「チロル」の語源となったチロル城とチロルの町
いよいよチロル城が目前に迫ってきた。城に向かって右の端には広場があって、そこからときおり歓声が聞こえてくる。
あとで知ったのだが、鷹匠のショーが毎日開かれていたようで、鷹が飛び立って戻ってくるたびに歓声が上がっていたようだ。
われわれが城に到着したときには、残念ながらすでに終了していた。
目の前に城が大きく見えるのだが、手前には小さな谷があるので道は左に大きくまわりこむ。
チロル城の内部は博物館になっており、閉館は17時で最終入場は16時半。すでに16時近くになっていたが、なんとか間に合った。
チロル城は外観こそ昔の雰囲気を残しているが、大昔に火災があり、その後は荒れ果てたままだったようで、内部にめぼしいものはそれほど多くは残っていない。
一方で、窓から見えるチロルの町の眺めは絶品である。はたして、チロル伯はこの風景を見て何を思ったのだろうか。
めぼしいものは残っていないと書いたが、そんななかでも城内部につくられている礼拝堂は往時の姿を残しており必見である。
礼拝堂入口の上部にはキリストが、左右には動物が彫られている。左下に見えるのはケンタウロスだろうか。
礼拝堂の入口をくぐると、キリスト磔刑の様子が頭上に迫ってくる。あまりのリアルさにドキッとしてしまう。
左右には階段があり、この磔刑の様子を背後から見ることができる。壁のフレスコ画も見事だった。
礼拝堂のほかに注目すべきは、最近になって塔(トップの写真の左側)の内部に設けられたチロル博物館だろう。
とくに19世紀以後に苦難が続いたチロルの歴史を、数多くの写真や資料とともに紹介している。
もっとも、解説はドイツ語とイタリア語なので(英語も一部にあったかも)、チロルの基礎知識を知らないと見ていても理解しにくいかもしれない。
見学を終えると、城の前で営業している売店で、地元の畑でとれたりんごの生ジュースを注文すると、これが絶品! 乾いた喉にすっとしみこんできた。
店のつくりはまるで海の家のような質素なもので、地元の絵はがきや杖なんかも売っている。
まだ旅ははじまったばかりだというのに、おいしそうな地元産のハチミツの大瓶を買ってしまった。
上の写真は、チロル城(上)からチロルの町に下る道からの眺め。写真ではわかりにくいが、左下にはブルンネンブルク城が見える。こちらは、住んでいる人がいるとのこと。見学が可能だとは、帰ってから知った。
ぶどう畑を眺めながら歩いていくと、歩行者用のトンネルがあった。
「チロルの町までは歩いて15分くらいよ」と、さきほどの売店で愛想のいいお姉さんから教えてもらっていた。
当初、グーグルマップでチロル城から町までの所要時間を調べたら、1時間以上と表示されていたので迷っていたが、この近道のトンネルがあることを知って安堵した。
チロルの町から、長いだらだら坂を登ってやってくる観光客もいた。
チロルの市街地(ドイツ語名:ドルフ・ティロル)は、素朴な町並みを期待していたのだが、観光でかなりうるおっているようで、高級っぽいホテルや飲食店が軒を連ねているではないか。
どうやら、かなり俗化したメラーノを避けた観光客が、丘の上のこの町に滞在しているようだ。
上の写真は、町の中心部近くにあった5つ星ホテル「エリカ」 。名前が日本風なうえに、屋根に盆栽が乗っているのも目を引く。ジャポニズムのホテルなのだろうか。
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