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2023年10月の3件の記事

2023-10-31

ボルツァーノの賑わい(下)

前回も書いたように、ボルツァーノ自治県(=南チロル=アルトアディジェ)では、イタリア語とドイツ語が公用語になっている。ボルツァーノという町の呼び名自体も、ドイツ語ではボーツェンであり駅名は併記されている。

印象的だったのは本屋である。旧市街の書店で旅行ガイドブックを買おうしたのだが、旅行書の棚に行ってみても有名なTCI(ツーリングクラブ・イタリアーノ)の緑色のガイドブックが1冊も見当たらない。

ボルツァーノ旧市街

おかしいなあと思いながら探すこと数分、店員にイタリア語で尋ねると、「イタリア語の本は下のフロアなの」とのお言葉。言われてよく見ると、そのフロアにあったのはすべてドイツ語の本だった。

階段を降りると、ドイツ語の本のフロアとほとんど同じ構成で、雑誌、児童書から文学、旅行ガイドまで、イタリア語の本が並んでいた。たぶん、世界的なベストセラーも、ここではドイツ語訳とイタリア語訳が別々のフロアで売られているのだろう。単純に考えれば、同じ品揃えなのに普通の本屋の2倍の売場面積が必要になるわけだ。二カ国語併用は思った以上に大変に違いない。

観光用ミニトレイン

第一次大戦後に南チロル(=アルトアディジェ)がイタリア領になってからは、イタリア化政策が強引に進められたという。ドイツ語の使用は禁止され、「チロル(ティロル)」という地名さえも禁句になったという。学校ではイタリア語による教育が行われ、公職に就くにはイタリア語が堪能ではなければいけなかった。
さらに中南部からイタリア人の移住も国策として進められ、摩擦が耐えなかったと聞く。

連接バス

なんとか周辺国のとりなしもあって南チロルの自治権が大幅に認められると、今度は公職に就くにはドイツ語とイタリア語のどちらもが話せないといけなくなり、イタリア系住民は苦労してドイツ語を学ぶことになったという。

ちなみに、上の写真2枚は前回の記事でフレスコ画を紹介したドメニコ会教会の前をゆく観光用ミニトレインと連接バスである。フレスコ画の華麗さとは対照的に外観はシンプルなのがおかしい。

ビアパブ

さて、ボルツァーノでの晩飯だが、東京で南チロル料理をやっている三輪さんに勧めてもらった旧市街の店のうち、なんとなく雰囲気がよさそうなクラフトビール屋に突入した。
テラス席もあるが、目の前でビールが注がれるカウンターを選択。地元のおじさんがわいわいとおしゃべりしているのを聞いているだけでも楽しい。もっとも、ドイツ語で話していたので意味はわからなかったが。

ビールは絶品でメシもうまいので、結局3日間通いつめてしまった。イケメンで気が利いて頭の回転も早いマルコがサーブしてくれる。もちろん彼もイタリア語、ドイツ語、英語が堪能。いろいろとおしゃべりをしていくうちに、徐々に私もイタリア語が出てくるようになった。
フロアだけでなく地下には大きな醸造樽や醸造タンクがあった。

週末のボルツァーノ旧市街

観光シーズンの終わりに近い週末だったからか、市内ではビール祭りが開かれていた。ヴァルター広場をはじめ、旧市街にはビールや食べ物の露店が並び、大宴会場と化していた。ソーセージが焼けるよい香りが漂い、あちこちでバンドのステージが開かれている。

マルコに「きょうはビール祭りなんだね」と聞くと、「そうらしいね」と気のない返事。「関係ないんだ。大手のビールメーカーの祭りだから?」と聞くと、にやりとして「うん」と言う。規模が小さくてもいいビールを造っている誇りがあるのだろう。

夕刻のボルツァーノ駅

最後にもう一度ボルツァーノ駅の写真を。
駅から見えるドロミーティ山塊は本当に見事である。とくに、山肌が真っ赤に染まる夕刻はいくら見ても見飽きない。

ボルツァーノ駅

そして、これがボルツァーノ駅の出札所。基本的には15年前と変わらないクラシックな造りである。でも、駅の隣で大規模な建設工事が進められていたので、もしかすると駅もそのうちにそちらに移転するかもしれない。

2023-10-30

ボルツァーノの賑わい(上)

ボルツァーノを県都とするボルツァーノ自治県は、ドイツ語では南チロル、イタリア語ではアルトアディジェ(アディジェ川上流の意味)と呼ばれている。
その昔チロル伯が治めていたチロル伯領は、現在のオーストリアとイタリアにまたがる地域であり、その後ハプスブルグ家の支配下に入り、さらにオーストリア領となった。
第一次世界大戦後、オーストリアとの戦いでイタリアはトレンティーノを含む南チロルを領土とした。だが、トレンティーノが以前からイタリア系の住民が大半を占めている一方で、アルトアディジェにはドイツ語を話すドイツ系の人びとがほとんどだったことから、のちのちまで禍根を残すことになる。

ボルツァーノ駅

その後の経緯を書くと膨大な分量になるので省略するが、興味のある方はぜひ調べていただきたい。
イタリア支配に不満をもつ人びとによって、1970年代までは爆弾事件もあったりして不穏な状況が続いたが、紆余曲折を経てボルツァーノ県に大幅な自治が認められた。
現在では、トレンティーノ-アルトアディジェの州として機能は有名無実となり、トレンティーノ自治県とボルツァーノ自治県それぞれが行政を行っている。

ワルター広場

ボルツァーノ自治県ではドイツ語を母語とする人が現在7割を占めており、イタリアにありながらドイツ語も公用語になっている。
だから、1枚目の写真のように、駅名もなにもかも二言語併記となっている。

上の写真は町の中心部にあるヴァルター広場とボルツァーノのドゥオーモ(大聖堂)。広場の名前は中世ドイツの詩人にちなんでおり、広場の中央にはその銅像も立っている。

考古学博物館

ボルツァーノに午後に到着して、まず訪れたのは県立考古学博物館である。ここには、1991年にアルプスの氷の中でミイラ状態で見つかった「アイスマン」をガラス越しに見ることができる。「エツィ」の愛称を持つ彼は、5300年前にこのあたりに住んでいた人間だということは、当時日本でもメディアで紹介された。
閉館時間に近かったので、幸いなことに待ち時間もなく入ることができた。エツィのミイラは撮影禁止だが、この復元像は撮影できる。

ボルツァーノ旧市街

前回のボルツァーノ訪問当時は日本語による情報もほとんどなく、町をぶらぶらして近郊のメラーノとヴィピテーノ、カルダーロを訪れるだけで終わってしまったが、今回はきちんと下調べをしての訪問だ。

ボルツァーノ旧市街

それにしても、どこかうら寂しい雰囲気のあった15年前とは大違い。週末にかかっていたこともあり、市内は観光客で大賑わいだった。
その観光客のほとんどがドイツ系の人たち。町にはドイツ語があふれていた。

ボルツァーノ旧市街

実は15年前に訪れたときは、バールに入るのも道を聞くのも、ちょっと気が引けていた。ドイツ語はほとんどわからないし、南チロルの歴史を多少でも知ってしまうと、軟弱なアジア人観光客がイタリア語で話しかけたら嫌な顔をされるのではないかと危惧したからである。なにしろ、相手は体格のいいゲルマン民族だ。けんかをしたら勝ち目はない……かも。

フランチェスコ会修道院

もちろんそんな心配は杞憂に終わったのだが、それでもあとになって調べてみると、ボルツァーノで見そびれたり、周辺の町で行きそびれたところが山ほどあることを知り、今回は満を持して3泊4日で訪ねることにしたのである。
ドロミーティ山塊にも行きたかったのだが、今回の旅にはイタリアの各地をまわってアフターコロナの様子を探るという使命もあったので、ボルツァーノだけで時間をとるわけにはいかない。ドロミーティ方面は、また次回以降への宿題である。

ドメニコ会教会

最後の写真は、ドメニコ会教会のサンジョバンニ礼拝堂。立派な外観のドゥオーモに気をとられていて、こんな素敵なフレスコのある教会がその近くにあることを危うく見逃すところだった。外観があまりにもシンプルすぎる教会なので、内部がこうなっているとは気がつかない。

2023-10-28

ブレンナー峠を越えてイタリアへ

しばらく更新を怠っていましたが、9月にコロナ禍以降初の海外旅行として、3週間イタリアに行ってきました。
北から南までかなりの距離を移動しました。その旅のつれづれを少しずつアップしていきます。

ブレンナー峠

航空券が高騰している9月初旬、安くてそこそこまともな航空会社を探してようやく見つけたのがポーランド航空。ワルシャワ経由でミュンヘンに着いて1泊し、オクトーバーフェスト直前の町でしこたまビールを飲んだ。

そして翌日、ミュンヘン中央駅発オーストリア経由の国際列車でイタリアに向かう列車に乗り込んだ。

ブレンナー峠

ヴェネツィア行きの列車はドイツ人観光客で満員。私のコンパートメントは、ヴェローナに向かう老夫婦、自転車で北イタリアをめぐる中年夫婦、そして私たち2人である。

ブレンナー峠

最初の3枚の写真は、オーストリアとイタリアの間にあるブレンネーロ(ドイツ語名:ブレンナー)峠の車窓風景。古くはモーツァルトやゲーテも通った道である。第二次世界大戦直後には、秘かに南米に逃亡を企てるナチス高官も通ったのだそうだ。

ブレンネーロ駅

ブレンネーロ駅の直前まではオーストリア領で、ちょうどこの写真あたりに国境があるはず。
ブレンネーロ駅構内には長大な貨物列車が何本も出発を待ち、並行する道路には荷物を満載したトラックが走っている。ここはまさにアルプスの南北をつなぐ要衝であると実感させられた。

ブレンネーロ駅

いよいよイタリア、ブレンネーロ駅到着である。だが、ホームは狭苦しいし、警察官が巡回してものものしい雰囲気である。
もちろんEU域内なのでパスボートチェックも何もないのだが、どうやら不法移民や密輸に目を光らせているのだろう。

ブレンネーロ駅

ブレンネーロ駅には20分ほど停車して発車。結局、乗降客はほとんどいなかった。
イタリア領内に入ると、車内放送もイタリア語、ドイツ語の順になる。
ポルツァーノ自治県はドイツ語を母語にしている人が7割を占めており、イタリア語のほかにドイツ語も公用語である。だから、駅の表示もバス停も2か国語併記となっているのだ。

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著書

  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
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  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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