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2023年11月の11件の記事

2023-11-25

フェッラーラ エステ家の城とイタリア版うなぎパイ

フェッラーラの中心部、大聖堂前の広場から視線を北側に向けると、そこにそびえ立つのがエステ家の城(エステンセ城/Catello Estense)だ。中世にこの町に君臨したエステ家の居城である。

手前に見える彫像はサヴォナローラ。ドミニコ会修道僧の彼は、ルネサンス時代のフィレンツェに招かれ、当時ロレンツォ・ディ・メディチの支配下で贅沢を極めていたフィレンツェの人びとに異議を申し立てて評判を呼んだ。

エステ家の城

一時、フィレツェの実権を握ってストイックな神権政治を行うが、最終的に市民の批判を浴びて処刑されてしまう。まあ、あまりにもやり方が極端だったようだ。フィレンツェのシニョーリア広場には、彼が火刑になった場所に、それを示す石が埋め込んであった。

歴史上で必ずしも評判がよろしくはないサヴォナローラの彫像に驚いたが、ここフェッラーラは彼の生地なのだと今回初めて知った。

フェッラーラ旧市街

さて、さっそくエステ家の城を見たいと思ったが、もう午後2時すぎ。腹が減っては戦ができない。下手をするとレストランがみな閉まって昼飯難民になる恐れがある。

うまそうなメシ屋を探すこと約20分、たどりついたのが広場から北側の裏通りにあるBANCHINA52(バンキーナ52)という店。海鮮料理の専門店だった。

BANCHINA52

この日は節約しようと思ったのだが、いい香りとうまそうなメニューには勝てなかった。
海の幸の前菜を食べたあとは、海の幸のパスタ。これがまた絶品だった!

BANCHINA52

ワインはおすすめの白ワイン。砂地で栽培したぶどうを使ったワインだそうで、ミネラル感たっぷりでありながら、繊細な海の幸の料理を邪魔しない結構なものでした。値段は20ユーロ台だったかな。昼間だったけど、2人で1本空けた。

BANCHINA52

この日は、メインまでいかずに、パスタで終了。食後のコーヒーを注文したら、出てきたお菓子がこれ!
聞くと、フェッラーラ県の海岸にあるコマッキオは、うなぎで有名なんだとか。恥ずかしながら初めて知った。それにしても、かわいい! イタリア版うなぎパイである。

超満足も当然のことで、Googleマップの口コミが50件近くあるのに、平均が5.0なんて店は初めて見た。店の人の応対もにこやかでソフトだった。

エステ家の城

そして、腹がいっぱいになったところで、エステ家の城に突入。この城は周囲を水堀に囲まれており、跳ね橋をわたって内部に入る。日本ではよくある形だが、イタリアでは珍しい。
上の写真は、見どころの一つである公爵の礼拝堂。

エステ家の城

そして、色鮮やかな壁画の「遊戯の小広間」。さまざまなスポーツや運動をしている人たちが描かれていてユーモラスだ。

エステ家の城からの眺め

城の一角に立っているレオーネの塔には別料金で上れる。その途中からは、まさに中世の都市そのままのフェッラーラの旧市街を眺めることができた。

1981年エステ家の城からの眺め

実は、壁というか塀の隙間から外を撮ったので、42年前とアングルをぴったり合わせて撮ることができた。建物がまったく変わらないのに驚く一方で、フィルムの色調もあるのだろうが、排気ガスで黒ずんだ建物の壁が時代を感じさせる。
きれいになったのはケルヒャーのおかげだろう。

エステ家の城

反対側の広場に出てきた。いくら広場が広くても、建物が巨大なのでぎりぎりまで下がってようやく全体が収まる。

 1981年エステ家の城:

ここも、昔と対比してみた。当時は、この広場まで車が入ってこられたのだ。
イタリアの都市はどこもそうだが、以前は車中心の社会だったので(今でもそうではあるけれど)、ところ構わず車が入ってきて駐車していたものだった。おかげで、エステ家の城の壁も排気ガスで黒ずんでいる。

フルーツカフェ

9月のまだ暑い日だったので、歩き疲れると同時にかなりの脱水気味になってしまった。そこで、行きにそばを通って気になっていたフルーツ喫茶の前に着席した。
2人ともジュースを飲むつもりでいたのだが、客の3分の1くらいがすいかを食べているのを見て方針変更。驚くほど大きなすいかが出てきた。

2023-11-23

フェッラーラへの半日トリップ

フォルリ滞在の2日目に向かったのはルネサンスの中心地の一つであり、世界遺産にも指定されているフェッラーラ。
前日までの旅程で疲れが出はじめていたので、昼からの出発とした。

フェッラーラ駅

ボローニャ乗り換えで所要約1時間、フェッラーラの駅に到着した。旧市街までは徒歩20分ほどだ。
一般には、「フェラーラ」と表記されることが多いが、Ferraraと途中にrが2つあるので、「フェッラーラ」のほうが近い。
もっとも、日本人には発音しにくいからフェラーラとするのだろう。車のフェッラーリがフェラーリとなるのと同じである。

フェッラーラ旧市街

駅からは、ジュゼッペ・ガリバルディ通りを道なりにまっすぐ。イタリア統一の英雄の名前をとったこの通りは、道幅こそ狭いが文化の香り高いフェッラーラへの導入として味わい深い道である。
そして、最後にこの回廊の下をくぐると、いよいよ中心部の市役所(ムニチピオ)広場になる。

フェッラーラ旧市街

歴史的な建造物に囲まれた広場は、いつ訪れても感動的だ。
ここに来るのは3回目、最初の訪問は1981年だった。

1981年のフェッラーラ旧市街

ほぼ同じ場所から1981年に撮った写真である。フィレンツェの語学学校に通っていたとき、週末にやってきて撮ったものだ。
かなりシブくてカッコいい3人のおじさんが通りかかって、なにやら古めかしい雰囲気の写真になった。

フェッラーラ旧市街

広々としたトレント・トリエステ広場。右側に連なるアーチは、サン・ジョルジョ大聖堂の側面。

フェッラーラ旧市街

市役所広場から続くトレント・トリエステ広場。左側の教会がサン・ジョルジョ大聖堂だ。
今回は、ファサードの中央が修復中で、正面をきれいに撮ることができなかった。

1981年のフェッラーラ旧市街

1981年のほぼ同じ場所。建物自体は、現在とほとんど変わっていない。
変わったのは、人びとの服装だけである。

1981年のフェッラーラ旧市街

これは、広場からエステ家の城の方向を眺めたところ。昔の車体色のバスが懐かしい。
今回も、エステ家の城に突入である。

2023-11-19

広々とした広場が見事なフォルリ

やってきたフォルリ(フォルリー)の町は、エミリア-ロマーニャ州東部のロマーニャ地方にあり、フォルリ-チェゼーナ県の県都である。
中世にはローマ教皇派と神聖ローマ皇帝派の争いにおいて重要な地位を占めていたというが、今ではのんびりした地方都市である。

アウレリオ・サッフィ広場

観光資源には乏しいけれども、中心部にあるアウレリオ・サッフィ広場は本当にだだっ広い。
広場だから広いのは当たり前だが、それにしてもここは広い。もっとも、観光ポイントはそれが唯一といってもいいほど地味でのどかな町であり、3日間の滞在でわれわれ以外には観光客をほとんど見なかった。

アウレリオ・サッフィ広場のアーケード

広場の周囲は立派なポルティコ(アーケード)の商店街が並ぶ。
ボローニャやピアチェンツァなど、エミリア-ロマーニャ州の町ではよく見る光景だ。

アウレリオ・サッフィ広場の書店

イタリア各地にある本屋「La Feltrinelli」。フェデリーコ・フェッリーニに関する本が出版されたのか、店頭に写真がデカデカと飾られていた。
映画監督フェッリーニの出身地は、ここから遠くない同じエミリア-ロマーニャ州のリミニ(リーミニ)である。

夜のアウレリオ・サッフィ広場

夜のアウレリオ・サッフィ広場もなかなか美しい。初日の夜(土曜日)は、クラシックやロック、ポップスの野外演奏会が開かれて大盛り上がりだった。

フォルリの焼肉屋

晩メシは、宿のオーナーお勧めの店を訪問。ネットで調べると焼いた肉が有名らしい。
調理場の目の前に陣取って見ていると、モヒカンのにいちゃんが、なにやら大きな声で独り言をいいながら肉をひたすら焼いている。
よく聞いていると、何番のテーブルに○○と店の人に指示を出しているのであった。

フォルリの焼肉屋

私が注文した豚グリルの盛り合わせ。これは絶品だった!
写真の上のほう見えるのは、前菜の野菜のグリル。

フォルリの焼肉屋

客が一段落して、お兄さんをパチリ。こわもてでモヒカンだから仕事中は近づきにくく見えたが、仕事から解放されると笑顔がかわいい。
ちなみに、肉専門店だったけれど、デザートも抜群のウマさ。
「Osteria Del Ferrovecchio」(オステリーア・デル・フェッロヴェッキオ」という店である。直訳すると、「古鉄のメシ屋」といった感じか。

広場で朝食

朝食は広場に面したバールでブリオッシュ(コルネット)とカプチーノ。
このフォルリに3泊して、周辺の町をめぐった。

2023-11-15

南チロルからエミリア-ロマーニャへ移動

9月9日、3泊したボルツァーノに別れを告げて向かったのは、ボローニャにほど近いエミリア-ロマーニャ州のフォルリ。この町の名前は、アクセントが最後のiにあるので、最後の「リ」を強めて伸ばし「フォルリー」と発音するほうが近い。

エミリア-ロマーニャ州では、すでにボローニャに泊まったことがあるので、以後の旅程や宿の値段も考えてフォルリを選んだ。ボローニャのあるエミリア地方よりも、地味で注目度が低いロマーニャ地方に魅力を感じていたこともある。

イタリアの鉄道雑誌

ボルツァーノ駅構内の売店でイタリアの鉄道雑誌「I Treni」と「Tutto Treno」を購入してバールでひと休み。鉄道雑誌は、町なかの書店でも売っている店が少ない。むしろ、大きな鉄道駅で雑誌や雑貨を扱う売店のほうが確率が高い。

乾いた空気のなか、オレンジの生ジュース(スプレムータ・ディ・アランチャ)が喉にしみる。。

ボローニャ駅

まずは、ボルツァーノ発ボローニャ行きのRegionale Veloce(レジョナーレ・ヴェローチェ)に乗って終点のボローニャへ。レジョナーレは「地域の」という意味で普通列車を指すが、レジョナーレ・ヴェローチェはそれに「速い」が加わった列車種別だ。特別料金がいらない速い普通列車なので、日本流でいえば「快速」に当たる。

ボローニャ駅では40分ほどの待ち合わせ時間があったので、軽食をとってちょっと構内をぶらぶら。奇妙な窓ガラスがある待合室には、以前も訪れたことがある。

この待合室については、2009年にこのブログで「過去の記憶をとどめるボローニャ駅の待合室」と題して取り上げたことがある。1980年に起きた大規模な爆弾テロで多くの死傷者を出した事件の跡をとどめているのだ。旅行中の日本人男子学生も巻き込まれて亡くなっている。私と同じ年代の人だった。事件で割れたガラスを両側からはさんで、その形状を保存したのが上の写真である。

ボローニャ駅

2009年のブログで書いたように、前回は待合室内に事件直後の駅の写真、犠牲者全員の名前と年齢を彫り込んだ壁面、へこんだままの床が保存されていた。だが、今回行ってみると、割れたガラスのほかには事件直後の駅の写真があるだけで、ちょっとがっかりして驚いた。

名前を彫り込んだ壁は、どこにいったのだろうか。イタリアのことだから、そのまま廃棄することはないだろう。どこか別の場所に保存されているに違いない。

ボローニャ駅

さて、ボローニャからはアドリア海方面(イタリア東海岸)に向かう路線を利用する。この路線のローカル列車は、上の写真にある日立レール社製の 電車ETR421、通称「Rock」が使われていた。2019年に登場した車両で、内部は2階建てになっている。

フォルリ駅

車内の液晶画面には、途中駅や次の駅の案内のほかに速度も表示される。イタリアの幹線は駅間距離が長く、線路幅も広いので普通列車なのに最高150km/hで飛ばしていた。
ロックと聞くと上下左右にぐいぐい揺れそうに思えるが、新しい車両だけあって乗り心地は大変よろしかった。

途中、サーキットで有名なイモラの町を通り、ボルツァーノから都合4時間ほどかけてようやくフォルリの駅に到着した。

フォルリ駅

1時間に1、2本しか列車が停車しない割には、立派すぎるほどの駅舎である。
それはいいのだが、町の中心部が駅から1km近く離れている。
宿は旧市街の細い道に面しているので、バス停からも遠い。重い荷物もあることだし、駅前に停まっているタクシーを利用することにした。

フォルリの宿

イタリアの旧市街によくあるように、道は一方通行だらけ。しかも、週末とあって広場で開かれる演奏会のために広場付近はすでに通行止め。
ぐるぐると旧市街をまわったすえに、なんとか宿の前にたどりついた。料金は15ユーロだったか。

宿は、最近のイタリアで急速に増えている旅行者用アパートである。正面の白い2階建ての建物がそれだ。ここの1、2階がすべて使える。

フォルリの宿

内部は清潔で、洗濯機も冷蔵庫も備わっている。これでホテルよりもずっと安いのだから、利用しない手はない。
朝食は出ないが、かえって時間を自由に使えていい。いつでも好きなときに出入りできるのは、気ままな旅が好きな人間にはぴったり。
ここに3泊する。

2023-11-13

夕暮れのサロルノ城を遠望する

カルダーロからそのままボルツァーノに戻ってもいいのだが、せっかくなので立ち寄ったのがサロルノという町。
カルダーロの南に位置して、ボルツァーノとヴェローナを結ぶ鉄道路線の駅がある。

サロルノ駅

カルダーロから30分おきくらいに出ているバスでサロルノ駅下車。大半の客は、この直前の町なかで降りていった。
ここは、南チロル(アルトアディジェ)とトレンティーノの境近く。つまり、ドイツ語圏の最南端だ。駅の正面には例によって2カ国語で、Stazione/Bahnhofと書かれている。

サロルノの路線バス

駅から目的地までは歩いても行けるのだが、せっかくバスが来たので乗車。

ちなみに、南チロル地域の公共交通機関は、路線バス、イタリア鉄道のローカル列車の大半、ケーブルカー、ロープウェイを含めて、すべて南チロルモビル(アルトアディジェ・モビリタ)という公共企業体に統合されており、路線バスはこの鮮やかな蛍光色をしている。
そして、その交通機関はすべて「南チロルモバイルカード」で自由に乗り降りすることができるのだ。2日、3日、7日用があって、それぞれ20、30、45ユーロだった。

サロルノ城

駅の近くから見た目的地。画面中央に見えるだろうか。それは、中世に建てられた崖上のサロルノ城だ。なんでこんなところにわざわざつくったのだろうかと、感心してしまう。

サロルノ城

絶壁の上にある城だが、実はたどり着く道があるという。崖の裏側を登っていくらしく、ネットでも写真を見ることができる。
だが、営業時間が17時までということで断念した。
実は、この城にはクラフトビールとあぶり肉が名物の小さなレストランがある。町を見下ろす絶景を楽しみながら、ワイルドな雰囲気で食べられるというので、ぜひとも次回はチャレンジしたい。

ボルツァーノ行き列車

こうして、1時間弱のサロルノ滞在は終わり。ヴェローナ発ボルツァーノ行きの普通列車がやってきた。
これも、南チロルモバイルカードで乗車できる。そして、ボルツァーノの最後の夜も、また例の地ビール屋に足を運び、マルコとの会話を楽しむのだった。

2023-11-12

ワイン街道のカルダーロで地ビールを飲む

ケーブルカーの往復を楽しんだのちは、ぶどう畑を眺めながら緩やかな坂道をカルダーロの中心部に向かって下っていった。

カルダーロのワイン畑

ぶどう畑のなかには、そこで栽培しているぶどうの品種を解説しているところもあって興味深い。
初めて聞いたぶどうの品種も数多くあって勉強になる。もっとも、今となってはほとんど覚えていないが。

カルダーロ旧市街

カルダーロの旧市街はこぢんまりしていて、30分もしないで隅から隅まで歩ける。やはり、ここも建物や教会はオーストリア・南ドイツ風である。

カルダーロ旧市街

中心部にはワイン博物館もあった。昔の醸造所で使われた桶や器具が保存してあって、日本酒博物館と似ている。違っているのは、各種のぶどうの味見ができることだ。

博物館に入るときに、「最後に自由に食べられるから」と耳にしたのだが、なんのことだかわからなかった。
だが、建物から出たところに小さなぶどう畑があって、さまざまなぶどうが植えられている。そこで、先客がぶどうの身を食べているのを見て、ようやく理解できた。
全部で30品種もあっただろうか。根っからの貧乏性なので、一つ残らず口にしてみた。その結果、ワインがおいしいからといって、必ずしも原料のぶどうがうまいとは限らないことも理解できた。

カルダーロの地ビール

町を一周したあとは、中心部のプリンチパーレ広場でひと休み。のどが乾いていたので、注文したのはこの地ビールである。ワインの町でビールを飲むのは背徳感を覚えるが、そこがまた楽しい。ラベル(エチケット)にはさっき乗ったケーブルカーが描かれていた。

カルダーロ旧市街

以前も書いたが、イタリアの地ビールはおいしい。ベルギーの醸造技術を導入した醸造所が多く、2010年ころから急速に発達した。ワイン醸造所の跡継ぎが、親に反抗してビール造りを恥じたというケースも多いらしい。

あとは、いい気分になってさらに町をぶらぶら。

カルダーロのネコ

高みを見つめるネコちゃん。飛び上がろうとしているのか。
このあたりは冬はかなり寒くなるので、野良猫ではなくて飼い猫だろう。

カルダーロのネコ

「ちょっと高くて登れニャい」という表情か。カメラに向けてボーズをとってくれた。

カルダーロのワイン畑

狭い町だけど、うろうろしているうちに日が傾いてきた。

2023-11-10

カルダーロでメンデル峠の長大ケーブルカーに乗車

ボルツァーノ滞在中、ティローロ(チロル)訪問の翌日に向かったのは、ボルツァーノの南西にある「ワイン街道のカルダーロ」。
愛称のように聞こえるが、これがこの自治体の正式名称なのだそうだ。カルダーロという町はよそにもあるので、そう名付けたらしい。もちろん、地元の人たちはみんなはカルダーロ(ドイツ語はカルターン)としか呼んでいない。

カルダーロのワイン畑

ワイン街道というだけあって、町の周辺には緩やかな斜面にワイン用のぶどう畑がびっしり。
ボルツァーノからカルダーロへは直通の路線バスで40分ほどである。

メンデル峠のケーブルカー

上の写真は15年前の2008年に、カルダーロの市街地から撮ったものだ。すさまじい勾配を登っていくケーブルカーに驚いたのだが、乗り場までは遠そうだし、バスの路線も時刻もわからなかったので乗らずじまいになってしまった。

その後のネットの発達によって日本に居ながらにして情報が検索できるようになったので調べてみると、丘上にあるメンデル峠(イタリア語名:メンドラ峠)に向かうケーブルカーだとわかった。今回は満を持しての乗車である。

メンデル峠のケーブルカー

グーグルマップのおかげで、ボルツァーノのバス発車時刻もすぐにわかり、ケーブルカーの乗り場にバスで直接乗り付けることができた。
この写真は、丘下の乗り場近く。真紅の車体が映える。バックに見えるゴシックの尖塔は聖アントニオ教区教会だ。

メンデル峠のケーブルカー

ケーブルカーの定員は40人くらいだろうか。ドイツ系のおじおば観光客に加えて、イタリア語を話す親子にまじり、ケーブルカーに乗車。
かなりの距離をすさまじい勾配で登っていくので、みんな大喜びである。

メンデル峠のケーブルカー

中間地点でのケーブルカーのすれ違い。
所要12分というから、かなり乗りでがある。

メンデル峠のケーブルカー

これが丘上の終点。路線延長は2.37kmとのことで、その間に854 mの標高差を登る。丘上のメンデル峠にきてみると、ちょっぴり俗っぽい観光地だった。
ケーブルカーと並行して、ヘアピンカーブを描いて登ってくる峠道がある。それが目当てなのだろうか、何軒もあるカフェテラスのあちこちでバイクツーリングのグループが休憩をしていた。天気もよくのどかな光景である。

2023-11-06

「チロル」の語源となったチロル城とチロルの町

いよいよチロル城が目前に迫ってきた。城に向かって右の端には広場があって、そこからときおり歓声が聞こえてくる。
あとで知ったのだが、鷹匠のショーが毎日開かれていたようで、鷹が飛び立って戻ってくるたびに歓声が上がっていたようだ。
われわれが城に到着したときには、残念ながらすでに終了していた。

チロル城

目の前に城が大きく見えるのだが、手前には小さな谷があるので道は左に大きくまわりこむ。
チロル城の内部は博物館になっており、閉館は17時で最終入場は16時半。すでに16時近くになっていたが、なんとか間に合った。

チロル城

チロル城は外観こそ昔の雰囲気を残しているが、大昔に火災があり、その後は荒れ果てたままだったようで、内部にめぼしいものはそれほど多くは残っていない。
一方で、窓から見えるチロルの町の眺めは絶品である。はたして、チロル伯はこの風景を見て何を思ったのだろうか。

チロル城の礼拝所

めぼしいものは残っていないと書いたが、そんななかでも城内部につくられている礼拝堂は往時の姿を残しており必見である。

礼拝堂入口の上部にはキリストが、左右には動物が彫られている。左下に見えるのはケンタウロスだろうか。

チロル城の礼拝所

礼拝堂の入口をくぐると、キリスト磔刑の様子が頭上に迫ってくる。あまりのリアルさにドキッとしてしまう。
左右には階段があり、この磔刑の様子を背後から見ることができる。壁のフレスコ画も見事だった。

礼拝堂のほかに注目すべきは、最近になって塔(トップの写真の左側)の内部に設けられたチロル博物館だろう。
とくに19世紀以後に苦難が続いたチロルの歴史を、数多くの写真や資料とともに紹介している。
もっとも、解説はドイツ語とイタリア語なので(英語も一部にあったかも)、チロルの基礎知識を知らないと見ていても理解しにくいかもしれない。

チロル城とブルンネンブルク城

見学を終えると、城の前で営業している売店で、地元の畑でとれたりんごの生ジュースを注文すると、これが絶品! 乾いた喉にすっとしみこんできた。
店のつくりはまるで海の家のような質素なもので、地元の絵はがきや杖なんかも売っている。
まだ旅ははじまったばかりだというのに、おいしそうな地元産のハチミツの大瓶を買ってしまった。

上の写真は、チロル城(上)からチロルの町に下る道からの眺め。写真ではわかりにくいが、左下にはブルンネンブルク城が見える。こちらは、住んでいる人がいるとのこと。見学が可能だとは、帰ってから知った。

歩行者用トンネル

ぶどう畑を眺めながら歩いていくと、歩行者用のトンネルがあった。
「チロルの町までは歩いて15分くらいよ」と、さきほどの売店で愛想のいいお姉さんから教えてもらっていた。

当初、グーグルマップでチロル城から町までの所要時間を調べたら、1時間以上と表示されていたので迷っていたが、この近道のトンネルがあることを知って安堵した。
チロルの町から、長いだらだら坂を登ってやってくる観光客もいた。

チロルの5つ星ホテル

チロルの市街地(ドイツ語名:ドルフ・ティロル)は、素朴な町並みを期待していたのだが、観光でかなりうるおっているようで、高級っぽいホテルや飲食店が軒を連ねているではないか。
どうやら、かなり俗化したメラーノを避けた観光客が、丘の上のこの町に滞在しているようだ。

上の写真は、町の中心部近くにあった5つ星ホテル「エリカ」 。名前が日本風なうえに、屋根に盆栽が乗っているのも目を引く。ジャポニズムのホテルなのだろうか。

2023-11-05

本家「チロル」のチロル城を目指して

ソプラボルツァーノの軽鉄道とともに、15年前の旅行で行きそびれたのが「ティローロ」(Tirolo)だ。ドイツ語名は「ティロル」、日本語では「チロル」として知られている地名である。
「チロル」と聞くとスイスやオーストリアアルプスの山深い風景を思い浮かべる人が多いだろうが、実はその由来となったチロル(ティロル/ティローロ)の町はイタリアにある。

ボルツァーノ駅

すでに書いたように、第一次世界大戦の結果、ハプスブルク家支配下のチロル伯領のうち、北チロルと東チロルはオーストリアに、南チロルはイタリアに分割された。そして、チロル伯がかつて居城としたチロル城は南チロルにあるので、チロルの本家本元はイタリアにあるのだ。
……なんてことを知ったのは、前回の旅から帰ってからのことである。「行っておくべきだった」と悔やんでも後の祭り。その「宿題」をやり遂げる機会がようやくやってきたのである。

グーグルマップによれば、チロル城の近くまではメラーノ(Merano)駅前からバスがあると知り、まずはポルツァーノから列車でメラーノへ。
メラーノ行きのローカル列車は、1番線の端にある1A番線で発車を待っていた。自転車も積み込み可能である。

メラーノ駅

40分ほどでメラーノ着。ここは保養地として知られた町だが、駅は中心部から2kmほど離れている。

さて、イタリアでバスに乗るときのいつもの問題は、どこで切符を買うかである。近くには切符売場もタバッキもない。
思い余って近くに停まっていた別系統の運転手に聞いてみたところ、「バスのなかで買えるよ」とのこと。ほっとしてバスの到着を待つ。

カステル・トッレのバス終点

やってきたのはミニバス……というよりワゴンだった。「切符を2枚!」というと、運転手は「ない」という。
「えっ、車内で買えると聞いたのに!? またイタリアのバスの罠か……」
だが、それは思い違いだった。
「無料なんだよ。切符はいらない」と運転手は予想外のことを口にした。どうやら、山の上のほうに向かう住民や旅行者の利便をはかるために、無料で運行されているようだ。

途中から急勾配のくねくね道を走ること30分、終点のカステル・トッレ(塔の城)に到着した。そこは、上の写真のような味気ない駐車場だった。終点まで乗ったのは10人ほどである。

スーンシュタイン城

 バス停からすぐのところにあったのが、このスーンシュタイン城。これがイタリア語では通称「塔の城」というようだ。
なかなかフォトジェニックな建物である。
現在はレストラン付きのホテルになっていて、さきほどの駐車場はここを利用する人のためのようだ。

チロルの町遠景

グーグル先生によると、バス終点からティローロ城までは徒歩25分とある。丘の中腹をめぐる道で、坂はきつくないのが幸いである。
バスに乗ってきたドイツ系観光客のうち、2組ほどの高齢夫婦が同じルートで城に向かっていった。

彼らは高齢の人たちでもよく歩く。
「あんなに歩いているのに、どうしてみんな太っているのかしら」とは私の妻の感想である。

チロル城遠景

ドイツ系観光客はすたすたと先に行ってしまったが、われわれはあまりの絶景に感動して、あちこちで立ち止まっては写真を撮るので、なかなか進まない。
想定よりもかなり時間がかかったが、ようやく行く手にチロル城が見えてきた。

2023-11-03

ボルツァーノの高原を走る軽鉄道(下)

コッラルボからレノン鉄道(リトナーバーン)に乗って、ソプラボルツァーノに戻る途中で、走行写真を撮りたいと思った。
もちろん、撮影場所は行きの車内からチェックしていた。

コスタロバーラ(ヴォルフスグリューベン)駅

 下車したのは、中間地点に近いコスタロバーラ(ドイツ語名:ヴォルフスグリューベン)駅。この駅で下車して、ホームから発車シーンを撮影した。上の写真である。

コスタロバーラ(ヴォルフスグリューベン)駅

 次に、駅から離れてコッラルボ行きの列車を撮影。まるで模型のレイアウトのような情景である。駅のホームは、上の写真の奥にちらりと見える。

 

 高原をのんびりと走る列車の車窓。

ラッスンタ駅

 大半の列車はソプラボルツァーノ~コッラルボを走っているが、一部の列車はソプラボルツァーノからさらに西へ1駅のラッスンタ駅まで走っている。購入した切符は1日乗り放題なので、律儀にラッスンタ駅まで乗車して撮影することにした。上の写真である。

ソプラボルツァーノ高原

ラッスンタ駅からソプラボルツァーノ駅へ歩いて向かう途中ののどかな風景。ドロミティ山塊をバックに、ボルツァーノから登ってくるロープウェイが見えた。

旧型車両

ソプラボルツァーノの構内に置かれている旧型車両。特別列車としてときどき運行されるらしい。駅にポスターが貼ってあった。

 

2023-11-01

ボルツァーノの高原を走る軽鉄道(上)

 今回、ボルツァーノを再訪した目的の一つが、背後の丘上(というより山上)を走る軽鉄道レノン鉄道(ドイツ語名:リトナーバーン)に乗ることだった。15年前にはそんな鉄道があることを知らず、帰国してから地団駄を踏んだものだった。

ボルツァーノのロープウェイ

レノン鉄道に乗るには、ボルツァーノ駅近くにあるロープウェイに乗ってソプラボルツァーノへ。前回もロープウェイがあることはわかったが、丘上に立派な観光地があるとは想像もしていなかった。
ロープウェイは所要15分ほどだったか。窓からは遠くにドロミーティ山塊を見ることができる。

コッラルボ駅

レノン鉄道のソプラボルツァーノ駅は、ロープウェイ終点の目の前だった。レノン鉄道の運行は30分おき。ホームには大勢の観光客が到着を待っていたが、そのほとんどがドイツ語を話す年配の観光客だった。 
まずは、終点のコッラルボまで乗り通した。

コッラルボ駅

終点のコッラルボからは、バスでさらに上を目指す人や、自転車でめぐる人たちがほとんど。だが、私は列車の撮影のために、わき目もふらずに線路沿いに早足で歩く。
撮影場所は、車内から目星をつけておいた。もちろん、光線具合も折り込み済みだ。南向き斜面なので、順光で写真が撮りやすいのはよかった。

コッラルボ駅付近

そして、コッラルボ駅に戻って跨線橋の上から駅を撮影。
レノン鉄道は、ときに路面電車に区分されることがあるが、路面は走っていない。ただ車両は小型で、あえていえば関東の江ノ電や関西の叡山電車のような位置づけといっていいだろう。

コッラルボ駅

コッラルボ駅に隣り合うテラス席は居心地がよさそう。でも、ちょっと値段が高い。
だからといって列車ですぐに戻るのもつまらないので、コッラルボの中心部に歩いて向かうことにした。

コッラルボの村

駅から坂を降りること5分ほど。コッラルボの村はドロミーティを望むのどかで美しい村だった。地元の人が犬を連れて散歩をしたり、スーパーに買い物に行ったりする様子が見られるのもいい感じ。
中心部には立派な4つ星ホテルがあったので、そこに併設されたバールで休憩したのだが、ケーキもコーヒーも駅よりも安くて超美味だった。店内は広々としていて、カウンターの向こうには創業者らしき男性の写真が飾られていた。そして、その創業者の子孫らしき女性が、にこやかに応対してくれた。 

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著書

  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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