カテゴリー「鉄道、乗り物」の171件の記事

2022-04-25

えちぜん鉄道 小舟渡駅の絶景

2022年4月初頭の旅のつづきである。前日、えちぜん鉄道永平寺勝山線の車窓から見た九頭竜川の風景が忘れられず、列車の走行写真を撮ってみようと小舟渡駅で下車した。

2日続けて同じ路線に長時間乗るのも面倒だとは思ったが、よく考えると山が雪化粧しているのは今のうちだからこそであり、川の流れが早いのは雪解け水で増水するこの季節だからこそだと考え直した。
たまっている仕事はあったが、朝早く起きてホテルの部屋で片づけ、眠い目をこすって福井駅からえちぜん鉄道の客になったのである。

えちぜん鉄道 小舟渡駅

小舟渡とは、ゆかしい駅名である。そういえば、東北には大船渡がある。
確かに対岸に集落があるから、小舟の渡しがあったのだろうか。今では駅のすぐそばに橋が架かっていた。
山の風景はといえば、前日よりはやや山が霞んでいたが、まあ十分に見える。山と川が織りなす絶景に、塵労に疲れた心が癒されるのであった。

えちぜん鉄道 小舟渡駅

対岸へ渡る橋は老朽化して、工事を待っているようだった。車両通行止めの立て看板が架かっていたので車は通れない。おかげで、車を気にすることなく、橋の上からのんびりと撮影できた。右手に小さく上り電車が見える。

えちぜん鉄道 小舟渡駅付近

次にやってきたのが下り電車。私が乗った次の電車だから、この駅に到着して30分後ということになる。小舟渡駅の発車直後のシーンである。日がべったりとあたった写真となった。

えちぜん鉄道 小舟渡駅付近

上の写真と同じ列車を、後追いで撮影。こちらの風景のほうがいいけれど、残念ながら前面には日が当たっていない。午後になればこちら側が順光になるのだが、そのころには山が霞んでいることだろう。

えちぜん鉄道 小舟渡駅付近

対岸へ渡る橋の上からサイドビューを撮影。1両しかない車両が、ぴったりと橋のトラスに収まった。

えちぜん鉄道 小舟渡駅待合室

この日は勝山には行かずに、小舟渡から福井にとんぼ返り。駅の小さな待合室の窓が、まるで風景画のように見えた。結局、昼前の上り2列車、下り2列車をこの駅で見たのだが、私以外に乗降客はなかった。川の流れる音だけが聞こえるなかで過ごした1時間は、かけがえのないひとときであった。

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2022-04-23

福井鉄道にちょい乗りしてちょい撮り

JR越美北線で福井におとなしく戻ればいいのだが、その途中でふと思いついた。福井駅の1つ手前(そして書類上では越美北線の起点)である越前花堂(はなんどう)駅に降りてみようと考えた。
越前花堂から福井鉄道の花堂までは、歩いてすぐだとGoogle先生も示していた。降りたことのない駅で降りるのも楽しいし。

福井鉄道花堂駅付近

越前花堂駅の上には工事中の新幹線の高架橋がずらっと並び、圧迫感は相当のものであった。駅前も殺風景でちょっと残念。

福井鉄道の踏切近くには柵も障害物もないので、ちょっと待って走行写真を撮ることにした。
まずやってきたのは、元名鉄の880形である。後ろに見えるアーチ状の建造物は、分岐器を積雪から守るスノーシェッドのようなものだ、確か。

福井鉄道花堂駅

踏切から200mほど歩くと花堂駅に到着。急行は停車しないが、味わい深い駅であった。
やってきたのは広告電車で、これまた880形だった。

福井鉄道花堂駅

福井方面の普通列車を待っている間、武生方面行きのホームを通過して行った急行列車が、えちぜん鉄道所有の「キーボ」だった。
黄色い電車だし、運がいいということにした。

福井鉄道赤十字前駅

そのままホテル最寄りの福井城址大名町まで行こうと思っていたら、赤十字前駅で車窓にこのデキ11が飛び込んできた。
駅名で油断をしていた。旧名の「福井新」だったら、「何かおもしろい車両が停まっているかも」と注意していたのに……。
気づいたときにはすでに発車していたので、「次の木田四ツ辻で降りて歩いて戻ろう」と考え直す。
すると、その木田四ツ辻も名前が変更されていて、「商工会議所前」になっていたではないか。駅名が大幅に変わったことは知っていたが、実際に来てみると、もう何がなんだかわからない。

デキ11

とにもかくにも、福井新……じゃなくて赤十字前まで戻って、デキ11をなめるように見て写真を撮った。
まだ現役で残っていたとは知らなかったので、ちょっとばかり感動である。

福井鉄道赤十字前駅

これが残っていたことにも感動。福井鉄道といえば、やはりこれ!
色褪せていたけれど健在だった。
「警報機がジャンジャン鳴っている」と書かれているが、ごく一般的な警報機の音である。
昔はどうだったのかは記憶にない。

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2022-04-22

美しき越美北線の車窓

大野市(越前大野)は家並みに加えて店の看板が興味深かった。
前回も書いたように、最近になって新調(復活?)したらしき看板もあれば、何十年も前のままに掲げられた看板もあって興味はつきない。

越前大野駅への道で

上の写真は、町の中心部から越美北線越前大野駅に向かう道沿いにあった看板。
「薬種 天産物問屋 澁谷貞作商店」とある。民間薬、漢方薬の材料の問屋だったのだろうか。
おばさんが植木に水をやっていた。

越前大野駅への道で

不思議な看板。「くろねこ」と書いてあるのは何を意味するのか?
アパートでもなさそうだし、ペット屋でもなさそう。
向こうに見えるのは「やまざき旅館」。駅前旅館というには、300mほど離れているが、昔ながらのたたずまいが趣深い。

越前大野駅

そして、やってきたのが町はずれにあるJR越美北線(愛称:九頭竜湖線)越前大野駅。
この4月からは、えちぜん鉄道勝山駅、越前大野駅と周辺観光地を結ぶミニバス(?)を運行する旨のポスターが駅に貼りだされていた。

越前大野駅

とはいえ、発着する列車がこれだけというのが寂しい。越美北線(愛称:九頭竜線)の時刻表。
福井方面(上り)が7本、九頭竜湖方面(下り)が5本である。しかも、うち1往復は工事のために運休する日があるという。
大野より人口が少ない勝山には、えちぜん鉄道の電車(電化されている)が30分おきに走っていたのに……。
福井駅前までの路線バスは日中も1時間に1本ほどが走っている。

越前大野駅

しばらくすると、JR西日本のローカル線でよく見るキハ120が1両で到着。
どうせ客が少ないのなら、もっと豪華で座り心地のよい座席にすれば、乗りたいと思う人も少しは増えると思うのだが。
もっとも、思ったより客は多く、地元の人のほうが多かった。車社会とはいっても、やはり公共の足は必要である。
福井までの所要時間はバスと大差ないが、運賃は鉄道のほうが安い。


列車の後ろのほうに乗ると、窓の外に絶景がひろがった。白山連峰の南側にあたる山々だろう。
思わず立ち上がり、スマホで動画を撮影。こういうとき、ワンマン列車だと車掌がいないので思う存分写せるのがいい。
昔だったら周囲の目が気になって照れくさいところだが、最近はカメラやスマホで撮影するハードルが下がったのが喜ばしい。

一乗谷駅

途中でこんな駅が。小さな駅ではあるが、歴史好きと思われる中高年のグループが何人も乗り込んできた。
福井までは約1時間の行程である。

国鉄時代の1982年には、逆コースで越美北線の終点九頭竜湖まで乗り、そこから国鉄バスで越美南線の北濃へ。そして越美南線で美濃まで乗って名鉄美濃線に乗り換えるという旅をしたことを思い出す。
いまは、越美北線と南線を結ぶバス路線もなくなってしまった。
下の2枚の写真は、そのときに撮ったものだ。上が越美南線北濃駅、下が越美北線九頭竜湖駅である。

1982年の越美南線北濃駅

1982年の越美北線九頭竜湖駅

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2022-04-14

福井駅前はまだまだ変貌中

3月下旬、仕事と仕事の合間にぽっかりと空いた時間を利用して、北陸をめぐろうと計画した。
もっとも、計画したとおりにはいかず、旅先でも早起きして仕事をするハメになったのだが……。
今回のメインは福井。北陸というと、いつも富山、金沢をめぐって力尽き、福井はないがしろになりがちだった。
今回は、富山、金沢を早めにきり上げて福井に重点を置くことにしたのである。

福井駅

福井駅には、だいたい5年に1回くらいのペースで降り立っているのだが、降りるたびに駅と駅前が激変しているのに驚く。
新幹線開業を控えて完成した駅は前回も見たのだが、今回は壁面に恐竜が踊っていた。

2000年の福井駅

ちなみに、これが2000年の福井駅だ。面白みのない建物だが、今となっては懐かしい。
それ以上に、このときもまだモノクロフィルムを使っていたのかと、一人感慨にふける。
確か、最後にモノクロフィルムを使ったのは2004年だったかと記憶している。もちろん、自分で現像をしていた。

福井駅前

福井鉄道軌道線の通称ヒゲ線も変わった。JRの駅から中途半端な距離にあった終点は、文字通り駅前広場に移転。もっとも、せっかくならば富山のように駅の真下に乗り入れるくらいのことをしてほしかった。
この日は、シュトゥットガルトからやってきた通称「レトラム」が運用に入っていて、たまたま撮ることができた。

福井鉄道の「フクラム」d

かつて福井駅前の終点があったあたり。通称「フクラム」は福井の電車のイメージを大きく変えた。東京でもこんな車両が大通りを走れば、路面電車(トラム)に対する認識も変化するかもしれない。
驚いたことに、商店や小さなビルが建ち並んでいたパックの一帯は更地になっており、重機が忙しく動いて再開発まっさかりだった。
また何年か後に来たら、大きく変化しているのだろう。

山田銘木店

そんな駅前風景のなかで、唯一変わらないのがこの「山田銘木店」。市だか県だかの指定文化財のような看板が小さく立っていたので、この建物は安泰だろう。

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2022-04-13

『ようこそシベリア鉄道へ』刊行!

また、ごぶさたしてしまいました。
昨年は母が死去したために新年のごあいさつをせぬまま、多忙にかまけてブログもなおざりに。気がつけばまもなく大型連休となりました。

『ようこそシベリア鉄道へ』表紙
 ↑ 画像をクリックするとAmazonのページにジャンプします。

久しぶりの書き込みは、3月に刊行された拙著のご案内です。
タイトルは、なんと『ようこそシベリア鉄道へ』! 発行元は雑誌『旅と鉄道』を発行している天夢人(てむじん)です。
企画段階だった昨年末ころは、「春になったらコロナも下火になって、みんな海外旅行に行きたくてうずうずしているころだろう」とみんなでのんきなことを言っていました。

『ようこそシベリア鉄道へ』

『ようこそシベリア鉄道へ』目次

それが、まさかのロシアによるウクライナ侵攻……。シベリア鉄道どころではなくなってしまいましたが、乗りかかった船、出しかかった本ということで発売となりました。
著者としては、「こんなときだからこそ読んでほしい」というしかありませんが、幸いなことにそこそこ注目されているようです。

『ようこそシベリア鉄道へ』

内容は、以前ご案内した私家版『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』をもとにしたもので、2015年の乗車記(当時日経BPオンラインで連載されて好評を得たものです)をベースに、1981年と1985年のソ連の町歩きを交えて構成しています。

『ようこそシベリア鉄道へ』

『ようこそシベリア鉄道へ』

今回は、さらに最新動向や実用情報などを加筆しました……といっても、もはや実用情報は役に立ちませんが。むしろ、「こんな時代もあったね」「平和な時代だったな」と読んでくだされば幸いです。

値段は2100円+消費税でお高いと思われるかもしれませんが、オールカラーで写真満載。文章も読みやすく読みごたえもあります(自分で言う)!

『ようこそシベリア鉄道へ』

思えば、笑って、驚いて、感動して、幸せだった旅の日々でした。
本文中には、個性の強い市井のロシア人が数多く登場しています。
はたして、今頃どうしていることやら。なかには戦地に駆り出されたのではないかと思える若者もいて心が痛みます。
旅好き、鉄道好きな方はもちろん、多くの人に読んでいただければと思います。
のんびりとした旅行をできる日が1日でも早く戻りますように。

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2021-07-16

地下鉄丸ノ内線後楽園駅

丸ノ内線の後楽園駅というと、上下線のホームを覆うドームを思い出すが、残念ながら撮影していない。
中学・高校と毎日通過していたのだが、……いや、通学で使っていたからこそ、撮るチャンスがなかった。
今のようなスマホや高性能コンパクトカメラがあれば別だが、わざわざ学校にカメラを持っていくわけにもいかなかった。

丸ノ内線後楽園駅

後楽園の駅ビル建設とともに、駅は屋根の低い味気ない形になってしまったが、歩道橋のこの角度から見ると意外に愛嬌がある。
ドジョウが水の中からちょっと顔を出したような感じ。

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2021-06-27

1960年代のブルーバードに出会う

ワクチン接種を受けるために家の近くを歩いていたら、懐かしい車に出会った。
1960年代のダットサン・ブルーバード!

ダットサン・ブルーバード

目つきの鋭い新車にまじって、昔ながらのデザインはなんだかほっとするなあ。
ナンバーは、「練馬5」という1桁。
オーナーが大切に使い続けているのだろうか。

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2019-03-20

ポルト旧市街は大人のテーマパークだった

長々と続いた2019年9月のスペイン・ポルトガル旅行の最終回である。
リスボンもよかったが、ポルトもまた楽しめる町であった。
あえて、これまで旅行したことのある町に例えれば、ベルギーの町というイメージか。

 

乗り物好きとすると、新旧さまざまなスタイルの公共交通機関が動いているのが楽しい。
前回紹介したメトロのほかに、旧型のトラムが3系統残されている。

 

ポルトの旧型トラム

 

何も調べずに来たものだから、旧市街を散歩していたときにレールを見つけたものの、初日はいくら歩いても電車をすれ違うことなく、もう廃止されたのかと思っていた。
最終日になって、ようやく電車が走っているのを見つけて、小走りにあとを追いかけた私たちである。
集電装置はボールなので、ドン・ルイス一世橋に近い22系統の終点では、方向転換のために下の動画のような「ポール回し」も行われていた。

 

 

乗務員は、かなり太めの30代くらいと思われる女性一人。
車と人でごったがえしている旧市街の急坂を、絶妙なコントローラーさばきで運転していた。よほど神経を使う仕事だろうから、あまり愛想がないのはやむをえないだろう。
料金は1.5ユーロだったか。22系統は30分おきの運転で、乗客の大半は観光客。それでも、途中から地元のおばさんが乗り降りしていた。

 

190313b

 

ちなみに、このドン・ルイス一世橋をわたるのはメトロ。トラムは渡らない。
さて、歩いて橋の上側を渡ると、橋のたもとから川沿いに降りるロープウェイがあった。
反対側のたもとにはケーブルカーがあり、乗り物好きにはたまらない。

 

190313c

 

この日は週末とあって、外国人だけでなくポルトガル人も繰り出して、まさに川沿いはテーマパーク状態であった。
ここにはポルト・ワインの酒蔵もあり、見学ツアーに予約してから、近くの店に突入。
隣のテーブルのお客さんにならって、私たちも真っ昼間からポルト・ワイン飲み比べ!

 

190313d

 

酒蔵見学をしたり裏通りを歩いたりしているうちに、いつしか陽も傾いてきた。宿がある対岸に戻るためにまたロープウェイでは芸がない。
20分おきくらいに行き来している渡し船を利用してみた。まさに、乗り物三昧である。

 

190313e

 

対岸もまた、人でごったがえしている状態。
とはいえ、ポルトガル人の穏やかさなのか、それほどうっとうしさを感じないのは意外であった。

 

190313f

 

夜に訪れた若い主人が営む小さなレストランや、そこで飲んだミネラル感たっぷり塩味が感じられる白ワインや、深夜までライブを楽しんだ宿の隣のスタンドバーなど、ポルトの思い出は書いていたらきりがないので、このあたりでおしまいとしたい。
そして、すでにポルトガルから帰ってきてから半年もたつのだが、今も毎日の仕事のおともにファドのCDをかけているのである。

 

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2019-03-10

ポルトの心地よい喧騒にひたる

すっかり間が空いてしまいましたが、ポルトガルの旅の最後の町、ポルトの話。

コインブラからは、特急アルファペンドラーレに乗って、1時間半くらい。名前からして、振り子式の列車なのだろう。どこか垢抜けないスタイルだが、昔のポルトガルの鉄道とくらべたら素晴らしい変化である。
リスボンで指定席を買うのにこりたので、今度はネットで予約。車内の検札では、Eチケットを印刷した紙も不要で、タブレットを見せたが、それも必要ないという。名前だけ尋ねられておしまいであった。

クレリゴス教会/Igreja dos Clérigos

大変だったのは、ポルトの駅から宿までである。
妻が「疲れたからタクシーで行きたい」というので、ポルトの駅前で待ったのだが、待てど暮らせどタクシーがやってこない。
長距離列車が停まるポルト・カンパーニャ駅は中心から外れているので、重い荷物を持って歩くわけにもいかない。

やむなく、不機嫌な妻とその重い荷物を引っ張って、なんとか200mほど離れたメトロ(というより、どちらかというとトラム)の駅まで移動。4駅乗って、さらに20分ほど歩いて旧市街の宿に着いた。

あとで知ったのだが、なんとタクシー運転手がストライキをしている日だったのだ。
宿の人も気の毒そうな顔で迎えてくれた。

アズレージョが美しいポルト・サンベント駅

宿にした旅行者用アパートは、世界遺産にもなっている旧市街の北側にある。
ちょっと殺風景だったポルト・カンパーニャ駅周辺とは打って変わって、味わい深い建物の数々に魅了された。

最初の写真は、宿からほど近い場所にあるクレゴリス教会とその塔。
「はじめて訪れた町では、まず高いところに登る」
この行動規範を守って、翌朝早くにここを訪れて、塔から町を見下ろした。

ポルト・サンベント駅構内

2、3枚目の写真は、町の中心部にあるポルト・サンベント(Porto São Bento)駅である。
アズレージョ(青タイル)が美しい建物はポルトガルじゅうにあるが、とくにここの構内は素晴らしかった。
近郊電車がたまに発着するだけの駅だが、利用者の何倍、いや何十倍もの観光客で賑わっていた。

せっかくならば、長距離列車もこの駅まで乗り入れてほしいものである。
行き止まり式のホームなので使い勝手が悪いのかもしれないが。

観光客で賑わうドン・ルイス1世橋を渡るメトロ

そして、一大観光スポットであるドン・ルイス1世橋(Ponte Luís I)の近くで撮ったのがこの写真。
橋は2段になっていて、上段にはメトロが通っていた。
このメトロは都心では地下に潜り、郊外では外を走る。まさにLRTの見本といっていい路線である。
空港にも延びていて、旅行者の使い勝手もいい。

こんな便利な鉄道が、日本の地方都市にあればいいのだが……と思うことしきりであった。

ポルト旧市街のアパート

さて、宿泊したアパートの室内がこれである。
建物の外側は、旧市街とあってどうということのないものだが、中はきれいにリフォームしてあった。

こんな宿ならば1週間くらい泊まりたいものだが、今回は2泊だけ。

旧市街の真夜中の喧騒!

夜になって、どこかに軽く飲みに行くところはないかと思っていたら、まったく心配なかった。
なんと、宿の前の道に面して、何軒ものビア・バーや軽食屋が並んでいるではないか。
飲み屋街のまっただなかに泊まったようなイメージである。

そして、夜遅くに店を出てびっくり。
土曜の夜とはいえ、まさに道路を埋めつくすような人出なのである。
宿のテーブルの上に耳栓が備えられていた理由がよくわかった。
人の声は、明け方4時ごろまで聞こえていた。

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2018-12-26

コインブラの夜

コインブラ(Coimbra)の主要駅には、コインブラB駅とコインブラA駅がある。
リスボンやポルトと結んでいる本線上にあるのは、町外れにあるB駅。町の中心部に行くには、そこからローカル列車に乗ってA駅まで行く必要がある。
B駅とA駅の間は約3km。1区間だけの盲腸線が結んでいる。

コインブラA駅

あとで知ったのだが、2010年ごろまではA駅から先に路線が延びていたようだ。
Googleストリートビューを見ると、確かに廃線跡が伸びていて駅も残っている。そのまま跡をたどっていきたかったが、1泊2日ではそんな時間はなく、道路上に残るレールを撮ったのみに終わった。

市内を行く廃線跡

コインブラ訪問の目的は、世界遺産にもなっているコインブラ大学と、コインブラ独自のファドである。
情念の固まりのようなリスボンのファド(みんながみんなそうではないけれど)と違って、コインブラのファドは青春のセンチメントを歌いあげるというのが私の勝手なイメージである。
なにより、歌い手がコインブラ大学の在学生か卒業生の男性に限られているというが興味深い。

下調べをしてみると、コインブラのファドが聴ける場所は限られているようで、そのなかでも夜遅くまでやっている中心部のカフェ・サンタクルス(Café Santa Cruz)に向かうことにした。

夜のコインブラ旧市街

金曜日の夜なので、そこそこ人は出ているが、さすがに大学を中心にできた都市だけあって、リスボンのような喧騒はない。
その代わり、中心部の広場ではなぜか東欧風の民族舞踊が行われていて黒山の人だかり。

しかし、踊りはともかく歌い手がひどく下手だった。
それは素人でもわかる下手さ加減で、妻も同意見だから間違いない。
だが、それでも見物人はみな喜んでいるようなのは解せないところである。ほかに娯楽が少ないからなのだろうかと勘繰ってしまうほどの体験であった。

サンタ・クルス教会前

それはそれでいいのだが、目指すカフェ・サンタクルスの入口が、その踊りをやっているすぐ脇にあるのだ。
上の写真で、中央に見えるのがサンタクルス教会で、カフェはその右の建物である。
「こんなうるさくちゃ、ファドのライブは休みかな……」

心配になったが、店の入口には18時からと22時からライブがあるとの貼り紙がしてある。
恐る恐るドアを開けると、カフェの内部はかなり広く、奥の舞台で男性歌手がギタリスト二人を従えて歌っていた。
防音もしっかりしているのか、店に入るとあの下手くそな歌声はほとんど聴こえなくなっていたのは幸いである。

カフェ・サンタクルスのファドライブ

来店が遅くて結局1時間弱しか聴けなかったが、いかにもコインブラ大学卒業生という感じの中年インテリ男性は、透き通った高い声でファドをすがすがしく歌いあげていた。
そして、ここでも客で唯一CDを購入。カフェが製作したオムニバス盤であった。

「私は20年ほど前、演奏旅行で日本に行ったことがありますよ。素晴らしい国民ですね!」
サインをしながら、歌手のアントニオ・ディニスさんは穏やかな微笑みを浮かべて語った。
半分は社交辞令であっても、うれしいものである。

そういえば、上の写真では、舞台の上に椅子が逆さまに吊る下げてあるのが見えるが、その理由を聞きそこなった。
「ダモクレスの剣」のようなものなのか。よくわからない。

タラ専門レストランの片隅で

さて、目的のコインブラのファドは聴けたが、すでに時刻は11時半。
カフェの飯では寂しいので、まともな晩飯を食べようと町をめぐるのだが、どこも閉店の札が。

最後にたどりついたのが、その名も「ソラール・ド・バカリャウ」(Solar do Bacalhau)という鱈(タラ)が名物らしきレストラン。バカリャウは、ポルトガル語でタラのことである。
団体観光客でも来るのか、かなりの広さの店であった。
もう、一部では片づけはじめていたところを、店長らしき人がにこやかに招き入れてくれた。

ビンテージ物の干し鱈

料理は十分にうまかった。
名前になっているだけあって、干し鱈の料理はとくによい。
店の片隅には、干し鱈ミニ博物館のようになっていて、ビンテージ干し鱈がぶら下がっていた。最後の写真である。

料理を食べ終わり、ホテルにたどりついたのは夜中の1時ごろ。
フロントは24時間サービスをしているというので、まるで警備員のようなフロントのおじさんにお願いして、エスプレッソコーヒーを入れてもらい、薄暗いロビーで飲む私たちであった。

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