カテゴリー「蔵出し旅写真(国内編)」の4件の記事

2015-03-12

津軽半島「ニューヨーク・ローマとむすぶ蟹田」の今昔写真

8日から10日までの3日間、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」を使って東北を訪ねてきた。
初日は津軽半島。
上野から6時38分発の「はやぶさ1号」に乗ると、9時50分に新青森駅に着くというのは、昔を知る人間としては何度驚いてもきりがないほどである。
1975年の旅では、上野発19時10分の急行「八甲田」に乗って、青森駅に6時15分に着いている。

それはさておき、新青森から目指すは龍飛岬。函館行きの「スーパー白鳥1号」に乗り、蟹田で津軽線の三厩行きに乗り換えることになる。

津軽線三厩駅

これが蟹田駅。写真右端の木製の看板には、「北緯41°ニューヨーク ローマと結ぶ かにた」という大胆なキャッチコピーが書かれていた。

蟹田駅では30分ほどの待ち合わせ時間があったので、町中をぶらぶらすることに。
用意していた1977年撮影の町なかの写真と照らし合わせて、定点写真を撮ろうという魂胆である。

蟹田1977年10月

蟹田2015年3月

まずは、駅前を直進して、海岸に沿って走る松前街道との交差点。
1977年には洋館づくりのような味わい深い木造の建物があったのだが、もちろんそれは姿を消していた。

蟹田1977年10月

蟹田2015年3月

交差点を左折(北上)して100mほど進んだところにあった、これまた味わい深い消防団の倉庫。
左は火の見櫓だろうか。木造の火の見櫓は、ここ以外に見たことがない。
今でも同じ場所に、消防団(分団)の消防車格納庫があった。

蟹田1977年10月

蟹田2015年3月

さらに、300mほど直線。このあたりの松前街道沿いは、かつては商店街を構成していたところ。現在でも、かろうじて、商店が残っている。
手前から2軒目の安田薬店は、建て替えていまでも営業中。奥の信号の先にある家は、昔のまま残っていた。

おわかりのように、最後の写真だけはカラーで撮っている。当時の旅行は、カメラを2台持って、1台にモノクロフィルム、もう1台にカラーポジフィルムを入れていたのである。
カラーは高いので、ここぞというときにしか撮っていなかった。

1977年、津軽半島に残る森林鉄道の跡を探る旅だった。

2014-08-19

小樽の今昔写真 1979年8月、1991年4月

小樽というと、北海道では押しも押されもせぬ観光地。
古い建造物や運河が残っていることでも知られている。
とはいうものの、保存建造物は別として町の姿は行くたびに大きく変わっている。
実は、運河の姿もすっかり変わっているのだ。

これが、1979年当時の小樽運河。運河の上にはしけが並んでいるのがわかる。
その後、札幌と小樽を結ぶ道路をつくるために、この運河を埋め立てるという話が起こり、町をあげて賛成・反対の運動が巻き起こったことは、もう地元の人でもないと覚えていないかもしれない。

1979年の小樽運河
43.197969,141.003008 (緯度,経度)

結局、運河の一部を埋め立てて道路を広げ、残る運河の反対側で倉庫を整備するということになった。
というわけで、運河沿いに並んでいる倉庫はもう消えてしまったかと思ったら、古い写真の左にある薄紅色の倉庫が、道路沿いに残っていた! その両脇の建物も昔のままのようだ。

2011年の小樽運河

たまたまこのストリートビューには映っていないが、このあたりは今では観光客でいっぱいである。
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もう1枚の写真は、それから12年たって訪れたときのもの。
小樽駅前である。
いかにも地方都市という風情が好ましい。バス停でたくさんの人が待っている。

1991年の小樽駅前
43.198047,140.995402 (緯度,経度)

現在では、道路がかなり拡幅されて、昔の面影はまったくない。
道路沿いの家がすべて取り壊されてしまって、すっきりはしたが、どこかきれいすぎるんじゃないかと思うのは、散歩者のわがままな感覚か。

2011年の小樽駅前

バス停は立派になって、以前と同じ場所にあるのがわかる。

2014-08-12

留萌十字街の今昔写真 1979年8月

今回の今昔比較写真は、道北にある日本海に面した留萌。
増毛方面からバスでやってきて、留萌十字街で下車すると、ずいぶん商店街が賑わっていた記憶がある。
当時のメモには、ここから留萌駅まで歩いて列車に乗る40分の間に、ラーメンを食べたとある。
交差点には「本町3」と記されているのが見える。

留萌十字街
43.941498,141.640361 (緯度,経度)

現在の交差点名は本町2丁目のようである。
今回、ストリートビューで見て、あまりの変わりように目を疑った。
道路が拡幅されたのはいいが、商店街がすっかり姿を消している。
ネットを探しまくってかつての賑わいを確認し、さらに旧写真の中央奥にある「山下商店」が現在の「山下ビル」ではないかと見当をつけて、やはりこの場所だろうと断定した。

留萌十字街

ストリートビューの奥に向かう道が、旧写真の左奥-右手前を走る道。
昨今は、地方都市の商店街が軒並み消えているが、それにしてもここの変化には驚いた。
そもそも、「十字街」という名称は、十字路のある商業地区の中心地である場合が多いのだが、すでにここは場末となってしまっているようだ。

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ついでにもう1枚。留萌十字街から留萌駅に向かう道の途中のスナップだが、場所が特定できない。
仮店舗で「名古屋セトモノ市」というのをやっている。

留萌市内

場所特定のポイントになりそうなのは、左端にある「キャバレー モンバサ」の看板。
もし、ご存じの方がいらっしゃったらお知らせください。

この写真の中央を拡大するとこんな感じ。

留萌市内

小さな器(皿?)が1枚10円! それ以外も30~100円という値段は、当時にしても安かったと思う。

2014-08-10

首里の街角の今昔写真 1993年3月

多忙でなかなか更新がままならない今日このごろ、
仕事の合間に気分転換でやっている日本各地の新旧対照をブログで公開してみようと思い立ちました。
古い写真は私が撮ったもの、新しい写真はグーグル・ストリートビューの画面をキャプチャーしたものです。
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まずは、沖縄県那覇市首里の街角で撮った写真2枚。
1993年というから、それほど古くはないけれど、こう見るとずいぶん昔のように見えるから不思議。
このときはまだ、モノクロ用とカラー用のカメラ2台持ち。
こうしたスナップ写真はモノクロで撮っていた。

まずは、首里桃原(とうばる)町にあった松山御殿跡。このときは庭園として開放されていた。
この庭園内にあった茶室で飲んだ「ぶくぶく茶」がなつかしい。
詳しい歴史については、ここ のページで。

松山御殿跡
26.223586,127.716925(緯度,経度)

ちなみに、これが庭園入口。バス停「桃原」前。
松山御殿跡

現在は、ライオンズマンション首里桃原が建っている

ライオンズマンション首里桃原

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もう1枚は、上の写真の少し南にある首里池端町の交差点。
角の店は赤瓦もゆかしい首里書房である。

首里池端町交差点
26.22008,127.715941(緯度,経度)

ちなみに、これが首里書房を正面から見たところ。
首里書房

現在、ストリートビューによると、ここは空き地になっていた。

首里池端町交差点

首里書房は、モノレール首里駅近くに移転しているようである。

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