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2023年1月の13件の記事

2023-01-31

西表島 路線バスで村めぐり(10)船浦

船浦は、上原から1kmほど東に位置している。小規模な集落だが漁港があり、ホテルや民宿が何軒かある。
ここから東は、ホテルやロードパークが点在しているものの、由布島に向かい合う美里までしばらく集落がない。

ぽけっとはうす

上原と船浦の中間にある喫茶店に行こうとしたのだが、残念ながら休業中。しかたがないので、船浦までそのまま歩くことにした。
これは、県道の船浦交差点にある居酒屋「ぽけっとはうす」

船浦中学校

船浦の交差点をそのまま県道の道なりに左折すると、すぐにこの竹富町立船浦中学校があった。
校内からは中学生の元気な声が聞こえてきた。

船浦中学校前

船浦中学校前から船浦交差点を望む。

畑

中学校から交差点の反対側に進むと、民家と宿が何軒かあるだけで、あとは茫漠とした畑が広がる。
西表島の内陸というとすぐにジャングルを思い浮かべるが、この周辺ではこうした風景を見ることができた。

2023-01-30

西表島 路線バスで村めぐり(9)上原

ウタラ炭坑探索を終え、バスで上原に着いたころにようやく雨があがった。
西表島北部にある上原は、石垣島と結ぶ定期船が発着する港があり、島最大の集落だ。

上原の県道沿い

最大の集落といっても、家が密集しているわけではなく、中心部も上の写真のようにまばらに家がある感じ。
上原には星野リゾートをはじめとしてホテルやゲストハウスが何軒もあるが、そのほとんどは中心地から県道を白浜に向かう途中にある。

ランチハウスたまご

まずは腹ごしらえということで、食堂を探したのだがコロナ禍にシーズンオフが重なってどこも休み。
ようやく見つけたのが港から200mほど北側の県道沿いにある「ランチハウスたまご」だった。なかなか居心地のよい店で、カレーチャーハンと八重山そばのセットも美味だった。

新八食堂

妻に勧められた新八食堂は、その週いっぱい休業とのことだった。

標語

沖縄の離島でよく見かける標語の看板。
「しゅくだいは やりたくないけど やらないと0てんとっちゃうよ」
小学1年生の作だそうである。
大丈夫、やらなくても0点になることはないよ。でも、やらないよりやったほうがいいかな。

デンサー食堂

港の入口にあるデンサー食堂も休業中。店の名前は民謡のデンサー節にちなんでいるのだろう。
デンサー節は沖縄本島の民謡として知られているが、そのオリジナルは西表島のここ上原が発祥の地だと知った。
それをもとに編曲したのが、現在広く知られているデンサー節らしい。聞きくらべてみると、歌詞も節回しも微妙に違っていた。

上原港

次のバスまではかなり時間があったので、上原港の待合室でしばし休憩。
ここでも、安永観光と八重山フェリーが競っていて、どの便もほぼ同時刻に出発するのは悩ましいものである。

上原港

まだまだ時間があったので、小高い場所から港をぼんやり眺める。
近くには上原集落とデンサー節の由来が書かれた大きな石碑が建っていた。へ
それによると、ここ上原もマラリアの蔓延によって一時廃村になったが、戦後になって新たに入植した人によって発展したのだそうだ。

2023-01-27

西表島 路線バスで村めぐり(8)ウタラ炭坑跡

路線バスで西表島の村めぐりの2日目。まず向かったのは宿泊地の白浜から8kmほど北東にある浦内川だ。まともな観光客ならば、ここでジャングルクルーズの遊覧船に乗るかカヌー遊びをするところだが、そうじゃないのでウタラ炭坑跡の探索をすることにした。

浦内川バス停

浦内川バス停で下車。一人ぽつんと取り残される。この日は朝から雨模様だった。

浦内川観光船

雨でぬかるんだ道を、傘をさしながら単独行の約20分。シダが密生するくさむらの向こうに、浦内川観光船が川を遡っていくのが見えた。
実は、浦内川の観光船にはすでに30年前に乗ったのだ。そのときは宿泊地の石垣島から船でやってきて、マリュウドの滝やカンピレーの滝も見たっけ。夏の観光シーズンだったので、同行の観光客も多かった。

炭坑跡への道

炭鉱跡まではこんな道を約1km。よりによって、この間だけ雨が激しくなってきた。
そういえば、30年前の浦内川観光のときも雨。カンピレーの滝のそばでは、足をすべらせて約2m下の河原の石畳に背中から落ちてしまった。頭から血を流して同行者たちにひどく心配されたが、頭を打ったわけではなくバッグの金具が額の上をこすって傷ついたのであった。

炭坑の廃墟

たどりついた炭坑跡は、ほぼ自然に返っていた。目が慣れると、トロッコ軌道の橋脚が見えてきた。上の写真である。橋脚にからみついている木が年月を語っている。

炭坑の廃墟

これは炭坑で使用した機械のようである。それにしても、よくこんなところに人が住んでいたと思う。まさかこんなひどいところとは思わず、金を稼ぐために各地から人がやってきたのだという。タコ部屋のようなところに住まわされ、脱走して逃げきれずに捕まったりマラリアで死んだ人も数多かったとか。当時日本領だった台湾から来た人もいたという。
一時は待遇改善が進んで夫婦者も住むようになり、ちょっとした町ができていたというが、戦時色が濃くなると石炭増産のためにまたぞろ待遇が悪くなっていったそうだ。

案内板

地面は雨でどろどろにぬかるんでいるが、この一帯だけは手すり付きの木道が整備されていて、ところどころにこんな説明板が設けられていた。
さきほどからの偉そうな説明も、これで仕入れたにわか知識である。

2023-01-26

西表島 路線バスで村めぐり(7)古見

2021年11月に訪れた西表島路線バス旅のつづき。
野生動物保護センターから歩いて戻ったのは、古見(こみ)の集落。西表島東部でもっとも古い村だそうだが、ここもほかの集落と同じくマラリアで廃村を繰り返し、現在の集落は戦後に入植してきた人たちによるものだという。

古見のバス停

野生動物保護センターからは1kmあまり。県道にはさえぎるものがほとんどないので真夏は大変だろうが、11月なのでやや蒸し暑い程度で県道を歩くことができた。

古見小学校

バス停そばには立派な古見小学校がある。
西表島には、古見のほか、大原、上原、西表(祖納)、白浜、船浮の全部で6つの小学校がある。

赤瓦の民家

島の東部では珍しい赤瓦のお宅。バス停に隣接していた。庭がきれいに整備されている。

集落下の泉

県道からそれて海側に歩いていくと、村外れにこんな石垣があった。泉がわいている歴史的な場所のようで、看板が立っていたが撮り損ねてしまった。
琉球王国時代、古見は八重山諸島のなかでも重要な村だったそうだ。海岸近くには沖縄では珍しい製鉄所があり、造船所もあったという。それを偲ぶ跡が残っていると知ったのは、東京に帰ってきたからのことである。

県道沿い

歌手の夏川りみさんのお母さんがやっている喫茶店があったが、もう閉店の時間が迫っていたので残念ながら訪ねることができなかった。
近くを通ると、たぶん地元の人たちらしい明るい話し声が庭から聞こえてきた。

バス到着

こうして西表島村めぐりの1日目はおしまい。白浜行きの最終バスがやってきた。
白浜到着は午後5時ちょうどである。

2023-01-22

西表島 路線バスで村めぐり(6)野生動物保護センター

大富からバスで向かったのは野生動物保護センターである。
ここには、イリオモテヤマネコの貴重な剥製が展示されているほか、西表島のさまざまな野生動物を紹介していると聞いていたからだ。
村めぐりがメインとはいえ、ここだけは外すわけにはいかない。

野生動物保護センター入口

バス停は、古見集落の北1kmほどのところ。下車したのは私一人だった。もっとも、行きのバスではここで降りた人が何人かいたので、バスの利用者もそこそこいるのだろう。
周囲には人家も畑もなく、ただ野生動物保護センターを示す看板が立っているだけ。ここから、500mほど入った場所にセンターがある。

230121b

センターへの道沿いには植物がうっそうと茂り、美しい色をしたさまざまな蝶が乱舞していた。
上の写真は、はじめて見た蝶だ。オオムラサキに似ているが、沖縄にいるはずはないと思って調べてみると、1990年代に沖縄に居ついたツマムラサキマダラというタテハチョウの一種らしい。

イリオモテヤマネコの剥製

車でやってきた人も多く、野生動物保護センターには20人ほどの人がいただろうか。私が見学している間にも、次々に人が訪れていた。
この写真は、交通事故にあって保護されたイリオモテヤマネコの「よん」の剥製。けがの程度がひどかったために野生に返すことを断念し、余生をセンターで過ごしていたそうだ。

後良川

野生動物保護センター見学のあとは、白浜行き最終バスに乗るために古見の集落に戻ることにした。
途中、マングローブが美しい後良(しいら)川を越える。

イリオモテヤマネコの親子像

道端にはイリオモテヤマネコの親子の銅像が建っていた。

2023-01-20

西表島 路線バスで村めぐり(5)大富

仲間川をはさんで大原と向かい合う大富は、1952年(昭和27年)から竹富島、波照間島、沖縄本島からの人びとが入植してできた集落だという。

仲間川

豊原や大原もそうだが、それまで西表島東部がずっと無人だったというわけではなく、戦前にも村があちこちにあった。だが、マラリアや戦争などの理由によって、そのほとんどが廃村になってしまったのだ。

仲間川から大富集落を望む

仲間川左岸の河口近くに位置する大富は、仲間川クルーズの拠点になっていて、クルーズ船の乗り場があった。
このあたりでは仲間川の川幅は200mほどある。入植当時はもちろん川に橋など架かっておらず、港がある大原とは小舟で行き来していたそうだ。

カンムリワシ?

イリオモテヤマネコの像が鎮座する仲間橋を渡り切ったときのことである。突然近くの木のてっぺんに大きな鳥が舞い降りた。写真を撮ろうとそっと1歩近づいたら逃げてしまった。かろうじて撮ったのがこの1枚。
あとで野生動物保護センターの人に聞いたところ、たぶんカンムリワシだろうとのことである。

大富共同売店

大富の県道沿いには共同売店があった。地元の人だけでなく、車で行き来する人がひっきりなしに出入りする。島の東部では、県道に面した売店がほとんどないからだろう。

大富バス停

昼飯をくいそびれた私は、この大富共同売店でパンと飲み物を買い込んで、30分後にやってくるバスを待つことにした。

2023-01-19

西表島 路線バスで村めぐり(4)大原

豊原から約3km、徒歩30分ほどで着いたのが港のある大原だ。
旅客船が発着する西表島のメインの港は上原だが、風向きによっては大原に発着する。

大原の県道沿い

旅客港があるくらいだから、かなり賑やかなところかと思ったら、静かな集落だった。
とはいえ、ここにも宿が2軒、食堂が2軒あるようだ。
県道沿いには、西表島交通の工場やレンタカー営業所があった。

西表大原郵便局

これは集落の中心部にある西表大原郵便局。
入口のヒンプンの上にはシーサー……ならぬイリオモテヤマネコ様が来客を威嚇している。

スーパーマーケット

脇道に入って集落をぶらぶらしてみると、スーパーが2軒、向かい合って建っている。
以前、多良間島でも見た情景だが、狭い集落なのに隣接していて過当競争にならないのだろうかと心配になる。
それとも、うまく棲み分けているのだろうか。

大原神社

中心部を通りすぎて、大原集落の北側にある大原神社。
県道をはさんで向かいには大原集落発祥の地の碑が立っていた。それによると、この村は1938年(昭和13年)に新城島の17戸が入植してできたのだとのことだ。

仲間川のヤマネコ像

バスの時刻までは時間があったので、仲間川を越えてもう1つ向こうの集落まで歩くことにした。1.5kmほど先にある大富である。
河口近くに架かる近代的な仲間橋の親柱の上には、イリオモテヤマネコ様が鎮座していた。
反対側には、低い体勢で獲物を狙う姿のヤマネコ様がいて、阿吽の態をなしていた。

2023-01-18

西表島 路線バスで村めぐり(3)豊原

船浮から戻って、いよいよ西表島交通の路線バスで村めぐりへ。
バスは、島の北西部にある白浜と南東部の豊原を結ぶ約50kmを1時間40分かけて走っている。
島の外周をぐるりと半周ちょっとめぐる路線で、残りの半分は道路がないのでバスはおろか車もバイクも自転車も走れない。

白浜バス停

白浜のバス停は港のそばにある。海まで10mといったところ。
バス車内で1日乗車券を買って、いざ出陣である。1日4往復だが、1本は早朝に白浜を出るので、実際に使えるのは1日3往復。
バスと徒歩を組み合わせて、2日間で島の主な集落をめぐろうという計画だ。

バス車内

バスの車内はこんな感じで近代的。旅行者の利用が意外に多い。
船に乗車する日は、船会社の専用バスで送迎してくれるが、そうでないときはこのバスが一番。
レンタカーでめぐることのできる観光地は限られているので、ツアーに飽き足らない人や長期滞在する人は、私のようにバスでブラブラを決め込むようだ。星野リゾートからも何人か乗り込んできた。

豊原バス停

まずは、宿泊地の白浜からはるばる豊原へ。終点から終点まではさすがに乗りでがあったが、おかげで島の様子が頭に入った。
これは豊原バス停。琉球瓦のこぎれいな待合所だ。バスの写真を撮ろうと思っていたら、すぐに発車してしまった。たぶん、この先に停泊所があるのだろう。
道路は、集落の5kmほど先で途切れる。

富原の集落

バス通りで見た掲示板には、「豊原入植60周年記念  平成25年」とあったので、この土地が開拓されたのは1953年(昭和28年)からとわかる。
集落に入ると、碁盤の目状になった街区にコンクリート平屋の建物が並ぶ。戦後になって、沖縄本島や宮古島などから移住した人たちが苦労して拓いた村だと聞いた。

富原の集落

Googleマップによれば、民宿2軒、食堂2軒があるようだ。
とはいえ、まだ腹も減っていないし、折り返しのバスが発車するまでに1つ前の集落に歩いて移動しなくてはならない。
海を遠くに見ながら、バスで来た道を引き返す。

豊原から大原へ

11月とはいえここは南国、日射しも強い。日焼け止めはもちろん塗ったが、首に布を巻き、帽子をしっかりとかぶって歩きだした。
こんなところを歩いて移動する人間は珍しいのだろう。山羊が不審な表情でこちらを見る。

2023-01-14

西表島 路線バスで村めぐり(2)船浮

「路線バスで村めぐり」と銘打っておきながら、船でしか行けない集落の話から。
船浮港へは白浜から船浮海運の高速船で10分。1日5往復運行されており、8時45発の第1便で向かった。

船浮港

始発便だから、利用者は地元の人らしき数人と、白浜に泊まった観光客が私を含めて3、4人。ほかに、何かの調査で来たような人が2人いた。
船浮港はご覧のように近代化されている。30年前に訪れていたら、ずいぶん違っていただろう。
帰りの船は10時25分。それまでの1時間40分のぶらぶら歩きである。

船浮港

これが港の前を走る道。この写真で港は左側にある。
売店があったが、「今日の営業は11時~17時」という看板が出ていた。

船浮の集落

港の前の通りを50mほど歩くと集落がある。ここは緑豊かなお宅。
人口は50人ほどとのことだが、集落の外れには立派な船浮小中学校がある。

 

島の反対側にはきれいな砂浜があると聞いていたので、村外れから森に入っていく。
木の上からは聞きなれない蝉や鳥の鳴き声が響いてくる。

船浮の裏山

森のなかのこんな道を歩いた。この写真の撮影のために10秒ほど立ち止まったら、ヤブ蚊(ジャングル蚊?)に3か所食われてしまい、丸1日直径10センチほど腫れてしまった。防虫スプレーをしたのに、西表島の強力な蚊には効果がなかった。
マラリアが蔓延していた戦前だったら大変だ。

イダの浜

森の中を横切ること500m。美しいイダの浜にたどりついた。
同じ船でやってきた観光客らしき中年男性2人も、それぞれ前後してここにやってきた。
静かな海岸でヤドカリとたわむれ、聞き慣れないセミと鳥の声に耳をすまし、深呼吸をしてもたっぷり時間は残っていた。

2023-01-12

西表島 路線バスで村めぐり(1)白浜

ここ2、3年の旅の棚卸しシリーズ。今回からは、2021年11月に訪れた西表島の旅から。

西表島で3泊したのは、道路が途切れる西の果てにある白浜という集落。
毎日ダイビングに行く家人を見送って、路線バスで島内の村をめぐることにした。

白浜バス終点

これが、「日本最西端のバス停」と書かれている西表島交通の白浜終点。
もっとも、ここより西に位置する与那国島にもバスはある。ただ、そちらは町営の無料サービスだから例外としているのかもしれない。

 屋良商店

バス停からさらに道の先に向かうと、食料と酒の調達に活用した屋良商店がある。
このときは、店先でお孫さんたちが遊んでいた。

白浜小学校

そして、車道が果てるところに白浜小学校が位置する。宿はこの隣にあるので、毎朝この学校のスピーカーから流される音楽で起こされた。

白浜

さらに狭い道を進んでいくと、家並みが途切れてこんな風景が広がる。
白浜は、素朴とかのどかという手垢のついた言葉では言いつくせない魅力的な場所だった。

船浮行き高速船

 さて、翌朝はバスではなく船を利用。隣の船浮(ふなうき)集落へは道路が通じていないので、船で行くしかない。港はバス停そばにある。
船浮の存在を知ったのは1993年のこと。西表島を訪れて東京に帰ってきてからのことだった。
「知っていたら足を延ばして行くんだった!」
そう思ってもあとの祭り。今回はその約30年ぶりのリベンジだった。

2023-01-10

佐世保駅周辺をぶらぶら

だらだらと書いてきた2022年9月の佐賀・長崎の旅の記録も最終回。
佐世保の中心部から駅にぶらぶらと戻ってきました。

 四ヶ町商店街入口

佐世保市内には、国道の海側に延々とアーケード商店街が続く。そのうちでも、駅に近いところにあるのが、この四ヶ町商店街。
近辺は飲み屋街がひしめき、とくに夜店公園通りの沿道では、地元の人、旅行者、米軍関係者が入り交じって夜更けまで賑わっていた。

カトリック三浦町教会

国道沿いをさらに佐世保駅に向かうと、道に面して建っているのがこの立派なカトリック三浦町教会。
さすがに長崎県という光景である。

佐世保市の清掃車

これは佐世保市の清掃車。おしゃれなカラーリングの車がやってきたので、あわてて撮った。
英語がメインの表記は、米軍関係者が多いことを意識しているのか。

佐世保駅

そして、これがJR佐世保駅。前にも書いたが、想像していたよりもずっと立派な駅だった。
松浦鉄道の列車も、この駅から発着している。

特急みどり

ホームに待っていたのは博多行きの特急「みどり」。これに乗って終点博多へ。福岡市内でも2泊するのだが、その話はまた改めて。

2023-01-06

昭和が香る佐世保の戸尾市場街

2022年9月に訪れた佐賀・長崎の旅のつづき。
佐世保駅の東側の丘上をめぐって「お滝さん」を堪能したあとは、下界に戻ってバスに乗車。
中心街の北端にあたる俵町で降りて、佐世保駅前までぶらぶらと戻ってくることにした。

京町あたり

あてもなく、ただ国道をはさんであっちに行ったり、こっちに来たり。
途中、ときどき目に入ってくる味わい深い建物を愛でながら京町あたりまでやってきた。
上の写真は国道の東側。西側には、大規模なアーケード商店が国道沿いに延々と続いている。

戸尾商店街

そして、たまたま行く手に現れたのが戸尾(とのお)市場街。
まさにレトロな商店街だ。かつて近くにあった市場に周囲に、いくつもの商店街ができたのだそうだ。

戸尾商店街

鮮魚店が多いのだが、ほかにも肉屋、雑貨屋、洋服屋などが軒を連ねる感動的な一帯だ。

戸尾商店街

隣接する「とんねる横丁」は、防空壕跡を活用した商店街になっていると帰宅後に知ったのだが、無念なことに写真を撮り損なった。
次回への宿題である。
そろそろ帰りの列車の時刻が迫ってきたので、さらに歩を進めることにした。

2023-01-02

謹賀新年 2023年

2023年、明けましておめでとうございます。

的山大島 神浦地区

2022年9月の佐賀・長崎行きの話があとわずかで年を越してしまいました。

今年もよろしくお願いいたします。

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著書

  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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