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著書

  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

カテゴリー「南アジアの旅」の15件の記事

2020-09-08

聖地ムクティナート寺院に潜入(上)

ムクティナートのホテルに荷物を置き、まずは聖地ムクティナート寺院に向かう。
山道とまではいかないが延々と続く坂道を、徒歩か馬に乗って登るしかない。
馬を勧められたのだが、やはり自分の足で登ってみたいので丁重に断った。

参道にいた修行者?

このボブ・マーレーみたいな人物は、寺院に向かう道端にいた修行者(かな?)。
翌日朝にも、町からゴザ持参で登っていく姿が見えたから、たぶん毎日このあたりで観光客のお布施を期待しているのだろう。
日本円にしたら30円くらいのお布施をして、「写真を撮っていいか」と尋ねると、こんなポーズをとってくれた。
さらには、立ち上がってにこやかな表情でカメラに収まってくれた。

ムクティナート寺院の入口
村外れから30分ほど歩くと、いよいよ寺院の門が見えてくる。
馬に乗ってきた人たちもここで降りなくてはならない。
薄い空気のなかで、この最後の階段はかなりきつい。

ムクティナート寺院の入口

澄んで乾いた空に、紅色の門が映える。
ムクティナートの町が標高3800mほどで、そこから200mくらい登っていると思うので、このあたりの標高は4000mくらいだろう。
もちろん、富士山よりも高い場所である。

ムクティナート寺院の境内

ムクティナートとは、ヒンディー語(ネパール語もそうかな)で「成功」を意味するそうな。
みんな、成功を願ってやってくるとのこと。
現世利益を追求するその態度はすがすがしい。

私と妻はもちろん異教徒なのだが、境内に入ることは差し支えない。
ただし、上の写真の本堂内だけはヒンドゥー教徒だけが入れることになっている。
そこでは人びとが頭に鍋のようなかぶらせれると、その上に僧侶が煙をかけて、なにやら祈ってくれているようだった。

なかには、この写真のように水で身を清める人もいた。
ときおり細かい小雪がちらつく天気である。
心臓麻痺でも起こさないか心配になってきた。AEDを常備しておくことを勧めておきたいものである。

ムクティナート寺院の境内

小さな小屋のような建物があって、M氏が参道で買ってきた線香のようなものを置いて、お祈りをする。
まあ、煙をもくもく焚いてなにやら願ったり祈ったりするのは、小さいころから浅草の観音様で慣れている。
「やっぱり、仏教とヒンドゥ教は親戚なんだなあ」というのが私の素朴な感想である。

ムクティナート寺院の境内

お寺の境内の壁には、こんなものがかけてある。日本の神社の絵馬のようにも見える。
いろいろと興味津々で見ていたら、M氏が私たちを手招きする。
さっきのヒンドゥー教徒しか入れない建物に入ってもいいというのだ。
「ちょうど今、空いているからお祈りをしてくれるって」

この融通の効き方は、さすがである。
私たちも金属の帽子のようなものを頭にかぶらせられて、なにやら祈ってもらった。
これで、この旅も今後の人生も恐いもの知らずである。

ムクティナート寺院の境内

寺院の背後には、山からの湧き水が出ている場所があり、これは健康にいい聖なる水とされているらしい。
みんなは、牛の首をかたどった金色の蛇口(蛇じゃないから牛口か)から出てくる水を、その場で飲むだけでなく、ペットボトルに入れて持ち帰っていた。

ヘリポート

これは寺院のそばから下界を見下ろした風景。ムクティナートの村は、画面の左手遠くに見えている。
手前の丸い場所はヘリポート!
「インド人の大金持ちがヘリコプターでやってくるんですよ」とM氏は教えてくれた。

2020-08-23

ムクティナートへの道

2019年ネパールの旅。5月3日は、ムスタンの玄関口ジョムソンから四駆をチャーターして20km、富士山頂とほぼ同じ標高にあるヒンドゥー教の聖地ムクティナートへ向かった。
カトマンドゥで知り合ったネパール人M氏とともに、ハードながらお気楽な旅となる。

ジョムソン空港

朝の目覚めはホテル裏の空港に着陸する飛行機の爆音ととともに。
部屋の窓から、こんな光景が見られた。
以前にも書いたが、午後は風が強くなるので、空港が使えるのは午前中のみ。
しかも、乗客は1便あたり20人程度の小型機だから、30分おきぐらいに着陸する。

宿の朝食

これが宿の朝食。質素ながらもなかなかよい味付け。
和洋折衷ならぬ、ネパ洋折衷という感じで、右下にあるのは玉子焼き。
ダルバートに飽きた舌には新鮮に感じられた。

道なき道をゆく

ジョムソンの町外れからしばらくは道がなく、カリガンダキ川の河原を上流に向かって進んでいく。
河原では路線バスやムクティナートから戻ってきたらしい観光バスとすれ違う。
6月からの雨季になって川の流量が増しても構わず、水のなかを疾走していくそうだ。

吊り橋

ようやく道に出て、車の揺れも少なくなる。
たまに地元の人とすれ違うのだが、みんなどこからどこに行くのだか。
ちなみに、この吊り橋の対岸には宿があるらしい。

カリガンダキ川

カリガンダキ川の川筋が綾を織りなす先に、まるで砂漠のオアシスのようなカグベニの村が見えてきた。

休憩中

ここがジョムソンとムクティナートのほぼ中間地点。
展望のいい場所でひと休み。
ここは、きれいに道が整備されている。
カグベニ村の上でムスタン街道と分かれ、右折してムクティナートへ向かう。

(動画の大きな音は風が吹き抜ける音)
ムスタン街道と分かれると、道はつづら折りで一気に高度を稼ぎ、車窓には絶景が広がる。
すでに標高は3000mを越えているはずだが、そんな場所でもやはり道の整備のために懸命に働いている人が見える。

ちなみに、右折せずにムスタン街道を北上して秘境のアッパー・ムスタン(上ムスタン)に入るには、さらに別のバーミッション(入境許可証)が必要だ。ムスタンの先にはチベットがあり、中国と接しているために、そのあたりの管理は厳格にされているらしい。
「でも、夜中にこっそり行く人もいるらしいですよ」とはM氏情報。もっとも見つかると厄介なので、親戚や知り合いがチェックポイントに詰めているときに、袖の下を渡して観光客を連れて行く不届き者もあるそうな。

丘上の村

ムクティナートへの沿道には、ぽつりぽつりと村が見える。
この風景は、まるでイタリアのアブルッツォ州あたりで見た山岳都市にそっくり。
もちろん、標高はまったく違うのだが、人は似たようなところに集落をつくるのだなと納得。

ムクティナート到着

砂ぼこりをあげながら、何人かのトレッキング客を追い抜くことに申し訳なさを感じつつ、1時間半ほどでムクティナート着。
一般の人は村の入口で車を乗り、村内は徒歩か馬でないと行き来できないのだが、なぜか我々は別の車に乗り換えてホテルに一直線。
そんな身勝手なことができた理由は、あとでわかる。

「空気が薄いとも感じないし、全然問題ないね」なんてこの時点では思っていた。

2020-08-05

夕刻のジョムソンぶらぶら散歩

ジョムソンで1泊したのがこの宿である。空港の出口から徒歩約2分といったところ。
Googleマップには、Hotel Mustang Monalisa──つまりホテル ムスタン・モナリザと記されているが、この看板ではHotel Mustang Monalishaとある。

ジョムソンの宿

あのモナリザにちなんで名付けたのか、それともモナリシャなのか。もしかすると、モナリザをネパール語の綴りにして、それを再び英語に直すこうなってしまうのかとも思ったが、聞きそびれてしまった。

ジョムソンの宿

宿の主人は、我々の同行のM氏と顔見知りらしく、愛想もいい。
実は、この日は5月2日で、前日が令和元年の最初の日であった。
こんな鄙でも、テレビがあるからそれは知られているらしく、ホテルの従業員に英語で「おめでとう」といわれてしまった。

ジョムソンの昼飯

この写真は昼食である。相変わらずダルバート!
味はけっして悪くないのだが、ネパールのどこに行ってもこれだとさすがに飽きてくる。

ジョムソンの酒屋

晩飯の前に、また散歩に出た。空港の周辺に宿は10軒以上もあるが、どこもせいぜい2、3階建てで一般の民家と区別がつきにくい。
ムスタンの玄関口といっても、商店もたいして多いわけではない。
まず入ったのがこの酒屋。右が主人である。左の人はシベリア鉄道の沿線で会ったような中央アジア風の顔をしている。
実は、ネパールは多民族国家なのだ。

リンゴのリキュール

これは店で売られていたリンゴのリキュール。こんな寒々しい耕地でリンゴが? と思われるかもしれないが、これにはわけがある。
貧しかったムスタンで、換金できる作物としてリンゴの栽培を試みたのが、日本人の近藤さんという人だったそうだ。
翌日、翌々日とムスタン街道を四輪駆動車に乗って走ったのだが、沿道にはあちこちにリンゴ畑を見ることできた。
近藤さんの尽力が実って、今ではリンゴがムスタンの特産になっているという。
ムスタンでは、「コンドー」といえば知らない人がないくらい。近藤さんのおかげで、日本人はたいそう尊敬されいるとのことであった。

できたばかりの喫茶店

しゃれた感じのこの建物は喫茶店だった。
中に入ってコーヒーを飲む。
下の写真に写っている20代なかばくらいの若いマスターによれば、1週間前に開店したばかりらしい。

ライブもできる喫茶店

中央ではライブができるようになっていて、左右には升席のようなものが見える。
ここでコーヒーやビールでも飲みながら、地元の民俗音楽のライブでも聞いてみたいと思ったのだが、まだできかばかりでライブの予定は入っていないのだとか。
この写真の左側には、日本の喫茶店のようなテーブル席があって、実に品がいい。
天井から吊るした照明も、ヒマラヤのふもとの海抜3000mの地とは思えないほどしゃれている。
これならば、観光でやってくる欧米人や日本人にも評判になると思った。
青年とこの店の前途に幸多かれと祈って、宿に戻った私たちだった。

2020-07-21

チベット仏教の寺院にアポなし突入

ムスタンの玄関口、小さなジョムソンの町を貫く狭い街道をぶらぶらと10分あまり歩くと、もう町はずれとなる。
そこで視野に飛び込んできたのが、目にも鮮やかなチベット仏教の寺院である。

ジョムソンのチベット仏教寺院の外観

中はどんな風になっているのかなあ、見たいなあと誰もが思うに違いない外観である。
でも、もし私と妻の2人だけだったから、そう思うだけで終わったことだろう。
しかし、そこはガイド経験の長いネパール人のM氏である。私たちが何もいわないうちに、ずかずかと境内に入り、何やらそこにいた若い僧侶らしき人にひと言ふた言。

ジョムソンのチベット仏教寺院の入口

最初は世間話をしているような様子だったが、M氏はいきなり私たちに向かって振り返り、「中を見せてくれるって!」。
「本当に大丈夫なのかなあ? あんな下っぱの若者に聞いただけで……」
私は半信半疑で、いつ偉い人が来て断られてもいいように、まずは外観をなめるように撮影。
チベット仏教の神髄ともいえるマンダラ図は、ちょっとモダンなタイプのものがあった。

ジョムソンのチベット仏教寺院の入口

それにしても、まだできたばかりのような寺院で、どこにもぴかぴか。極彩色の壁画も素晴らしい。
「これはカネがかかっているよね。たぶん金持ちがたくさん寄進したんですよ」とM氏。

ジョムソンのチベット仏教寺院の内部

中に入ると、もう少し偉い感じの坊さんが出てきてご挨拶。にこやかにM氏と歓談している。
それにしても、これまた細部までつくりこんだ調度や彫刻の数々。
ここで全部アップしていたらきりがないので、このくらいにとどめておこう。

ジョムソンのチベット仏教寺院の内部

これは御本尊を安置した須弥壇である。
写真が2枚飾ってあり、手前はたぶんこの地域で一番の高僧なのではないかと想像する。
そして、奥の仏像の前に飾ってある写真が、ダライ・ラマ14世である。

ジョムソンのチベット仏教寺院の内部

さて、内部もなめるように見て、さあドアを開けて外に出ようとしたところで、入れ違いにこの人が入ってきた。
タモリでもみうらじゅんでもない。おそらく、この寺の住職(チベット仏教ではなんと呼ぶか知らないが)なのだろう。
「どこから来たの?」と気さくな感じで英語で聞かれた。
日本からだと答えると、「おお、日本! イエイ! 偉大な国だ!」と微笑んでくれた。

ジョムソンのチベット仏教寺院の外観

これがその寺院の裏口。
ネパールには、チベット動乱によって逃れてきた亡命チベット人が数多くいる。
いまや中国の一部となっているチベットでは、自由な宗教活動もままならないようだ。
チベット仏教の伝統は、ここネパールで受け継がれているのである。

町外れの道標

寺院を出ると、もう家は途切れて本当の町外れとなる。
街道はまだ続いていくはずだが、もうどこを向いてもこの先は道がない。
……と思っていたら、道端に道標があった。この図では下端が現在地のばずである。
こんなときのために、デーヴァナーガリー文字の発音だけでも覚えてきたかっのだが……。
道は川に沿って上流に続いていくように描かれている。

奥地からやってきた乗合バス

茫漠とした風景を眺めていたら、上流のほうに大型バスの姿が見えた。
河原の上の道なき道を、上下左右に車体を揺らしながらやってくる。
「ここは河原が道になっているんですよ。雨期になると、川の中を走っていきますよ」とM氏。

奥地からやってきた乗合バス

上流に向かうトラクターとすれ違ったバスは、カメラを構える私たちの横を通っていった。
よく見ると、窓から何本も手が出ている。
「あれ? なんだろう?」
不思議に思ったが、さらによく見ると、乗客がみんなこちらを向いて微笑んでいるではないか。
私たちに向かって手を振っているのだ!
私たちも、頬をゆるめておおきく何度も手を振ったのであった。

2020-07-19

ムスタンの玄関口ジョムソンをぶらぶら

宿に荷物をおいてひと休みしてから、ムスタンの玄関口ジョムソンの小さな町、というか村をひとめぐり。

ムスタンの街道

空港に並行した道を北へ進むと、こんな門柱が。
荷物を背負ったおばさんを見ると、ここははたして21世紀なのかと一瞬思った……のだが、この人が道端に腰を下ろしてスマホで会話をはじめたのを見ると、やはり21世紀のようである。

街道沿いの家

ジョムソンは空港があるので、もうかなり都会化してしまっているのかと想像していたが、こんな格好のおばさんが普通に道を歩いていて、とってもいとおしくなった。

街道沿いの家

この道が、ムスタンからチベットへ続く街道である。バックの雪山がまぶしい。
沿道の家は、売店だったり、巡礼や商人の宿だったりする。
屋根には、冬に備えて薪が積んである。

売店と3人娘

どこの国でも若い女の子が3人揃うとかしましい。
売店で楽しそうに何を買っているのだろうか。

売店の内部

売店はだいたいこんな感じで、飲み物やお菓子が多い。
ビールも売っている。

ジョムソンの学校

これは村の学校。立派な造りになっている。
ちょうど学校の昼休みだったのか、子どもたちが門の付近にいた。

学校の生徒たち

門の外にいた子たちの写真を撮る。ネパールでは、写真を快くとらせてくれる。
そして思う。ピースサインが似合うのは、やはり20歳までだと。

ジョムソンの町外れ

10分も歩くと、町外れになる。牛がうろついていた。
背後の建物には、牛だかヤクだかの頭蓋骨が屋根の上に飾って(?)ある。

楽しいジョムソンぶらぶら散歩はまだまだ続く。

2020-07-05

17人乗りのプロペラ機で秘境ムスタンへ

ネパールの奥にかつてムスタン王国という国があって、チベットとネパール・インドとの交易で栄えたという話を、何年か前にテレビで見たことがある。
そこに映し出されたのは、ヒマラヤの山深くに、小さな村が点在しているという様子で、とてもではないが簡単にいけるとは思えなかった。

ところが、カトマンドゥのM氏に聞くと「行けるよ。許可証が必要だから、明日の朝、証明写真を撮ってきて。旅行社の人を紹介するから」とのこと。急な話にもかかわらず、ポカラからムスタンの入口であるジョムソンまでの飛行機がなんとかとれ、宿も手配してもらった。

ポカラ空港

ムスタンについてはまったく予習をしていなかったので、ツアコンの経験も豊かなM氏が同行してくれるのはありがたい。

ポカラの空港私たちを待っていたのは、タラ航空のこの小さなプロペラ機である。
搭乗前に調べてみたところ、この航路は事故が多いというではないか。わざわざ調べなけりゃよかったと後悔したが、5年に1回は墜落しているようで、ただでさえ飛行機が苦手な私にとって、口から心臓が出てきそうである。

バスより狭い

機内は、なんとバスより狭くて、ざっと勘定したら20人弱。そんな小さな機内でもCAさんのサービスがあって、キャンディーと綿の耳栓が配られた。

私と妻とM氏は、一番前の列に陣取ったところ、なんとコックピットが丸見え!
大丈夫かと一瞬心配になったが、これもサービスの一環として味わうことにした。

操縦席が丸見え

ポカラからジョムソンまでは、わずか20分のフライト。
眼下には、こんな段々畑が見える。
「恐くない、恐くない。こんなに眺めがいいんだし」と必死に自己暗示をかける私。

眼下に見える段々畑

やがて、右側にダウラギリ、ニルギリなど、ヒマラヤの峰々が見えてくる。
最初は西に向かって飛ぶが、10分以上たったところで右に旋回。谷間に沿って北上する。
「恐くない、恐くない。眺めがいいし……」と口のなかで唱える。

ヒマラヤの峰々

そして、山のすれすれを右に左に旋回して、あっけなくジョムソン空港に着陸。「なんだ、もう少し乗っていたかったな」と勝手な感想を口にする私であった。

私たちが降りきるのを、ポカラに向かう乗客がタラップの下で待ち構えていた。
そして、全員が乗ったとたんに離陸! まさにバスである。
というのも、この空港は午後は風が強くなるので午前中しか運行できない。
1便20人ほどを通常は5往復ほどのピストン輸送で運んでいるのである。ちなみに、私たちが乗ってきたのがこの日の最終便であった。
確かに、風が強くなって欠航にもなったら大変である。乗客が目を血走らせて乗り込んだのも理解できる。

ジョムソン空港

そんなあわただしさをよそに、私たちもネパール人のおばちゃんたちも記念撮影。
早く空港を閉鎖したがっている職員たちに追い立てられ、パスターミナルよりも小さな空港を後にした。

ジョムソンの中心部

空港を出てすぐのところに、こんな風景が広がる。
観光客が増えているのだろう、あちこちでホテルが建設中だった。

ジョムソンの中心部

そして、しばらく町をぶらぶら。これがジョムソンのいわば新市街であり、空港はこの左側すぐのところにある。
このあと、宿に荷物を起き、さらにヒマラヤ・ムスタンのぶらぶら町歩きをすることに。
時期は乾季の終わり近く。飛行機もスムーズに飛べてよかった。雨期が近づいてくると、山々に雲がかかったりして飛行機の運航に支障があるとのこと。事故もそんな時期に起こるようだ。
それにしても、時間がたつにつれてどんどん風が強くなってくる。なるほど、これじゃプロペラ機は飛べないわけだと納得した。

2020-06-22

涼しいボカラで一息

2019年春の大型連休ネパールの旅の続きである。
当初はカトマンドゥに10日ほど連泊してぶらぶらするはずだったが、せっかくだからということで、カトマンドゥのホテルに大荷物を置いて、ヒマラヤの玄関口であるポカラに向かった。航空会社はブッダ航空!

カトマンドゥ空港からポカラへ

ポカラはネパール第2の都市であるが、大都市カトマンドゥにくらべるとこぢんまりとして、どこか穏やかである。
しかも、山に近いだけあって涼しいのがいい。
若い女性がこんなふうにのんびりと散歩しているのは、カトマンドゥではついぞみかけなかった。

湖畔の散歩道

実は、この日から数日の間、カトマンドゥで出会ったレストランの経営者であるネパール人のM氏が同行している。
M氏は日本に絵画の勉強で留学していたこともあり、日本語がペラペラでカトマンドゥのガイドブックには必ずどこかに出てくる有名人である。
われわれがカトマンドゥに着いた翌日の晩、なにか情報でも得ようと思って訪れたレストランで顔を合わせ、意気投合してしまった。
もちろんポカラだけなら、私と妻の二人で旅を続けられるのだが、入境許可証が必要な場所に入ることになり、彼のサポートが必要になったというわけだ。

湖畔の散歩道

翌日からのハードな旅に備えて、この日はのんびりと市内を散歩。
ペワ湖の沖に見える小島には、パラヒ寺院という有名なお寺がある。手こぎの船に乗り、まずは島までいくことにした。
島に上陸すると、狭い場所なのに軍人だか警察官だかが10人ほどもいて警備がものものしい。
ここネパールでも、宗教上の対立が激しいのかと思ってM氏に尋ねてみた。

「あそこに男性がいるでしょ。あの人は警察の偉い人で、きょうはお母さんを連れてお参りに来たんですよ」
なんと親孝行のお出かけに同行して警備をしているのであった。

ポカラの大通り

ツアコンの経験も豊富なM氏であるから、ポカラの市内をあちこち連れていってくれる。
車を運転しているのは、ポカラの空港で彼がスカウトしたタクシーの運転手である。
「誠実そうな人を選ぶのが大切ですよね」とのことで、空港でなにやら話し込んでいる様子を見たときは、昔からの知り合いかと思ったほどである。

日本山妙法寺参道

日本山妙法寺というのは、その名の通り、丘の上に日本人が建てたお寺で、今では観光名所となって外国人旅行者もよく訪れる。
お寺の写真は調べればすぐに出てくるのでここでは省略して、興味深かったのはそこに至る参道である。
上の写真の建物は、レストランというか休憩所なのであるが、日本ではありえない危なっかしさである。
ネパールでも地震があるはずなので、ちょっぴり心配になってくる。

日本山妙法寺参道のコーヒー店

そして、参道の途中には日本人が経営する喫茶店があった!
「Life is beautiful」という店で、この看板の人がオーナーである。もとはネパールでウインドサーフィンの仕事をしていたという。

ここのコーヒーは、ネパールでとれる豆を使った本格的な味である。完璧を求める日本人らしさが、コーヒーのひと口めから感じとることができた。
店の雰囲気も眺めも、ネパール人店員のサービスもよく、みんなでおしゃべりをしながら小一時間ほどのんびりしてしまった。
帰ってきてからグーグルストリートビューで見たところ、素晴らしい評価だったのもうなずける。

オールド・バザール

この日の最後に訪れたのは、現在の町の中心から少し離れたところにあるオールド・バザール。
名前の通り、昔はここに商店が軒を連ねていたのだろうが、今では何軒かの商店と古い大きな建物がその名残をとどめている。
上の写真などは、カトマンドゥやパタンで見た王宮のようであるが、住んでいるのは一般の人。

オールド・バザール

おばさんたちは、おしゃべりに余念がなかった。

ホテルは、ヒマラヤが間近に見える丘の上に予約していた。
まさか翌日からそのヒマラヤの山中に分け入ることになるとは、日本で予約していたときには思ってもいなかったのである。

2020-06-08

夕刻の古都パタン訪問

昨年(2019年)大型連休でネパールに行った話の続き。

ボダナートからカトマンドゥに帰ったのが午後4時ごろ。そこから、また別のボロ路線ミニバスに乗り継いで、カトマンドゥ南にある古都パタンへ向かった。
実はこの「パタン」の発音が難しくて、バスを探しているときになかなか通じない。
どうやら、「パターン」に近いようなのだが、「パ」も「タ」も日本語のそれとは、少し響きが違うようなのだ。

夕涼みの人で賑わうクリシュナ寺院「チャヤシンデガ」

どうやら私たちの乗ったバスはパタンの中心に向かうのではなく、町の周囲をぐるりとまわって別の町に行く系統のようである。
近くにいた女の子3人に、「えっ、これはパタンに行かないよ」と言われたけれど、Google先生の地図があれば問題なし。
一番近いバス停から7、8分歩いただけで旧王宮のあるダルバール広場にたどり着いた。

2019年のパタン・ダルバール広場

1989年のパタン・ダルバール広場

上の2枚の写真は、例によって定点比較写真。下は1989年に撮ったものだ。
ここでも、地震でいくつかの建物が崩れたり傾いたりしており、修復中だった。

旧王宮のパタン博物館

これはパタンの旧王宮。カトマンドゥやパクタプルのそれと似たつくりになっている。内部は博物館になっていて、さまざまな美しい美術品を見ることができた。

時間が時間だけに、古い建物が残る地域は、夕方の散歩に出てきた地元の人でいっぱい。そして、ここでも南イタリアで見たようなオヤジ軍団をあちこちに見かけたのであった。

夕涼みするオヤジ軍団

日が暮れる前に町を見ておかなくてはと、小さな中心部をひたすら歩き回る私たち。
さすがに疲れたので、最後に建物の3階にあるカフェでひと休み。ここは涼しくて眺めがよかった。

カフェテラスからの俯瞰

のんびりとジュースを飲んでいると、いきなり黒い影がテラスの縁に現れてビックリ。
なんと野生のサルではないか。食べ物が欲しいのだろうか。

若い店員が追っ払おうとするのだが、歯をむいて威嚇する。
5分ほどのにらみ合いののち、ようやくサルが去ることになった。

夜の旧市街

サルの出没を除いては、あまりにも居心地のいいテラスだったので、気がついたときには周囲は真っ暗。
あせって旧市街の外にあるバス停まで急ぎ足でやってきたのだが、バスの姿はない。
やがて到着したバスの運転手に聞くと、もうカトマンドゥ行きのバスは終わったというではないか。

でも、「あれに乗れ」と指さされた方向を見るとタクシーが1台停まっていた。
もちろんバスよりは高いのだが、日本のタクシーよりずっとずっと安く、10kmほどの道のりをたどって戻ることができた。

2020-05-24

ミニバスで巨大仏塔のあるボダナートへ

パクタプルを訪れた翌日も、カトマンドゥからミニバスで近郊めぐり。
まず向かったのは、カトマンドゥ中心部から小一時間のボダナート。巨大なストゥーパ(仏塔)で有名な町だ。

ボダナート行きのミニバス乗り場は、パクタプル行きとはまた違うバスターミナルにある。
バスの行き先はネパール語でしか書かれておらず、外国人には難易度が高い。だが、30年前と同じく、バスの前で若い車掌が「ボーダボダボダ、ボーダボダボダ」と客を呼んでいたのですぐわかった。

カトマンドゥのバスターミナル

ミニバスの車内はこんな感じ。
もちろんエアコンなどは付いていないが、窓が全開なので走り出せば十分に涼しい。
なんといっても、地元の人たちが利用する乗合バスに同乗することで、旅に出たという気分も盛り上がる。

ミニバスの車内

30年前のボダナートのバス停の記憶はまったくないのだが、たぶん交通量は格段に増大したのだろう。
それに対する道路の整備が追いつかず、道は埃でもうもうとしており、100m向こうが霞んでいる。

同じバス停で降りた人の流れに従っていったところ、すぐにストゥーパの入口にたどり着いた。

ストゥーパの入口

ここのストゥーパは世界遺産に指定されているが、周囲は江ノ島か浅草のような庶民的な雰囲気で、円形のストゥーパを取り囲むように、周囲360度を、レストラン、喫茶店、土産物屋などが取り囲んでいる。
下の動画は、そんな喫茶店の一つの屋上テラスから眺めた景色。
豆粒みたいな人間の大きさを見れば、その巨大さがわかるだろう。

ストゥーパの途中まで登ったあとは、周囲を時計回りに一周。
たくさんの人びとが訪れており、境内には赤い袈裟を着たチベット仏教のお坊さんたちも数多く見かけた。

境内の風景

観光客や参拝客がうろうろしているのは、ストゥーパ周囲と付近の半径300mくらいか。
境内の外にも多くの土産物屋があった。

ところで、この町には中国のチベット併合から逃れてきた難民も多く、日本人に近い顔の人が数多く見られる。

参道の風景

昔読んだガイドブックには、チベット動乱で逃げてきたチベット人は、中国人をひどく嫌っていると書かれていた。
事実、30年前に入った土産物屋では、応対してくれたチベット人の中年女性が、「あそこに中国人の団体が来ているのよ」とものすごく嫌なものをみるような顔をしていたのが印象的だった。
最近では、ここネパールでも中国人は上客らしく、あちこちに中国語の看板を目にしたが、はたして人びとの心も変わったのだろうか。

下の写真は、参道で岩塩を売っている店。ピンク色や黒い塩がある。黒い塩は硫黄分を含んでおり、風呂に入れると温泉気分にひたれる。

1989年のボダナートのストゥーパの上から

下の2枚は、1989年にボダナートに来たときの写真。
当時は、ストゥーパの上のほうまで登ることができた。

1989年のボダナートのストゥーパの上から

今では上まで登ることができないので、山を遠望できないのが残念である。

200524h

2020-05-21

パクタプル30年の定点写真(中心部編)

1989年と2019年のパクタプルの比較の続き。
激変した周辺部にくらべて、町の中心部はそれほど大きく変化しているわけではない。
とはいえ、世界遺産に指定されている遺跡や広場は別として、まわりの建物や道ゆく人びとの格好は、かなり近代化されていた。

まずは、ニャタポーラ寺院の東側に延びる繁華街の比較。
上(1989年)の写真では、インドの偉大な歌姫ラター・マンゲーシュカルによるコンサートの横断幕が見える。
下(2019年)の写真を見ると、沿道はすっかり土産物屋ばかりになっていることがわかる。

1989年のバクタプル繁華街

2019年のバクタプル繁華街

賑やかだった道も、ずっと東に進んでいくとだんだんと人通りが少なくなっていった。
ペプシコーラの看板が印象的。まるで西部劇に出てきそうな光景だ。
現在では、ここまで来ても人通りは絶えない。

1989年のバクタプル繁華街東端

2019年のバクタプル繁華街東端

以前のダッタトラヤ寺院は、内も外も暇そうなおじさんたちが、座り込んでおしゃべりをしていた。
2019年には、そんなおじさんの数は激減して、学生たちやおしゃれな男女が行き交っていた。

1989年のダッタトラヤ寺院前

2019年のダッタトラヤ寺院前

王宮のあるダルバート広場の東側。広場の建物のいくつかは地震で崩壊してしまった。
修復工事を待っている様子だったが、どれだけ時間がかかるだろうか。

1989年のダルバート広場東側

2019年のダルバート広場東側

最後の写真は、ニャタポーラ寺院のあるタウマディ広場に戻る。
右奥にちらりとニャタポーラ寺院が見えている。
中央の建物は、当時から外国人に人気だった喫茶店。看板には、カフェ・ニャタポーラと書かれている。
現在も喫茶店として営業していた。

1989年のタウマディ広場

2019年のタウマディ広場

 

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