カテゴリー「ニッポン旅ごころ(東京、沖縄以外)」の168件の記事

2017-03-08

Nikkei Styleトラベル「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅」公開

3月11日を前に、「NikkeiStyleトラベル」のサイトに記事が公開されました。

女川駅に到着する石巻線の列車

今回のタイトルは「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅

1月下旬に、鉄道と路線バス10路線を乗り継いで、3泊4日かけて三陸沿岸を縦断した旅の記録です。
もっと書きたいことやお見せしたい写真がたくさんあるのですが、スペースの関係で泣く泣くカットしたところも数多くあります。
お時間のあるときにご覧ください。

2017-01-28

寒中お見舞い&記事のお知らせ

年末年始も多忙で、すっかり更新もおろそかになってしまいました。
なんとか生きていますのでご心配なく。
今年もよろしくお願いいたします。

大阪・千本松渡船

これまた遅くなりましたが、「NikkeiStyleトラベル」のサイトで24日に記事が公開されました。
今回は「都会に残る庶民の足 大阪渡し船巡り」です。
お時間のあるときにご笑覧ください。

2016-06-18

埼玉県 上尾の町並み

最近は忙しくなって、なかなかぶらぶら歩きができず、仕事で出かけたついでの散歩くらいしかできないでいる。
そんないきさつで訪れた町の一つが埼玉県の上尾である。

上尾というと、首都圏の人間にとってはベッドタウンというイメージしかないかもしれないが、かつては中山道の宿場町でもあったから、味わい深い一角でも残っているかもしれない。
そんなことを妄想しつつ、上尾で所用を済ませたのち、まだ日が出ていることもあって、駅の周辺から中山道まで歩いてみたのである。予習もなにもしていない、まさに行き当たりばったりのぶらぶら歩きだ。

上尾駅北側

駅のまわりはすっかり新しくなっているが、東口を出て100mほど北に歩くと、看板建築の商家が並ぶ、昔ながらの商店街があった。
踏切も健在で、高崎方面に向かうE233系電車が通りすぎていった。

上尾駅北側

最初の写真から90度左方向を写したのがこの写真。電柱には上尾1-1と記されている。
右側の道を100mほど歩くと駅にたどりつく。
角の店は「有限会社 文栄堂」で、事務用品店らしい。店頭には印鑑の陳列塔というべきものが据えられている。
左の高橋理髪店とは棟割長屋になっているようだ。

中山道上尾宿あたり

次に旧中山道に出てから駅を横目に見ながら南下。
上尾宿の案内板もあったのだが、どうやら何度かの大火に加えて、ベッドタウン化によって昔の面影はほとんどなくなってしまったらしい。
それでも、ぶらぶら歩いていると、まずまず古い家が目に入ってきた。

中山道上尾宿あたり


はたしていつの時代まで遡ることができるかわからないが、中山道沿いでこうした家を3、4軒見かけた。

そして、おそらく昔は町外れだっただろう場所にあったのが、下の愛宕神社。
新しい住宅が並ぶなかに、忽然として現れる。
柵もなく、開放的なところが気持ちいい。
境内には1722年建立という小さな庚申塔があった。

中山道上尾宿あたり


このあたりまで歩くと、戻るのも億劫なので、約10分おきに走っている大宮駅行きのバスに乗車した。
そのまま大宮まで乗っていればよいものを、宮原を過ぎたあたりで大宮まで走っているニューシャトルの駅が見えてきたので、発作的に下車。帰宅ラッシュのニューシャトルに乗ったことを後悔しながら、帰途についたのであった。

2016-05-22

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(2)

前回の最後の写真の道を抜けると、平野線の軌道跡は遊歩道になる。
道にはレールと枕木をイメージさせる模様がついていて、なかなかニクい演出だ。
密集した住宅の間を、ゆるやかなカーブを描いて走るのだが、周囲には木々の緑が濃く、晩春の夕方の散歩にはうってつけである。

途中には小さな広場があり、平野線の電車が描かれていたり、平野線の歴史を記した看板が立てられていたりして、廃止から35年以上たっても周辺の人たちには忘れられない存在なのだろうか。

平野線のイラスト

広場にあった小さな丸いベンチの屋根は、平野駅舎の8角形の屋根を形どっていて、マニア度も高い。

そして、まもなく平野駅跡へ。
1979年に来たときに見た平野駅は実にユニークだった。

1980年の平野駅1番線

恵美須町行きと天王寺行きは別のホームから発車するのだが、この2つの乗り場がほぼ縦に並んでいた。これは、恵美須町行きの1番線ホームを平野駅舎側から見たところ。
天王寺行きは、この左側にある線路を通って駅舎に近い2番線ホームに入る。狭い土地を有効利用して、こういう形になったのだろうか。

現在は、下の写真のような感じ。

2016年の平野駅跡

そして次は1番線ホームから2番線と駅舎を見たところ。駅舎はネコの額ほどで、そこを通り抜けるとすぐに商店街に出る。
まさにこの駅舎の屋根が8角形でユニークだったのだが、写真に取り損ねてしまった。
当時、私が持っていたレンズでは、駅前の道を精一杯下がっても全体を写し込めなかったのだ。
今思えば、それでも一応撮っておけばよかった。すべて後の祭りである。

1980年の平野駅ホーム

そして、同じ場所(たぶん)から撮ったのが下の写真。
古いレールを組んだ柱が見えるので、もしや昔のホームの柱を保存しているのかとも思ったが、古い写真と見比べてみると、そうでないことがわかる。
となると、このためにわざわざ作ったのか。これまたニクい演出である。
ちなみに、歩道に描かれたレールと枕木の模様では、到着ホームに2つ乗り場があったように見えるが、これはご愛嬌である。

2016年の平野駅ホーム

遊歩道を出てJR平野駅まで歩いていこうと思ったが、ちょっと距離がありそうなので、地下鉄の平野駅へ。
途中にある商店街は、なかなか味わい深かった。
街並みの写真も何枚か撮ったのだが、これはそのうちの1枚である。

平野の商店街


これで、このときの旅の写真はひとまず完。

2016-05-15

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(1)

天王寺で阪堺電車の今昔写真を撮り終えたが、まだ時間がたっぷり残っていたので、かつて平野線が走っていた平野終点あたりまで足を伸ばしてみようと思いついた。

昔の写真はスキャンしてデジタル化し、クラウドに保存してあるので、いつでも呼び出して比較できるのである。
当時は想像もできなかった技術の進歩だ。

北田辺駅前

天王寺から地下鉄に乗ればすぐなのだが、それではおもしろくないので、バスで向かうことにした。
ところが、道路は混んでいるし、ずいぶん遠回りをしているようなので、途中から近鉄南大阪線に乗り換えて平野近くまで行くことにした。

北田辺駅前

おかげで、こんなときでもなければ歩くことはないだろう東住吉区のぶらぶら散歩を体験できた。
上2枚の写真は、北田辺駅前。このあたりには、なかなか趣深い商家があった。
古い家屋と商家の組み合わせというと、東京では看板建築が圧倒的なのだが、こちらではなんとも表現しがたい複雑な加工がほどこされていた。

その後も、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、気ままに迷いつつ、ようやく日が暮れる前に平野にたどりついた。

西平野停留場1980年


上の写真は、廃止直前の1980年8月に撮影した西平野停留場。車両は239号車。味わい深い光景で、気に入っている写真の1枚だ。
どの停留場で撮ったのか、ずっとわからなかったのだが、グーグルストリートビューで探していたある日、左に写っている今村電化のビルが当時のままで今でも営業していることを見つけた。

西平野停留場跡の公園

今では公園になっており、時あたかも桜が満開の時期。夕暮れの温かい風のなかで、地元の人がのんびりと桜をめでていた。
今村電化のビルは桜の陰になっているが、看板にあるパナソニックの青いロゴがちらりと見えている。
公園のコンクリートの塀には、かつてここに平野線が走っていたことが記されていた。

西平野停留場跡の公園

次の写真もまた、どこで撮ったのかわからなかったが、去年かおととしになって西平野~平野間であると判明した。恵美須町からやってきた245号車が、まもなく平野終点に到着するところだ。

写真を拡大してみると、車掌が後ろの窓から顔を出して私のほうを見ていることがわかる。
それにしても、大阪市内とは思えない牧歌的な情景!

西平野~平野1980年


現在、軌道敷はカラオケ・ビッグエコーのビル(手前)やアパート(奥)に変わっていたが、この道の突き当たりにあるお宅が健在であった。

西平野~平野の現在


平野駅付近の探訪はまた次回。

2016-05-06

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(2)

前回の続き。
天王寺からあべの筋を南下して、最初の大きな交差点が阿倍野交差点。
ここで、かつては平野線(1980年廃止)と上町線が交差していた。

阿倍野交差点1979年

この写真は、1979年3月に交差点から西側を撮ったもの。写真の右側が、天王寺駅方面である。
正面に見える電車(249号車)は、恵美須町からやってきて平野に向かう系統。
手前の電車は、平野から来て、阿倍野交差点で右折して天王寺に向かう系統である。

阪堺電車というと、やっぱりこの色がいいなあ。
古い車両にはこの重厚な緑色が似合う。ドアと窓枠が茶色なのもおしゃれ。

阿倍野交差点2016年

現在、上町線は元気に走っているが、平野線はこれを撮った翌年に廃止になってしまった。

次の写真は、阿倍野交差点から100mほど西に行ったあたり。
これも同じく1979年3月に撮った平野線の電車(151号車)。
バックの低層の商店が時代を感じさせる。

阿倍野交差点付近1979年

そして、上の写真から37年。周辺はすっかり変わってしまったが、阪神高速(14号線)だけは昔のまま上を走っている。

阿倍野交差点付近2016年

次の写真は、天王寺駅前に到着寸前の電車(122号車)。方向幕は、すでに折り返し後の「住吉公園」に変わっている。
これを撮ったのは1980年1月。大学3年生の冬である。就職はしないことに決めていたので、のんきに南紀をめぐっていた。

天王寺駅前1980年

そして、これが同じ場所の2016年。道路が手前側に拡幅されたので、まったく同じ場所で撮ろうとすると車に轢かれること必定である。
背景中央の緑色の建物が、あべのハルカス。

天王寺駅前2016年

最後にもう1枚おまけ。天王寺駅に隣接する近鉄南大阪線阿部野橋駅の1979年の姿である。
バックの近鉄百貨店阿倍野本店が、現在のあべのハルカスがある場所。

近鉄阿部野橋駅1979年


当時は、駅を出たすぐのこんなところに踏切があった。
今回は、せめて近い場所で写真を撮れないかとうろうろしたが無理だった。電車内から撮ればいいのかもしれない。

2016-05-03

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(1)

大阪に来ると、いつも立ち寄っていたのが天王寺界隈である。
東京・下町に生まれ育った人間にとって、このあたりは居心地がよく、ぶらぶら散歩するのが楽しかった。

ところが、ここ数年の天王寺付近の変貌はあまりにも激しい。
きれいな建物ができて喜んでいる人も多いだろうが、昔の情緒ある町並みが懐かしい。

あべのハルカスと阪堺電車

あえてよかった点を挙げれば、阪堺電車(阪堺電気軌道)の乗り場への移動が楽になったことと、道路拡幅にともなって阪堺電車の線路が移設される予定で、おそらく乗り心地もよくなるだろうということか。
上の写真は、阿倍野交差点から天王寺駅方面を見たところ。あべのハルカスをバックにして、阪堺電車の旧型電車を撮ることができた。

あべのハルカスから見た阪堺電車

そして、これはその逆。つまり、あべのハルカスからあべの筋を見下ろしている。よーく見ると電車が走っているのが見える。
最初の写真を撮ったのは、高速道路の下にある交差点の右上角あたり。


この辺りでは、昔にも写真を撮っているので、例によって定点写真を撮影を敢行。
まずは、1979年の山陰旅行の帰りに立ち寄ったときの写真から。
この写真の右手前が、阪堺電車(当時は南海電鉄の軌道線)天王寺停留場(終点)を経て国鉄天王寺駅に至る。

1979年の天王寺

現在は、道幅が約2倍に拡幅されており、しかも向こう側(西側)に拡幅されているので、この写真に写っている建物の面影はまったくない。

2016年の天王寺

もう1枚は、2006年に撮影したあべの銀座の様子。
阪堺電車天王寺停留所の西側にあった商店街である。
場末感漂う素晴らしい雰囲気だったのだが、残念ながら再開発によって跡形もなくなってしまった。

2006年のあべの銀座

もっとも、昔からあった店のいくつかは、再開発後に建てられたビルにも入居しているようだ。
ずっと行きそびれているグリルまるよしも、新しい店舗で営業していた。

2016年のあべの銀座跡

次回も、天王寺付近の今昔写真をお届けします。

2016-05-02

大阪 鶴橋駅周辺をぶらぶら歩く

多忙のため、しばらくごぶさたしてしまいました。
4カ月にわたって全力を尽くして連載していたシベリア鉄道横断記も無事に終わり、しばらくシベロスに陥っていたのに加えて、たまっていた仕事を片づけるのに時間がかかってしまいました。

世の中はすでに大型連休に入っていますが、ブログ再開のリハビリとして、4月上旬に訪問した大阪での話から。

鶴橋駅改札口付近

新大阪駅のすぐ北にある江坂あたりで仕事があったのは4月5日のこと。
昼過ぎに仕事は終わったのだが、日帰りするのももったいないので、自腹で宿をとって大阪散歩。
こんなことができるのは、フリーランスの特典である。

鶴橋駅改札口付近

まず向かったのが、鶴橋。
同じ大阪環状線の駅でも、京橋や天王寺周辺が垢抜けしてしまったのにくらべて、ここはまだまだディープな雰囲気が楽しめる。
なにより駅の改札を出ると、どの方向に行くにも薄暗い高架下を歩かなくてはならないのが不気味でおもしろい。
東京付近で現在これに匹敵するのは、かなり規模は小さいけれど、鶴見線の国道駅くらいか。

鶴橋駅前の商店街

駅前広場という概念を打ち破る狭苦しい場所には、売店、立ち食いうどん・そば屋、本屋、喫茶店などが軒を連ねている。
そこから、一番賑やかそうな方向にあるのが、アーケードの「鶴橋商店街」。狭い道の両側には、主に朝鮮・韓国食材の店が建ちならんでいる。

鶴橋駅前の商店街

東京の上野にもコリアンストリートのようなものはあるが、比較にならない賑わいである。
それに東京では日韓、日朝の微妙な関係といったうっとうしいことを意識してしまいがちだが、ここ鶴橋は少なくとも旅行者の無責任な目からは、とってもおおらかなので救われる。

鶴橋駅付近

これまでの訪問と違って、今回は欧米系の観光客が目立った。
商店街をぶらぶら歩いていたり、ベンチに座ってソフトクリームなんかを食べていたりして、ちょっとした国際的な観光地である。
彼らにとっては、私が南イタリアに行ってアルバニア人やギリシャ人の末裔が住んでいる村を見て喜んでいるような感じなのかもしれない。

鶴橋駅付近

日が出ているうちにもう少しまわりたいので、カウンター式の焼肉屋に入りたいのを我慢して、私は再び大阪環状線の客になるのであった。

2015-08-02

富山地方鉄道 西魚津駅

多忙やら暑さやら気分の問題やらで、しばらくごぶさたしてしまいました。
リハビリを兼ねて、今春の北陸の旅で印象に残った、ある駅のご紹介を……。

小松での仕事が終わってそのまま帰宅するのもつまらないので、当夜は自腹で宿泊。
週末ということもあって金沢のホテルはどこも満員だったが、なんとか富山駅近くのホテルに宿をとることができた。


西魚津駅のホーム

そして、翌朝は完成なった富山駅付近をぶらぶら歩いたあとで、富山地方鉄道の西魚津駅を訪ねることにしたのである。
ここは、以前から降りてみたいと思っていた駅だった。

西魚津駅

北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)で富山に向かうと、魚津付近から海側に富山地方鉄道の単線の線路が並走する。
そして魚津駅を過ぎると、目の前の田んぼの向こうに小さな木造の駅舎が見え、続いて2面の相対式ホームが目に入ったかと思うと、すっーと線路がカーブして北陸本線の下をくぐっていくのである。
その様子が、まるで鉄道模型を見ているようで好ましかった。

西魚津駅

今回は、魚津駅で下車して、隣接する富山地方鉄道の新魚津駅へ乗り換えると、まもなくやってきたのが西魚津止まりの電車だった。
「はて、あんな小さな駅を終着駅にする列車があるのか?」
しかも、ターミナルの富山側ではなく、西魚津と宇奈月温泉を走る各駅停車である。
案の定、新魚津駅で車内はガラガラ。2つ先の西魚津で降りたのは私を含めて3人であった。

西魚津駅

ダイヤを見ると、西魚津折り返しの電車は、急行通過駅の利用客救済の意味もあるようだ。

私が乗ってきた旧・京阪電鉄の電車は、そのまま富山方面に向かって発車すると、ホームから200m離れたあたりで折り返して、反対側のホームに入ってきた。それが上の写真である。

西魚津駅

西魚津駅の雰囲気は期待通りのものだった。
木造のホーム待合室、構内踏み切り、昔の観光案内図などなど。
すでに無人駅になっていたけれど、かつてはそこそこ賑わっていただろう駅舎も魅力的だった。

西魚津駅

そしてなによりも、大きな木が1本立っている駅前の雰囲気も、まるで昭和30年代の地方私鉄風景を再現したジオラマのようだった。

西魚津駅

小雨模様の天気も、むしろ雰囲気にぴったりだったように思える。
もちろん、駅前に食堂やコンビニはおろか、商店の1軒もない。昼どきだったが、しかたなく自動販売機の飲料で空腹をまぎらせるしかなかった。

西魚津駅

ひと気のない駅で40分ほど過ごしたのち、やってきた富山行きは、旧・西武鉄道の特急レッドアローだった。

2015-04-17

秋田・阿仁合ぶらぶら散歩

また更新が滞ってしまったけれど、3月の東北旅行の続き。
青森から奥羽本線で県境を越えて鷹ノ巣へ。
この日の目的は、秋田内陸縦貫鉄道に乗ることであった。
国鉄時代は、北部が阿仁合線、南部が角館線で、第三セクターになってから全線が開通した路線である。
いずれも、まだ乗ったことがなく、今回が初乗車となった。

阿仁合駅

ただ乗っているだけではおもしろくないので、途中の阿仁合で下車することにした。
1時間待つと、角館行きの急行がやってくる。
阿仁合駅でまずやったことは、駅構内にある食堂「こぐま亭」で、馬肉シチュー+黄金ライスを食べること。
ここに来るまで知らなかったのだが、列車のなかに広告があったので試してみたら、実に美味であった。

阿仁合駅の「こぐま亭」

上の写真がそれである。
こんな小さな店ではあるが、阿仁合出身のシェフは都会の有名店で修業をして帰って来たのだそうだ。

阿仁合駅前

腹がいっぱいになったので、残る時間でぶらぶら散歩である。
駅前はあちこちに更地があって、やけにさっぱりしている。国鉄時代に来ていたら、ずいぶん楽しかっただろうにと後悔をする私であった。

阿仁銀山の街並み

駅周辺の地名は「阿仁銀山」。まさに、鉱山で栄えた阿仁合ならではの地名である。
もっとも、現在は鉱山の名残はほとんどなく、鉄道に並行して走る羽州街道沿いの商店街も、活気があまり見られない。
そんななかで見かけた不思議な家が上の写真。普通の民家の上に、帽子をかぶったような形をしている。
雪が積もったときに、これで大丈夫なのだろうか。なぜか、似たような家がほかにもあったところを見ると、これが流行だったのかもしれない。

阿仁銀山の街並み

もう少し、羽州街道を南下。じつは、阿仁合の中心である銀山地区は大火があったために、古い家は残っていない。
それでも、どことなく情緒ある不思議な家々を見ることができた。

阿仁川あたり

鉄道路線をへだてて、羽州街道とは反対側には阿仁川が流れている。
秋田内陸縦貫鉄道の北半分(旧・阿仁合線)は、この阿仁川に沿って走っているわけだ。
今では町外れとなっているこのあたりも、古い地図を見ると銅山の採掘所があったようで、ずいぶん賑わっていたことだろう。まさに、つわものどもが夢の跡である。

阿仁水無地区


こちらは、羽州街道の北側。銀山地区の外れから坂を登った水無地区から、銀山地区を見たところである。
1日に2本しか走っていないバスが、ちょうどやってきて、交差点を駅に向かって左折しているのが見える。

旧・宮越商店


そして、これが水無地区に残っている旧・宮越商店。かつての呉服屋であり、幕末には豪商として栄えたと書かれていた。現在でも人が住んでいるので、美しく保たれているのは喜ばしい限りである。
とくに、このガラスは写真でも波うっているのがわかるように、昔ながらの製法でつくられたものではないかと思う。割れてしまったら、はたして元通りに再現できるのかどうか。

阿仁合駅


というわけで、小一時間の阿仁合の町めぐりであった。
そうそう、駅前にある内陸縦貫線資料館は、鉄道ファン必見である。前身である阿仁合線、角館線の歴史はもちろん、沿線を走っていた森林鉄道や鉱山鉄道の写真や資料も満載。ぜひとも、本にまとめてほしいところである。

阿仁合からは、急行「もりよし」で角館へ。アテンダントの女性は、さきほど鷹巣から阿仁合まで同乗していた人であった。地元愛に満ちた丁寧な説明を聞いていると、ぜひ近々再訪してみたいものだと思ったのである。

より以前の記事一覧