ネパール最終日は火葬場の寺院へ
2019年春の連休に訪れたネパールの話を2020年に書き始めてから、すでに1年が経ってしまった。
コロナで遠出もままならない今日この頃、今後はもっと身近な散歩や昔懐かしネタでも書いていきたいと思っているけれど、取り急ぎネパールの最終回。
カトマンドゥのホテルからタクシーで空港に向かおうと思っていたら、ムスタンに同行してくれたM氏が知人の車をチャーターしてくれた。
「日本人が来たら、いつも最後にここを見せるんですよ」
そういって、空港への途中に立ち寄ったのは、火葬が行われるパシュパティナート寺院である。
世界遺産となっている「カンマンドゥ盆地」の一部をなしている。
本来は入口で下車しなくてはいけないのだが、M氏の手配によってかなり奥まで車で入ることができた。
ヒンドゥ教の火葬場はよく写真で目にするが、実物を見るのは初めてである。
おどろおどろしい様子を想像していたが、欧米人の旅行者だけでなく散歩にやってきたような地元のカップルもいたりして、やけにあっけらかんとした雰囲気である。境内には、遺灰を流すのであろう川が流れている。
とはいえ、対岸の煙が目に入ると、ちょっと緊張する。
「あれは火葬をしているところ?」
「いや、あれは木の燃え具合を試しているところですね」とM氏。ややほっとしてカメラを向けた。
「ネパールにはほとんどお墓がないんですよ。イスラム教徒などは別として、みんなこういうところで焼いて灰は流すからね」
なるほど、言われればそうである。確かに、昔旅行したインドでも一度も墓を見なかった。
ちなみに、上の写真に写っている寺院内には、ヒンドゥ教徒以外は入れない。
奥のほうで盛大に煙が立ち上っていた。これも試し焼きらしい。
「焼く場所がいくつもあるけれど、どう違うの? 奥のほうが料金が高いとか……」
「いや、どこで焼いても同じ。空いているところで焼くだけです」
橋の上を見ると、2頭の黒牛が煙をじっと見つめていた。体の大きさを見る限り、親子のようである。
──もしかすると、自分の飼い主の火葬を待っているのか
最初はそう思ったが、まあそんなことはないだろう。わからないけど。
日陰になっている階段には、火葬をする親族なのだろうか、座っている人たちがいる。
牛だけでなく、ここには猿もたくさんいた。
彼らはどんな場所かわからないのだろう。お供え物を口にして、遺灰を流す川に勢いよく飛び込んではしゃいでいた。
小一時間ほど滞在したあとで、入口に向かって歩いていくと、行きに見かけた男性の前に若いカップルが座って、なにかを話していた。
運勢でもみてもらっているのだろうか。痛いほどの日射しのもとで、その姿が印象的だった。
「ネパール旅行の最後で、日本人にこの火葬場を案内するんですよ。考え込んだり、涙を流したりする人もよくいますよ」とM氏。
私も、20代か30代の純真なころだったら、大きな衝撃を受けたかもしれない。だが、もう涙を流すには人生の経験をいろいろしてきてしまった。
むしろ、自分が死んだら適当に焼いてもらって、そのあたりに骨をまいてもらうのがいいと思っている。できれば、草花の肥料になるような場所が望みである。
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