カテゴリー「鉄道、乗り物」の135件の記事

2017-03-08

Nikkei Styleトラベル「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅」公開

3月11日を前に、「NikkeiStyleトラベル」のサイトに記事が公開されました。

女川駅に到着する石巻線の列車

今回のタイトルは「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅

1月下旬に、鉄道と路線バス10路線を乗り継いで、3泊4日かけて三陸沿岸を縦断した旅の記録です。
もっと書きたいことやお見せしたい写真がたくさんあるのですが、スペースの関係で泣く泣くカットしたところも数多くあります。
お時間のあるときにご覧ください。

2017-02-24

Nikkei Styleトラベル「イタリア鉄道旅」公開

このブログも、すっかり記事公開の紹介と化してしまいましたが……。

ローマ・ティブルティーナ駅のフレッチャ・ロッサ

「NikkeiStyleトラベル」のサイトで、23日に今月の記事が公開されました。
今回は「イタリア鉄道旅 新しい顔と昔ながらの風景を楽しむ」です。

最近の特急列車、ローカル線の新車、客車ごと船に積み込まれるメッシーナ海峡の連絡船、知られざる北イタリアのローカル線を紹介しています。
ン十年前に初めて食べたアランチーノ(ライスコロッケ)の思い出も付いています。
ちょっと長いのですが、ぜひご覧ください。


2016-05-22

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(2)

前回の最後の写真の道を抜けると、平野線の軌道跡は遊歩道になる。
道にはレールと枕木をイメージさせる模様がついていて、なかなかニクい演出だ。
密集した住宅の間を、ゆるやかなカーブを描いて走るのだが、周囲には木々の緑が濃く、晩春の夕方の散歩にはうってつけである。

途中には小さな広場があり、平野線の電車が描かれていたり、平野線の歴史を記した看板が立てられていたりして、廃止から35年以上たっても周辺の人たちには忘れられない存在なのだろうか。

平野線のイラスト

広場にあった小さな丸いベンチの屋根は、平野駅舎の8角形の屋根を形どっていて、マニア度も高い。

そして、まもなく平野駅跡へ。
1979年に来たときに見た平野駅は実にユニークだった。

1980年の平野駅1番線

恵美須町行きと天王寺行きは別のホームから発車するのだが、この2つの乗り場がほぼ縦に並んでいた。これは、恵美須町行きの1番線ホームを平野駅舎側から見たところ。
天王寺行きは、この左側にある線路を通って駅舎に近い2番線ホームに入る。狭い土地を有効利用して、こういう形になったのだろうか。

現在は、下の写真のような感じ。

2016年の平野駅跡

そして次は1番線ホームから2番線と駅舎を見たところ。駅舎はネコの額ほどで、そこを通り抜けるとすぐに商店街に出る。
まさにこの駅舎の屋根が8角形でユニークだったのだが、写真に取り損ねてしまった。
当時、私が持っていたレンズでは、駅前の道を精一杯下がっても全体を写し込めなかったのだ。
今思えば、それでも一応撮っておけばよかった。すべて後の祭りである。

1980年の平野駅ホーム

そして、同じ場所(たぶん)から撮ったのが下の写真。
古いレールを組んだ柱が見えるので、もしや昔のホームの柱を保存しているのかとも思ったが、古い写真と見比べてみると、そうでないことがわかる。
となると、このためにわざわざ作ったのか。これまたニクい演出である。
ちなみに、歩道に描かれたレールと枕木の模様では、到着ホームに2つ乗り場があったように見えるが、これはご愛嬌である。

2016年の平野駅ホーム

遊歩道を出てJR平野駅まで歩いていこうと思ったが、ちょっと距離がありそうなので、地下鉄の平野駅へ。
途中にある商店街は、なかなか味わい深かった。
街並みの写真も何枚か撮ったのだが、これはそのうちの1枚である。

平野の商店街


これで、このときの旅の写真はひとまず完。

2016-05-15

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(1)

天王寺で阪堺電車の今昔写真を撮り終えたが、まだ時間がたっぷり残っていたので、かつて平野線が走っていた平野終点あたりまで足を伸ばしてみようと思いついた。

昔の写真はスキャンしてデジタル化し、クラウドに保存してあるので、いつでも呼び出して比較できるのである。
当時は想像もできなかった技術の進歩だ。

北田辺駅前

天王寺から地下鉄に乗ればすぐなのだが、それではおもしろくないので、バスで向かうことにした。
ところが、道路は混んでいるし、ずいぶん遠回りをしているようなので、途中から近鉄南大阪線に乗り換えて平野近くまで行くことにした。

北田辺駅前

おかげで、こんなときでもなければ歩くことはないだろう東住吉区のぶらぶら散歩を体験できた。
上2枚の写真は、北田辺駅前。このあたりには、なかなか趣深い商家があった。
古い家屋と商家の組み合わせというと、東京では看板建築が圧倒的なのだが、こちらではなんとも表現しがたい複雑な加工がほどこされていた。

その後も、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、気ままに迷いつつ、ようやく日が暮れる前に平野にたどりついた。

西平野停留場1980年


上の写真は、廃止直前の1980年8月に撮影した西平野停留場。車両は239号車。味わい深い光景で、気に入っている写真の1枚だ。
どの停留場で撮ったのか、ずっとわからなかったのだが、グーグルストリートビューで探していたある日、左に写っている今村電化のビルが当時のままで今でも営業していることを見つけた。

西平野停留場跡の公園

今では公園になっており、時あたかも桜が満開の時期。夕暮れの温かい風のなかで、地元の人がのんびりと桜をめでていた。
今村電化のビルは桜の陰になっているが、看板にあるパナソニックの青いロゴがちらりと見えている。
公園のコンクリートの塀には、かつてここに平野線が走っていたことが記されていた。

西平野停留場跡の公園

次の写真もまた、どこで撮ったのかわからなかったが、去年かおととしになって西平野~平野間であると判明した。恵美須町からやってきた245号車が、まもなく平野終点に到着するところだ。

写真を拡大してみると、車掌が後ろの窓から顔を出して私のほうを見ていることがわかる。
それにしても、大阪市内とは思えない牧歌的な情景!

西平野~平野1980年


現在、軌道敷はカラオケ・ビッグエコーのビル(手前)やアパート(奥)に変わっていたが、この道の突き当たりにあるお宅が健在であった。

西平野~平野の現在


平野駅付近の探訪はまた次回。

2016-05-06

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(2)

前回の続き。
天王寺からあべの筋を南下して、最初の大きな交差点が阿倍野交差点。
ここで、かつては平野線(1980年廃止)と上町線が交差していた。

阿倍野交差点1979年

この写真は、1979年3月に交差点から西側を撮ったもの。写真の右側が、天王寺駅方面である。
正面に見える電車(249号車)は、恵美須町からやってきて平野に向かう系統。
手前の電車は、平野から来て、阿倍野交差点で右折して天王寺に向かう系統である。

阪堺電車というと、やっぱりこの色がいいなあ。
古い車両にはこの重厚な緑色が似合う。ドアと窓枠が茶色なのもおしゃれ。

阿倍野交差点2016年

現在、上町線は元気に走っているが、平野線はこれを撮った翌年に廃止になってしまった。

次の写真は、阿倍野交差点から100mほど西に行ったあたり。
これも同じく1979年3月に撮った平野線の電車(151号車)。
バックの低層の商店が時代を感じさせる。

阿倍野交差点付近1979年

そして、上の写真から37年。周辺はすっかり変わってしまったが、阪神高速(14号線)だけは昔のまま上を走っている。

阿倍野交差点付近2016年

次の写真は、天王寺駅前に到着寸前の電車(122号車)。方向幕は、すでに折り返し後の「住吉公園」に変わっている。
これを撮ったのは1980年1月。大学3年生の冬である。就職はしないことに決めていたので、のんきに南紀をめぐっていた。

天王寺駅前1980年

そして、これが同じ場所の2016年。道路が手前側に拡幅されたので、まったく同じ場所で撮ろうとすると車に轢かれること必定である。
背景中央の緑色の建物が、あべのハルカス。

天王寺駅前2016年

最後にもう1枚おまけ。天王寺駅に隣接する近鉄南大阪線阿部野橋駅の1979年の姿である。
バックの近鉄百貨店阿倍野本店が、現在のあべのハルカスがある場所。

近鉄阿部野橋駅1979年


当時は、駅を出たすぐのこんなところに踏切があった。
今回は、せめて近い場所で写真を撮れないかとうろうろしたが無理だった。電車内から撮ればいいのかもしれない。

2016-05-03

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(1)

大阪に来ると、いつも立ち寄っていたのが天王寺界隈である。
東京・下町に生まれ育った人間にとって、このあたりは居心地がよく、ぶらぶら散歩するのが楽しかった。

ところが、ここ数年の天王寺付近の変貌はあまりにも激しい。
きれいな建物ができて喜んでいる人も多いだろうが、昔の情緒ある町並みが懐かしい。

あべのハルカスと阪堺電車

あえてよかった点を挙げれば、阪堺電車(阪堺電気軌道)の乗り場への移動が楽になったことと、道路拡幅にともなって阪堺電車の線路が移設される予定で、おそらく乗り心地もよくなるだろうということか。
上の写真は、阿倍野交差点から天王寺駅方面を見たところ。あべのハルカスをバックにして、阪堺電車の旧型電車を撮ることができた。

あべのハルカスから見た阪堺電車

そして、これはその逆。つまり、あべのハルカスからあべの筋を見下ろしている。よーく見ると電車が走っているのが見える。
最初の写真を撮ったのは、高速道路の下にある交差点の右上角あたり。


この辺りでは、昔にも写真を撮っているので、例によって定点写真を撮影を敢行。
まずは、1979年の山陰旅行の帰りに立ち寄ったときの写真から。
この写真の右手前が、阪堺電車(当時は南海電鉄の軌道線)天王寺停留場(終点)を経て国鉄天王寺駅に至る。

1979年の天王寺

現在は、道幅が約2倍に拡幅されており、しかも向こう側(西側)に拡幅されているので、この写真に写っている建物の面影はまったくない。

2016年の天王寺

もう1枚は、2006年に撮影したあべの銀座の様子。
阪堺電車天王寺停留所の西側にあった商店街である。
場末感漂う素晴らしい雰囲気だったのだが、残念ながら再開発によって跡形もなくなってしまった。

2006年のあべの銀座

もっとも、昔からあった店のいくつかは、再開発後に建てられたビルにも入居しているようだ。
ずっと行きそびれているグリルまるよしも、新しい店舗で営業していた。

2016年のあべの銀座跡

次回も、天王寺付近の今昔写真をお届けします。

2015-11-30

「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」連載開始

前回の書き込みでお知らせしたように、「日経ビジネスオンライン」のサイトにおいて、9月に行ったシベリア鉄道旅行記の連載がはじまりました。

全体のタイトルは、「30年の時を超える大人の シベリア鉄道横断記」。
第1回の今回は、「ウラジオストク発、9288キロの旅へ」です。

ハバロフスク~イルクーツクの車窓

週1回くらいのペースで10回あまり続く予定です。
シベリア鉄道の車内・沿線の様子のほか、下車した町の様子(30、34年前との定点比較写真あり)も紹介していますので、お時間のあるときにご覧ください。

「日経ビジネスオンライン」は、掲載直後は誰でも見られます。
会員登録は無料。一定期間が過ぎると、2ページ以降は会員しか見られなくなリます。

2015-10-05

シベリア鉄道に乗ってきました

また更新が滞ってしまいました。
昨年のシチリア旅行の公開途中でしたが、2015年9月13日から28日まで、妻とともにシベリア鉄道に乗ってロシアをめぐってきました。私にとっては30年ぶり、3回目の乗車です。
仕事も多少からんでいて、旅行記はとあるサイトで公開する予定です。公開の際には改めてお知らせします。
また、公開後には、ブログで詳しい旅行記を書くつもりでいますので、しばらくお待ちください。
取り急ぎ、ご報告まで。

ウラジオストク駅

ウラジオストク駅。軍港だったために、かつては外国人が入れなったウラジオストク。
いまでは、駅で写真の撮り放題というのも時代の流れかなと。
成田からたったの2時間の場所に、こんなヨーロッパのような町があるのは感動的でした。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへ向かう車窓で。
こんな小さなシベリアの駅にも停車。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへは、最後尾に近い車両だったので、カーブがあると前方の車両を見ることができました。

イルクーツク中心部

イルクーツクでは30年ぶりに町のなかを散歩。
当たり前だけど、ソ連時代とはずいぶん変わっていました。
これは、イルクーツクの銀座通りともいえるカルラ・マルクサ通り。

ピロシキの車内販売

食堂車でつくったピロシキを、朝昼に車内販売してくれるお姉さん。
さすがに、今回はウラジオストクからモスクワまでの直行は避けて、ハバロフスク、イルクーツク、ノヴォシビルスクで途中下車してきました。

1等車コンパートメント

今回の旅では、2人部屋の1等車も、2段ベッド4人部屋の2等車も乗車。
1等車はのんびりできたし、2等車は同室の人たちとやりとりできたし、それぞれ意味がありました。
これは1等車の車内。
ちなみに、ウラジオストク~ハバロフスクは1等車で11時間、ハバロフスクで1泊、ハバロフスク~イルクーツクが2等車で60時間、イルクーツクで2泊、イルクーツク~ノヴォシビルスクが2等車で32時間、ノヴォシビルスクで1泊、ノヴォシビルスク~モスクワが48時間という旅でした。

シベリア鉄道の車窓

ネットで見ると、シベリア鉄道の車窓は単調で飽きるという人がいますが、まったく飽きることがありません。
森林の様子も変化があり、ときどき現れる村や町に目を奪われていました。

赤の広場

そして、モスクワは30年前とは大変化。
パリやローマにも勝るとも劣らない美しさと賑わいに満ちた町となっていたのです。
深夜の赤の広場が、これほどライトアップされて、人で賑わっているなんて。

2015-08-02

富山地方鉄道 西魚津駅

多忙やら暑さやら気分の問題やらで、しばらくごぶさたしてしまいました。
リハビリを兼ねて、今春の北陸の旅で印象に残った、ある駅のご紹介を……。

小松での仕事が終わってそのまま帰宅するのもつまらないので、当夜は自腹で宿泊。
週末ということもあって金沢のホテルはどこも満員だったが、なんとか富山駅近くのホテルに宿をとることができた。


西魚津駅のホーム

そして、翌朝は完成なった富山駅付近をぶらぶら歩いたあとで、富山地方鉄道の西魚津駅を訪ねることにしたのである。
ここは、以前から降りてみたいと思っていた駅だった。

西魚津駅

北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)で富山に向かうと、魚津付近から海側に富山地方鉄道の単線の線路が並走する。
そして魚津駅を過ぎると、目の前の田んぼの向こうに小さな木造の駅舎が見え、続いて2面の相対式ホームが目に入ったかと思うと、すっーと線路がカーブして北陸本線の下をくぐっていくのである。
その様子が、まるで鉄道模型を見ているようで好ましかった。

西魚津駅

今回は、魚津駅で下車して、隣接する富山地方鉄道の新魚津駅へ乗り換えると、まもなくやってきたのが西魚津止まりの電車だった。
「はて、あんな小さな駅を終着駅にする列車があるのか?」
しかも、ターミナルの富山側ではなく、西魚津と宇奈月温泉を走る各駅停車である。
案の定、新魚津駅で車内はガラガラ。2つ先の西魚津で降りたのは私を含めて3人であった。

西魚津駅

ダイヤを見ると、西魚津折り返しの電車は、急行通過駅の利用客救済の意味もあるようだ。

私が乗ってきた旧・京阪電鉄の電車は、そのまま富山方面に向かって発車すると、ホームから200m離れたあたりで折り返して、反対側のホームに入ってきた。それが上の写真である。

西魚津駅

西魚津駅の雰囲気は期待通りのものだった。
木造のホーム待合室、構内踏み切り、昔の観光案内図などなど。
すでに無人駅になっていたけれど、かつてはそこそこ賑わっていただろう駅舎も魅力的だった。

西魚津駅

そしてなによりも、大きな木が1本立っている駅前の雰囲気も、まるで昭和30年代の地方私鉄風景を再現したジオラマのようだった。

西魚津駅

小雨模様の天気も、むしろ雰囲気にぴったりだったように思える。
もちろん、駅前に食堂やコンビニはおろか、商店の1軒もない。昼どきだったが、しかたなく自動販売機の飲料で空腹をまぎらせるしかなかった。

西魚津駅

ひと気のない駅で40分ほど過ごしたのち、やってきた富山行きは、旧・西武鉄道の特急レッドアローだった。

2015-05-28

改修工事はじまる那覇バスターミナル、そして壺川の機関車

那覇バスターミナルは、ゆいレール旭橋駅のすぐそばにある。
ここを起点として、沖縄本島各地に路線バスが出発し、構内には各社の事務室や休憩所などが設けられていたのだが、改修工事にともなって閉鎖となっていた。

那覇バスターミナル

戦前は沖縄県営鉄道の起点である那覇駅がここにあったという。
レール幅の狭い軽便規格の鉄道だが、北は嘉手納、東は与那原、南は糸満まで走っていた。
それが1945年の地上戦で破壊されてしまい、それ以来ゆいレールの開通まで沖縄には鉄道が存在しなかったのである。
(ゆいレール=モノレールが鉄道であるかどうかは議論が分かれるだろうが)

葉っぱの形をした構内には、つねにバスがぎっしりと待機して、ひっきりなしに発車していったのも、今は思い出である。
こんなことなら、もっとターミナルの写真をとっておけばよかった……というのは、いつもの後悔だ。

かろうじて、2007年に3枚ほど撮ったものの1枚が下の写真。

2007年の那覇バスターミナル

工事が終わって、どんな形になって現れるのか、楽しみではある。

最近、沖縄では「わった~バス党」(私たちバス党)という路線バス乗車促進のキャンペーンを開始した。
交通渋滞や環境問題を考えて、みんなもっとバスに乗ろうということである。あちこちでポスターも目にした。
私も微力ながら貢献したつもりでいる。
また、私が帰った直後の4月27日から、ICカード「オキカ」が各社のバスでも使用できるようになった。
今回の旅でも、運賃支払いのために、バスの所要時間がかかってしまった例を何度も目にしたが、これで少しは解決するかもしれない。旅行者にとっても多少は利用しやすくなるのではないかと思う。

壺川東公園

さて、鉄道ファンにとって、那覇で忘れてはいけない巡礼の地が、ゆいレール壺川駅から徒歩5分ほどのところにある壺川東公園である。ここは、前述した沖縄県営鉄道の那覇駅と壺川駅の中間にあたるそうで、加藤製作所製の小さなディーゼル機関車が保存されている。
じつは、この機関車は沖縄県営鉄道のものではなく、南大東島でサトウキビ運搬のために働いていたディーゼル機関車なのだ。

すでに南大東島の軌道は廃止されてしまったが、私が大学生のころはまだ走っていた。
撮影に行きたかったが、さすがに遠く、時間もカネもかかる。
それでも、サトウキビの収穫時期にはアルバイトを募集しており、島までの交通費も支給されると聞いて、本気で行こうかと考えたこともあった。
「でも、アルバイトに忙しくて写真を撮る時間はあるだろうか」なんていう悩みもあった。
今思うと、行っておけばよかったかな。

ゆいレール2005年

ところで、ゆいレールの車内放送は、各駅ごとに「安里家ユンタ」や「てぃんさぐの花」などの沖縄の歌や民謡のBGMが流れて楽しいのだが、この壺川駅は「唐船(とうしん)どぅーい」なのだ。
カチャーシーのときに必ず流れるアップテンポの民謡で、車内で「チャンチャ、チャチャチャチャ……」と鳴り出すと、どうしても体や足が動きそうになる。

ましてや、沖縄の人が耳にしたら、動かないではいられないと思って、ここを通過するたびに、地元の人らしき乗客を探してこっそり観察している。
だが、残念ながら、まだこの曲で体を動かしている人を見たことがない。ましてや、車内で踊りだす人もいない。

──やっぱり、電子音じゃなくて三線じゃないといけないのかな。
そう思うのだが、本当に踊りだす人が出たらいけないから、あえて電子音なのかもしれない。
もしかすると、開通直後は、思わず体を動かす人が続出したのではないかと、私は密かに思っているのである。
(ゆいレールの写真は2005年に撮影したもの)

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