肥前山口駅 最後の日
西九州新幹線開通にともなって姿を消すのは、在来線の特急かもめだけではない。
肥前山口駅もなくなってしまう。といっても駅自体がなくなるのではなく、駅名が「江北」に代わるのだ。
長崎本線と佐世保線の分岐駅として、鉄道ファンには長らく親しまれた駅名だから、ちょっぴり寂しい気もする。
だが、地元では戦前から江北村(現・江北町)だったので、肥前山口のほうがしっくりこないのかもしれない。山口は、1932年の江北村成立以前にあった村の名前だそうだ。
個人的には、高校生時代に友人とめぐった蒸気機関車の撮影行で、真夜中に肥前山口駅で乗り換えたのが懐かしい思い出だ。もっとも、真っ暗で乗り換えは短時間だったので、まったく駅自体に記憶はないけれど。
むしろ、その直後に唐津線に乗り換えるために降りた久保田駅の待合室で、蚊の大群に襲われた恐ろしい記憶が生々しい。
九州の蚊は、東京の蚊とくらべて大きいだけでなく実に攻撃的で、服や運動靴の繊維の隙間からも刺してきた。
昔話はこのくらいにして、肥前山口駅前である。駅の中には鉄道マニアに加えて地元の人たちが行列をなして、最終日の切符を求めていた。
記念乗車券も夕方から販売をはじめるとのことで、まだ何時間もあるのに並びはじめていたようだ。
もちろん、駅前の「肥前山口駅」の表記も修正しなくてはならない。
上の写真は、祐徳バスのバス停。ネットの情報によると、このバス停の名称が変更になったのは、その後少し経ってからのようだ。
一方、駅前通りの信号についている「肥前山口駅」という標識は、さっそく撤去作業がはじまっていた。
せっかくなので、駅の周辺の町並みを眺めながらぶらぶら。
これは駅弁屋として知られた「常盤軒」。長崎県と佐世保線の分岐駅だった肥前山口駅は、かつては分割・併合のために長時間停車する列車が多かった。さぞかし駅弁は売れたことだろう。残念ながら、2002年に駅弁事業から撤退したそうだ。
これも北口駅前。県道(手前)と長崎街道(建物の右側)の分岐点にある「日の出屋旅館」。いかにも昔ながら駅前旅館という雰囲気だ。
長崎街道もぶらぶらと歩いたところ、狭い道幅とカーブの具合がなんともいえずによかったのだが、古い家はほとんど残っていなかった。
さて、このあとは長崎市内に宿泊して翌日の西九州新幹線開通初日を迎えるというのが、鉄道愛好家としてあるべき姿なのだが、1週間以上前に長崎市内の宿は満杯になっていた。諫早を検索しても空室ゼロ。
「まあ、新幹線はいつでも乗れるから、初日にこだわることはない。人でごった返しているだろし」
心の中で負け惜しみを言って方針変更。かろうじて佐世保のホテルがとれていた。そのために肥前山口で乗り換えたわけだ。
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