フェデリーコ2世ゆかりのルチェーラへ
ヴァストを出発したインターシティ(下の写真の左の列車)は、アドリア海に沿って南下。到着したのはプーリア州のフォッジャ駅である。
フォッジャは、古くからプーリア州北部の交通の要衝でもある。右の赤い列車は、イタリア鉄道の誇る高速列車フレッチャロッサ。私たちが乗ってきたインターシティを追い抜いていった。
そんな幹線の列車を横目に、ここフォッジャ駅でイタリア鉄道から私鉄のガルガノ鉄道に乗り換える。向かうのは、内陸にある町ルチェーラだ。
以前のガルガノ鉄道というと、オンボロな列車が走ってしょっちゅう遅れていたが、今ではこんな新型の電車が走っている。スイス・シュテッドラー社のETR330「FLIRT」である。乗り場は、フォッジャ中央駅の駅舎近くにあって非常に便利だ。
ルチェーラまでは20分。町外れにあるルチェーラ駅から、宿のある旧市街までは1kmほど。だらだらした上り坂で、しかも大きな荷物を持っているので心配したが、駅前に小型のバスが4台ほど待っていた。
なんと、市街のあちこちへ向かう小型バスが接続していたのである。昔のイタリアのローカル線では考えられない便利さである。これも、最近の鉄道復権を中心とした交通政策なのだろう。運転手は切符を買ってくるまで発車を待っていてくれた。
バスは旧市街の南にあるトロイア門をくぐっていくが、運転手は「大聖堂(ドゥオーモ)に行くならば、ここで降りたほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。大聖堂に行くには門をくぐって直進するのだが、バスは門をくぐってすぐに左折していった。
泊まった宿は、この大聖堂のすぐそば。画面右奥の建物の2階にあった。
ここルチェーラは、「世界史の奇跡」「13世紀に生きた合理主義者」とも呼ばれるシチリア王兼神聖ローマ帝国皇帝のフェデリーコ2世ゆかりの地である。
昼下がりとあって、旧市街は人出も少なく閑散としていた。とはいえ、堂々とした大聖堂やその前に広がる広場の雰囲気が、由緒ある町であることを感じさせる。
ここルチェーラに泊まったのは、わけあって翌日の昼にバーリ空港に行かなくてはならなかったためである。もちろん、バーリに泊まるのが便利なのだが、過去に何度も訪れたバーリにに泊まるのもおもしろくない。近郊で宿泊地を探した結果、ここを選んだわけだ。
ローマ帝国衰退後、ランゴバルド人とビザンチン(東ローマ帝国)の間の戦いがあり、それまで栄えていた町は破壊されてしまったという。
ノルマン人による南イタリアの征服後、フェデリーコ2世がこの土地にエポックメイキングな出来事をもたらす。
シチリアで反乱を起こしたイスラム教徒をこの町に定住させ、当時先進的な文化を誇っていた彼らに対して信仰や貿易の自由を保障したのである。しかも、フェデリーコ2世は、なんとイスラム教徒の近衛兵まで組織したというから驚く。
町外れには、当時の城砦が残っているというので訪ねてみた。上の写真である。
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