フォト

著書

  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

広告

訪問者数(重複なし)


  • 累計
    今日
    昨日


カテゴリー「南アジアの旅」の22件の記事

2021-05-17

ネパール最終日は火葬場の寺院へ

2019年春の連休に訪れたネパールの話を2020年に書き始めてから、すでに1年が経ってしまった。
コロナで遠出もままならない今日この頃、今後はもっと身近な散歩や昔懐かしネタでも書いていきたいと思っているけれど、取り急ぎネパールの最終回。

210324a

カトマンドゥのホテルからタクシーで空港に向かおうと思っていたら、ムスタンに同行してくれたM氏が知人の車をチャーターしてくれた。
「日本人が来たら、いつも最後にここを見せるんですよ」
そういって、空港への途中に立ち寄ったのは、火葬が行われるパシュパティナート寺院である。
世界遺産となっている「カンマンドゥ盆地」の一部をなしている。
本来は入口で下車しなくてはいけないのだが、M氏の手配によってかなり奥まで車で入ることができた。

210324c

ヒンドゥ教の火葬場はよく写真で目にするが、実物を見るのは初めてである。
おどろおどろしい様子を想像していたが、欧米人の旅行者だけでなく散歩にやってきたような地元のカップルもいたりして、やけにあっけらかんとした雰囲気である。境内には、遺灰を流すのであろう川が流れている。
とはいえ、対岸の煙が目に入ると、ちょっと緊張する。
「あれは火葬をしているところ?」
「いや、あれは木の燃え具合を試しているところですね」とM氏。ややほっとしてカメラを向けた。

210324b

「ネパールにはほとんどお墓がないんですよ。イスラム教徒などは別として、みんなこういうところで焼いて灰は流すからね」
なるほど、言われればそうである。確かに、昔旅行したインドでも一度も墓を見なかった。
ちなみに、上の写真に写っている寺院内には、ヒンドゥ教徒以外は入れない。

210324d

奥のほうで盛大に煙が立ち上っていた。これも試し焼きらしい。
「焼く場所がいくつもあるけれど、どう違うの? 奥のほうが料金が高いとか……」
「いや、どこで焼いても同じ。空いているところで焼くだけです」

210324e

橋の上を見ると、2頭の黒牛が煙をじっと見つめていた。体の大きさを見る限り、親子のようである。
──もしかすると、自分の飼い主の火葬を待っているのか
最初はそう思ったが、まあそんなことはないだろう。わからないけど。
日陰になっている階段には、火葬をする親族なのだろうか、座っている人たちがいる。

210324f

牛だけでなく、ここには猿もたくさんいた。
彼らはどんな場所かわからないのだろう。お供え物を口にして、遺灰を流す川に勢いよく飛び込んではしゃいでいた。

210324g

小一時間ほど滞在したあとで、入口に向かって歩いていくと、行きに見かけた男性の前に若いカップルが座って、なにかを話していた。
運勢でもみてもらっているのだろうか。痛いほどの日射しのもとで、その姿が印象的だった。
「ネパール旅行の最後で、日本人にこの火葬場を案内するんですよ。考え込んだり、涙を流したりする人もよくいますよ」とM氏。
私も、20代か30代の純真なころだったら、大きな衝撃を受けたかもしれない。だが、もう涙を流すには人生の経験をいろいろしてきてしまった。
むしろ、自分が死んだら適当に焼いてもらって、そのあたりに骨をまいてもらうのがいいと思っている。できれば、草花の肥料になるような場所が望みである。

2021-03-16

ムスタンからポカラへの恐怖の道程(下)

長々と書き続けてきた2019年春のネパールの旅も、いよいよ大団円まぢか。
ムスタン街道に新しくできた食堂でランチをとって気分一新。ムスタンを南下してひたすらポカラを目指す私たちであった。

210302a

行く手に見えるのは、相変わらずこのような崖沿いの道。
今改めて見ると恐さを感じるが、連続ロデオ状態が何時間も続くと、感覚がマヒしてくるから不思議である。

210302b

何度も書くが、感心するのはこの道を大型バスが通っていくことである。
しかも、かなりのスピードである。
われわれの四駆の運転手も素晴らしい運転の腕であるが、バスの運転手は神業に近い。

210302c

しかも、道路はあちこちで工事中である。
外から見ているだけでも、大型バスは上下左右に大きく車体を揺らしながら進んでいく。
はたして雨期になったらどうなるのか。想像もしたくない。

街道沿いには温泉もあった。タトパニである。
ここの地名だと思っていたが、あとで調べると、「タト」はネパール語で「温かい」、「パニ」が「水」だから、まさに「温泉」を示す普通名詞のようである。

210302d

「ここは日本じゃないからね、裸になったら捕まっちゃうよ」とM氏。
水着は持っていなかったが、肌着でも問題ない。
ヒマラヤ山脈はもう火山活動はしていないように見えるが、地中ではまだマグマが活動しているのだろうか。
湯はぬるかったが、まあゆったりとした気分になった。

210302e

この写真は、入場券売場兼湯上がりの休憩所である。飲み物を売っていた。
入場料は、確か日本円に換算して15円ほどだったように記憶している。
M氏と妻と私はゆったりと浴槽に浸かったが、運転手氏はこういうのに慣れていないようで、パイプを流れてくる湯をシャワーのようにして、顔や体を洗っているだけだった。

210302f

街道には、こうしたチェックポイントが何カ所かある。
訪れる観光客が、きちんと入境証明書を持っているかどうかチェックしているわけである。
もっとも、チェックポイントを通るたびにチェックされるわけではなく、係員の気が向くと、「ちょっとちょっと」と手招きして車を停めるのである。
いってみれば、全件調査ではなくて、サンプル調査のようなものなのかもしれない。

210302g

ときには、こんな心細い橋も渡る。
もちろん、橋の上ではすれ違えないから早い者勝ち。向こう側の車が通りすぎるまで、停まって待っていなければならない。

210302h

私たちの乗った四駆は悪路を快調に飛ばし、「これなら遅くならないうちにポカラのホテルに着けそうだ」と誰もが思いはじめたそのとき、こんな光景が待っていた。
道の中央でショベルカーがエンコしているわけではなく、通行止めの看板代わりである。
その少し向こうで土砂崩れの復旧工事をしているらしい。
前の工事現場では1時間で開通したので、今回もそのくらいかと思っていたが、いつまで待っても状況に変化がない。

210302i

道端には、どこから情報を聞いて、どこからやってきたのか、即席の売店まで開かれる始末。
そして、車はたまる一方である。

結局、このときは開通まで3時間かかった。
開通直前には、まだ目の前のショベルカーが動いていないというのに、バスが割り込んでくるわ、何台もの四駆が道いっぱいに広がってエンジンをふかしているわで大混乱。
だが、不思議だったのは、そんな無法があっても、ネパール人運転手が平然としていることである。
ほかの車も、クラクションを鳴らしているものは皆無だった。
インドやエジプトだったら、いや先進国だって、クラクションと罵詈雑言の嵐になるところだが、いやにネパール人が鷹揚なのには感心した。

道が開通すると、何十台という車が先を争って走るものだから、道は土埃でいっぱい。
かたや崖だというのに、前方が見えないなかを、あらゆる車が猛スピードで山を下っていくのであった。

ポカラに着いたのは夜11時ごろ。最後には、タイヤがパンクするというおまけもついた。
あれだけの悪路を飛ばしたら、パンクもするだろう。
夜のポカラ郊外でスペアタイヤの交換もして、運転手はその日の夜に家に帰るのをようやくあきらめたようだった。
そうでなければ、真っ暗な崖の道を戻っていくつもりだったというから、想像するだに恐い。

休憩と道路封鎖を含めて、しめて16時間の旅であった。

 

2021-02-23

ムスタンからポカラへの恐怖の道程(中)

土砂崩れによる不可抗力とはいえ、日本で1時間も待たせられたらいらいらしてくるところだが、ムスタンにいると「まあ、そんなこともあるだろう」とおおらかな気持ちになる。
周囲の雄大な風景を見ていると、待つ時間が苦にならないからだろう。

やがて、アンナプルナの美しい姿が目に入ってきた。

アンナプルナを眺めながら

ごつごつとした石が転がっている道を、四駆はかなりのスピードで走るものだから、連続ロデオ状態である。
さすがに疲れるので1時間に1回くらいは休憩を入れる。
車は、アンナプルナが見える小さな村の一軒家の前で停まった。
すると、運転手が降りていって家の前に立っていた女性と話をしている。

運転手の親戚の家

「運転手さんの親戚の家なんだって」と同行のネパール人M氏。
誰かに渡すものなのか、小さな包みを受け取って戻ってきた。

砂ぼこりをあげて走る

この道は、ムスタンとポカラを結ぶ大動脈である。
なにしろ飛行機は1機に20人くらいしか乗れないし、風が強くなる午後は飛ばない。だから、辺境の道ではあるが、そこそこ交通量がある。
とはいえ、でこぼこの細い道をよくこんなスピードで走れるのかと感動するほどだ。

街道沿いの村

ときに沿道に現れるのどかな村々の様子が楽しい。
これは、作業に疲れて休憩しているのか。屋根上の2人である。

絶壁の上を走る

だんだんと、谷は深くなり、道幅は狭くなる。
ところが、車はスピードを落とさずに走っていくのだ。
ちょっと道を踏み外すと、まっさかさまに谷底へ一直線であることは疑いがない。

難路の連続

もっとも、最初のうちこそ多少の恐怖心があったが、だんだんと慣れてくるから不思議なものだ。
恐怖心よりも、連続ロデオ状態に我慢するほうに気をとられていたからかもしれない。
いまこの写真を見て、「よくこんな道を走ってきたものだ」と改めて背筋がぞくぞくしてきた。

食堂からの眺め

やがて、この日のランチの場所へ。
小さな滝に面したわずかな平地に、いかにも田舎風の2階建てのレストランがあった。
「最近開業したようなんですよ。ネットで調べておきました」とM氏。
この前後は崖道の連続だから、ここで食べないと、あと2時間は食事にありつけなかっただろう。

私たちは、風通しのよいテラスに陣取った。もちろん、食事はダルバートしかない。
目の前の街道を、車が行き交う。
それにしても、こんなバスがあの狭くて恐ろしい道を走っていくのである。
ときにはバス同士のすれ違いもあるだろう。
路線バス好きの私だが、さすがにここでは乗りたくないと思ったものである。

2021-01-28

ムスタンからポカラへの恐怖の道程(上)

いつのまにか年も明けてしまいました。昨年内で終わらせるつもりだった2019年春のネパールの旅報告の続きです。

さて、ジョムソンを出て、いよいよ陸路でポカラへ。
20分ほど走ったところで、次の大きな村であるマルファを通る。
この画面の右側に旧街道が通っているようで、味わい深そうな家並みが見えている。
時間があれば、ゆっくり立ち寄りたいところだが、夜までにポカラに到着しなくてはならない。

せめて遠くから写真を撮ろうと車から降りると、水牛を連れた男性がやってきた。はたして、どこまで、何をしにいくのだろうか。
向こうからバスが砂ぼこりをあげて近づいてくる。

マルファの村

ネパールの人は、カメラを構えても嫌がることもなく、かといってポーズをとるでもないのが興味深い。
(子どもたちは除く)
2021年はうし年なので、この写真が年賀状に使えるなと思ったのだが、この年末年始はあまりに忙しく、とうとう年賀状を出さずじまいになってしまった。
まもなく立春だが、寒中見舞いにも間に合いそうにない。暑中見舞いを目指そう。

水牛と男性

ムスタン街道はガンダキ川に沿って走る。
ところどころで、こんな低木が植わっているのが目に入った。
同行のネパール人M氏に聞くと、これが日本人近藤さんによって普及したリンゴなのだそう。
前にも書いたが、このリンゴのおかげで、ムスタンの人びとの生活はかなり向上したのである。

リンゴ畑

道の前方にダウラギリの美しい山並みが見え隠れてしてきたところで、またちょっと休憩。
牛が道のまんなかをのんびりと歩き、大きな荷物を背負った男性が歩を進める。
たまに通るトラックやバスがなければ、100年前とあまり変わっていないのではないか。
美しい風景を見ながら、「やっぱり帰りは陸路でよかった」と思う私たちであった。

ダウラギリを望む村

途中までは、舗装こそされていないものの、立派な道があった。
しかし、やがてその道も途切れてしまった。
崖の中腹には道らしき跡が見えるのだが、土砂崩れて通れなくなったのか、車は河原に入り込む。
いや、河原ではなく、川のなかにジャブジャブと入って行く始末。
驚いたことに、登校途中と見える子どもたちも、この河原を歩いている。

ガンダキ川を突破

しばらくすると河原を抜けて、再びまともな道に戻ったが、なぜか前方で車が渋滞している。
「はて、どうしたのか?」とM氏に尋ねると、どうやら前日の雨で、この道の先で土砂崩れがあったようである。
「重機で工事をしているから、通れるようになるまで待つしかないですね」と彼。

ふと道端に目をやると、地元の人らしき人たちが護岸工事をしている。
手作業で石を針金のようなもので包んで積み上げているのは、日本でもよく見かける蛇籠というやつのようだ。
いかにも一族総出という感じで、そこそこ若い女性も働いている。その子どもであろうか、幼い子が厚手の服にくるまれて置かれている。
大変そうではあるけれど、あまり悲壮な雰囲気ではない。たぶんこれが貴重な現金収入になるのだろう。

護岸工事

車の列は200mほど続いていただろうか。退屈だったので先頭まで見にいくと……。
なるほど、こりゃ大変である。どれだけ時間がかかるのか先が思いやられる。

土砂崩れの現場

1時間がたち、そろそろ心配になってきたころに、車が動き出した。
「これで一安心」
このときはそう思ったのだが、本当の試練はここからであった。

2020-12-22

ムクティナートで高山病の洗礼

昼のビールを飲んでいい気分になり、ホテルに戻ったところで、それまでの疲れがどっと出た。
そこで昼寝をしたのがいけなかった。
「高山病を防ぐために昼寝はダメ」とガイドブックにも書かれていたのが、睡魔には勝てなかった。

その後は、1時間ごとにひどい頭痛で目が覚めては深呼吸。
たっぷり酸素を吸うと、頭痛が和らぐので、また寝る。すると、また1時間後……という情けない繰り返しを続けたのである。
それでも、なんとか晩飯を軽く食べて、M氏やホテルのオーナーといろいろと話ができたのだから、それほど重症ではなかったのだろう。

朝のヒマラヤ

なぜ昼寝をするといけないのかというと、呼吸が浅くなるからである。
だったら、夜に寝るのも同じことで、結局、翌朝まで何度も目を覚ましては深呼吸をして、また寝るという繰り返しだった。

ムクティナートにて

たぶん朝は氷点下まで気温が下がったのだろう。頭痛に加えて寒さでも目が覚めた。暖房がほとんど効いていないのだ。
新しいホテルでこうなんだから、ほかの宿はどんなものなのだろうか。

それでも、夜明けのヒマラヤの神々しい情景が目に入ると、頭はすっきり。
寒さに耐えてホテルの屋上に上がって撮ったのが一番上の写真である。

ヒマラヤの段々畑

そして、短い滞在だったが、午前中にムクティナート出発である。
名残惜しいような、早く高山病の頭痛から解放されたいような複雑な思いであった。

この日は、ポカラまで四輪駆動をチャーターして山下りである。
ポカラ~ジョムソンの飛行機は、行きの便はとれたのだが、帰りは満員で確保できなかったのである。

ヤク?ヒツジ?

カトマンドゥの旅行社の社長がぎりぎりまで粘ってくれたのだが、結局席は空かなかった。
「帰りは8時間くらいかかるけれども大丈夫?」
カトマンドゥの出発前にM氏が言ったが、私はむしろ望むところであった。

──せっかく秘境に足を踏み入れるというのに、行きも帰りも30分くらいの飛行機では物足りないではないか。

これがあまりに甘い考えだったことは、このあと数時間でしみじみと味わうことになる。

巡礼のバスとすれ違うd

M氏がこの日チャーターした四輪駆動の運転手は30代なかばといったところだろうか。
寡黙だが運転技術は確実なようである。
「ネットで、一番信用できそうな人を選んだからね」
M氏は自慢げに言った。
M氏が助手席に陣取り、私と妻が後部座席に座った。

ロバに乗る人

まずは、行きにすでに通ったジョムソン空港までの道である。
バスで聖地ムクティナートに向かうバスと何台もすれ違った。
そして、上の写真のようなロバだか馬ともすれ違った。
道路はもちろん舗装されていないので、四六時中ガタガタと上下左右に揺れてロデオ状態である。

──ジョムソンを過ぎれば、道はよくなるだろう。

誤った期待ででこぼこ道を我慢していた私だった。

ジョムソン空港

1時間もかからずにジョムソン着。
ここで、前日に泊まった宿のロビー(というよりテーブルと椅子を置いた空間)で休憩。
空港の滑走路を見ると、この日は風向きが違っていたのか、上の写真のように、前々日とは逆向きに離陸していく様子が見えた。
これはちょっと恐い。
通常の離陸コースだと目の前がだいぶ開けているのだが、このコースでは目の前に山が幾重にもそびえている。
だから、離陸直後にこのように右に急旋回をして、山の間を縫っていかなくてはならないのだ。

──帰りはクルマにしてよかった。

勝手にそう思うことにした私であった。

2020-12-01

ムクティナートの村をぶらぶら

聖地ムクティナートからムクティナートの村までは、1kmぐらいの道のりだろうか。
寺院では雪がぱらついていたが、高度が下がった村のほうは、それほど寒くは感じない。
とはいえ、ポカラで防寒具を買ってこなかったら、10分も我慢できなかっただろう。

真新しいホテル

ムクティナートの村は、あちこちでホテルの建築中だった。
私たちが泊まったのは、上の写真の立派なホテル。
経営しているのは、同行のネパール人M氏の奥さんの親戚だと初めて知った。
まだ20代後半からせいぜい30代前半と見える地元出身の男性だが、カトマンドゥの大学に進学したインテリで、私よりずっと英語がうまい。
生まれ故郷に戻って旅行者向けのホテルや貸し自転車の経営をしているという。

ムクティナート随一の大通り

M氏によれば、彼のおじいさんが日本人なのだそうだが、詳細を聞き損なった。
ジョムソンにもない立派なホテルで、宿泊者がのんびりできるラウンジもあって気が利いている。
「日本製のボイラーはいくらぐらいしますか?」と彼はいう。
聞くと、何日もトレッキングを続けてきた旅行者に、温かい湯を提供できたら、もっと評判になるだろうとのこと。
ちょうど1年前に、わが家のマンション部屋用ボイラーを30万で交換したことを教えたが、ホテルとなるとそんな価格ではすまないだろう。
輸送費も大変に違いないし。

太陽光で料理?

そんなことを話して、日が出ているうちに村をぶらぶら。
これは、凹レンズの原理で熱を集めて料理をする道具らしい。

ホテル ボブ・マーレー

村のあちこちでホテルの建設が行われていて、あと10年くらいしたらずいぶん変わってしまっていることだろう。
逆に、10年前はもっと素朴な村だったかもしれない。

上の写真は、ホテル ボブ・マーリー。
ムスタンとレゲエはあまり関係ないような気もするが、寺院の参道にいた修行者(らしき人)のスタイルはまさにレゲエだったことを思い出す。

村の入口

この門が村の入口。ここから村のなかは特別の許可がないと車が入れないが、前に書いたとおり、ホテルのオーナーの威光で私たちは車のまま(といっても、彼の自家用車に乗り換えたのだが)入ることができた。
とうやら、私たちが着く前に村長に連絡して許可とったらしい。

村の入口あたり

村の外を眺める。ここに駐車場があって、観光客を乗せてきた車はここに停めておくわけだ。

小さな村を端から端まで一往復したところで、村のレストランに入ることにした。

ダルバート

カトマンドゥにあるM氏のレストランで初日に食べたのは、この地に住むタカリ族の料理。
ダルバートには違いないのだが、前の記事に書いたように、米の代わりにそばがきが注文できた。
ところが、ここではちゃんと米が出てきた。田んぼはなさそうなので、車か飛行機で運んでくるのだろう。

そして、妻と私は、一息ついてビールを飲んだ。
うまかった……が、このビールによって翌朝まで高山病の症状で苦しむことになるとは、不覚千万であった。

2020-10-11

聖地ムクティナート寺院に潜入(下)

少しブランクが空いてしまったけれど、2019年春の大型連休で訪れたネパールの話。
ムクティナート寺院はヒンドゥー教の聖地であるとともに、チベット仏教の聖地でもあるらしい。
広々とした敷地では、仏塔やマニ車を見ることができた。
ヒンドゥー教と仏教は親戚のようなものだから、まったく問題ないのだろう。

チベット仏教のパゴダ

これは、ヒマラヤの山々をバックにした小さな仏塔2つ。
この写真をだけを見ると、いかにも秘境にやってきたという雰囲気だが、周囲にはインド人の巡礼のおじさんやおばさんの団体がいる。

青い炎が出る聖地

奥の建物は、火が途切れることなく出ているという聖なる場所。
狭苦しい建物のなかで、地面に掘られた穴を覗いてみると、青い火がちょぼちょぼと出ていた。
おそらく天然ガスが吹き出しているのだろう。ちょっぴりガス臭かった。
ペルシャには拝火教(ゾロアスター教)という宗教があるが、火を神聖視するのは特定の宗教に限ったことではないのだろう。
大昔の人にとっては、このうえなく不思議な現象だったに違いない。

マニ車

さらに奥に進むと、マニ車をはめこんだ壁が続いていた。これを1回まわすごとに、ありがたいお経を唱えたことになるという。
ネパールにいる間に、あちこちでずいぶんまわしたっけ。
ちなみに、右手でまわさなくてはいけない。

参拝を終えたインド人グループ

そして、1時間半ほど滞在して境内をあとにする。この人たちも、インドから避暑を兼ねて巡礼にやってきたグループらしい。
さすがに風景にぴったりとマッチしてサマになっている。
奥に見える赤い門が、境内の入口だ。

ムクティナートの町へ戻る

そして、急な坂を下ってムクティナートの村へ戻る。
小さな写真ではなかなかイメージがつかめないかもしれないが、周囲には雪をかぶった山々が見えて、実に雄大な風景であった。

沿道の売店

村へ戻る途中にあった売店。
屋根にパラボラアンテナがあるところが現代的だ。
もちろん、ここでも携帯電話の電波がしっかりと入る。
4000m近い高地に2時間ほど滞在して、自分の足で歩きまわったが、息切れすることもなかった。
「高山病の心配はなかったね」
そんな会話を妻としたけれども、本当に苦しむことになるのは、これから2、3時間ほど過ぎてからのことであった。

2020-09-08

聖地ムクティナート寺院に潜入(上)

ムクティナートのホテルに荷物を置き、まずは聖地ムクティナート寺院に向かう。
山道とまではいかないが延々と続く坂道を、徒歩か馬に乗って登るしかない。
馬を勧められたのだが、やはり自分の足で登ってみたいので丁重に断った。

参道にいた修行者?

このボブ・マーレーみたいな人物は、寺院に向かう道端にいた修行者(かな?)。
翌日朝にも、町からゴザ持参で登っていく姿が見えたから、たぶん毎日このあたりで観光客のお布施を期待しているのだろう。
日本円にしたら30円くらいのお布施をして、「写真を撮っていいか」と尋ねると、こんなポーズをとってくれた。
さらには、立ち上がってにこやかな表情でカメラに収まってくれた。

ムクティナート寺院の入口
村外れから30分ほど歩くと、いよいよ寺院の門が見えてくる。
馬に乗ってきた人たちもここで降りなくてはならない。
薄い空気のなかで、この最後の階段はかなりきつい。

ムクティナート寺院の入口

澄んで乾いた空に、紅色の門が映える。
ムクティナートの町が標高3800mほどで、そこから200mくらい登っていると思うので、このあたりの標高は4000mくらいだろう。
もちろん、富士山よりも高い場所である。

ムクティナート寺院の境内

ムクティナートとは、ヒンディー語(ネパール語もそうかな)で「成功」を意味するそうな。
みんな、成功を願ってやってくるとのこと。
現世利益を追求するその態度はすがすがしい。

私と妻はもちろん異教徒なのだが、境内に入ることは差し支えない。
ただし、上の写真の本堂内だけはヒンドゥー教徒だけが入れることになっている。
そこでは人びとが頭に鍋のようなかぶらせれると、その上に僧侶が煙をかけて、なにやら祈ってくれているようだった。

なかには、この写真のように水で身を清める人もいた。
ときおり細かい小雪がちらつく天気である。
心臓麻痺でも起こさないか心配になってきた。AEDを常備しておくことを勧めておきたいものである。

ムクティナート寺院の境内

小さな小屋のような建物があって、M氏が参道で買ってきた線香のようなものを置いて、お祈りをする。
まあ、煙をもくもく焚いてなにやら願ったり祈ったりするのは、小さいころから浅草の観音様で慣れている。
「やっぱり、仏教とヒンドゥ教は親戚なんだなあ」というのが私の素朴な感想である。

ムクティナート寺院の境内

お寺の境内の壁には、こんなものがかけてある。日本の神社の絵馬のようにも見える。
いろいろと興味津々で見ていたら、M氏が私たちを手招きする。
さっきのヒンドゥー教徒しか入れない建物に入ってもいいというのだ。
「ちょうど今、空いているからお祈りをしてくれるって」

この融通の効き方は、さすがである。
私たちも金属の帽子のようなものを頭にかぶらせられて、なにやら祈ってもらった。
これで、この旅も今後の人生も恐いもの知らずである。

ムクティナート寺院の境内

寺院の背後には、山からの湧き水が出ている場所があり、これは健康にいい聖なる水とされているらしい。
みんなは、牛の首をかたどった金色の蛇口(蛇じゃないから牛口か)から出てくる水を、その場で飲むだけでなく、ペットボトルに入れて持ち帰っていた。

ヘリポート

これは寺院のそばから下界を見下ろした風景。ムクティナートの村は、画面の左手遠くに見えている。
手前の丸い場所はヘリポート!
「インド人の大金持ちがヘリコプターでやってくるんですよ」とM氏は教えてくれた。

2020-08-23

ムクティナートへの道

2019年ネパールの旅。5月3日は、ムスタンの玄関口ジョムソンから四駆をチャーターして20km、富士山頂とほぼ同じ標高にあるヒンドゥー教の聖地ムクティナートへ向かった。
カトマンドゥで知り合ったネパール人M氏とともに、ハードながらお気楽な旅となる。

ジョムソン空港

朝の目覚めはホテル裏の空港に着陸する飛行機の爆音ととともに。
部屋の窓から、こんな光景が見られた。
以前にも書いたが、午後は風が強くなるので、空港が使えるのは午前中のみ。
しかも、乗客は1便あたり20人程度の小型機だから、30分おきぐらいに着陸する。

宿の朝食

これが宿の朝食。質素ながらもなかなかよい味付け。
和洋折衷ならぬ、ネパ洋折衷という感じで、右下にあるのは玉子焼き。
ダルバートに飽きた舌には新鮮に感じられた。

道なき道をゆく

ジョムソンの町外れからしばらくは道がなく、カリガンダキ川の河原を上流に向かって進んでいく。
河原では路線バスやムクティナートから戻ってきたらしい観光バスとすれ違う。
6月からの雨季になって川の流量が増しても構わず、水のなかを疾走していくそうだ。

吊り橋

ようやく道に出て、車の揺れも少なくなる。
たまに地元の人とすれ違うのだが、みんなどこからどこに行くのだか。
ちなみに、この吊り橋の対岸には宿があるらしい。

カリガンダキ川

カリガンダキ川の川筋が綾を織りなす先に、まるで砂漠のオアシスのようなカグベニの村が見えてきた。

休憩中

ここがジョムソンとムクティナートのほぼ中間地点。
展望のいい場所でひと休み。
ここは、きれいに道が整備されている。
カグベニ村の上でムスタン街道と分かれ、右折してムクティナートへ向かう。

(動画の大きな音は風が吹き抜ける音)
ムスタン街道と分かれると、道はつづら折りで一気に高度を稼ぎ、車窓には絶景が広がる。
すでに標高は3000mを越えているはずだが、そんな場所でもやはり道の整備のために懸命に働いている人が見える。

ちなみに、右折せずにムスタン街道を北上して秘境のアッパー・ムスタン(上ムスタン)に入るには、さらに別のバーミッション(入境許可証)が必要だ。ムスタンの先にはチベットがあり、中国と接しているために、そのあたりの管理は厳格にされているらしい。
「でも、夜中にこっそり行く人もいるらしいですよ」とはM氏情報。もっとも見つかると厄介なので、親戚や知り合いがチェックポイントに詰めているときに、袖の下を渡して観光客を連れて行く不届き者もあるそうな。

丘上の村

ムクティナートへの沿道には、ぽつりぽつりと村が見える。
この風景は、まるでイタリアのアブルッツォ州あたりで見た山岳都市にそっくり。
もちろん、標高はまったく違うのだが、人は似たようなところに集落をつくるのだなと納得。

ムクティナート到着

砂ぼこりをあげながら、何人かのトレッキング客を追い抜くことに申し訳なさを感じつつ、1時間半ほどでムクティナート着。
一般の人は村の入口で車を乗り、村内は徒歩か馬でないと行き来できないのだが、なぜか我々は別の車に乗り換えてホテルに一直線。
そんな身勝手なことができた理由は、あとでわかる。

「空気が薄いとも感じないし、全然問題ないね」なんてこの時点では思っていた。

2020-08-05

夕刻のジョムソンぶらぶら散歩

ジョムソンで1泊したのがこの宿である。空港の出口から徒歩約2分といったところ。
Googleマップには、Hotel Mustang Monalisa──つまりホテル ムスタン・モナリザと記されているが、この看板ではHotel Mustang Monalishaとある。

ジョムソンの宿

あのモナリザにちなんで名付けたのか、それともモナリシャなのか。もしかすると、モナリザをネパール語の綴りにして、それを再び英語に直すこうなってしまうのかとも思ったが、聞きそびれてしまった。

ジョムソンの宿

宿の主人は、我々の同行のM氏と顔見知りらしく、愛想もいい。
実は、この日は5月2日で、前日が令和元年の最初の日であった。
こんな鄙でも、テレビがあるからそれは知られているらしく、ホテルの従業員に英語で「おめでとう」といわれてしまった。

ジョムソンの昼飯

この写真は昼食である。相変わらずダルバート!
味はけっして悪くないのだが、ネパールのどこに行ってもこれだとさすがに飽きてくる。

ジョムソンの酒屋

晩飯の前に、また散歩に出た。空港の周辺に宿は10軒以上もあるが、どこもせいぜい2、3階建てで一般の民家と区別がつきにくい。
ムスタンの玄関口といっても、商店もたいして多いわけではない。
まず入ったのがこの酒屋。右が主人である。左の人はシベリア鉄道の沿線で会ったような中央アジア風の顔をしている。
実は、ネパールは多民族国家なのだ。

リンゴのリキュール

これは店で売られていたリンゴのリキュール。こんな寒々しい耕地でリンゴが? と思われるかもしれないが、これにはわけがある。
貧しかったムスタンで、換金できる作物としてリンゴの栽培を試みたのが、日本人の近藤さんという人だったそうだ。
翌日、翌々日とムスタン街道を四輪駆動車に乗って走ったのだが、沿道にはあちこちにリンゴ畑を見ることできた。
近藤さんの尽力が実って、今ではリンゴがムスタンの特産になっているという。
ムスタンでは、「コンドー」といえば知らない人がないくらい。近藤さんのおかげで、日本人はたいそう尊敬されいるとのことであった。

できたばかりの喫茶店

しゃれた感じのこの建物は喫茶店だった。
中に入ってコーヒーを飲む。
下の写真に写っている20代なかばくらいの若いマスターによれば、1週間前に開店したばかりらしい。

ライブもできる喫茶店

中央ではライブができるようになっていて、左右には升席のようなものが見える。
ここでコーヒーやビールでも飲みながら、地元の民俗音楽のライブでも聞いてみたいと思ったのだが、まだできかばかりでライブの予定は入っていないのだとか。
この写真の左側には、日本の喫茶店のようなテーブル席があって、実に品がいい。
天井から吊るした照明も、ヒマラヤのふもとの海抜3000mの地とは思えないほどしゃれている。
これならば、観光でやってくる欧米人や日本人にも評判になると思った。
青年とこの店の前途に幸多かれと祈って、宿に戻った私たちだった。