カテゴリー「鉄道、乗り物」の142件の記事

2017-09-04

ジャワ島横断 鉄道の旅4 ジョグジャカルタ~ジャカルタ

ながながと書いてきた5月のインドネシア旅行の最終回。
ようやくカタコトの会話ができるようになり、駅のやコンビニの券売機での列車の予約に慣れてきたところなので、これで旅が終わるのは少し残念ではある。

5月9日の最終日は、ジャワ島横断最後の区間ジョグジャカルタ~ジャカルタを7時間かけて移動した。
飛行機なら1時間程度の距離である。
ジャカルタからさらに西へも鉄路は続いているが、今回はここまで。

ジョグジャカルタ駅

ジョグジャカルタで乗車したのは、ソロ・バラパン駅発ジャカルタ・ガンビル駅行きの特急「アルゴ・ラウー」号である。8時56分発。
「アルゴ」はインドネシア語で「山」の意味だとのことで、これが名前に付いている列車は、グレードが高いらしい。
確かにこれまでの車両よりも、やや高級感があった。

アルゴ・ラウー号

例によって車内販売がやってくるが、最初に来たは男性3人組であった。
やっぱり女性もいないと花がないなあと思っていたら2回目は男女のペアであった。
写真は撮ったのだが、あまりよく写っていないので省略。

アルゴ・ラウー号の車内

ところで、日本に帰る飛行機はジャカルタ空港を21時55分に出発するJAL便。
それに対して、アルゴ・ラウーのジャカルタ到着予定時刻は16時半ごろ。

途中で大幅に遅れると困ったことになるのだが、インドネシアの鉄道は意外に時刻通りに走っているという評判を聞いていたし、ジャカルタで1泊するよりもジョグジャカルタの宿泊を1泊増やしたいと考えて、ちょっと冒険をしてみたわけである。

中部ジャワの車窓

この列車を逃すわけにはいかないので、早めにスラバヤ駅の券売機で予約しておいたのだが、券売機で行き先を入力するときに困った。
「ジャカルタ」と入力しても、長距離列車が到着するガンビル駅が表示されないのである。

中心部にあるジャカルタ・コタという駅が表示されるのだが、ここに着く長距離列車は日に1本のみ。
おかしいなあとホテルに戻ってから出直して、ふと気づいた。
「ガンビル」と入力しないと出てこないのだ。

中部ジャワの車窓

イタリアにたとえてみると、ローマの中心駅に行こうとしたときに、「ローマ」と入力してもダメで、「テルミニ」と入力しないといけないようなものだ。
何から何まで旅行者を悩ませるインドネシアのシステムである。

もっとも、そうした苦難を一つひとつ乗り越えて自力で予約した喜びはひとしおである。
誰かに自慢したいので、こうしてブログに書いているわけだ。

中部ジャワの車窓

さて、中部ジャワの車窓の大半は豊かな田んぼ。
傾斜地にも棚田が広がっていた。

興味深いのは、田植えをしている田んぼもあれば、そのそばで稲刈りをしている田んぼもあること。
日本人としてはビックリする光景だが、インドネシアは三期作をしているから、こんなのは当たり前なのだろう。
ちなみに、下の写真はエビかなにかの養殖場のようだ。

中部ジャワの車窓

そして、いよいよジャカルタの市内へ。
郊外に関しては、線路脇はあまり居住環境がよろしくないらしく、いわゆるスラムっぽい雰囲気である。

ジャカルタ市内の駅

そして、市内の通勤路線では、日本の車両が活躍していることで有名だ。
上の写真は、かつて東京メトロ東西線で活躍した5000形で、その後、東葉高速鉄道を経てインドネシアにやってきた。

ホームに端でカメラを構えている少年たちは、私たちが乗ってきた列車を撮影しているらしい鉄道小僧である。
何十年も前、上野駅のホームで写真を撮っていた自分を思い出した。

彼らに幸多かれと祈りたい。

ジャカルタ市内の日本製車両

そして、ほぼ定刻に(たったの5分遅れ)ジャカルタ・ガンビル駅に到着。
長距離列車の終着駅だから、昔の上野駅の地平ホームのような古風な駅を想像していたら、なんと日本の大手私鉄の駅のような高架の駅。
どうやら、ジャカルタの郊外電車と共用しているからのようだ。

ジャカルタ・ガンビル駅

駅前に待ち構えているタクシー運転手の集団をすり抜けて、空港バスに乗車した。
1人400円ほどだった。
夕方のジャカルタ市内は交通渋滞が有名なのだが、駅が都心から外れているためか、すいすいと高速道路までたどり着いて、予想以上に早く空港に着くことができた。

2017-09-02

世界遺産ボロブドゥールへの道

今回の旅のメインイベントはジャワ島横断鉄道の旅だが、せっかくだからボロブドールくらいは見ておきたいと思っていた。

ラジャアンパットの知人にはタクシーで行くといいといわれたし、その帰りのフェリーで会った南米人(国は忘れた)にはバイクを借りていくのがいいといわれたが、公共交通機関好きな私はバスを乗り継いでいくことに最初から決めていた。
もちろん、そのことは妻もあきらめている。

市内バスの車内

まず、ジョグジャカルタの市内バス「トランス・ジョグジャ」2B系統で町の北側にあるジョンボル・バスターミナルへ。
車内は上の写真のような感じで、乗り心地も悪くない。
運賃は乗ってから車掌さんに払うシステムである。

ジョンボルバスターミナルでのボロブドゥール行きおんばろバス

そして、ジョンボル・バスターミナルに着くと、「ボロブドールはこっちのバスだよ」という案内だか呼び込みだかのお兄さんの指示に従って、このバスに乗車。

ボロブドゥールという名前にふさわしいボロなバスである。
まさに、歌に出てきそうな田舎のオンボロバスだった。

ボロブドゥールへの道

妻が一番前の席に陣取るものだから、私もそこから写真を撮ることにした。
それにしても、運転手はスピードを出すし、どの車もしょっちゅう車線変更をするしで、スリル満点。

もちろん乗り心地が悪いので、ボロブドールのバスターミナルまでの約1時間の乗車で、精神的にも肉体的にもかなり消耗してしまった。

ボロブドゥールへの道

ボロブドールのバスターミナルいや、バス溜まりは、下の写真のような感じで実に好ましい。
この写真は帰りに乗ったバスで、行きのバスよりもほんの少しマシだった。
料金は片道で一人250円くらい。

ここから遺跡までは徒歩で約20分。暑いからペチャ(人力車)に乗るのがおすすめなのだが、結局往復とも歩いてしまった。途中で人びと生活に触れるのもまた旅の楽しみである。
もちろん、ツアーの観光客を乗せたバスは、遺跡の近くにある駐車場に着くようになっている。

ボロブドゥールのバス乗り場

さて、ボロブドール遺跡は、私がなんだかんだと説明する必要もないほど有名な世界遺産の仏教遺跡である。
イスラム教徒のインドネシア人は興味がないかというと、そんなことはまったくなくて、みんな喜んであちこちで記念写真を撮っていた。

ボロブドゥール遺跡

入り口の側は人でそこそこ混んでいるのだが、裏側にまわると上の写真のように、あまり人がいない。
まあ、遺跡自体が大きいこともあるし、ひどく暑いので歩きまわる気にならないのかも。
帽子は必須だが、帽子を忘れた私の妻のような人のために、場内ではレンタル日傘の商売が賑わっていた。

ボロブドゥール遺跡

このときは、タイかミャンマーだろうか、オレンジ色の法衣に身を包んだお坊さんが何人か来ていて、いっしんにお祈りをしていたのであった。

小一時間遺跡をまわり、小さな記念館のようなものを見て場外に出ると、あとは土産物売りの大攻勢がある。
だが、「ノー!」というと、インドネシアの物売りは、意外にあっさりとあきらめる。このあたりが、かつて行ったインドのしつこい物売りと大きく違う点である。

ボロブドゥール遺跡

「インドネシアは、いま経済が成長しているから、あせって売る必要がないのかもね」とは妻の分析である。
でも、こちらが「ノー」というと、ちょっとがっかりした表情を見せて、すごすごと引き下がるのは、なんともやるせない。
なんか悪いことをしたような気がしてくるのだが、買いたいようなものがないのだからしかたがない。

ボロブドゥール遺跡で暮らすネコ

出口からは、延々と土産物ストリートのなかを歩かされる。江戸時代の浅草の仲見世はこんな感じだったのだろうか。
いいかげん疲れたので、無理やり店の裏側に出てみると、ネコが無防備な格好で昼寝をしていた。

帰りのバスの車窓から

そして、最後の写真は、帰りのバスから見た風景。
前を走る三菱製のトラックの荷台で、おじさんが無心にトウモロコシの皮をむいていた。
カメラを構えたとたん、こちらをじっと見る。
なんで気がついたんだろう。

2017-08-29

ジャワ島横断 鉄道の旅3 ソロ~ジョグジャカルタ

間があいてしまったけれど、今年5月のインドネシア旅行の続きである。
ソロ・バラパン駅を14時半に出発して、次の目的地のジョグジャカルタに向かった。
2つの町の間は直線距離で60キロほどで、列車で所要約1時間。日中は1時間おきくらいに近郊列車(普通列車)が運行されている。

近郊列車は、日本製のディーゼルカーが使われていると聞いていた。
いわれてみると、正面のデザインは、いかにも日本製っぽいおとなしさが感じられる。

ソロ・バラパン駅とジョグジャカルタを結ぶ近郊列車

この近郊列車は予約なしで乗れて料金も安い……というのは、前夜切符を予約しようとしたときにコンビニのお兄さんが教えてくれた。

その店では、セルフサービスのチケット端末がなかったので店員に尋ねたところ、「店のレジでできますよ」という。
そこで、ジョグジャカルタまでの指定席をお願いしたときに、彼が親切に教えてくれたわけだ。
「普通列車でいくとずっと安いけれど、指定席でいいですか?」

ソロ・バラパン駅とジョグジャカルタを結ぶ近郊列車
.
よく聞くと、安く行けるのはいいが、切符は当日出札窓口で買わないといけないようだ。
そこで、スラバヤで見た長蛇の列を思い出した。

あんな様子では、下手をしたら1時間近くかかってしまう恐れもある。
できれば、時間ぎりぎりまでソロ市内を見物したかったので、ちょっともったいないけど、長距離列車の指定席でいくことにした。

ソロ・バラパン駅の屋外ホーム

最初の写真2枚は、ソロとジョグジャカルタを結ぶ近郊列車。この列車用のホームは嵩上げされている(トップの写真は、すでに画面右外にある近郊列車用のホームを発車したあと)。

そして、下の写真が私たちの乗った長距離列車である。先頭はアメリカンスタイルのディーゼル機関車だ。
この列車はジョグジャカルタが終点なので、わざわざソロから乗車したお大尽は、私たち以外には2、3人しかいなかった。

ジョグジャカルタ行きの長距離列車

さて、ここでも車窓風景を撮ろうと思ったら、窓が汚い!
撮影意欲がぐっと減退したなか、かろうじて数枚撮ったうちの2枚を紹介しよう。

下の写真は、ソロとジョグジャカルタのほぼ中間にあるプランバナン寺院群。時間があればバスで訪ねてみたかったが断念したところである。
かろうじて薄汚れた車窓の向こうにちらりと見えた。

ソロ~ジョグジャカルタの車窓

次は、ジョグジャカルタの到着直前。活気のありそうな町だという予感がした。

ジョグジャカルタ市内の車窓

ジョグジャカルタ駅には15時35分に到着。
列車を降りて写真を撮っていたら、出口にいく途中のホームに別の列車が到着して、行く手をふさがれてしまった。

インドネシアの地上駅の多くには跨線橋というものがないので、途中に別の列車が停まっているとその車内を横断して出口までいかなくてはならない。

ジョグジャカルタ駅の屋外ホームに到着

「何行きに乗るの? スラバヤ?」

うろうろしていると、駅の作業員らしきおじさんに聞かれた。
「ノー、ノー、出口!」と答えると、行く手をふさいで停まっている2本の列車のドアを次々に開けてくれた。
そこを、まるでサメの背中を渡っていく因幡の白兎のごとく、次から次へ列車とホームを横断していく私たち。

駅の出口の看板で見た「Keluar」(カルアル)というインドネシア語の単語を覚えていてよかった。
やはり、旅は好奇心をもってきょろきょろすることが大切だと自画自賛した。

2017-08-07

廃線跡かと思っていたレールの上を……

朝の歩行者天国をぶらぶら散歩して、そろそろホテルに戻ろうとしたときのことである。
背後からかなり大きな警笛が聞こえてきた。
トラックやバスのクラクションにしては少し大きいし、なにより歩行者天国なのでそんな車が来るわけがない。

振り返ってみると、なんと道端を大きな列車がのろのろと進んでくるではないか。
これで前日からの疑問が氷解した。
廃線跡のレールだと思っていたのは、現役の鉄道線路だったのだ。

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

架線がないからディーゼルカーだということはわかるが、意外に新しい外観である。
なにより感動したのは、こんな大通りを路面電車ではない立派な鉄道車両が3両編成で走っていることである。

地元のインドネシア人にも珍しいのか、トップの写真の右側に見えるように、スマホで列車をバックに自撮りしている女性もいた。
2枚目は去っていく列車を後追いで撮ったものである。
写真の左にちらりと見える銅像は、独立戦争の英雄であり、23歳で亡くなったソロ出身のスラメット・リヤディ……という人であることを後で知った。

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

前日にはこの列車を見かけなかったので、日曜だけの運転なのかなと思って、ホテルのフロントの女性に聞いてみると、毎日2往復だか3往復だか走っているという。
ということは、平日の車とバイクの洪水のなかでも、同じように走っているというわけだ。
これにはちょっとビックリ。

だが、驚きはこれでは終わらなかった。
興奮と感激のうちにホテルのチェックアウトを終え、ロビーで一息ついていたときである。
ホテルの外から、再び警笛とも汽笛ともつかない大きな音が聞こえてきた。

「あれ、こんなに早く次の列車が来るのだろうか……」
そう思いつつも、カメラを手に持ってホテルを勢いよく飛び出した。
あまりに真剣な表情だったのだろう、ドアボーイのお兄さんが微笑みながら見送ってくれる。

ジャラダラ列車のお通り!

すると、なんと目の前を蒸気機関車が通り抜けていくではないか。
9時を過ぎて歩行者天国はすでに終わっていたので、行き交う車とバイクをかきわけて車道を横切り、脱兎のごとく列車を追いかけた。
血相を変えて車道を斜めに走っていく東アジア人を見て、車を運転していたインドネシア人たちは、なにごとかと思ったに違いない。

列車は安全を確認しながらのろのろと走るのだが、それでも人間が走るよりは速い。
斜め後ろ45度から撮影するのが精一杯であった。

1Cタンク型の蒸気機関車

あとで調べたところによると、この路線はソロ・パラパン駅隣の本線上にあるプルウォサリ駅から分岐して市内の併用軌道を走り、ソロの中心部近くにあるソロ・コタ駅を経由して郊外のウォノギリまで伸びるもので、休日はたまに貸し切りで蒸気列車が走るらしい。

機関車は、先台車が1軸、動輪が3軸の1C型タンク機関車。ナンバープレートには、C1218と記されていた。戦前に日本式の表記を取り入れたのかもしれない。

蒸気列車の最後尾

それにしても、普段から線路の上では数多の屋台が店を開いているのだから、列車が通るたびに大騒ぎで移動しているのだろう。そんな様子も見たかったが、めったに走らない特別列車を撮影できただけでも幸運だと喜ぼう。

次の写真は、道の上にある標識に注目。

「列車に注意」の看板

「Hati-Hata Kereta Api」と書かれている。「Hati」(ハティ)とは「心」のこと。「Hati Hati」と2つ並ぶと「注意」という意味になるそうだ。
「Kerata Api」(クレタ・アピ)は、インドネシアの車内放送で何度も耳にした。
「Kereta」は「車、車両」、「Api」は「火」。つまり、中国語の「火車」みたいな表現だ。日本語の「汽車」に当たる。現在では、一般に列車の意味で使われているようだ。
この看板にもっと早く気がついていたら、この線路が現役のものだとわかっただろうに。

サトウキビ運搬に活躍したコッペル

ところで、インドネシア人にはずいぶん鉄道好きが多いようで、駅では列車の撮影をしている人を見かけたし、町なかにも車両が保存されているのをよく見た。
この写真は、前夜ソロの市内を散歩したときに見かけた小型の保存蒸気機関車である。
広々とした構内のこの会社は、インドネシアのプランテーションの会社らしく、この機関車はおそらく製糖工場のサトウキビ運搬に使われたのだろう。

ナンバープレートの代わりに「BALETOERI」という名前(?)があったので、それを頼りにネットで調べてみたところ、どうやらドイツのコッペル社製の車両のようだ。
日本でも、土木工事によく使われた蒸気機関車である。そう思ってみると、煙突の形がコッペルっぽい。

2017-06-22

ジャワ島横断 鉄道の旅2 スラバヤ~ソロ

スラバヤから乗った「ランガージャーティー号」でも、やはり一番高いエグゼクティブクラスを購入した。
「日本円にすればたいした違いがないから、一番高いのにすれば間違いないですよ」というのはラジャアンパット在住の知人の話である。

エクセクティフクラスの車両

さて、この列車の始発駅スラバヤと終点のチルボンは、どちらもジャワ島の北海岸にある都市だが、この列車は海岸沿いを走るわけではない。
ジャワ島中央部を東から西に斜めに南下して、中央部にある古都ジョグジャカルタを経由すると、今度は北上してチルボンに向かうという遠回りのルートをとるのである。

スラバヤ~ソロの車窓

島の中央部を通るというので、さぞかし山また山の車窓が見られるかと思ったら、意外にもずっと平坦であった。
ちょっと拍子抜けしたが、車窓の田園風景には心が休らぐ。

スラバヤ~ソロの車窓

発車してしばらくすると、車内販売がまわってきた。
バニュワンギ~スラバヤでの食いはぐれ事件かあったので、1回目の巡回で弁当を確保しようと、まさに販売員に声をかけようとしたところで、妻から「待った」がかかった。

朝食をしこたま食べたので、たぶん昼になってもお腹が空かないだろうという。
確かに、スラバヤの新しいホテルはバイキング方式のメニューがどれも美味だったので、朝っぱらから満腹になっていたのであった。

車内の巡回サービス

今度の車内販売のお姉さんは、写真のように髪をすっぽりと覆ったヘジャブ風の制服(制帽?)をつけている。
せっかくだから、コーヒーを注文した。インドネシアでコーヒーを頼むと、「カプチーノ? ブラックコーヒー?」と聞かれる。

ブラックコーヒーというから砂糖なしなのかと思うと、そうではなくてミルクコーヒーでないやつは全部ブラックコーヒー(コピ・ヒタム)と呼ぶようだ。

スラバヤ~ソロの車窓

あとはコーヒーを飲みながらのんびりと車窓を楽しむだけなのだが、この列車の窓ガラスは汚れていて(あるいは傷だらけで)、残念ながら撮影欲はあまり刺激されなかった。
といいながら、それでも何枚か撮ったのが今回の車窓写真である。

ソロ・バラパン駅

この日の宿泊地は、ジョグジャカルタの手前にあるソロという町。
ソロ出身の音楽家グサンによるクロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」は、この町を流れるソロ川を歌ったものだ。

ソロ・バラパン駅

ガイドブックによれば、ジョグジャカルタを京都とすれば、ソロは奈良に当たるという。
「ソロは落ち着いたいい町ですよ!」
ラジャアンパットの知人のすすめもあって、ジャカルタでの宿泊を省略してソロに泊まることにした私たちである。

彼のアドバイスの前半は必ずしも正しくはなかったが、後半は間違いではなかった。
いや、彼が何年も前に訪れたときは、もっと車もオートバイもなくて落ち着いた町だったに違いない。

ソロ・バラパン駅

ちなみに、ソロの現在の正式名称はスラカルタだそうだが、今でも旧称で親しまれているようだ。
ソロの中央駅にあたるソロ・バラパン駅には、定刻の13時25分に到着した。

2017-06-17

インドネシアで鉄道の切符を手に入れるまで

インドネシアでは、鉄道の切符を買うまでが一苦労だった。
一番簡単なのは、出発直前に駅の窓口で買う方法だが、スラバヤのような大きな駅だと、窓口に長~い行列ができていて、切符を手に入れるまで1時間もかかることが珍しくないという。

それでは困るので、事前に予約することになるのだが、そこにもまた問題が。
事前予約の方法はいくつかある。
1. ネットの予約サイトを利用する。
2. 駅の切符予約機を利用する。
3. コンビニの情報端末を利用する。
4. 旅行代理店を利用する。

スラバヤ駅の窓口の行列

まず、日本国内で1を試してみた。
だが、インドネシア国鉄のサイトではすべてインドネシア語表示だったので断念。
次に、ガイドブックやネットでも紹介されているTiket.comというサイトにアクセス。英語もあるので無事に列車も決めて、さあクレジットカードで支払い……という段になって受け付けてくれない。
何度やってもだめなのだ。

いろいろと調べてみると、どうやら最近になってインドネシア国内で発行されたクレジットカードでなくてはだめになったようだ。同じVisaカードでもインドネシア国外発行のものは使えない。

この時点で、最初のバニュワンギ~スラバヤだけは、ラジャアンパットの知人にお願いして予約しておいてもらった。

駅の切符予約機

そして、スラバヤ以降の切符を買おうと思って、バニュワンギ市内のコンビニの情報端末を使ってみたのだが、なぜかここも最後の最後で受け付けてくれなかった。
やむなく、スラバヤ駅に着いてすぐインフォメーション窓口で予約をお願いしようと思ったら、セルフサービスの切符予約機を使えという。
そうしてたどりついたのが、上の写真の予約機である。

ちなみに、インドネシアの長距離列車の切符は実名制だ。これは、ダフ屋を排除するための措置なのだという。
おかげで、パスポート番号(インドネシア人ならばIDカード番号)やら携帯電話番号も入力しなければならない。

ところがである。パスポート番号を入れようとしても、冒頭のアルファベットを受け付けてくれないのだ。
──これは困ったぞ。
インドネシア人のIDカードは数字だけだからいいが、日本のパスポートはアルファベットではじまるのだ。

──どうすりゃいいんだ!
と、困り果てたところで、ピンとひらめいた。
──そうか、ダフ屋を防ぐための制度なんだから、本人だとわかればいいだけのこと。どうせ改札では写真入りのパスポートを見せんだし、ここでは数字の部分だけ入力すれば十分だろう。

駅のチェックイン機

セキュリティが目的の空港での厳密なチェックとは違うのだから、確かにその程度でいいのだった。
しかも、このときは私の後ろに何人もの人が並んでいて、あせって名前の「Takashi」を「Taashi」と入力したことをあとで気づいた。でも、何も問題はなかった。

予約機の横には、写真のように係員がたいていついているので、困ったときには英語で相談できる。
それでも、クレジットカードが使えないのは参った。
2人で何十万ルピア(実は何千円)という金額のために、5万ルピア紙幣を延々と投入しなければならなかったのである。
(しかもお釣りが出てこないので、ある程度細かい紙幣も持っていないともったいない)

スラバヤ駅の時刻表

すべて受け付けられると、最後にぬるぬると長いレシートが出てきた。
それが予約票である。
(この予約票だけでは乗れないので要注意)

当日になって、駅のチェックイン機(3枚目の写真)に、セルフサービスで予約票のQRコードをかざすか、印刷されている予約番号を入力することで、晴れて乗車券が印刷されてくるのである。
これを持って、パスポートとともに改札の係員に提示すればいい。

コンピニの端末で「i-tiket」を選べば、同じように予約票が購入できる。
やはり、パスポート番号のアルファベットを入れないのがコツということもわかった。
画面はインドネシア語しか出てこないが、インドネシアの若いコンビニ店員さんはみな親切なので、手伝ってくれるはずだ。
コンビニならばクレジットカードも使える。

ここに書くと、まずまずスムーズに進んだように見えるが、あっちに聞いたりこっちに聞いたり、ああしたりこうしたり、いやはや大変な試行錯誤の連続だったのである。

待合室のライブ音楽

スラバヤ駅は大混雑かもしれないからと、発車時刻である9時15分の1時間も前に駅に着いたものの、チェックインも改札も拍子抜けするほどスムーズ。
あとは待合室で延々と時間を過ごすこととなった。

上の写真は、改札内の待合室で朝っぱらからやっていた、キーボードのライブ演奏。
ヘジャブをかぶった白装束の女性が奏でる音楽ということ、何やら宗教っぽい音楽かと思うかもしれないが、日本のニューミュージックのような軽やかなメロディに、明るく張りのある声で歌っていた。

無料足マッサージ機

この写真は、改札外の待合室に設置されていた足マッサージ機!
なんと無料で使える。
おばさんたちが気持ちよさそうに居眠りをしていた。

そして、発車時刻が近づくと案内放送があって、三々五々ホームへと歩きだす。
まあ、全車指定なので、あせって急ぐ人もいない。

待合室からホームへ

通路のかたわらには、乗り場と列車名が記されたボードが置かれていた。
乗るのは5番線の「ランガージャーティー号」。スラバヤ発ジョグジャカルタ経由チルボン行きである。
この列車に乗って、古都のソロまで4時間あまりの旅が始まる。

2017-06-07

ジャワ島横断 鉄道の旅1 バニュワンギ~スラバヤ

インドネシアの朝は早い。私もつられて早起きになった。
といえば聞こえはいいが、その理由は朝4時から町じゅうに響くアザーンの声である。
しかも、1つのモスクだけでなく、町のあちこちから大音量で別々の声でコーランを詠唱するものだから、寝ていられないのだ。
十数年前に旅行したエジプトでもアザーンはあったが、5時とか6時だったような覚えがある。

バニュワンギ・バルー駅

さて、5月5日は、バニュワンギ・バルー駅から朝9時発の列車に乗車する。
実は、ここからが今回の旅のメインイベント。ジャワ島横断鉄道の旅なのだ。
4回に分けてジャカルタに向かう列車の旅で、この日は6時間あまりをかけて東ジャワの中心都市であるスラバヤに向かう。

始発駅のバニュワンギ・バルー駅は、町の中心部から北へ10キロ近く。バリ島からのフェリーが発着する港の近くに位置している。
クラシックな駅を想像していたら、意外にもなかなか近代的な駅舎であった。

バニュワンギ・バルー駅構内

ここを発車する列車は日に10本ほどで、うち3往復が、私たちの乗るスラバヤ行きのムティアラ・ティムール号。「東の真珠」という意味だ。2本が昼行で1本が夜行である。
数えていなかったが、全部で10両ほどの編成で、1等車というべきエクセクティフ(エグゼクティブ)クラスと、2等車のビスネス(ビジネス)クラスだけの高級列車だ。ちなみに3等車はエコノミーである。

編成が長いので、私たちが指定されたエクセクティフの1号車は、ホームからはみ出していた。
まだ発車時間まで間があるのをいいことに、ホームから降りて線路際を歩いて撮ったのが下の写真である。

発車を待つ「ムティアラ・ティムール号」

バニュワンギ・バルー駅を発車して町を出ると、右側の車窓には美しい山並みが目を楽しませてくれる。
窓は開かないが、車内が空いていたので、私は右に左に座席を移動して、しばらく写真を撮っていたのであった。

すると、町なかの駅に1つか2つ停まったのち、田園地帯の小さな村のはずれで列車は急停車。
しばらく停まっていたので何事かと思ったら、どうも自転車かバイクの接触事故があったらしい。どうなることかと思ったが、周囲の様子を見る限り、人命にかかわるような重大事故ではなかったようで、約15分後にゆるゆると発車した。

車窓の風景

その後、沿線はずっと田んぼが広がって、田植えの人の姿も見える。ときに小さな村や町が見えて、踏み切りを通過するときは、バイクの列や下の写真のような小学生の姿を見ることもできる。
この小学生は制服を着ているようだが、カラフルな配色が熱帯の日射しに映える。

始発駅では1両に3、4人しか乗客がいなかったが、停まるたびに乗客が増え、10時ごろから11時ごろにかけての山越え区間の前後で8割ほどの席が埋まった。

車窓の風景

弁当や飲み物の車内ワゴン販売は、10時すぎに1回目がまわってきたが、まだ腹が減っていなかったのでスルーしてしまった。
実は、これが大きな間違いだったとあとで知ることになる。

やがて、昼どきになって再び車内販売がやってきた。女性は宮崎あおいに似た、笑顔がかわいい子である。
今度は弁当のワゴンがなく、希望者から注文をとっていた。どうやら、食堂車でつくってくるらしい。
私たちもナシゴレンを注文。どんなものが来るかわくわくして待っていたのである。

昼食を前に食事の注文

ところがである。30分過ぎても40分過ぎても食事がこない。
いいかげん空腹が限界に近づいた1時間後、さきほどの男女がやってきた。
──さあ、食うぞ!
そう思ったが、彼らの手元には何もない。
ちょっと嫌な予感がした。

「すみません、売り切れです」
「ご飯がなくなってしまったんです」
下手な英語ですまなそうに言うのだが、妻は激怒。
「なんでなの!? 1時間も前に注文したでしょう!」と問い詰めるが、複雑な英語は通じないのか、相手はすまなそうな顔をして、「返金しましょうか、それとも麺にしますか?」と言うだけ。
さすがに近くのインドネシア人も憤然として、返金を求めていたっけ。

山間の小さな村

私たちは仕方がないので麺を頼んだら、15分ほどしてカップ麺に牛肉のつみれ(これはオリジナル品)をいくつか載せたものが出てきた。
しかも、お湯がぬるくて少なくてマズかった。

食い物の恨みは恐ろしいものである。妻はこの日の夕方まで機嫌が悪かった。
私はといえば、腹が減ったのは困ったが、「まあ、ここはインドネシアだし、こんなもんだろう」という感じで、がっかりはしたが怒る気にはならなかった。

スラバヤ到着
そんなハプニングもあったが、終点のスラバヤには約15分遅れの15時40分に無事に到着。結局、事故の停車分が最後まで響いたわけだが、逆にいえば遅れが広がらなかったわけで、ずいぶん運行は正確だと感じた。

ここスラバヤで1泊。今回の旅で初めての大都会である。ちょっとドキドキ。

2017-03-08

Nikkei Styleトラベル「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅」公開

3月11日を前に、「NikkeiStyleトラベル」のサイトに記事が公開されました。

女川駅に到着する石巻線の列車

今回のタイトルは「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅

1月下旬に、鉄道と路線バス10路線を乗り継いで、3泊4日かけて三陸沿岸を縦断した旅の記録です。
もっと書きたいことやお見せしたい写真がたくさんあるのですが、スペースの関係で泣く泣くカットしたところも数多くあります。
お時間のあるときにご覧ください。

2017-02-24

Nikkei Styleトラベル「イタリア鉄道旅」公開

このブログも、すっかり記事公開の紹介と化してしまいましたが……。

ローマ・ティブルティーナ駅のフレッチャ・ロッサ

「NikkeiStyleトラベル」のサイトで、23日に今月の記事が公開されました。
今回は「イタリア鉄道旅 新しい顔と昔ながらの風景を楽しむ」です。

最近の特急列車、ローカル線の新車、客車ごと船に積み込まれるメッシーナ海峡の連絡船、知られざる北イタリアのローカル線を紹介しています。
ン十年前に初めて食べたアランチーノ(ライスコロッケ)の思い出も付いています。
ちょっと長いのですが、ぜひご覧ください。


2016-05-22

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(2)

前回の最後の写真の道を抜けると、平野線の軌道跡は遊歩道になる。
道にはレールと枕木をイメージさせる模様がついていて、なかなかニクい演出だ。
密集した住宅の間を、ゆるやかなカーブを描いて走るのだが、周囲には木々の緑が濃く、晩春の夕方の散歩にはうってつけである。

途中には小さな広場があり、平野線の電車が描かれていたり、平野線の歴史を記した看板が立てられていたりして、廃止から35年以上たっても周辺の人たちには忘れられない存在なのだろうか。

平野線のイラスト

広場にあった小さな丸いベンチの屋根は、平野駅舎の8角形の屋根を形どっていて、マニア度も高い。

そして、まもなく平野駅跡へ。
1979年に来たときに見た平野駅は実にユニークだった。

1980年の平野駅1番線

恵美須町行きと天王寺行きは別のホームから発車するのだが、この2つの乗り場がほぼ縦に並んでいた。これは、恵美須町行きの1番線ホームを平野駅舎側から見たところ。
天王寺行きは、この左側にある線路を通って駅舎に近い2番線ホームに入る。狭い土地を有効利用して、こういう形になったのだろうか。

現在は、下の写真のような感じ。

2016年の平野駅跡

そして次は1番線ホームから2番線と駅舎を見たところ。駅舎はネコの額ほどで、そこを通り抜けるとすぐに商店街に出る。
まさにこの駅舎の屋根が8角形でユニークだったのだが、写真に取り損ねてしまった。
当時、私が持っていたレンズでは、駅前の道を精一杯下がっても全体を写し込めなかったのだ。
今思えば、それでも一応撮っておけばよかった。すべて後の祭りである。

1980年の平野駅ホーム

そして、同じ場所(たぶん)から撮ったのが下の写真。
古いレールを組んだ柱が見えるので、もしや昔のホームの柱を保存しているのかとも思ったが、古い写真と見比べてみると、そうでないことがわかる。
となると、このためにわざわざ作ったのか。これまたニクい演出である。
ちなみに、歩道に描かれたレールと枕木の模様では、到着ホームに2つ乗り場があったように見えるが、これはご愛嬌である。

2016年の平野駅ホーム

遊歩道を出てJR平野駅まで歩いていこうと思ったが、ちょっと距離がありそうなので、地下鉄の平野駅へ。
途中にある商店街は、なかなか味わい深かった。
街並みの写真も何枚か撮ったのだが、これはそのうちの1枚である。

平野の商店街


これで、このときの旅の写真はひとまず完。

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