カテゴリー「イタリアの旅 北から南まで」の255件の記事

2021-12-09

ガンジからパレルモへ──車窓から見た町々

ガンジからパレルモまでは、sais社が運行するバス便が2、3往復ある。
曜日や休校日などの関係で運行しなかったり運行したりと複雑であるが、宿の女主人が観光案内所だかの知人に電話して、夕方に出る最終バスの確認をしてくれた。だが、私がネットでようやく調べあてた時刻とは10分ほど違っている。
イタリアではよくある話だ。まあ、早く行っておけば問題はない。
結局、私が調べた時刻のほうが合っていたようである。

ガンジ遠景

「バス停まではどうするの?」
 坂を下っていくだけだから、「歩いていきます」と答えた。
「えー、そんな大荷物を持って大変よ。車で送っていくわ」と宿の主人。
 確かに、重いスーツケースを持って、あれだけの階段を降りるわけにもいかない。だからといって車道を歩くのでは、ヘアピンカーブ連続のとんでもない大回りになってしまう。親切に甘えて乗せてもらうことにした。

ペトラリーア・ソプラーナ

パレルモまでの所要時間は2時間あまり。便によって経由地が多少違っている。
以下、何枚かはバスの車窓から見た景色である。窓ガラス越しなので、色の調整がなかなかうまくいかないのはご容赦を。
トップの写真はガンジ。晴れていれば、このバックにエトナ山がドンと見えるはずなのだが残念!
実は、その景色を期待したのだが……。冬晴れの日の景色をネットで見たが、それだけを見に再訪してもいいくらいである。

バスの車内から

そして、20分ほど走ると、隣町のペトラリーア・ソプラーナ。2枚目の写真である。
ソプラーナという名前だけあって、丘の上に町並みが連なっている。
これを見ただけで、この町にも来たくなる。

そして、そこからすぐのところに位置する町が、下の写真のペトラリーア・ソッターナ。
あとで調べたところによると、ここは「アートの町」なのだそうだ。

ペトラリーア・ソッターナ

この町の見事さは降りなくてもわかる。
中心部を横切り、町外れに出ると、町をぐるりとまわっていく。それにつれて、刻々と町の様子が変わっていくのが素晴らしい。
──ここも訪れなくては。
また宿題が増えてしまった。町には宿もいくつかあるようだし、パレルモからこうやって路線バスがあるので、再訪の難易度はそれほど高くない。

ペトラリーア・ソッターナ

そして、下の写真は逆光になってしまったが、山中の最後の町。
名前は忘れてしまった。あとで、撮影時刻と時刻表を照合すれば場所がわかるだろう。
デジタル時代になって便利になったことの一つである。

途中の町

そのあとは高速道路に乗ってパレルモに一直線。
パレルモ駅横にあるバスターミナルに着いたのは夜の8時すぎだった。

パレルモのバスターミナル

宿に荷物を置いて食事をしたのちに、パレルモの中心部をぶらぶら。
ときおりすさまじい雷鳴がとどろいて、にわか雨が降るなか、雨をやり過ごしてクラフトビールを飲んだりと、楽しい散歩であった。
イタリア語ではビッラ・アルティジャナーレ。直訳すると職人ビールという感じか。

パレルモのクラフトビール

1990年代半ばごろまでだったら、夜のパレルモなんて危なっかしくて歩くのもびくびくだが、もうそんな時代ではなくなっていた。
観光客で賑わう中心部の道は歩行者専用となり、まばゆいばかりの店のあかりがもれてくる。
まさか、そこから1km程度しか離れていないところで、大変な集中豪雨になっているとは、このときは知るよしもなかった。
(2017年シチリアの旅・完)

| | コメント (0)

2021-11-29

ガンジの町の遠景写真と60体のミイラ

イタリアに丘上都市は数あれど、ガンジほどの規模でびっしりと丘上を覆っている町は見たことがない。
しかも、そこに多くの人が住んでいて、近代的な暮らしをしているのが興味深い。
そんなガンジの外観を写真に撮ろうと丘を下っていったのだが、下の写真が撮れる場所まで往復するのが大変だった。ほとんど登山といっていいくらいだ。
宿(旅行者用アパート)はこの中腹に位置する。

ガンジ

下の写真は、宿の窓から撮ったもの。
いくつもの部屋があって清潔で新しい! しかも、目の前の通りが町一番の目抜き通りだった。
この写真の遠くに見えるふもとまで往復したのである。

ガンジ

当たり前だけど下りは楽だった。
町を横切る車道はかなりの坂道で、丘の頂上からふもとまで、いくつもヘアピンカーブを描いている。
そんなカーブに駐車していたフィアット500。

ガンジ

車道とは別に、歩行者用の階段の道もある。
9月だからシチリアはまだまだ真夏。さすがにバテた。
ちなみに、妻は疲れが出たのか、風邪気味だというのでアパートで昼寝をしている。

ようやくふもと近くまで降りてきたのが下の写真。
確か、もう1、2回ヘアピンカーブを曲がると、パレルモ行きのバスが通う国道になる。

ガンジ

そして、ようやくガンジの全体像が見えるようになった。
あまりに感動して、山ほど写真を撮ってしまった。フィルム時代だったら大変なことになっただろう。

ガンジ

さらに全景を撮ろうと歩いていると、馬がやってくるではないか。
「この土地ではまだ馬が現役なのか!?」と思ったが、そうではなかった。乗馬クラブの人たちらしい。
あちらも、こんな場所で東洋人にいきなりカメラを向けられて、さぞ驚いたことだろう。

ガンジ

夕方のパレルモ行きバスの時刻まで宿を使っていいというので、午後も荷物を置いて町を上から下までなめるように一周した。
妻も元気が出てきたというので、午後の散歩に同行。
下の写真は、前日に結婚式が行われていたた聖ニコロ教会。

ガンジ

内陣の装飾も立派なのだが、なんといっても度肝を抜かれたのが、地下にあるクリプタ(地下聖堂)である。
そこだけは有料になっているのだが、なんとそこには歴代の司祭60人のミイラが安置されていた。

ガンジ

しかも上のポスターのように、服を着て立った姿で収まっているのだ。
ミイラ好きな妻はいたく気に入ったようである。ちなみに、地下聖堂は撮影禁止。
ポルトガルで見たしゃれこうべ満載の聖堂も驚いたが、ここはそれ以上の不気味さであった。

| | コメント (0)

2021-11-21

丘上都市ガンジで遭遇した結婚式

間があいてしまったが、2017年のシチリアの旅の続き。
ニコジーアの次に向かったのは、ニコジーアから西に20kmほどに位置するガンジの町である。

201030a

ここは、実に見事な丘上都市なのだ。左右1km、奥行き500mくらいの丘の上に、家がびっしりと建っている。遠くから眺めると、まるでジオラマかミニチュアのよう。丘上都市はイタリアに数あれど、ここは規模といい美しさといいベストの部類に属するといっていい。

201030b

行政区分でいうと、ニコジーアやスペルリンガはカターニア県だったが、ここガンジはパレルモ県である。
ニコジーアとガンジを結ぶ路線バスがあるので移動は問題ないと安心していたら、日中にガンジに向かう便は、学校のある日だけ運行することが判明。まだ9月初旬で夏休みだったので、バスは動いていなかったのだ。
ニコジーアのB&Bのオーナーに相談して、ガソリン代プラスアルファくらいの値段で乗せてもらい移動することができた。

201030g

ホテルは丘の中腹にあった。まさに町の中心部である。
時刻は午後3時すぎ。宿に荷物を置いて散歩に出ると、なにやら教会の周辺がすごい人出である。

201030c

ビシッとスーツやドレスに身を包んだ人が行き来しているのを見て、結婚式だとわかった。
だが、いくら待ってもなかなか教会の中から人が出てこない。しびれをきらして近くを散歩して戻ってくるころになると、なんとなくあたりが騒がしくなった。

201030d

この写真は、教会の前でコメで絵を描く女性。
そして、ようやく新郎新婦が教会から現れると、クラッカーが鳴って大騒ぎである。

201030e

このあとに、新郎新婦の写真撮影などがあって、まだまだ興奮は続くようであった。
教会を取り囲む人びとは、みな関係者かと思っていたら、新郎新婦の登場を見たところで少しずつ散っていった。単に結婚式を見物に来ていた人が多かったようだ。

201030f

上の写真は、たぶん結婚式があろうがなかろうが、教会の前に集まって世間話をしているヒマな親爺軍団である。+

さて、ここガンジには1泊だけの予定である。時間がもったいないので、日が出ているうちに丘の頂上までひたすら散歩してみた。

201030h

前日までの曇り空から一転して、ようやく晴れた。
傾いた太陽がガンジの町を照らすなか、ホテルのある中腹と丘の上を2往復ほどした私たちであった。

201030i

 

 

 

| | コメント (0)

2021-10-15

ロバート・キャパゆかりの地でもあったスペルリンガ

スペルリンガの村(イタリアでは自治体はみなコムーネなので、村も町も市も区別はないのだが)をぶらぶらしていると、下のような立て看板を見つけた。

211010a

これは、ロバート・キャパが撮った写真である。キャパといえば、ノルマンディー上陸作戦やスペイン市民戦争などを撮った報道写真家、とくに戦争写真家として有名だが、この村にも来ていたのである。

ときは第二次世界大戦末期。イタリアのファシスト政権はすでに崩壊し、パルチザンを中心にした新政府が占領軍であるドイツに宣戦布告をした。一方、シチリアに上陸した連合軍は、徐々に北上してドイツ軍を追いやっていく。
そんな時期の一場面である。地元の老人が、アメリカの斥候兵(たぶん)に道を案内している。

211010b

もっとも、あまりにも構図が決まり過ぎているし、緊張感も感じられない。
やらせとはいわないが、「ちょっと、その姿勢で待っていて。そうそう、中腰がいいなあ」なんていいながらポーズをとってもらって撮影したのではないかと個人的には思っている。

211010c

なんて想いながら、ぶらぶらと村の中心に戻ってきた。
狭いながらも国道が走り、バールがある広場である。
階段を降りてくると、そこには親爺軍団が集まっていた。私たちの姿を見てみな微笑んでくれる。
「こんな田舎町までよく来たな」という歓迎の気持ちなのだろうか。

211010d

私たちはこの広場でB&Bの若夫婦と待ち合わせをしている。
まだ姿が見えないのでバールでコーヒーを飲んでのんびりしていると、親爺軍団のうちの何人かが店の外でトランプをはじめた。
これが毎日の日課なのだろう。ギャラリーも集まっているのが微笑ましい。
学生時代の雀荘を思い出した。

211010e

それにしても、なんとぜいたくな環境。
広場の向こう側には、広々とした丘陵が広がっている。
狭いところに集まってトランプをしているなんて、もったいない!

211010f

まあ、そんなふうに思うのは、旅行者の勝手な感想だろう。
ずっとこの環境に住んでいる人は、珍しくもないともない風景に違いない。
生活はけっして便利ではないだろうが、これはこれで幸せそうである。

| | コメント (2)

2021-10-09

岩窟住居の村 スペルリンガ

ニコジーアには2泊3日の滞在。その中間の日は、午前中にニコジーアの丘上に登り、午後からは直線距離で3kmほど北西にあるスペルリンガ(Sperlinga)を訪れた。
山道をゆくので道のりは8km近くあるようだ。普段の平日ならばバスが1日に何往復かあるのだが、休校日にはいい時間帯のバスが運休。すでに9月になっていたが、イタリアの学校はまだ夏休みだった。

スペルリンガ遠景

3kmならば歩いて行けるが、8kmの往復はちょっとつらい。
そこで、前もってB&Bの人に「町にタクシーはないか」と伝えておいたところ、「タクシーはないけれど心配するな」という返信があった。
結局、タクシーよりもずっと安い料金で往復してくれたわけだ。

スペルリンガの城砦

スペルリンガの遠景は、トップの写真にあるとおり、かなり異形である。村のニコジーア側には、巨大な岩がそびえたっており、そのてっぺんには城砦の跡が残っている。そこに達するには、岩の中をくりぬいた通路を歩く。そして、城砦の上からは絶景が楽しめるはずだったが、なんと最近になって落石事故があったとかで、立入禁止になっていた。

スペルリンガの岩窟住居c

しかたがないので、B&Bの若夫婦に2時間後に迎えにきてもらうことにして、ぶらぶらと村めぐりをすることにした。
岩城については予備知識があったものの、現地に行って驚いたのが岩窟住居である。岩をくりぬいて住まいにしているのだ。
世界遺産になったマテーラは石灰岩をくり抜いたものだが、ここの岩は見るからに固そうである。さぞかし掘るのは大変だっただろう。

スペルリンガの岩窟住居

ただ、見た限りではほとんどが無人となっており、どれだけが使われているのかはわからない。
現在では、すぐそばに一般の住宅が建てられているので、わざわざ不便な(たぶん)岩窟住居に住みつづける必要はないのだろう。
驚くのは、家の扉の脇に、番地を表す陶器の板がはめ込まれていたことだ。ということは、比較的最近まで使われていたに違いない。

スペルリンガの岩窟住居教会

岩窟住居跡の近くにある家のベランダから、こちらを見ている老婦人がいたので尋ねてみた。
「あの家々は、いつごろまで使われたのですか? 1950年代から60年代ころまで使われていた?」
老婦人はにっこりと「Sì」(そうよ)とひと言。
もしかすると、この人も岩窟住居で生まれ育ったのかもしれない。 

スペルリンガの岩窟住居の町並み

入口の扉が開いている岩窟住居の中に入ってみた。10畳みほどの広さの湿っぽい室内には、ポンペイの遺跡で見たようなかまどがあり、フライパンのような日用品が転がり、朽ちたソファが放置されていた。

| | コメント (2)

2021-10-02

ニコジーアの丘上の出会い

2017年9月の旅の続き。
ニコジーア到着の翌日は、朝から狭い町をぶらぶら。
やはり、煙となんとかは高いところに登りたがるので、旧市街を経由して丘のてっぺんにある城砦跡へ。

ニコジーアの丘上

町の雰囲気を見る限り、丘の斜面にあるのが旧市街のようである。
いつのもイタリア町めぐりのように、ひらすら急坂を登る私たちであった。
坂の途中にはネコがいたり、こんなフィアット500も生息している。

ニコジーアの丘上で見たフィアット500

城砦からは町が一望できる。下の写真は、そこよりも少しくだったところで、こちらのほうが写真としては見栄えがする。
城砦はほとんどが崩れていて、ところどころに残る岩に往事の面影を残すのみである。
写真を撮っていたら、同じ宿に泊まっていたブラジル人男性2人とばったり。
「そりゃ、行くところは限られるから会うよね」

ニコジーアの丘上から見た中心部

そういえば、B&Bの兄さんがこんなことを言っていた。
「きょうは、あなたたち日本人のほか、ブラジル人、ドイツ人、オーストラリア人が泊まっているんだよ。なんてインターナショナルなんだ!」
観光地でもないシチリア内陸の田舎町では、画期的なことなのかもしれない。
ちなみに、私たち2人は、B&B開業以来はじめての日本人宿泊客なのだそうだ。

ニコジーアの丘上

城砦で写真を撮っているうちに、一天にわかにかき曇り、ぽつぽつと雨が降ってきた。
こりゃ大変だと、急坂を転がるように下り、バールに雨宿りをしたとたん土砂降りになった。
上の写真は、翌日の訪問で撮ったので晴れている。
道の左側にバールがあり、右のテラス席からは素晴らしい眺めが楽しめる。
奥に見える建造物は、「フェデリーコ2世の時計塔」と呼ばれているが、どこまでフェデリーコ2世と関係があるかは不明である。

ニコジーアの丘上のバール

時刻は11時過ぎだったが、5、6人いた客はみな当たり前のようにビールを飲んでいた。
顔見知りのメンバーがのんびりしているところに、いきなり東洋人の夫婦が飛び込んできてイタリア語でなにやら話すのだから、大いに興味をもたれて大歓迎された。
写真中央がマスターで、ちょっと英国のチャールズ皇太子に似ている。

ニコジーアの丘上のバール

客のおじさんの説明によると、カヴァリエーレ(騎士)の末裔なのだそうで、正装で撮った写真がバールの片隅に飾られていた。
「馬(カヴァッロ)を持っていないカヴァリエーレだよ」とおじさんは笑っていた。
さきの写真の3人のうち、左の男性は郵便配達中の郵便局職員。さすがに勤務中なのでビールは飲んでいなかった。
右端の男性は「象さん」と呼ばれていて、近くにある教会の鍵を持っているとのこと。

ニコジーアの教会

「もう時間が過ぎて閉めちゃったけれど、見ていかない?」
「喜んで!」
ということで、見せてくれたのがこの教会である。鄙には稀なといっては失礼だが、実に見事な内陣である。
柱にも美しい装飾がほどこしてあるのが珍しい。修復されて間がないのか、天井画もすばらしかった。

ニコジーアの教会

昼間からビールを飲んでご機嫌なわれわれ。
テラスに戻ると、また別のおじさんに「夕食はもう決めている?」と聞かれた。
「いや、まだ」と答えると、
「じゃあ、おれの親戚の店に行くといい。予約しておこうか?」
「お願いしま~す!」
さらには、アランチーノがおいしい店まで紹介してくれた。

ニコジーアのネコ

「いやあ、きょうの昼は楽しい出会いだったね」
その日の夜、予約してもらったレストランでそんなことを話していたときに、ふと思い出した。
「ビール代、払ってない!」

その翌日は午後に出発なので、午前中にまた丘の上までえっちらおっちら登って、バールを再訪した。
カウンターにいたお姉さんに、「きのうの御勘定を払うの忘れた」というと、
「いいのよ、あれはおごり。またビール飲んでいく?」
「喜んで!」
その日もテラス席でわいわいいいながら記念写真を撮り、またもや代金を受け取ってもらえずに帰って来た私たちであった。
コロナ禍でみんなどうしていただろう。元気でいるだろうか。

| | コメント (2)

2021-09-20

祭りの夜のニコジーア

ちょうど、ニコジーアではお祭りの日だったようで、前回の動画に出てくる音だけの花火も、その一環だったようだ。
宿でひと休みしていたら、前の通りから賑やかな太鼓の音が聞こえてきた。
顔を出して眺めたのが下の写真である。

行列の先頭は太鼓を鳴らす少年3人。複数の太鼓をまるで無節操と思われるタイミングでドンドンジャカジャカと鳴らすのは、シチリアの民俗音楽のCDで聴いたことがある。
CDに録音されていたのは別の町だったが、あちこちに残っているのだろう。
「あれは、この町のオリジナルだよ」と、翌日バールで知り合った男性に教えてもらった。

210920a

行列には地元の人たちが参加しており、最後尾は聖職者たちとマリア像である。
左上にある看板は、B&Bのもの。星3つというのは盛りすぎで、せいぜい2つの設備だなあ。

食事に出かけて、町の中心部でもこの行列に出会った。全部で3分というちょっと長い動画だが、下に貼っておこう。
長い長い行列のあと、ちょうど2:00あたりで、ようやく小型トラックに載せられたマリア像が登場する。

 

そして、晩飯のレストランへアポなし突入。ホテルもない町なので、レストランの数もそう多くない。
一番の人気という店は、なんと休業期間中。しかたがないので、もう一軒の評判がいい店を訪ねた。
味は十分に満足。店にテレビがあるのもイタリア仕様。ヒマなときにそれを店主が見ているのもイタリアあるあるである。

210920b

食事をとる先は限られているのか、この店でB&Bの女性に遭遇。
知り合いの女性と夕食に訪れたようである。

210920c

食後に、もう一度遠景の夜景を拝みに町外れへ。
レストランがあったのは、画面左端の中央あたり。B&Bは、そこから撮影地点との中間あたりである。

| | コメント (0)

2021-09-17

古きよきイタリアを思い出すニコジーア

2017年のシチリアの旅の続き。
カターニアからバスでやってきたのは内陸のにあるエンナ県のニコジーアという町である。
エンナには2000年に行ったことがあるが、ここは初めての訪問だ。日本語のネットではなかなか町の情報が得られず、nocosiaで検索するとキプロスの首都ばかりがヒットする。
それでも、丘の上に広がる町の遠景の写真が気に入って、そのあとに行く予定のガンジへの途上に位置することもあって、ここに宿泊することに決めたのだった。

210903a

ニコジーアはそこそこ大きな町なのにもかかわらず、宿泊施設がわずかしかない。しかも、ホテルがなく、B&Bが3、4軒あるだけで、しかもこのときに営業したのは2軒だけだった。
あまり見どころのない町なのかと思ったのだが、近隣のスペルリンガにも行きたかったので新市街にあるB&Bを2泊予約したした。

210903b

B&Bで待っていたのは30代後半くらいのカップルである。
──いや、行ったときには不在だったから、入口に書いてあった携帯の番号に電話をして、鍵の暗証番号を聞いて私たちが先に建物に入って待っていたのである。
男性はパラグアイ出身だそうだが、南米人によく見られるいい加減さはなく、バランスのとれたイタリア人そのものだった。女性は、なかなか知的で愛想もいい美人である。

210903c

男性は、日本文化に強い興味があるようで、簡単な漢字も知っていた。私としては、日が沈む前に旧市街の全景を見たかったのだが、なかなか解放してくれない。最後には、イタリア語で忍者の由来まで説明しなくてはならなかった。

とてもほのぼのとした30分以上を4人で過ごしたのち、私と妻は夕日が旧市街に当たるところを見ることができた。それが下の動画である。犬の鳴き声、教会の鐘の音、花火の音が入っている。
画面に見える2つの丘のうち、左側の丘の頂上にある教会まで登って撮ったのが、最初の2枚の写真である。

その後、旧市街の中心部に突入。そのときに通るのが、下の2枚の写真の道だが、これが国道なのだ。
イタリアの国道というと、広い道を車がすっ飛ばしていく様子を思い浮かべるが、ここはこんなに狭い。しかも、バイパスでなく、町の中心を貫いているのが興味深かった。

210903e

夕食前で人の行き来が一番多い時間帯なのだが、なんだかやけにおっとりしている。
私が1981年に初めてイタリアに来たときに感じたような雰囲気であった。

使い古された表現ではあるが、まるで時間が泊まったかのような町だ。もっと小さな村ならばそんなところもあったが、これだけの規模の町で21世紀のイタリアでこんな素朴さを残している町は初めてのような気がする。

「大き過ぎず、小さい過ぎず、ちょうどいい規模の町だね!」
翌日、B&Bの男性に言うと、「そうだろう、そうだろう」と納得してくれた。

210903d

そして、道の先で突き当たるのが下の写真の広場である。ここが町の中心だ。道はこの手前で急カーブし、この広場をかすめて遠ざかっていく。
ほどほどの広さの広場の周囲には、そこそこ立派な建物が建っているのが、やはりイタリアである。
そして広場には、南イタリア名物の親爺軍団が集っていた。テーブルの上にはビールが載っていたり、何も載っていなかったり。

210903g

こんな町に東洋人の夫婦が旅行で訪れるなんて、さぞかし珍しいことだろう。
そんな私たちに対して、特別な好奇心を見せることはないが、しかし興味を示している感じ。妻がカメラを向けると、おじさんたちが揃って立ち上がったり手を振ってくれたりする。

到着して2時間も経っていなかったが、一気にこの町が好きになってしまった。
バックに見える岩山には翌日に登ることにして、宿で疲れをしばし癒したのち、晩飯に出かけることにした。

| | コメント (0)

2021-08-30

カターニアから路線バスでシチリア内陸へ

カターニア空港から帰国の途につく友人夫妻と別れて、われわれはカターニアのバスターミナルから内陸へ。目指すはニコジーア(Nicosia)という町である。
カターニアは地元の黒っぽい石でできた建物が多いため、全体に暗い印象の町だったのだが、来るたびに垢抜けてくる感じである。

210830a

昔来たときは、道路からバスがひっきりなしに発着していたが、今では一応バスターミナルができていた。
とはいえ、単に更地を塀で囲って、その一辺に屋根を付けだけという感じ。
切符売場は外にあって、建物がバス会社別になっているものだから、旅行者にはわかりにくい。乗るときは、行き先だけでなくバス会社もしっかりとメモしておくことをお勧めする。
もっとも、この旅をした2017年は、ニコジーアまでSais Trasporto社が1日3往復運行していたはずだが、今調べてみるとInterbus社が運行しているようで、しかも2往復に減ってしまったようだ。まあ、イタリアではよくあることだ。

210830b

ニコジーアまでは2時間の道のりである。
ごみごみしたカターニアの市街を抜けると、ほどなくシチリアの茫漠とした丘陵が車窓に広がる。
やがて、左手のはるかかなたに、見覚えのある丘が現れた。左がエンナ(Enna)、右がカラシベッタ(Calascibetta)だ。
「あそこに行ったのは、2000年だったっけ。あっという間の年月だなあ……」としみじみ。

210830c

ニコジーアに到着する20分くらい前に通過したのが、このレオンフォルテ(Leonforte)の町。車窓から見ただけで気に入ってしまった。
あとで知ったのだ、かつてはここまでイタリア国鉄の路線が走っていたそうだ。こんなところに何のために……と思ったら、シチリアでは硫黄を運ぶためのローカル線があちこちにあったとのこと。そんな時代に訪れてみたかった。

 

| | コメント (0)

2021-08-28

絶壁の町カステルモーラから徒歩で下山

タオルミーナのギリシャ劇場から海を背にして町を望むと、背後の断崖絶壁の上に町が見える。それがカステルモーラ(Castelmola)だ。前回のタオルミーナ訪問では行きそびれたので、2017年の旅では真っ先に向かうことにした。

メッシーナ門近くから30分おきにバスが発車していた。まさに断崖につけられた道を、右に左にカーブしながら20分ほどで到着。

町の展望台サンタントニオ広場

絶壁の上にはちょっとした広場があって、すがすがしい眺めである。険しい狭い山道を登り、よくぞこの広場までバスが乗り入れてくるものである。
観光バスで訪れる人が多いようだが、絶景を眺める以外にはあまりやることがない。土産物屋もそれほど多くなく、レストランに入るのでなければ長居をすることもないのだろう。観光バスの到着直後は広場が人でいっぱいになるが、バスがいなくなるとこのように静かになる。

ドゥオーモ前広場

とはいえ、そのまま帰るのではおもしろくない。しばし、小さな小さな町を散策したのち、タオルミーナまで徒歩で下っていくことにした。もちろん、私が密かに考えていたアイデアである。

大回りしていく車道とは違って、人の通る道はハイキングコースのようになっていて短距離で降りていける。住宅街を抜けると、目の前に海が広がり、眼下にはタオルミーナの全景が出現する。

歩きはじめたときは曇っていたが、この動画を撮る直前に夕日が顔を出していい感じになった。最後はエトナ山が見えるはずなのだが、薄雲と逆光で霞んでしまった。 

サン・ビアージョ教会

ハイキングコースには、こんなかわいい教会もあった。車道ができる前は、人びとはこの道を歩いて上下していたのだろうか。

カステルモーラを見上げる

バックの丘というか絶壁の上に建物が見えるが、あそこから降りてきたのである。
タオルミーナに戻ると、まさに下界に降りてきたという感じ。夕景を見ようとすごい人出であった。

B&Bの女主人に「カステルモーラから歩いて降りてきたよ」といったら、ちょっと驚いたようだったが、にっこりと微笑んでくれた。
その晩は、彼女が勧めてくれた宿近くのトラットリーアで、1人25ユーロの海の幸コースを堪能した私たちであった

| | コメント (2)

より以前の記事一覧