ってしまう。

予土線のトロッコ車両車内

よく考えてみれば、若いころに乗った旧型客車の普通列車を復活すれば、ずいぶん人集めができるのではないか。窓は開くし乗り心地はずっといい。
そんなことを思っていたら、その後に大井川鐵道が電車の一部を電気機関車牽引の客車列車にしたところ、多くのファンや観光客が集まって盛況だという。

予土線の車窓

当日は晴れてよかった。四万十川を吹き抜ける風が心地よい。
途中、十川駅を通過するあたりで見えてきたのが、壮大なこいのぼり。乗客が競ってカメラやスマホを向ける。私は反対側の席だったのでみんなのあとで遠慮がちに撮ったため、上の写真では遠くに小さく見えているだけだ。

予土線の車窓

線路は四万十川に沿って走るので、その渓谷美も美しいのだが、ときどき見えてくる沈下橋もまた楽しからずや。
沈下橋の所在地はGoogleマップでわかるので、走行場所と照合して何か所も撮ることができた。

予土線の車窓

上の写真は、遠くにく沈下橋が見えている。周囲はうっそうとした森林である。
橋があるからには、近くに集落があるのだろう。

半家駅

そして、こいのぼりと同様、なぜか乗客が揃ってカメラとスマホを向けたのがこの駅名票。半家駅である。みんなよく知っている。

2023-07-12

窪川と若井沈下橋

多忙で間が空いてしまったけれど、昨年の四国の旅の続き。
高知市からまず向かったのは窪川。ここから予土線に乗って愛媛県に抜けるコースをとることにした。

窪川駅

窪川駅では土佐くろしお鉄道中村線の派手な車両が停車中。もとは同じ国鉄線だったのに、第三セクターになったことで乗り場が離れてしまうのは全国的によくある話だ。確かに、会社の運営上しかたがないのかもしれないが、乗客にとっては不便この上ない。

若井沈下橋

グチはそのくらいにして、窪川から1駅先の若井駅近くにも沈下橋があることを知った。
といっても、列車の本数が少ないので途中下車するには時間が足りない。そこで、行きは窪川からタクシーを使うことにした。

若井沈下橋

ここは前日に見た名越屋沈下橋よりもずっと素朴でいい感じ。少なくとも四輪車は通れそうにない。自撮りをしていたカップルがいたが、すぐにいなくなった。

若井駅

沈下橋から若井駅までは歩いて5分ほど。待っていると、窪川に行く列車がやってきた。写真ではよく見えないが、後ろにいわゆるトロッコ車両が連結されている。実は、これの折り返しに乗って愛媛県に抜ける予定なのだ。

窪川にて

窪川に戻って、ランチは名物のウナギ! 食後に町をぶらぶらしたら、こんなホーロー看板を見つけた。

2023-06-23

はりまや橋と高知県立牧野植物園

高知市中心部の観光名所「播磨屋橋」といえば、昔は「日本三大がっかり名所」という不名誉な枕詞がついていたものだった。
確かに、「えっ! これが有名なはりまや橋?」という粗末……いやごくごく質素なものだった。橋もコンクリートむきだしだったような記憶があるが、よく覚えていない。
それが、来るたびに周辺の整備が少しずつ進んでいるように見える。

はりまや橋

以前は、ちょろちょろと水が流れているのか流れていないのかわからない水路の両側に、建物の裏側がぎっしりと並んでいたこの場所も、すっきりとした。
橋の朱塗りも鮮やかである。大通りをはさんだ反対側も整備され、地元の人にまじって観光客が行き来している。

とさでん交通

高知市といえばこれ、路面電車である。以前は土佐電鉄の軌道線だったが、今ではとさでん交通として存続している。
後免町から伊野まで、単一路線の路面電車としては日本最長である。そして、東京都電6000形を思い出させるこの電車も健在だった。以前の塗装を復元したこの色はとってもいい感じ。

とさでん交通

はりまや橋交差点で信号待ちをしていたら、3車体低床車もやってきた。
賑わっているように見えるが、後免、伊野の末端部では利用者が減っているという話も聞く。末永く活躍してほしいものだ。

高知県立牧野植物園

さて、伊野からJRの特急を奮発して高知駅に戻ると、さらにタクシーを奮発してやってきたのが高知県立牧野植物園である。
現在放映されているNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルになっている牧野富太郎博士ゆかりの植物園だ。ここを訪れた2022年5月には、すでに翌年の放映が決まっていて、あちこちにポスターが貼ってあった。
植物好きの妻のたっての希望でやってきたわけだが、広々としていてなかなか興味深い場所であった。今は観光客でごった返していることだろう。
図鑑好きだった小学生時代の私は、「牧野植物図鑑」を書店でよく目にしたものだった。繊細な図柄は、写真よりも植物のことがよくわかった。疑問だったのが、「牧野」が人の名前なのか、それとも「牧場や野原で見る植物」という意味なのか、それとも「小倉百人一首」のようなブランド名なのかということだった。人名だと知ったのは、20歳を過ぎてからのことである。

「たっすいがはいかん!」

植物園は山の上にあるので、歩いて行き来するのは不可能。帰りのバスを待っているときに見かけたのが、この看板だ。
「たっすいがはいかん!」は、キリンビールでも高知だけのキャッチコピーだそうだ。「たっすい」は、弱々しい、あっさりしているという意味の土佐弁だそうで、隣の徳島でも似たような意味で使われているようだ。
人気のキャッチコピーだそうで、どうやら裏の意味としては、アサヒスーパードライのようなあっさりしすぎているビールはダメ! という気持ちが込められているとかいないとか。高知はキリンラガーの売上が日本一だとも聞いた。

トヨタ・パブリカ

そして、高知市の中心部で見かけた懐かしのトヨタ・パブリカ。初日の夕食は、ここの正面にある店でとることにした。

2023-06-20

伊野の町で下車

名越屋沈下橋で1時間ほど滞在した帰りは、高知駅に戻る路線バスに乗車。でも、まっすぐ帰るのは芸がないので、伊野で下車した。
伊野は高知市内から路面電車に乗って何度か訪れたことはあるが、市内をゆっくり歩いたことがなかった。

土讃線

伊野には土讃線の駅があり、町外れには仁淀川を渡る橋がある。当日は連休とあって、河川敷はいろいろな行事で賑やかだったが、わざわざ列車写真を撮っている人はいなかった。半逆光だけど、まあまあ雰囲気のある写真になった。

伊野の町並み

伊野の中心部を歩いていると、そこそこ古い町並みが残っている。この商家は「ひまわり牛乳」の看板がいい。

伊野の町並み

これは白漆喰の立派な蔵造りの商家。前の写真もそうだが、裾部分の正方形のなまこ壁が目立つ。
ほかにも味わい深い家並みをいろいろと見ることができたが、とくに保存対象になっているわけではなさそうなので、いつまで残るのだろうか。

とさでん交通

そして、いつものようにとさでん交通の伊野終点へ。「いの」とひらがなで書かれた方向板は健在。
この駅舎は古そうに見えるが、実は比較的最近になって建て替えられたもの。最初に来たときは、もっと粗末な掘っ建て小屋だった。

JR伊野駅 width=

伊野から路面電車に乗って帰ってもよかったのだが時間がかかる。妻が行きたいところがあるというので土讃線を利用。
ぜいたくに特急に乗車した。もっとも、自由席特急券はたいした値段ではない。
伊野を出ると、次は終点高知駅である。

より以前の記事一覧

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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