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2024年2月の5件の記事

2024-02-26

光に満ちた海辺の町ポリニャーノ・ア・マーレ

バーリ中央駅からイタリア鉄道で向かったのは、バーリから南東へ30kmあまりにあるポリニャーノ・ア・マーレ(Polignano a Mare)。
海岸に面した保養地で、1950年代末に「ボラーレ」 を全世界にヒットさせたドメニコ・モドゥーニョの生まれた町でもある。 

ポリニャーノ・ア・マーレの海岸

ポリニャーノ・ア・マーレの中心部へは駅から徒歩で15分ほど。海に突き出した旧市街にある旅行者用アパートに宿をとった。
その宿からすぐのところに、絶景のビューポイントがあった。

ポリニャーノ・ア・マーレの海岸

ポリニャーノ・ア・マーレといえば、この風景である。緑色の海と2つの岬にはさまれた狭い砂浜。
9月半ばとはいえ昼間は33度に達する暑さのなか、日中は海水浴客であふれていた。

ドメニコ・モドゥーニョの銅像

その一方の岬の突端近くに立つドメニコ・モドゥーニョの銅像。彼が作曲して歌った「ヴォラーレ」は、1958年のサンレモ音楽祭の優勝曲となり全世界で大ヒット。アメリカの第1回グラミー賞も受賞した。ヴォラーレ以外にも、「チャオ・チャオ・バンビーナ」「Dio come ti amo(愛は限りなく)」など、数多くのヒット曲があり、のちにはイタリアの国会議員も務めた地元の英雄である。

海沿いに立つ銅像の前では、観光客が銅像と同じ格好で記念写真を撮影。ここにくると、誰もが笑顔になるのがいい。
われわれも撮ってもらった。ちなみに、原題の「Nel ble dipinto di blu」は、「青(い空)の中で青く染まって」というような意味なので、この日の天気はぴったり。

ポリニャーノ・ア・マーレの海岸

ドメニコ・モドゥーニョの銅像がある岬の先にまわって、反対側の岬をまたパチリ。いくら撮ってもきりがない。
宿は、この写真の中央やや左あたりにあり、屋上からは海が見えた。

旧市街

プーリア名物のパニーノは「プッチャ(Puccia)」。複数形はプッチェで、ここのようにプッチャを売る店が「プッチェリーア」。ピッツァのような生地のパンで、店によっていろいろなものが練り込まれているという。
看板横に飾られているのはタコ! 南イタリアやギリシャでは、日本と同じくタコを食べるのだ。
もちろん、タコのプッチャもあった。

旧市街

狭い旧市街はどこも観光客で大混雑。海が見える路地は人気が高い。

夕暮れの海岸

夕食前の散歩。海水浴客がいなくなった砂浜に降りてみた。

夜の海岸

夕食を食べたあと、宿のそばからまたパチリ。本当にいくら撮ってもきりがない。

2024-02-23

明るい観光地となったバーリ旧市街

今回、バーリはちょっと下車をするだけ。これまでも何回か泊まったことがあるので、宿泊地は別の町にした。

バーリを紹介するときのお決まりのフレーズは、「昔の旧市街は治安が悪かったけれど、今はすっかりきれいになって観光客で賑わっている」というもの。アフターコロナで、この町もアルプスの北側から来たと思われるヨーロッパ人の観光客が闊歩していた。

バーリ旧市街

バーリ旧市街の入口の一つ。アーチ型の入口の向こうにこぢんまりとした美しい旧市街が広がる。

サンニコラ教会

旧市街の北側の海岸近くには、バーリの守護聖人である聖ニコラ(サンニコラ)を祀った聖ニコラ教会が建っている。

サンニコラ教会

聖ニコラ教会の地下には、聖ニコラの聖遺物が収められている。聖ニコラは3~4世紀の神学者で、ラテン語にすると聖ニコラウス。サンタクロースのモデルになった人物でもある。
カメラを構えていたら、この子にじっと見つめられてしまった。

旧市街のフィアット500

聖ニコラ教会の横にあるサングレゴリオ教会は、バーリでも古い教会とのこと。シンプルな幾何学的な造型が美しい。

フィアット500

バーリはナポリ以南のイタリア本土では最大の都市だけど、旧市街はせいぜい500m四方の大きさ。散歩にはちょうどいい。

上の写真は、旧市街を歩いていて出会った旧型のフィアット500(チンクエチェント)。まだまだ南イタリアではよく見かける。

バーリ大聖堂

これがバーリ旧市街の中心に建つ大聖堂(ドゥオーモ)

バーリ大聖堂

バーリの大聖堂は見る角度によって、さまざまな表情を見せる。これは裏側から撮ったもの。

バーリ旧市街

バーリ旧市街の西側にある広場。旧市街には特別の許可がないと車が入れないので、この手前の駐車場には数多くの車が停まっている。
写真中央のアーチ型の入口の向こうが旧市街だ。

2024-02-13

明るく近代的に変身したバーリ駅

ルチェーラを朝に出て、列車でバーリ中央駅へ。バーリはプーリア州の州都で、ナポリ以南の本土では最大の町だ。
フォッジャから乗った列車は、この写真の電車ETR104、愛称「ポップ」(POP)である。

ETR104' POP

「ポップ」は、2010年代の終わりに登場したアルストム社製の3車体または4車体の連接車で、地方都市の近郊列車に使用されている。
同時代には、「ロック」も製造されて大都市近郊の幹線の普通列車に使われている。そちらは、日立製作所のグループ会社であるイタリア・日立レール社の車両だ。

ETR104' POP

カラーリングは、最近のイタリア国鉄の標準的なもの。正面のデザインはごついが、この色の使い方はいかにもイタリアだ。

バーリ中央駅

バーリ中央駅は、すっかりきれいになっていてびっくり。途中には、こんな吹き抜けもある。
以前は古めかしくて薄暗い駅だったが、明るく居心地のいい駅になった。

バーリ中央駅

バーリ中央駅からは、イタリア鉄道のほかにイタリア半島のかかとに向けて路線網を持つ南東鉄道(スドゥ・エスト鉄道)も走っている。
世界遺産の町アルベロベッロに向かう鉄道として観光客にもおなじみの路線だ。
以前は、イタリア国鉄お下がりの古いディーゼルカーやディーゼル機関車ばかりだったが、現在はイタリア鉄道の持ち株会社FSの傘下に入って体質改善を図り、何年か前にターラントまでの区間が電化された。このニュースには、私を含めて昔のこの鉄道を知る人びとは驚かされた。

近くまで撮りにいく余裕がなかったが、駅舎のそばから南東鉄道の車両を見たのが上の写真。車両は、ポーランド・ネワグ社製の最新型電車ETR322だ。3車体の連接車である。

メトロ・バーリ駅

南東鉄道のほかに、バーリからは内陸のマテーラ方面に向かうアップロ・ルカーネ鉄道、そしてバーリ空港やプーリア州北部に向かう北バーリ鉄道(トランヴィアーリア鉄道)も走っている。
この日、バーリ空港に到着するという妻の甥を迎えに、はじめて北バーリ鉄道に乗ることになった。

メトロ・バーリ駅

昔は1日に何本もないバスが走るだけの不便な空港だったが、今ではバーリ駅前広場の半地下からこんな電車が走っている。
もっとも、列車の運転間隔は約40分おきで、駅に着いたときは前の電車の発車直後。うんざりしながら発車を待つことになった。

 

2024-02-09

ルチェーラの夕べ

宿でひと休みして大聖堂周辺をぶらぶらしたあと、日が暮れないうちにと向かったのは町はずれの城砦だ。下の動画がそれである。ガイドブックには17時までと書いてあったが、9月中旬だったためか18時までオープンしているとのことで運よく入ることができた。

フェデリーコ2世は、シチリアて反乱を起こしたイスラム教徒をここに住まわせて自治権を与えたという。住民たちはその温情に応えて、彼に心から感謝して、いざ戦いがあると惜しみなく力を発揮したとのことだ。

フェデリーコ2世の印象的なエピソードといえば、十字軍遠征を求める教皇との軋轢である。そんなことに興味のない彼は、さんざんはぐらかしていたのだが、破門をちらつかされて、とうとうエルサレムに向かって進軍することになる。
ところが、現地では戦うことなくイスラム教徒の君主アル・カーミルと意気投合。厚い友情を結んで、キリスト教徒とイスラム教徒の共存を実現する。

そして、キリスト教徒が安全にエルサレムに巡礼できるよう、話し合いをつけたのである。12、13世紀の人とは思えない、どこまでも破天荒で合理的な人だ。ところが教皇は、「イスラム教徒と戦わないとは何事か」と激怒して彼を破門してしまったのである。

夜の大聖堂前広場

さて、のんびりと町なかをぶらぶらしていたら、いつのまにかとっぷりと日が暮れた。昼間はまだ夏の暑さが残る時期だったので、夜になってようやく気温が下がると、中心部に人が増えはじめた。

8時を過ぎたところで、私たちは宿のマダムにすすめられたレストランに向かった。こんな田舎町に? と思うような創作的な料理が出てくる素敵なレストランでびっくり。

夜の大聖堂前広場

それにしても、宿のマダムもレストランのおやじも、私がフェデリーコ2世という名前を口にしたとたん、雄弁にその偉業をたたえはじめたのには驚いた。それだけ、この町では今も尊敬して親しまれているだろう。

路地裏のネコ

ネコちゃんも涼しい石畳で休憩中。

宿の朝食

ルチェーラの宿は旅行者用アパートではなくB&Bなので朝食が出る。
歴史がありそうな立派な建物だけあって、昔は居間だっただろう朝食部屋は、赤を基調にしたゴージャスな雰囲気。正直なところ客室はだいぶくたびれた感じだったが、この部屋は別格だった。

野菜を売る人びと

駅へ向かう路線バスの時刻と停留所を教えてもらい、スーツケースを引っ張って石畳を歩いていくと、あちこちで即席の露店が出ていた。
これは、色鮮やかな野菜売りのご夫婦である。

バスは町のあちこちを遠回りしていくので、1時間おきに発車するガルガノ鉄道に間に合うのか、心中穏やかではなかったが、そこはきちんと接続していることに感心した。
発車の5~7分ほど前には、私たちのバスを含めて、町の各方面からやってきた4台の小型バスが駅前に揃った。

2024-02-07

フェデリーコ2世ゆかりのルチェーラへ

ヴァストを出発したインターシティ(下の写真の左の列車)は、アドリア海に沿って南下。到着したのはプーリア州のフォッジャ駅である。

フォッジャ駅

フォッジャは、古くからプーリア州北部の交通の要衝でもある。右の赤い列車は、イタリア鉄道の誇る高速列車フレッチャロッサ。私たちが乗ってきたインターシティを追い抜いていった。

フォッジャ駅

そんな幹線の列車を横目に、ここフォッジャ駅でイタリア鉄道から私鉄のガルガノ鉄道に乗り換える。向かうのは、内陸にある町ルチェーラだ。
以前のガルガノ鉄道というと、オンボロな列車が走ってしょっちゅう遅れていたが、今ではこんな新型の電車が走っている。スイス・シュテッドラー社のETR330「FLIRT」である。乗り場は、フォッジャ中央駅の駅舎近くにあって非常に便利だ。

トロイア門

ルチェーラまでは20分。町外れにあるルチェーラ駅から、宿のある旧市街までは1kmほど。だらだらした上り坂で、しかも大きな荷物を持っているので心配したが、駅前に小型のバスが4台ほど待っていた。
なんと、市街のあちこちへ向かう小型バスが接続していたのである。昔のイタリアのローカル線では考えられない便利さである。これも、最近の鉄道復権を中心とした交通政策なのだろう。運転手は切符を買ってくるまで発車を待っていてくれた。

バスは旧市街の南にあるトロイア門をくぐっていくが、運転手は「大聖堂(ドゥオーモ)に行くならば、ここで降りたほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。大聖堂に行くには門をくぐって直進するのだが、バスは門をくぐってすぐに左折していった。

ルチェーラ大聖堂

泊まった宿は、この大聖堂のすぐそば。画面右奥の建物の2階にあった。

ここルチェーラは、「世界史の奇跡」「13世紀に生きた合理主義者」とも呼ばれるシチリア王兼神聖ローマ帝国皇帝のフェデリーコ2世ゆかりの地である。

旧市街

昼下がりとあって、旧市街は人出も少なく閑散としていた。とはいえ、堂々とした大聖堂やその前に広がる広場の雰囲気が、由緒ある町であることを感じさせる。

旧市街

ここルチェーラに泊まったのは、わけあって翌日の昼にバーリ空港に行かなくてはならなかったためである。もちろん、バーリに泊まるのが便利なのだが、過去に何度も訪れたバーリにに泊まるのもおもしろくない。近郊で宿泊地を探した結果、ここを選んだわけだ。

城砦

ローマ帝国衰退後、ランゴバルド人とビザンチン(東ローマ帝国)の間の戦いがあり、それまで栄えていた町は破壊されてしまったという。
ノルマン人による南イタリアの征服後、フェデリーコ2世がこの土地にエポックメイキングな出来事をもたらす。
シチリアで反乱を起こしたイスラム教徒をこの町に定住させ、当時先進的な文化を誇っていた彼らに対して信仰や貿易の自由を保障したのである。しかも、フェデリーコ2世は、なんとイスラム教徒の近衛兵まで組織したというから驚く。
町外れには、当時の城砦が残っているというので訪ねてみた。上の写真である。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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