カテゴリー「インドネシアの旅」の19件の記事

2017-09-04

ジャワ島横断 鉄道の旅4 ジョグジャカルタ~ジャカルタ

ながながと書いてきた5月のインドネシア旅行の最終回。
ようやくカタコトの会話ができるようになり、駅のやコンビニの券売機での列車の予約に慣れてきたところなので、これで旅が終わるのは少し残念ではある。

5月9日の最終日は、ジャワ島横断最後の区間ジョグジャカルタ~ジャカルタを7時間かけて移動した。
飛行機なら1時間程度の距離である。
ジャカルタからさらに西へも鉄路は続いているが、今回はここまで。

ジョグジャカルタ駅

ジョグジャカルタで乗車したのは、ソロ・バラパン駅発ジャカルタ・ガンビル駅行きの特急「アルゴ・ラウー」号である。8時56分発。
「アルゴ」はインドネシア語で「山」の意味だとのことで、これが名前に付いている列車は、グレードが高いらしい。
確かにこれまでの車両よりも、やや高級感があった。

アルゴ・ラウー号

例によって車内販売がやってくるが、最初に来たは男性3人組であった。
やっぱり女性もいないと花がないなあと思っていたら2回目は男女のペアであった。
写真は撮ったのだが、あまりよく写っていないので省略。

アルゴ・ラウー号の車内

ところで、日本に帰る飛行機はジャカルタ空港を21時55分に出発するJAL便。
それに対して、アルゴ・ラウーのジャカルタ到着予定時刻は16時半ごろ。

途中で大幅に遅れると困ったことになるのだが、インドネシアの鉄道は意外に時刻通りに走っているという評判を聞いていたし、ジャカルタで1泊するよりもジョグジャカルタの宿泊を1泊増やしたいと考えて、ちょっと冒険をしてみたわけである。

中部ジャワの車窓

この列車を逃すわけにはいかないので、早めにスラバヤ駅の券売機で予約しておいたのだが、券売機で行き先を入力するときに困った。
「ジャカルタ」と入力しても、長距離列車が到着するガンビル駅が表示されないのである。

中心部にあるジャカルタ・コタという駅が表示されるのだが、ここに着く長距離列車は日に1本のみ。
おかしいなあとホテルに戻ってから出直して、ふと気づいた。
「ガンビル」と入力しないと出てこないのだ。

中部ジャワの車窓

イタリアにたとえてみると、ローマの中心駅に行こうとしたときに、「ローマ」と入力してもダメで、「テルミニ」と入力しないといけないようなものだ。
何から何まで旅行者を悩ませるインドネシアのシステムである。

もっとも、そうした苦難を一つひとつ乗り越えて自力で予約した喜びはひとしおである。
誰かに自慢したいので、こうしてブログに書いているわけだ。

中部ジャワの車窓

さて、中部ジャワの車窓の大半は豊かな田んぼ。
傾斜地にも棚田が広がっていた。

興味深いのは、田植えをしている田んぼもあれば、そのそばで稲刈りをしている田んぼもあること。
日本人としてはビックリする光景だが、インドネシアは三期作をしているから、こんなのは当たり前なのだろう。
ちなみに、下の写真はエビかなにかの養殖場のようだ。

中部ジャワの車窓

そして、いよいよジャカルタの市内へ。
郊外に関しては、線路脇はあまり居住環境がよろしくないらしく、いわゆるスラムっぽい雰囲気である。

ジャカルタ市内の駅

そして、市内の通勤路線では、日本の車両が活躍していることで有名だ。
上の写真は、かつて東京メトロ東西線で活躍した5000形で、その後、東葉高速鉄道を経てインドネシアにやってきた。

ホームに端でカメラを構えている少年たちは、私たちが乗ってきた列車を撮影しているらしい鉄道小僧である。
何十年も前、上野駅のホームで写真を撮っていた自分を思い出した。

彼らに幸多かれと祈りたい。

ジャカルタ市内の日本製車両

そして、ほぼ定刻に(たったの5分遅れ)ジャカルタ・ガンビル駅に到着。
長距離列車の終着駅だから、昔の上野駅の地平ホームのような古風な駅を想像していたら、なんと日本の大手私鉄の駅のような高架の駅。
どうやら、ジャカルタの郊外電車と共用しているからのようだ。

ジャカルタ・ガンビル駅

駅前に待ち構えているタクシー運転手の集団をすり抜けて、空港バスに乗車した。
1人400円ほどだった。
夕方のジャカルタ市内は交通渋滞が有名なのだが、駅が都心から外れているためか、すいすいと高速道路までたどり着いて、予想以上に早く空港に着くことができた。

2017-09-02

世界遺産ボロブドゥールへの道

今回の旅のメインイベントはジャワ島横断鉄道の旅だが、せっかくだからボロブドールくらいは見ておきたいと思っていた。

ラジャアンパットの知人にはタクシーで行くといいといわれたし、その帰りのフェリーで会った南米人(国は忘れた)にはバイクを借りていくのがいいといわれたが、公共交通機関好きな私はバスを乗り継いでいくことに最初から決めていた。
もちろん、そのことは妻もあきらめている。

市内バスの車内

まず、ジョグジャカルタの市内バス「トランス・ジョグジャ」2B系統で町の北側にあるジョンボル・バスターミナルへ。
車内は上の写真のような感じで、乗り心地も悪くない。
運賃は乗ってから車掌さんに払うシステムである。

ジョンボルバスターミナルでのボロブドゥール行きおんばろバス

そして、ジョンボル・バスターミナルに着くと、「ボロブドールはこっちのバスだよ」という案内だか呼び込みだかのお兄さんの指示に従って、このバスに乗車。

ボロブドゥールという名前にふさわしいボロなバスである。
まさに、歌に出てきそうな田舎のオンボロバスだった。

ボロブドゥールへの道

妻が一番前の席に陣取るものだから、私もそこから写真を撮ることにした。
それにしても、運転手はスピードを出すし、どの車もしょっちゅう車線変更をするしで、スリル満点。

もちろん乗り心地が悪いので、ボロブドールのバスターミナルまでの約1時間の乗車で、精神的にも肉体的にもかなり消耗してしまった。

ボロブドゥールへの道

ボロブドールのバスターミナルいや、バス溜まりは、下の写真のような感じで実に好ましい。
この写真は帰りに乗ったバスで、行きのバスよりもほんの少しマシだった。
料金は片道で一人250円くらい。

ここから遺跡までは徒歩で約20分。暑いからペチャ(人力車)に乗るのがおすすめなのだが、結局往復とも歩いてしまった。途中で人びと生活に触れるのもまた旅の楽しみである。
もちろん、ツアーの観光客を乗せたバスは、遺跡の近くにある駐車場に着くようになっている。

ボロブドゥールのバス乗り場

さて、ボロブドール遺跡は、私がなんだかんだと説明する必要もないほど有名な世界遺産の仏教遺跡である。
イスラム教徒のインドネシア人は興味がないかというと、そんなことはまったくなくて、みんな喜んであちこちで記念写真を撮っていた。

ボロブドゥール遺跡

入り口の側は人でそこそこ混んでいるのだが、裏側にまわると上の写真のように、あまり人がいない。
まあ、遺跡自体が大きいこともあるし、ひどく暑いので歩きまわる気にならないのかも。
帽子は必須だが、帽子を忘れた私の妻のような人のために、場内ではレンタル日傘の商売が賑わっていた。

ボロブドゥール遺跡

このときは、タイかミャンマーだろうか、オレンジ色の法衣に身を包んだお坊さんが何人か来ていて、いっしんにお祈りをしていたのであった。

小一時間遺跡をまわり、小さな記念館のようなものを見て場外に出ると、あとは土産物売りの大攻勢がある。
だが、「ノー!」というと、インドネシアの物売りは、意外にあっさりとあきらめる。このあたりが、かつて行ったインドのしつこい物売りと大きく違う点である。

ボロブドゥール遺跡

「インドネシアは、いま経済が成長しているから、あせって売る必要がないのかもね」とは妻の分析である。
でも、こちらが「ノー」というと、ちょっとがっかりした表情を見せて、すごすごと引き下がるのは、なんともやるせない。
なんか悪いことをしたような気がしてくるのだが、買いたいようなものがないのだからしかたがない。

ボロブドゥール遺跡で暮らすネコ

出口からは、延々と土産物ストリートのなかを歩かされる。江戸時代の浅草の仲見世はこんな感じだったのだろうか。
いいかげん疲れたので、無理やり店の裏側に出てみると、ネコが無防備な格好で昼寝をしていた。

帰りのバスの車窓から

そして、最後の写真は、帰りのバスから見た風景。
前を走る三菱製のトラックの荷台で、おじさんが無心にトウモロコシの皮をむいていた。
カメラを構えたとたん、こちらをじっと見る。
なんで気がついたんだろう。

2017-08-31

ジョグジャカルタ 古い顔と新しい顔、昼の顔と夜の顔

ジョグジャカルタは、日本でいえば京都のような古都である。
しかも、周辺にはボロブドゥールをはじめとする遺跡が数々あって、昔から観光客も多い。
だからだろうが、よい意味で観光客慣れしている感じがする。

また、町の規模はソロよりも大きいのだが、市内の交通はそんなに激しくない。
とくに、市内をめぐるバスは頻繁に運転されており、これが交通渋滞の緩和に役立っているのではないかと想像する。路線図はネットでも見ることができて、観光客にも便利だ。

そんなわけで、市内散歩やボロブドールに向かうバスターミナルの行き帰りにも、有効に市内バスを使うことができた。

トゥグ塔付近の市場にて

最初の3枚の写真は、ジョグジャカルタ駅の北東側にあるトゥグ塔付近の市場の様子。
トゥグ塔というのは、交差点の中央に立つモニュメントなのだが、とくに大きいわけではなく、外国人にはいま一つピンとこない。

でも、インドネシア人にとっては王宮や重要な寺院を結ぶ直線の中央に位置しているとかで、ジャワの中心のような存在なのだとか。
無理やりたとえれば、日本橋の道路元標のようなイメージか。全然違うけれど。

トゥグ塔付近の市場にて

で、その交差点のまわりには、さまざまな店舗や屋台があって活気に満ちていた。それでいて、乱雑すぎることもなく、ほどほど清潔なようで、暑くさえなければ散歩にうってつけである。

果物屋の前でカメラを遠慮がちに構えていたら、店の関係者らしきお姉さんがポーズをとってくれたのが、2枚目の写真である。
下の写真は、いかにも仏壇に供えるような花だけを売っている店である。

トゥグ塔付近の市場にて

さて、ジョグジャカルタの中心部は、駅の南東にあるマリオボロ通りだ。
たぶん、近年になって整備されたのだろう、歩道は広く電線も地中化されている。
大型ショッピングモールもあって、地元の家族連れやおしゃれな若い人も行き交っている。
20年くらいに前に来た人が見れば、びっくりするんじゃないだろうかと、勝手に想像した。

マリオボロ通り

そんなマリオボロ通りを、南に向かって15分ほど歩いていくと王宮に突き当たるが、そのあたりはまだ道路工事中で、昔ながらの店も目に入る。
この写真は果物屋。ドリアンがこれでもかとぶら下げてある。

ドリアンを売る店

また、道沿いの公園らしき場所には、こんな小型ディーゼル機関車が保存してあった。
おそらく、島内の製糖工場で使われていた車両だろう。
きれいに塗装されて、周囲もきちんと整備されているのが印象的だった。

保存ディーゼル機関車

そして、夜もマリオボロ通りに繰り出す我々。
写真の左側に見える建物がショッピングモールで、日本へのお土産はここで買うことができた。

夜のマリオボロ通り

そして、ビールを求めてネットを見ながらたどり着いたのが、この脇道。
安宿が並んでいる通りで、外国人旅行者の姿もちらほらと見かけた。
それにしても、イスラム教徒が多数を占めるインドネシアでは、ホテル以外でビールを飲むのにホントに難儀する。

ビールが飲める店!

夕方になると、あちこちから、道端の露店でサテ(焼き鳥)を焼くいい香りがしてきて、思わず座りたくなるのだが、なんと客は紅茶(たぶん)で焼き鳥を食べているのである。
暑い日の夕方、仕事帰りに焼き鳥といったらビールが欠かせないと個人的には思うのだが、ここではそうではない。しかも、お茶は甘いのである。たぶん。

2017-08-29

ジャワ島横断 鉄道の旅3 ソロ~ジョグジャカルタ

間があいてしまったけれど、今年5月のインドネシア旅行の続きである。
ソロ・バラパン駅を14時半に出発して、次の目的地のジョグジャカルタに向かった。
2つの町の間は直線距離で60キロほどで、列車で所要約1時間。日中は1時間おきくらいに近郊列車(普通列車)が運行されている。

近郊列車は、日本製のディーゼルカーが使われていると聞いていた。
いわれてみると、正面のデザインは、いかにも日本製っぽいおとなしさが感じられる。

ソロ・バラパン駅とジョグジャカルタを結ぶ近郊列車

この近郊列車は予約なしで乗れて料金も安い……というのは、前夜切符を予約しようとしたときにコンビニのお兄さんが教えてくれた。

その店では、セルフサービスのチケット端末がなかったので店員に尋ねたところ、「店のレジでできますよ」という。
そこで、ジョグジャカルタまでの指定席をお願いしたときに、彼が親切に教えてくれたわけだ。
「普通列車でいくとずっと安いけれど、指定席でいいですか?」

ソロ・バラパン駅とジョグジャカルタを結ぶ近郊列車
.
よく聞くと、安く行けるのはいいが、切符は当日出札窓口で買わないといけないようだ。
そこで、スラバヤで見た長蛇の列を思い出した。

あんな様子では、下手をしたら1時間近くかかってしまう恐れもある。
できれば、時間ぎりぎりまでソロ市内を見物したかったので、ちょっともったいないけど、長距離列車の指定席でいくことにした。

ソロ・バラパン駅の屋外ホーム

最初の写真2枚は、ソロとジョグジャカルタを結ぶ近郊列車。この列車用のホームは嵩上げされている(トップの写真は、すでに画面右外にある近郊列車用のホームを発車したあと)。

そして、下の写真が私たちの乗った長距離列車である。先頭はアメリカンスタイルのディーゼル機関車だ。
この列車はジョグジャカルタが終点なので、わざわざソロから乗車したお大尽は、私たち以外には2、3人しかいなかった。

ジョグジャカルタ行きの長距離列車

さて、ここでも車窓風景を撮ろうと思ったら、窓が汚い!
撮影意欲がぐっと減退したなか、かろうじて数枚撮ったうちの2枚を紹介しよう。

下の写真は、ソロとジョグジャカルタのほぼ中間にあるプランバナン寺院群。時間があればバスで訪ねてみたかったが断念したところである。
かろうじて薄汚れた車窓の向こうにちらりと見えた。

ソロ~ジョグジャカルタの車窓

次は、ジョグジャカルタの到着直前。活気のありそうな町だという予感がした。

ジョグジャカルタ市内の車窓

ジョグジャカルタ駅には15時35分に到着。
列車を降りて写真を撮っていたら、出口にいく途中のホームに別の列車が到着して、行く手をふさがれてしまった。

インドネシアの地上駅の多くには跨線橋というものがないので、途中に別の列車が停まっているとその車内を横断して出口までいかなくてはならない。

ジョグジャカルタ駅の屋外ホームに到着

「何行きに乗るの? スラバヤ?」

うろうろしていると、駅の作業員らしきおじさんに聞かれた。
「ノー、ノー、出口!」と答えると、行く手をふさいで停まっている2本の列車のドアを次々に開けてくれた。
そこを、まるでサメの背中を渡っていく因幡の白兎のごとく、次から次へ列車とホームを横断していく私たち。

駅の出口の看板で見た「Keluar」(カルアル)というインドネシア語の単語を覚えていてよかった。
やはり、旅は好奇心をもってきょろきょろすることが大切だと自画自賛した。

2017-08-07

廃線跡かと思っていたレールの上を……

朝の歩行者天国をぶらぶら散歩して、そろそろホテルに戻ろうとしたときのことである。
背後からかなり大きな警笛が聞こえてきた。
トラックやバスのクラクションにしては少し大きいし、なにより歩行者天国なのでそんな車が来るわけがない。

 

振り返ってみると、なんと道端を大きな列車がのろのろと進んでくるではないか。
これで前日からの疑問が氷解した。
廃線跡のレールだと思っていたのは、現役の鉄道線路だったのだ。

 

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

 

架線がないからディーゼルカーだということはわかるが、意外に新しい外観である。
なにより感動したのは、こんな大通りを路面電車ではない立派な鉄道車両が3両編成で走っていることである。

 

地元のインドネシア人にも珍しいのか、トップの写真の右側に見えるように、スマホで列車をバックに自撮りしている女性もいた。
2枚目は去っていく列車を後追いで撮ったものである。
写真の左にちらりと見える銅像は、独立戦争の英雄であり、23歳で亡くなったソロ出身のスラメット・リヤディ……という人であることを後で知った。

 

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

 

前日にはこの列車を見かけなかったので、日曜だけの運転なのかなと思って、ホテルのフロントの女性に聞いてみると、毎日2往復だか3往復だか走っているという。
ということは、平日の車とバイクの洪水のなかでも、同じように走っているというわけだ。
これにはちょっとビックリ。

 

だが、驚きはこれでは終わらなかった。
興奮と感激のうちにホテルのチェックアウトを終え、ロビーで一息ついていたときである。
ホテルの外から、再び警笛とも汽笛ともつかない大きな音が聞こえてきた。

 

「あれ、こんなに早く次の列車が来るのだろうか……」
そう思いつつも、カメラを手に持ってホテルを勢いよく飛び出した。
あまりに真剣な表情だったのだろう、ドアボーイのお兄さんが微笑みながら見送ってくれる。

 

ジャラダラ列車のお通り!

 

すると、なんと目の前を蒸気機関車が通り抜けていくではないか。
9時を過ぎて歩行者天国はすでに終わっていたので、行き交う車とバイクをかきわけて車道を横切り、脱兎のごとく列車を追いかけた。
血相を変えて車道を斜めに走っていく東アジア人を見て、車を運転していたインドネシア人たちは、なにごとかと思ったに違いない。

 

列車は安全を確認しながらのろのろと走るのだが、それでも人間が走るよりは速い。
斜め後ろ45度から撮影するのが精一杯であった。

 

1Cタンク型の蒸気機関車

 

あとで調べたところによると、この路線はソロ・パラパン駅隣の本線上にあるプルウォサリ駅から分岐して市内の併用軌道を走り、ソロの中心部近くにあるソロ・コタ駅を経由して郊外のウォノギリまで伸びるもので、休日はたまに貸し切りで蒸気列車が走るらしい。

 

機関車は、先台車が1軸、動輪が3軸の1C型タンク機関車。ナンバープレートには、C1218と記されていた。戦前に日本式の表記を取り入れたのかもしれない。

 

蒸気列車の最後尾

 

それにしても、普段から線路の上では数多の屋台が店を開いているのだから、列車が通るたびに大騒ぎで移動しているのだろう。そんな様子も見たかったが、めったに走らない特別列車を撮影できただけでも幸運だと喜ぼう。

 

次の写真は、道の上にある標識に注目。

 

「列車に注意」の看板

 

「Hati-Hati Kereta Api」と書かれている。「Hati」(ハティ)とは「心」のこと。「Hati Hati」と2つ並ぶと「注意」という意味になるそうだ。
「Kerata Api」(クレタ・アピ)は、インドネシアの車内放送で何度も耳にした。
「Kereta」は「車、車両」、「Api」は「火」。つまり、中国語の「火車」みたいな表現だ。日本語の「汽車」に当たる。現在では、一般に列車の意味で使われているようだ。
この看板にもっと早く気がついていたら、この線路が現役のものだとわかっただろうに。

 

サトウキビ運搬に活躍したコッペル

 

ところで、インドネシア人にはずいぶん鉄道好きが多いようで、駅では列車の撮影をしている人を見かけたし、町なかにも車両が保存されているのをよく見た。
この写真は、前夜ソロの市内を散歩したときに見かけた小型の保存蒸気機関車である。
広々とした構内のこの会社は、インドネシアのプランテーションの会社らしく、この機関車はおそらく製糖工場のサトウキビ運搬に使われたのだろう。

 

ナンバープレートの代わりに「BALETOERI」という名前(?)があったので、それを頼りにネットで調べてみたところ、どうやらドイツのコッペル社製の車両のようだ。
日本でも、土木工事によく使われた蒸気機関車である。そう思ってみると、煙突の形がコッペルっぽい。

2017-08-04

日曜朝のソロ 歩行者天国と不思議な遊具

ソロの話をもう少し。
2日目、カスナナン王宮に行った日曜日の朝のことである。
ホテルで朝食をとり、8時ごろに外に出て驚いた。

前日は、洪水のように目の前を行き来していた車とバイクが1台も走っていないのである。
その代わりに、広い道にはたくさんの人が歩いていた。

ソロの歩行者天国

「歩行者天国だ!」

明け方から、町全体がざわざわしているのが、奥まったホテルの部屋からも感じられたから、みんな早起きをして繰り出してきたのだろう。

歩行者天国の怪しいキティちゃん

ホテルのすぐそばで見たのがこれ。
キティちゃんらしいが、4頭身でかなり違和感がある。

カメラを向けたときに、両手を頬に当てて首をかしげるポーズをするのが、なかなか研究しているなという感じである。

とくに目立ったのが親子連れである。
確かに、町なかでは子どもを遊ばせるところも少ないだろうから、格好の機会だろう。

即席メリーゴーラウンド

あちこちにこうした移動式遊園地ができていた。
これは、移動式メリーゴーラウンド。

いま一つ、子どもたちの表情が固いのは、こうした乗り物に慣れていないからかもしれない。
親の方が喜んでいて、盛んに写真を撮っていたのが微笑ましい。

即席観覧車

こちらは、なんと移動式観覧車。車の荷台に観覧車が積み込まれているのが斬新である。

たいした高さではないが、これで子どもは楽しいのだろうか。
むしろ、外からこの光景を見ている方がユーモラスで楽しい。

重機運転の練習?

そして、もう少し大きくなった子のために、こんな遊びがあった。
リモコンを扱って、重機で土を掘り返す遊びのようである。

少し歩いただけで3カ所ほどで見かけたので、経済発展中のインドネシアで流行しているのかもしれない。
インドネシア版、路上キッザニアか。

日曜の朝食

そして、もっと大きくなったお友だちは、こうして友人たちと屋外で朝ご飯。
カメラを向けたら、女の子がポーズをとってくれた。
気温もまだそれほど高くなく、のどかな日曜日の朝である。

2017-08-01

ソロの路地裏歩き(その2) 王宮近くのひそやかな一角

ソロには1泊2日の滞在だったが、午後2時過ぎの列車に間に合えばいいので、なるべく町を見て歩こうと考えた。

ソロには、カスナナン王宮とマンクヌガラン王宮という2つの王宮がある。1つの町に2つの王宮が存在しているところが、どこか南国っぽくておっとりしている。両方を見ていると町歩きの時間がなくなるので、2つのうち、やや古風に思われるカスナナン王宮を選ぶことにした。

カスナナン王宮への北側の入り口

最初の写真は大通りから王宮に向かう門をくぐったあたり。ホテルの真向かいにあるので、危険な大通りさえ無事に渡れれば、ここまではすぐである。沿道には大木が生い茂り、意外と涼しい。

だが、ここからが遠かった。遮るもののない炎天下の道を歩くこと10分近く、ようやく着いたのが王宮前の広場。塔屋のあるのが王宮の敷地内である。だが、王宮に入るには、さらにぐるりと左側を大回りして数分間歩かなくてはならなかった。

カスナナン王宮北側

王宮内には今も子孫の方々が住んでいて、意外と近代的な部分もある。広い中庭と中央にそびえる大木が印象的で、公開されているさまざまな収蔵物もなかなか見応えがあった。
とはいえ、王宮についてはさまざまな人が写真を撮っているだろうから、ここでは王宮付近の路地裏の様子を紹介しよう。

カスナナン王宮東側の路地

王宮前で客待ちをするペチャのおじさんたちからは、「乗らないか、乗らないか」と声をかけられるのだが、「ジャランジャラン(散歩)をしたい」といって拒み、王宮東側の静かな一帯に歩を進めた。
地味で小さな土産物屋が2軒並んだ先にあったのが、この像。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神である。王朝が栄えたころの宗教の名残だろうか。

カスナナン王宮東側の路地

さらに進むと、一軒の家からレインコートをすっぽりかぶったような格好の女性が出てきた。上の写真の左に小さく写っている人である。
ちょうどお昼の礼拝の時間。左奥にある緑色の屋根のモスクに向かう人だった。町の中心の大きなものとは対照的に、近所の人が集まる小さなモスクだった。

カスナナン王宮東側の路地

上の写真は、ほぼ同じ地点から、来た道を振り返ったところ。奥に見えるのが王宮内にある塔屋だ。右の青いものは軽食の屋台である。

日中はあまりに暑過ぎるので、人通りも少ないが、そんななかで見かけたのが下の写真の子。
カメラに向かってポーズをとってくれたわけではないが、こんな格好になってしまった。

カスナナン王宮東側の路地

さて、さらに狭い道を曲がると、そこにはひそやかな下町の路地裏が広がっていた。
我が実家の墨田区にある路地裏をちょっと思わせる。
そんななかにも、小さな小さな雑貨屋があったりして楽しい。夕方にもなれば、もう少し人の行き来もあるのだろうか。

カスナナン王宮東側の路地

そして、もとの道に戻る手前にあったのが、この大きなお屋敷。左にあるアルファベットを翻訳ソフトで調べたが、意味はわからなかった。固有名詞なのかな。

カスナナン王宮東側の路地

門の外からおっかなびっくり写真を撮っていると、2台のペチャが悠然と屋敷の中に入っていった。
誰かが出てくるのかなと思ったが、ペチャの車夫はそのまま玄関のあたりで座り込んで話をはじめた。お客さんが出てくるのを待っているのかもしれない。これまた南国らしい、のどかな光景だった。

2017-07-23

ソロの路地裏歩き(その1) バティック通りとナマズのから揚げ

車とバイクの洪水でカオス状態の大通りに疲れて、脇道に逃げ込むことにした。
ガイドブックに、「バティック工房が多くある一帯」と書かれている。
バティックとは、東南アジアから南アジア一帯で制作されている「ろうけつ(蝋纈)染め」のことで、陽光に映える素敵な模様のシャツやテーブルクロスが魅力的である。

狭い道をバイクがしばしばうなりをあげながら通りすぎていくが、まあ表通りよりははるかにましである。
この写真の右側に写っている人力車おお兄さんは、何か食材を運んでいるところだろうか。
そろそろ日も傾いて、夕食の用意もはじまるころである。

バティック通り

インドネシアでは女性も活発に動いている。
ヒジャブ(ヘジャブ)をかぶっている女性というと、中東のイスラム教徒(とくにサウジアラビアあたり)を思い浮かべて、もっぱら家で静かにしているというイメージがあるのだが、それは偏った見方であることを実感した。

ヒジャブをかぶってさっそうとバイクにまたがっている女性は、なかなかカッコいい。
放し飼いのニワトリがバイクにひかれないか心配だったが、お互いに慣れているんだろう。

バティック通りの放し飼いのニワトリ

しばらく歩いていると、馬車が2台停まっているのが見えてビックリ。
そう、このバティック通りは観光地なのだ!
建物の上に据えられた彫像にも注目。機織りをしている女性の姿か。
浅草・合羽橋交差点にあるニイミ食器のコックさんのハリボテを思い出した。大きさがだいぶ違うけど。

観光地とはいっても、土曜日というのに観光客の姿はなく、馬丁も暇そうである。
まあ、ここはあくまでも制作をする場所なのであって、小売りよりもインドネシア各地に出荷するのがメインなんだろう。

バティック通りの観光馬車

バティックのシャツを買って帰りたいのだが、あまりにも店がありすぎて選ぶだけでも大変そう。
店頭には200円程度のシャツもあったりして、これなら2、3回洗濯してダメになってももったいなくないなんて思うのたが、せっかくだからいいのを選びたい。

あまりにも選択肢が多いと、かえって困ってしまうという真理を地で行くことになってしまい、店には入らなかった。結局、最後に空港でいいシャツ(でも高い)を買うことになる。

遠慮がちに店にカメラを向けたら、赤ん坊を抱えている女性が笑顔で応えてくれたのが下の写真である。

バティック通りの路地裏

そして、交通量の少ない路地裏には、やはりネコの姿が。
このネコは親子なのだろうか。何枚も写真を撮っていたら、「いいかげんにしろ」とばかりに親猫ににらまれた。

歩き回って疲れたところで、妻が目をつけていた「カフェ」に入ることにした。
店には10代から20代と思われる若い男の子が数人働いている。
ところが、「Cafe」と書かれているのだが、コーヒーも紅茶もないという。
英語もほとんど通じないので、やむなく店を出ようとすると、近くで友人と話していた店長らしい年かさ(といっても20代前半)の男性が話しかけてきた。

バティック通りのネコ

「コーヒーはないけれども、ジャワ名物のスペシャルな飲み物がありますよ。いかがですか?」とわかりやすい英語でいう。

じゃあ、それをいただきましょうということで待っていたら、ずいぶん時間をかけてつくってくれた。
しょうがだかウコンだかと、何種類かの薬草(たぶん)をたっぷり煮出した飲み物で、いかにも体によさそうな味がする。
1杯飲んだら汗をびっしょりかいて元気が出てきた。

路地裏の喫茶店かと思ったら

最後に店の男の子に飲み物の名前を聞こうとするのだが、どうにも発音がよく聞き取れない。
そうだ! と思ってスマホを取り出しすと、すっすっと入力してくれた。
その名は、Wedang rempar
今やどこの国でも若い子はスマホが使えるんだね。

この飲み物の材料は、ソロのあとに訪れたジョグジャカルタのスーパーでパックになって売っていたので、妻が大量に買い込んだ。これで今年は夏バテ知らず……になるといいのだが。

ナマズの丸揚げ

ところで、この店の客は若い人が多く、みんな揚げ物とご飯を食べて、さっさと帰っていく。どうやら、ジャワ風ファースト・フード店のようだ。
何の揚げ物かと思ってカウンターを覗き込んだら、これ。
ナマズのから揚げだった。小さなナマズを丸ごと揚げてある。せっかくだから、私も1匹だけいただくことにした。

ナマズ鍋は東京のどじょう屋で食べたことがあるが、揚げ物は初めてである。いかにも白身魚らしい淡白な味が結構でした。

店を出ると、すっかり日が暮れていた。

2017-07-14

インドネシアの古都ソロのカオスな表通り

ソロの宿泊は、ジャワ文化が満喫できるというロイヤル・スラカルタ・ヘリテージ・ソロというホテルを予約しておいた。名前からして豪勢なホテルだが、事実、名前負けしない見事なものだった。
部屋はそれなりだが、歴史ある古いホテルなのでしかたがない。

内装をいちいちお見せしていたらきりがないので、ホテルの入口付近からフロントを見たところを1枚。スタッフも訓練が行き届いていて、これで1泊6000円弱だからお値打ちである。

歴史的なホテル

1泊しかしないので、そそくさと部屋を出て町歩きへ。ホテル前がちょうど町の中心部である。

ジャワの古都というから優雅な雰囲気の町を思い浮かべていたが、大通りの車とバイクの洪水は、まさにカオス!
頭のてっぺんに赤道近くの真昼の日射しを受けていることも相まって、私の頭はくらくらしてきた。

交差点で客待ちをするペチャ

しかも、片側3車線もあろうかという広い道なのに横断歩道がない。
ひっきりなしに通る車の隙を狙い、ドライバーの目をしっかと見据えながら向こう側に渡らなくてはならないのである。

屋台が並ぶ通り

メインルートを外れると、両側に簡易な食堂や屋台が軒を連ねる庶民的な道となった。
写真でわかるように、道路にはレールが敷かれている。
「はて、路面電車の廃線跡か」と思ったのだが、その正体は翌日にわかる。

簡易な食堂が並ぶ

ごみごみした露店街の背後には城砦が広がっていた。門が空いていたので入ってみると、なんと城砦の内側の更地でコンサートの準備をしているではないか。

近寄ってよくみると、土曜日であるこの日の夜に、ガムランの演奏会が開かれるようである。さすが古都ソロである。
バックのビジョンには、たぶん名演奏家なのだろう、顔が大写しになっていた。

ガムラン音楽祭準備中

大通りに戻ってぶらぶらしていたら、いろいろなものを見つけた。
下の写真はバス停である。歩道を嵩上げして乗り場としている。
なるほど、これなら段差なしで乗ることができる。バスを低床化するのではなく、こういう方法もあるのかと思った。東京の都電方式である。

大通りのバス停

次の写真は、ご想像がつくだろうが花輪屋である。右の花輪は、結婚式のものらしく、新郎新婦の名前と披露宴会場のホテルの名前が記されていた。

ベニヤ板に飾りつけをしているのかと思ったら、なんと段ボールであった。
だから、このようにペチャ(三輪の人力車)で運ぶことができるわけだ。

花輪づくりの店

最後の写真は銀行の看板。
この国の共通語であるインドネシア語はラテン文字なのだが、この看板の上側にはジャワ語が書かれている。
王家があり、伝統文化の栄えたジャワ島で話されてきたジャワ語(今も話されている)は、日本語以上に敬語表現が発達していて難しいという。
文字は南インド由来らしく、確かにタミール文字に似ている。

ジャワ文字の看板

意味がわかるかどうかはともかく、読めない……というか発音できない文字が世の中にあるのは悔しいものである。
そう思って、これまでアラビア文字、ギリシャ文字、キリル文字、ハングルは、なんとかそれらしく発音だけはできるようになったが、インド、東南アジア系はまだまだ。
アルメニア文字やエチオピアのアムハラ文字も知りたいが、日々の塵労に追われて時間がとれないのが残念である。

2017-06-22

ジャワ島横断 鉄道の旅2 スラバヤ~ソロ

スラバヤから乗った「ランガージャーティー号」でも、やはり一番高いエグゼクティブクラスを購入した。
「日本円にすればたいした違いがないから、一番高いのにすれば間違いないですよ」というのはラジャアンパット在住の知人の話である。

エクセクティフクラスの車両

さて、この列車の始発駅スラバヤと終点のチルボンは、どちらもジャワ島の北海岸にある都市だが、この列車は海岸沿いを走るわけではない。
ジャワ島中央部を東から西に斜めに南下して、中央部にある古都ジョグジャカルタを経由すると、今度は北上してチルボンに向かうという遠回りのルートをとるのである。

スラバヤ~ソロの車窓

島の中央部を通るというので、さぞかし山また山の車窓が見られるかと思ったら、意外にもずっと平坦であった。
ちょっと拍子抜けしたが、車窓の田園風景には心が休らぐ。

スラバヤ~ソロの車窓

発車してしばらくすると、車内販売がまわってきた。
バニュワンギ~スラバヤでの食いはぐれ事件かあったので、1回目の巡回で弁当を確保しようと、まさに販売員に声をかけようとしたところで、妻から「待った」がかかった。

朝食をしこたま食べたので、たぶん昼になってもお腹が空かないだろうという。
確かに、スラバヤの新しいホテルはバイキング方式のメニューがどれも美味だったので、朝っぱらから満腹になっていたのであった。

車内の巡回サービス

今度の車内販売のお姉さんは、写真のように髪をすっぽりと覆ったヘジャブ風の制服(制帽?)をつけている。
せっかくだから、コーヒーを注文した。インドネシアでコーヒーを頼むと、「カプチーノ? ブラックコーヒー?」と聞かれる。

ブラックコーヒーというから砂糖なしなのかと思うと、そうではなくてミルクコーヒーでないやつは全部ブラックコーヒー(コピ・ヒタム)と呼ぶようだ。

スラバヤ~ソロの車窓

あとはコーヒーを飲みながらのんびりと車窓を楽しむだけなのだが、この列車の窓ガラスは汚れていて(あるいは傷だらけで)、残念ながら撮影欲はあまり刺激されなかった。
といいながら、それでも何枚か撮ったのが今回の車窓写真である。

ソロ・バラパン駅

この日の宿泊地は、ジョグジャカルタの手前にあるソロという町。
ソロ出身の音楽家グサンによるクロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」は、この町を流れるソロ川を歌ったものだ。

ソロ・バラパン駅

ガイドブックによれば、ジョグジャカルタを京都とすれば、ソロは奈良に当たるという。
「ソロは落ち着いたいい町ですよ!」
ラジャアンパットの知人のすすめもあって、ジャカルタでの宿泊を省略してソロに泊まることにした私たちである。

彼のアドバイスの前半は必ずしも正しくはなかったが、後半は間違いではなかった。
いや、彼が何年も前に訪れたときは、もっと車もオートバイもなくて落ち着いた町だったに違いない。

ソロ・バラパン駅

ちなみに、ソロの現在の正式名称はスラカルタだそうだが、今でも旧称で親しまれているようだ。
ソロの中央駅にあたるソロ・バラパン駅には、定刻の13時25分に到着した。

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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