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2022年12月の23件の記事

2022-12-27

佐世保市街の住宅地にある秘境「お滝さん」

旧平戸街道をひたすら東に向かって歩いていった。
いつまで歩いてもきりがないので、そろそす下界に降りようかと思ってGoogleマップを見ると、「お滝さん石仏」という表記がある。
──どうせ道端に何体かの石仏が立っているくらいだろう。
そう思ったが、地図上のどの道からも離れた場所にあるのが不思議だ。せっかくなので行ってみることにした。

お滝さん石仏

しばらくすると、道沿いに「お滝さん」の由来を説明した看板が立っていた。
それによると、「大正時代に吉田増玄師が開いた滝行道場があった」とある。
その横に、つい見過ごしそうな急な下りの階段があるので、そこを降りていく。

お滝さん石仏

階段は50段ほどだったろうか。周囲はうっそうとした緑に覆われて、10段も降りるとまったく異世界である。
顔にかかりそうになる枝や蜘蛛の巣を払いながら、階段に積もる落ち葉にすべらないよう用心しながらゆっくり降りた。

お滝さん石仏

そうして降りると、2枚目の写真のような小さな滝があった。
今はちょろちょろ流れているだけだが、以前は滝行ができるほど流れていたのかもしれない。
そして、あちこちに石仏が置かれている。入口にあった看板によると、薬師如来、蔵王権現、足の病を治す足ずりさん、婦人病の粟島さまなどの27体の石仏があるという。入口の階段の途中には石灯籠が据えてあったが、それは旧花園遊廓の寄付と書かれていた。

お滝さん石仏

これが佐世保最大の薬師如来のようだ。おどろおどろしい情景のなかにあって、超然とたたずんでいるように見える。
帰りはこの石段にチャレンジ。行きよりもさらに難易度の高い石段であった。

木風町

石段を登り切ると、地獄の底からこの世に戻ってきた気分がした。
住所は木風町(きかぜちょう)である。

2022-12-26

佐世保の丘上に登ってみた

長崎市を初めて訪れたとき、その立派な丘上都市ぶりに感動した覚えがある。
あれだけの都市で丘の上にびっしりと家が建ち並んでいるのは長崎市が唯一無二だと思っていたら、同じ長崎県の佐世保もそうだった。
規模の点では長崎市に及ばないが、駅前の広場からすぐに丘上に登る坂道が見えるのはわくわくする。

白南風町の階段路地

まずは、駅前広場の東側の坂道を登ることにした。地名は白南風町(しらはえちょう)。
南の風を「はえ」と呼ぶのは九州・沖縄(那覇方言は「ふぇー」)ならではである。
やがて坂道は階段路地に変わり、さらに上へ上へと続いていく。

佐世保湾を望む

9月下旬とは思えない強い日射しのもと、ひいはあいいながら階段を登っていくと、そのごほうびとして佐世保湾を望む風景が広がった。
上の写真で、階段路地は写真左の影になっている部分。まだまだ階段は続いていく。

山祇町

階段を登りきったあたりで、地名は山祇町(やまずみちょう)に変わる。
そこにはごく普通の市街地が広がっていた。台地に近い地形なのか、ゆるい坂道はあるものの、ここにくるまでのような急坂はない。

そして、この丘上を平戸街道(平戸往還)が通る。大昔、海沿いの道は湿地帯で蚊などの虫も多く、増水の危険もあったので、古い街道ほど丘の上を経由しているものだ。

山祇神社

平戸街道は、平戸と彼杵(そのぎ)を結ぶ道で、彼杵で長崎街道に合流していたという。
前日に佐世保と平戸を往復したのは、まさに旧平戸街道を行ったり来たりしたわけだ。
さて、平戸街道を南東に進んでいくと、上の写真のような大木が繁る山祇神社があった。

佐世保湾を望む

ところどころで、佐世保駅方面に下る急坂がある。
でも、せっかくここまで登ってきたのだからと、もう少し平戸街道を歩いてみることにした。

2022-12-25

松浦鉄道 たびら平戸口駅から佐世保駅へ

最西端の普通鉄道駅「たびら平戸口」に佐世保行きのディーゼルカーが1両で到着した。
列車が到着しても写真を撮っていたものだから、「お早くお乗りください」と駅のお姉さんにいわれてしまった。
こちらとしては、客の乗降があるものと思っていたから悠長に構えていた。乗る人がほかにいないことはわかっていたが、降りる人もいなかったのだ。

たびら平戸口駅

乗り込んでみると先客は一人のみ。欧米人の若い男性だった。佐世保の基地の関係者なのか、それとも単なるローカル鉄道好きのオタクなのか、あるいはたまたま近くに住んでいるのかはわからない。途中駅で降りていったので、たまたま住んでいるだけなのか。

松浦鉄道の車内

たびら平戸口からしばらくは、市街地から外れた雑木林や田んぼのなかを走っていく。
駅に停まると、たまに1人、2人と乗ってくるだけなので、この鉄道の行く末が心配になってきた。
列車はワンマンカーで、途中駅のほとんどは無人駅である。

江迎鹿町駅

久々に大きな駅が見えてきたかと思ったら、対向列車が交換待ちをしていた。
江迎鹿町(えむかえしかまち)駅である。小さな女の子を連れた若いお母さんが列車を見送っている。
対向列車にはそこそこ乗客が乗っていたのでほっとした。佐世保から帰宅する人たちなのだろう。

吉井駅

さらにしばらく走ると吉井駅に到着した。ここで5分ほど停車。また対向列車がやってきた。
写真を見るとどこかの山奥の駅のように見えるが、少し離れた国道沿いは大きな市街地になっている。
ただ、不便だから鉄道を利用する人は少ないのだろう。

吉井駅

吉井駅ですれ違った対向列車からは数人が降り立った。
かつてはこの駅から山のほうへ世知原(せちばる)線が分岐していた。世知原で採れる石炭を運搬するのが目的の路線だった。
1971年に廃止になったというから、私が初めて松浦線に乗る少し前に廃止されたことになる。
広々とした駅構内が、賑わいあった時代を偲ばせる。

佐世保駅

途中の佐々(さざ)駅を過ぎると、ようやく車内は人でこみあってきた。
車窓の風景も市街地そのものである。終点の佐世保駅に到着したときには、すっかり外は暗くなっていた。

2022-12-24

日本最西端の鉄道駅 たびら平戸口駅

平戸港(平戸桟橋)は平戸島という島にあり、対岸の九州本土とは平戸大橋で結ばれている。
その九州本土側にも港があって田平(たびら)港と呼ばれている。現在は平戸市の一部となっているが、旧田平町(たびらちょう)に属していた。ちなみにバス停の名称は平戸口桟橋となっていて、ちょっとややこしい。

たびら平戸口駅

平戸港から佐世保ターミナル行きのバスに乗ろうとして気がついた。
そのバスは、平戸大橋を渡るとちょっと寄り道して平戸口桟橋(田平港)を経由する。そして、そこから10分ほど歩けば、松浦鉄道のたびら平戸口駅がある。日没まではまだ間があったので、これに乗らない手はない。
赤字路線として廃止対象となった国鉄松浦線を第三セクター化した鉄道路線である。

たびら平戸口駅

たびら平戸口は中心部から外れたところにある静かな駅だった。
だが、この駅こそが日本の普通鉄道の最西端に位置する駅なのである。普通鉄道とわざわざ断ったのは、沖縄モノレールのほうが西にあるからだ。
2本の鉄製のレールを上を走って客扱いをする鉄道としては、間違いなくここが西の端である。

たびら平戸口駅

駅前には最西端にあることを示す標識が立っていたが、人の行き来はない。タクシーが1台と路線バスが1台停車しているだけ。
駅舎に入ると、2枚目の写真に見えるように「鉄道博物館」という小部屋があって、国鉄松浦線時代の写真やさまざまな器械を展示しており、土産物も売っていた。

たびら平戸口駅

実は、この路線には今から半世紀ほど前の高校時代に乗ったことがある。まだ九州に蒸気機関車が走っていたころだ。
伊万里から佐世保まで乗ったのだが、あまりにも時間がかかったうえに、夜行の連続と強行軍で疲れていたために車内で熟睡してしまったようだ。途中の記憶がほとんどない。写真も撮っていないので、残念ながら思い出すよすがもない。

たびら平戸口駅

せっかくなので、出札係と土産物売りを兼務している40代くらいのお姉さんに「学生時代にここに来たことがあるんですよ」なんてお世辞をいいながら、「たびら平戸口」の駅名票を模したミニタオルを購入した。
ちなみに、国鉄時代の駅名は「平戸口」だったが、第三セクター化したときに現在の名称となった。地元が田平町であることを強調したのだろう。

たびら平戸口駅

広々とした駅構内と長いホームが全盛時代を偲ばせる。
この駅を発着する列車は日中ほぼ1時間おき。駅で待つこと15分ほどしたところで佐世保行きがやってきた。
たった1両のディーゼルカーが、長いホームの中央部に停車した。

2022-12-23

風格ある平戸の町並み

大島フェリーで平戸港に戻ったのは午後2時40分。的山大島では食事をとる店もなく、売店も閉まっていたので何も腹に入れていない。
中途半端な時間なのだが、どこかでまともなものが食べられないか探すことにした。

オランダ商館通り

まず歩いたのが、かつてオランダ商館があったという、その名もオランダ商館通り。
実に見事な家並みが続いている。
ざっと見たところ、おそらく昭和に建てられた比較的新しい建物が多いようだが、落ち着いた雰囲気で統一感がある

オランダ商館通り

それぞれ商売を営んでいたのだろうが、現在は廃業している店も多いように見える。
営業している店の多くは、飲食店か土産物屋になっているようだ。

オランダ商館通り

豪快な板壁の商家には、「平戸屋」の看板が出ていた。

オランダ商館通り

 オランダ商館通りをそのまま西に向かって歩いていくと、道の名前は浦の町本通りとなり、徐々に普通の町並みに姿を変えていく。
そんななかにあって存在感を示していたのが、この門谷薬局である。

町並みを歩きをしながら食べ物屋を探したすえに、3時過ぎでも開いていた店「レストラン ベイリーフ」をようやく見つけて、ほっと一息。
鉄板に乗ったあつあつの平戸牛ハンバーグと刺身がセットになった贅沢な定食で大満足。おいしうございました。

さて、1時間に1~2本出ている佐世保ターミナル行きのバスに乗ってそのまま佐世保に戻ろうかと考えていたが、腹が落ち着いたところでふと思い出したことがあった。

2022-12-22

的山大島 神浦地区の町並みと絶景

的山(あづち)大島 神浦(こうのうら)の重要伝統的建造物群保存地区は、古くからの漁村の町並みを今に残している。
明治・大正時代の家もあり、なかには江戸時代に建てられた家もある。

神浦地区の町並み入口

伝統的町並みの入口にあたる場所。右側の家はたばこ屋の看板が出ている。
小雨ばらつくなか、ぶらぶらと町並みに歩を進めていった。

神浦地区の町並み

少し進むと空き地があって、地域ニャンコが不審げな表情で迎えてくれた。

神浦地区の町並みとネコ

漁師町らしく、狭い道がくねくね続く。軒を支える部材の飾り模様(写真右端中央あたりの木の部材)によって、家を建てた年代がわかるという。
空き家になったらしい家が、観光客向けの休憩室兼資料館のような地味な施設になっていた。
もっとも、交通が不便で観光客が大勢押しかけるような場所ではないので、地元の人の迷惑にならないよう静かに歩く。

神浦地区の港

神浦の港には入り江が深く切れ込んでいて、このような美しい水辺の風景を描いている。
冒頭の3枚の写真の町並みは、この写真の右奥にあたる。
それ以外にも、ひそやかな通りと古い町並みはあちこちにあり、山のように写真を撮った。

神浦地区の港

上の写真とは反対向き。静かな入り江の奥から港の入口を望む。

神浦地区を俯瞰する

高台にある天降神社から神浦地区を俯瞰する。写真手前中央の家が、トップの写真のたばこ屋。

こうして、売店も喫茶店もない集落のなか(酒屋は1軒開いていた。コロナ禍でなければどこか売店が開いていたかもしれない)を、あっちへうろうろ、こっちへふらふらしつつも、島の人と語り合うことなく、ソーシャルディスタンスを保ちながら2時間弱を過ごしたのであった。
帰りのバスも、あちこちの集落に立ち寄りつつ的山港へ。そして、14時出航の大島フェリーで平戸港へ戻ったのでした。

2022-12-21

長崎県北の離島 的山大島に上陸

的山大島は、到着直前まで「まとやまおおしま」と読むのだと信じて疑わなかった。
しかし、島に到着直前、船内放送で「まもなく○○港に……」という放送がある。○○はまったく意外な地名だったので、聞き取れなかったのだけれど、すぐに検索してわかった。
「まとやま」ではなく「あづち」と読むのだ。弓矢で的をかける山をつくるために、土を編むようにして固めた「編む土」が語源だそうで、編む土が短くなって「あづち」となり、「的山」の漢字に当てられたらしい。

平戸港の切符売場で、「まとやま大島」と言わなくて本当によかったと胸をなでおろす。なんだか嫌な予感がしたんだよね。この近隣では「大島」だけで通じるようだったので、なるべく余計なことを言わずに切符を買おうとしたのが正解だった。

的山港到着

平戸桟橋から40分ほどで、的山大島の的山港に到着である。この島は、かつては捕鯨で賑わっていたのだという。

的山港到着

島と平戸を結ぶのは、1日5往復のこのフェリーだけである。私が乗ったのは平戸港10時20分発の第2便だった。
先頭には給水車、そのあとにはヤマト運輸のトラックと、インフラを担う車両が下船を待つ。

的山大島のバス

港には島内循環のマイクロバス(大島バス)が待っていることは、事前に調べてある。
島内の主要な集落には、どこも直線距離で2~3kmほどだが、かなりの山道なのでとても徒歩ではめぐることができそうにない。
料金は100円。地元のおじさん、おばさん4、5人にまじって乗客となった。

的山大島の棚田

予想以上に山がちの島で、道は右に左に上に下にくねくねの連続。途中でいくつもの港に立ち寄る。
この島の主な集落は、みな港に面したところにできており、その背後に見事な棚田をあちこちで見ることができた。

的山大島神浦地区

そして、終点の神浦(こうのうら)地区に到着。ここには古い町並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
ここまで乗ってきたのは、ほかに2人ほど。
「観光で来たんですよね」と車掌役の男性が私に向かって言う。
平戸港の窓口横に張ってあった来島自粛お願いの紙を思い出してドキッとしたが、男性はこう続けた。
「だったら、ここで降りるといいですよ」
せっかくなので終点まで乗っていこうと思っていたのだが、そう言われたらしかたがない。
水辺の美しい景色が見えるバス停で降りた。バスは小さな橋を渡って、岬の突端へ向かっていった。

2022-12-20

「半急行」に乗って佐世保駅前から平戸港へ

西九州新幹線開通の前夜、長崎市内だけでなく諫早も含めて県南地区のホテルはほぼ満室。1週間前の時点で残っているのは、とんでもなく高い部屋くらいだった。そんな経緯で佐世保で2泊したのだが、実は私にとっては初めての土地である。
何十年も前に乗り換えをしたことはあったが、駅から出たことはなかった。

佐世保駅前

経緯はどうあれ、はじめての土地に降り立つのは楽しいものである。それがある程度の規模の町ならばなおさらだ。どんなものがあるのか、わくわくした気分で駅を出たのはもう暗くなってからのことである。
市内ぶらぶら散歩は最終日にとっておいて、翌日に向かったのは、こんなときでもないと行けない北部の離島である。

佐世保バスセンター

その島へは、まずは県北の平戸港へ行き、そこから船に乗る。
平戸港に行くにはどういうルートがよいのか悩んだのだが、なんのことはない、佐世保から直通バスがあった。
しかも、西肥バスの佐世保バスターミナルは、なんと泊まっているホテルの1階! これなら朝に弱い私でもラクちんである。

江迎町

佐世保バスターミナル8時14分発の平戸桟橋行きバスは、「半急行」という不思議な種別だった。文字通り、半分急行なのだが、「準急」や「区間急行」にしないところが味わい深い。
私はバスの最前席に陣取って、始発から終点まで1時間半、食い入るように周囲の景色を眺めていた。上の写真は江迎町を通過中。松浦鉄道の高岩駅付近である。

平戸桟橋終点

こうして1時間半かけて平戸桟橋終点に到着した。まずは、船の乗車券窓口で「大島1枚!」と元気よく船の切符を購入。しかし、切符を手にしたのはいいが、ここで窓口横にある張り紙が目に入った。そこにはこう書いてあった。
「新型コロナ対策のため、県外の方の釣りやキャンプでの来島はご遠慮ください」
これを見て少々あせった。
「うーん、乗船のときに身分証明書を見せろといわれたらどうしよう。何日も前から県内にいるんですといって言い訳するか。いや、切符を売ってくれたんだから、問題ないのでは……。そもそも、釣りやキャンプではないし……」

フェリー大島の入港

あれこれと考えているうちに、「フェリー大島」が入港してきた。平戸港と的山大島を往復する船である。
10時を過ぎて、ちょっとドキドキしながら「おはようございます」と平静を装って切符を見せて乗船したが、なにも言われなかった。やや拍子抜けである。
乗客定員は150人だそうだが、全部で20人も乗っていたかどうか。小雨がぱらつくなか、甲板に出て「ふー」と一息ついた私であった。

2022-12-19

肥前山口駅 最後の日

西九州新幹線開通にともなって姿を消すのは、在来線の特急かもめだけではない。
肥前山口駅もなくなってしまう。といっても駅自体がなくなるのではなく、駅名が「江北」に代わるのだ。
長崎本線と佐世保線の分岐駅として、鉄道ファンには長らく親しまれた駅名だから、ちょっぴり寂しい気もする。
だが、地元では戦前から江北村(現・江北町)だったので、肥前山口のほうがしっくりこないのかもしれない。山口は、1932年の江北村成立以前にあった村の名前だそうだ。

肥前山口駅ホーム

個人的には、高校生時代に友人とめぐった蒸気機関車の撮影行で、真夜中に肥前山口駅で乗り換えたのが懐かしい思い出だ。もっとも、真っ暗で乗り換えは短時間だったので、まったく駅自体に記憶はないけれど。
むしろ、その直後に唐津線に乗り換えるために降りた久保田駅の待合室で、蚊の大群に襲われた恐ろしい記憶が生々しい。
九州の蚊は、東京の蚊とくらべて大きいだけでなく実に攻撃的で、服や運動靴の繊維の隙間からも刺してきた。

肥前山口駅前

昔話はこのくらいにして、肥前山口駅前である。駅の中には鉄道マニアに加えて地元の人たちが行列をなして、最終日の切符を求めていた。
記念乗車券も夕方から販売をはじめるとのことで、まだ何時間もあるのに並びはじめていたようだ。

もちろん、駅前の「肥前山口駅」の表記も修正しなくてはならない。
上の写真は、祐徳バスのバス停。ネットの情報によると、このバス停の名称が変更になったのは、その後少し経ってからのようだ。

肥前山口駅前

一方、駅前通りの信号についている「肥前山口駅」という標識は、さっそく撤去作業がはじまっていた。

肥前山口駅前

せっかくなので、駅の周辺の町並みを眺めながらぶらぶら。
これは駅弁屋として知られた「常盤軒」。長崎県と佐世保線の分岐駅だった肥前山口駅は、かつては分割・併合のために長時間停車する列車が多かった。さぞかし駅弁は売れたことだろう。残念ながら、2002年に駅弁事業から撤退したそうだ。

肥前山口駅前

これも北口駅前。県道(手前)と長崎街道(建物の右側)の分岐点にある「日の出屋旅館」。いかにも昔ながら駅前旅館という雰囲気だ。
長崎街道もぶらぶらと歩いたところ、狭い道幅とカーブの具合がなんともいえずによかったのだが、古い家はほとんど残っていなかった。

さて、このあとは長崎市内に宿泊して翌日の西九州新幹線開通初日を迎えるというのが、鉄道愛好家としてあるべき姿なのだが、1週間以上前に長崎市内の宿は満杯になっていた。諫早を検索しても空室ゼロ。
「まあ、新幹線はいつでも乗れるから、初日にこだわることはない。人でごった返しているだろし」
心の中で負け惜しみを言って方針変更。かろうじて佐世保のホテルがとれていた。そのために肥前山口で乗り換えたわけだ。

2022-12-18

長崎県営バスの斬新なフルーツバス停

県境の橋で特急かもめを撮影するためには1時間に1本のバスを見送るしかなく、昼飯を予定している目的地までバス路線に沿って15分ほど歩くことにした。
県界バス停を出た長崎県営バスは、狭い道を約200m走ったのちに国道に合流する。そこから誰もいない有明海沿いの道をてくてくと歩いていったわけだ。

すいかのバス停とみかんのバス停

おかけでじっくり撮影できたのが、長崎県営バスのバス停である。上の写真は、阿弥陀橋バス停。その抹香臭い名前とは裏腹に、果物を形どったファンキーなバス停だ。手前はすいか、反対側はみかんである。あ、スイカは果物か野菜か……?。
インスタ映えするとのことで若者にも知られているというが、かなり不便なところにあるので、この日は撮影している人は見なかった。

すいかのバス停

待合所はただ見てくれがおもしろいだけでなく、実用的でもあるようだ。雨が降っていれば、もちろん濡れずに済む。
また、これを撮ったような暑い日には、日射しから逃れる役目もある。1時間に1本しかこないような路線なのでこれは役に立つ。
……と思ったのだが、車社会のこの土地にあってはそもそも利用者がほとんどいないのが残念だ。

メロンのバス停

そしてやってきたのがメロンの釜バス停。マスクメロンの模様を丁寧に再現しているのがうるわしい。
昼飯はこのバス停近くにある牟田商店でとった。転勤して長崎市内に住んでいる知人に教えてもらった店だ。土産物屋と食事処を営んでいる。

クチゾコのから揚げ

この店の一番の名物は冬季の牡蠣釜飯らしいのだが、ここを訪れた9月には、その代わりにやはり近くでとれる蟹を使った釜飯がメニューにあったので注文した。これはおこげがたまらなくウマかった!
で、蟹釜飯ができる間に見つけたのが上の写真。「くちぞこ」は初めて聞く名前だったが、調べてみると舌平目のことではないか。「靴底」に似ているから、地元ではそう呼ばれるらしい。
昼間からビールとともにこれも注文。揚げてしまうのがもったいないほどの上品な白身だった。

いちごのバス停

ちなみに、牟田食堂の営業時間は11時~16時とあったので安心していたが、コロナ禍で11時~13時に短縮されていた。
店に着いたのが12時半ごろだったので、もたもた歩いていたら昼飯難民になるところだった。
私がバスを待っている間にも車でやってきた人たちがいたが、営業終了の札を見てがっかりしていた。
さて、上の写真はバスの車内から撮ったいちごの井崎バス停。トマトのバス停は撮り損ねた。

小長井駅

海に近い小長井駅前でバスを降りて列車に乗り換え、いったん肥前鹿島に戻ってコインロッカーの荷物を取り出さなくてはならない。
接続時間はたった2分なのだが、バスは5分遅れ!
これじゃ乗り換えは無理かと思っていたが、列車が10分近く遅れたのでラッキーにも間に合った!
さもないと、次のバスまで1時間待って諫早にいき、特急に乗って肥前鹿島に戻るという不効率で不経済なことをしなければならないところだった。

2022-12-17

佐賀と長崎 2つの「県界」バス停を結ぶ橋

在来線特急かもめの撮影よりも楽しみにしていたのが、徒歩による佐賀と長崎の国境……じゃなくて県境越え。肥前大浦駅から南へ直線距離で1.5kmほどいくと今里川という川があり、ここが県境になっている。
興味深いのは、その橋の南北のたもとに、それぞれ「県界」というバス停があることだ。ただし、別会社のために乗り入れをしておらず、橋を徒歩で渡らなくてはならない。なんだか東南アジアの国境に来たみたいだ。
佐賀県側は何年か前に祐徳バスが撤退して、町営バスが週2日しかやってこない。そこで、竹崎港行きに乗って竹崎入口バス停で下車。20分ほど歩いてたどりついた。

県境の友尻橋

これが佐賀県と長崎県を結ぶ「友尻橋」。「昭和12年3月架橋」と記されていた。海側に国道の新しい橋ができる前は、こちらがメインルートだったのだろう。
今里川は小さな川のように見えるが、満潮になれば海から逆流してくるようである。

佐賀県側の県界バス停

これが橋の佐賀県側にある太良町コミュニティバスの「県界」停留所。バス路線のアプリによると「けんかい」と読むようである。
現在は火曜日と土曜日しかバスがやってこない。右手遠くに国道の橋が見える。

長崎県側の県界バス停

橋を渡って長崎県側にある「県界」バス停。待合室の中にあってちょっと過保護な様子。ちなみに、こちらの停留所は「けんざかい」と読むらしい。

長崎県側の県界バス停

1時間に1本の長崎県営バスが、諫早から県界に到着した。4、5人の客が降りてきた。みな長崎県側に家や用務先があるようで、橋を渡って佐賀県側に来る人はいなかった。

友尻橋から見た特急かもめ

県境の友尻橋の上にいたら、遠くを特急かもめが走っていくのが見えた。とっさのことで撮りそこなったので、次の列車まで待って撮影。
鉄道オタクの価値観では、手前の木で編成が隠れているのはおもしろくないのだろうが、私はなかなか味わい深い構図になったと思っている。もちろん、ここまで来てかもめを撮っている人はいなかった。
手前の河原に船があるところを見ると、満潮になったらそのあたりまで川の水でいっぱいになるのだろう。

2022-12-16

静かな入り江「破瀬の浦」と特急かもめ

肥前大浦駅近くの亀の浦からバスで向かったのが破瀬の浦(はせのうら)。ここも、以前から長崎本線の車窓で目をつけていた場所だ。
入り江が深く陸側に食い込んでおり、入り江の入口をショートカットするように長崎本線の線路がある。
ここも2022年2月に訪れていたのだが、せっかくなのでもう一度足を運んでみた。

破瀬の浦を走るかもめ

まずは、破瀬の浦の海側に架かっている国道から、破瀬の浦をバックに撮影。国道には、ちょうど陸側に歩道がついていたので安全に撮ることができた。
絶好の撮影ポイントだと思うのだが、誰も橋の上から撮る人がいないのは意外。橋の周囲にはあちこちに合わせて10人以上の人影が見えたのだが……。撮影する写真の趣味が違うのだろうか。

破瀬の浦

そして、これが破瀬の浦のバス停で、入り江の最深部にあって味わい深い雰囲気である。
バス停の標識は、祐徳バスと太良町のコミュニティバスの2本が立っていて、興味深いことに前者は「破瀬の浦」、後者は「波瀬の浦」という表記になっている。はたして「はせ」の語源はなんなのだろうか。
そして、コミュニティバスのバス停に添えられた太良町のキャッチコピーは、「月の引力が見える町」である。2月に来たときには、意味がわからなかったが、今回その意味がよくわかった。

破瀬の浦

破瀬の浦のバス停を入れて特急かもめを撮影。やはり、白いかもめでないとよくわからないが、かえってシルエットになっていいのかも。

破瀬の浦

列車の合間には、集落を散策。家並み自体は特に変わっているわけではないが、この「大和みそ」の看板に興味をそそられる。

干潮の破瀬の浦

実は、この破瀬の浦から撮影すると、午後から順光になる。トップの写真は午前11時近く。この写真は12時ごろに撮ったものだ。
想定外だったのは、入り江の水が干上がっていたこと。そう、ここは干満の差が激しいことで知られる有明海だった。

満潮の破瀬の浦

これは2月に撮った写真。入り江は満々と水をたたえていて、水面に車両の影が写っている。今回もこんな写真を想像して訪れたのだが……。
「月の引力が見える町」という太良町のキャッコピーを理解できた瞬間である。
ちなみに、この区間(肥前浜~諫早)は西九州新幹線開通にともなって非電化化されたので、この電車も見ることができない。翌日からはディーゼルカーが走りはじめた。

破瀬の浦でも1時間あまり滞在して何本か撮影し、久しぶりの鉄道撮影行はおしまい。でも、佐賀・長崎のぶらぶら旅ははじまったばかりだ。
このあとは祐徳バスで佐賀県と長崎県の県境に移動する。

2022-12-15

肥前大浦駅と在来線特急かもめ

西九州新幹線開通前日の長崎本線の様子である。
最初の予定では、肥前鹿島8時36分発の肥前大浦行き普通列車に乗るつもりだったが、遅くなればなるほど撮影に来る人が増えるのではないかと思い、早起きして7時44分発の長崎行き普通列車で行くことにした。

里信号場

この区間は普通列車よりも特急のほうが多く走っており、しばしば追い抜きや交換で長時間停車をする。
上の写真は、多良駅と肥前大浦駅の間にある里信号場での特急かもめとの交換を、車内から撮ったもの。

肥前大浦駅

普通列車には、撮影に来たらしき人がそこそこ乗っていたが、肥前大浦駅で降りたのは私を含めて3人だった。
肥前大浦を発着する列車は、9時台の長崎方面の次は14時台までない。これは西九州新幹線改行後も変わっていない。
その間に、この付近に到達するには肥前鹿島バスセンターから出る竹崎港行きのバスに乗るしかない。

大浦の町

目指すは、肥前大浦駅の北側にある「亀の浦」。海岸沿いを列車が走る区間である。
亀の浦までは駅から歩いて10分ほどだが、その途中で目立つのがこの看板。潜水具などを製造している川武潜水興業の大浦営業所だ。
大浦は「もぐり発祥の地」らしい。ここでいう「もぐり」とは、タイラギ漁など、ヘルメット式の潜水服を使う漁法のことらしい。

特急かもめ

多良~肥前大浦付近は、長崎本線で通るたびに車窓の素晴らしさに感激していたが、降りて写真を撮る機会がなかった。
ようやく実現したのは、2022年2月の九州旅行のついでに立ち寄ったときのこと。だが、午後に訪れたものだから、海から写真を撮ると逆光になってしまった。
いつかは午前中に訪れて撮ろうと思っていたのだが、西九州新幹線が開業すると肥前鹿島以西には特急が走らなくなる。なんとか都合をつけてやってきたのが、開通前日になったというわけだ。
もちろん、この場所を狙っていた人はほかにもいて、全部で10人くらいがカメラをもって列車を待っていただろうか。
とはいえ広い場所なので、お互いに邪魔にならずに済んだのは喜ばしい。

特急かもめ

上の写真は、2月に来たときに撮ったもの。山側が順光になっている。
海側からも撮ったのだが、半逆光なのでやはりいま一つ。山側から撮れないかと場所を探しているうちに、こんな中途半端なアングルになってしまった。

祐徳バス

そうして特急と普通列車を何本か撮ったのちに、次の撮影場所にバスで移動する。

2022-12-14

昭和が香る祐徳バス鹿島バスセンター

新型コロナのためになかなか海外に足を延ばせなかったここ2年ほど、その代わりに日本の各地をまわっていた。
今回からは、2022年9月の佐賀、長崎の旅の話です。

九州に渡ったのは西九州新幹線(長崎新幹線)の開通前々日である21日。その夜は肥前鹿島駅前のホテルに宿泊した。

肥前鹿島駅と鹿島バスセンター

右に見えるのが長崎本線の肥前鹿島駅。西九州新幹線が開通すると在来線の特急かもめが廃止となり、博多発の特急かささぎに代わる。
ただし、この駅を発着する特急、普通列車とも本数は激減してしまう。
そして、左側が祐徳バスの鹿島バスセンターだ。

鹿島バスセンター

鹿島バスセンターは、これまでにも2度ほど訪れたことがあり、いかにも昭和のバスターミナルという雰囲気に心を奪われた。
日中は閑散としているが、それでも祐徳稲荷神社へのバスは20分おきくらいに発着する。

鹿島バスセンター

これがバスセンターの内部。中央奥が切符売場である。左側の柱の周囲にテーブルと椅子が備えられており、うれしいことに電源も用意されていた。バス待ちの学生には重宝されているようだ。

2009年の鹿島バスセンター

この写真は、同じ場所を撮った2009年の写真。柱の周囲のテーブルと椅子はなく、代わりにコインロッカーが置かれている。
現在、コインロッカーは写真の手前側に置かれている。肥前鹿島駅にはコインロッカーも荷物預かりもないので、このコインロッカーのお世話になった。写真左端には売店の棚が見える。

2009年の鹿島バスセンター

2009年にはあった鹿島バスセンターの売店。すでに日中の利用者は少なく、暇を持て余しているようではあった。
残念ながらすでに閉店となり、この場所にコインロッカーが置かれている。

このときは在来線特急かもめの最後の姿を撮ろうと、2022年1月にも訪れた肥前大浦に向かうことにしていた。
長崎本線の普通列車の本数が少ないために、前回はこのバスセンターから1~2時間おきに発車する竹崎港行き路線バスを利用したが、今回は早起きして列車で肥前大浦に向かうことにした。バスは40分あまり、列車は30分弱の行程である。

2022-12-13

新潟市中心部に残る味わい深い建物

2泊3日の新潟の旅を、だらだら紹介した記録もこれが最終回。
中条(胎内市)、豊栄から戻って、帰りの新幹線の時間まで新潟の中心部をぶらぶら。
ずいぶん近代化されたと思っていた本町、古町あたりの中心部だが、目をこらすと興味深い建物がまだまだ残っていました。

鍋茶屋通り

古町にあった花街の面影を残す鍋茶屋通り。ここは新潟で最も格式の高い料亭「鍋茶屋」

鍋茶屋

料亭「鍋茶屋」の全景。ビルが建ち並ぶ東堀通りに堂々とそびえたっている。

人情横丁こと本町中央市場商店街

古町から本町あたりをひたすらぶらぶらしていたら、こんな昭和レトロ(また口走ってしまった)感たっぷりの一角に出た。
下調べもしないでこうした風景に遭遇すると、うれしさもひとしおだ。

人情横丁こと本町中央市場商店街

その人情横丁こと本町中央市場商店街。昭和20年代からあるとのことで、魚屋をはじめとする生鮮食品を取り扱う店が中心だがラーメン屋やそば屋もある。
この写真の手前側にも商店街が続いており、右端に写っているのは商店街を見守る白龍大権現。

本町通りアーケード街

人情横丁と表通りの間をつなぐ本町通りアーケード街では、露天市が開かれていた。

(2022年11月 新潟の旅 終わり)

2022-12-12

昭和レトロの香り漂う豊栄の町

中条から新潟駅への帰り道は、時間に余裕があったので豊栄(とよさか)に寄り道。豊栄市だとばかり思っていたら、いつのまにか新潟市に吸収合併されて北区の一部になっていた。
あてどなく駅の南側に位置する白新町、葛塚、嘉山地区をぶらぶらしていると、いかにもな昭和レトロ(このことばは実はあまり好きではないのだが、てっとり早く通じるので)な町並みをあちこちで見ることができた。

理容こばやし

駅前から南に伸びる県道を南下していくと、道沿いにこんな建物が。
古い民家(商家?)と看板のアンバランスが素晴らしい(ほめことば)。
もちろん、現在も営業中である。

割烹・写真屋・薬屋

道路沿いには赤錆が目立つ朽ちはてる直前のような家も多かったのだが、これはきれいに塗り直されている。
左から「割烹 次郎」「カメラの富士越」「佐藤薬店」。
屋根が一続きのところを見ると、もとは1軒の建物だったのを棟割長屋方式で分けたのだろうか。

旧・豊栄市のマンホール

旧・豊栄市のマンホール。豊栄市の市花だったオニバスの花が描かれている。

絹いもや

4、5分ほど歩くと右側に常盤町通りの看板が見える。市場通りとも呼ばれていて、月に6回露天市「葛塚露店市場」が開催されるという。
昼下がりの静かな通りのなかで、この建物の前にはひっきりなしに車が止まって店に人が入っていく。
以前は和菓子屋だったそうで、現在は地元産のさつまいも「シルクスイート」を使ったスイーツを売る「絹いもや」となっている。

DHC酒造

さらに南下した嘉山一丁目にあるDHC酒造。あのDHCのグループ会社である。
後継者がいなくなった小黒酒造を継承して現在に至る。
ちなみに、DHCはもともと翻訳を生業としていたので、「大学翻訳センター」の略だというのはちょっとしたトリビアだ。

2022-12-10

胎内市中条の町並みと料亭(2)

胎内市という名前は、かなりインパクトがある。市内を流れる胎内川に由来しているとのことだが、では胎内川はなぜそんな名前なのか。
どうやら、渇水期には扇状地で伏流水となって水が見えなくなり、河口近くになって再び水が出てくることが、母の「胎内」から出てくる様子を連想させたのではないかとのこと。
ほかにも諸説あるようで、アイヌ語の語源説もあるそうだが、こちらは近年になって否定されたようだ。

料亭 南都屋

さて、前回紹介した国指定文化財の蔵の向かいには、「南都屋」という立派な料亭がある。ランチもやっているようで、裏口近くを通るとぷうんといい香りが漂ってきた。

割烹 小川

本町通りから裏通りに入り、足の向くままぶらぶらしていたら、またもや趣深い料理屋があった。「割烹 市丸」という看板が出ていた。
それほど大きくない町なのだが、50mほど離れた場所に立派な料亭と割烹があるのには驚いた。だが、さらに50mほど歩くと、また別の割烹が姿を表したのにはびっくりした。

熊野若宮神社

地元の人たちが割と気軽に冠婚葬祭で利用するのだろうか。これだけの料亭・割烹がやっていけるのだから奥が深い。
割烹小川から100mほど進むと熊野若宮神社があった。塀や土塁もなく開放的なのが心地よい。

熊野若宮神社

これは、熊野若宮神社の脇を流れる水路。神社は写真の左側にあたる。
水路の脇には、昭和42年8月28日の羽越水害について記された看板が立っていた。
胎内川の氾濫や支流の土石流によって死者・行方不明者46人、重軽傷者275人、住宅全半壊313棟、床上・床下浸水約6000棟という大きな被害を受けたという。ネットで写真を見ることができるが、大変な災害であったことがわかる。

中条駅

小一時間のぶらぶら散歩を終えて中条駅前に戻ってきた。
改めて駅前を見ると、こんな幕が下がっていた。「微細米粉発祥の地」が、かなりの自慢のようである。調べて見ると、胎内市は1998年に日本で最初に米粉専用の製粉工場ができた「米粉発祥の地」だそうだ。

これまで、胎内市というと強風やフェーン現象による高温などで名前を聞くことがあったが、今回ようやくこの目で見ることができた。山のほうに行くと、スキー場やクラフトビールの醸造所もあると知った。

2022-12-09

胎内市中条の町並みと料亭(1)

新潟滞在最終日。3日目ともなると、駅からのお出かけはちょっとした通勤気分。
駅に行ってみると、JR東日本の検測車であるE491系「East i」が停まっていた。

私が乗ったのは、快速「しらゆき」のダイヤで走る坂町行き快速のディーゼルカー。
本来は米坂線経由で米沢まで走るのだが、米坂線が大雨で不通のため、坂町で代行バスに接続しているらしい。
車内放送は「米沢行き」のままで放送されていた。

新潟駅のEast i

この日、まず向かったのは中条駅。胎内市の中心部にある町である。
旧米沢街道の宿場町の面影があるとのことで訪ねてみた。

本町通り

中条駅を降りて駅前通りを3、4分ほど歩くと、旧米沢街道の本町通りに出る。
この道沿いには、いかにも昭和っぽい店舗が並んでいる。

本町交差点

そして、歩道のない道を2、3分ほど歩くと本町交差点に出る。
ここが実に味わい深い! よく交差点にこんな建物が残っていたものだと感心した。
この蔵は、創業200年になる文具・事務用品取り扱いの株式会社荒惣のものだそうだ。
国登録有形文化財である。

本町交差点

本町通りをはさんで荒惣の反対側にも、味わい深い建物がある。
味噌屋らしい。
そして、写真の左手前側にも、これまた趣深い料亭の建物があるのだが、それは次回に紹介したい。

中条町のマンホール

胎内市となる前(合併前)の中条町のマンホールが残っていた。
今も開催されているチューリップ祭りを題材にしたもののようである。

2022-12-06

味わい深い新潟駅前バスターミナル

新潟駅万代口から外に出ると、まず目に入るのが駅前のバスターミナル。
その雰囲気は、まさに昭和レトロ。そして、10以上のバス乗り場が横に並び、そこから頻繁に発着していく様子は壮観である。

新潟駅前バスターミナル

そんなバスターミナルも、新潟駅の改装工事の進展に伴って姿を消そうとしている。
駅の本体工事はかなり進んでいたので、もうバスターミナルも取り壊されているかと思ったら、堂々健在であった。

新潟駅前バスターミナル

あとせいぜい1年くらいだろうか。
次に来たときには、もっと明るくておしゃれな乗り場になっていることだろう。

新潟駅前バスターミナル

最近では西九州新幹線の開通に合わせて、長崎県諫早駅にあるこれまたレトロなバスターミナルが移転・廃止となった。
鉄道駅や車両の廃止と違って、あまり大きく取りあげられることはないが、何年かするとこの写真が貴重な1コマになるに違いない。

2022-12-05

庭園の郷・保内から加茂まで三国街道中通りを歩いてみた(2)

保内から加茂への三国街道中通りは、ゆるやかな坂やカーブを繰り返しながら、丘のふもとを進んでいく。
折しも紅葉が見頃で、小春日和の暖かな1日だった。

三国街道中通り

味わい深い旧街道のSカーブ。時たま車が通りすぎるだけで、歩くのにはちょうどいい。

三国街道中通り

30分ほど歩いたところで、三条市から加茂市に入る。
加茂市内に入る手前あたりからは園芸農園は見られなくなったが、しばらくはのどかな風景が続く。

淡嶋社の鳥居

これは淡嶋社という神社。本殿へ続く階段にも鳥居が!
元気があれば階段を登ったのだが……。

加茂駅近くの不思議な建物

これは加茂駅近くにある不思議な建物。
1階は公的な事務所のようにも見えるが、2階はまるで花街のような雰囲気である。

新潟駅構内の「ぼんしゅ館」

新潟駅前のホテルに戻ったが、疲れて夕食の店を探すのが面倒だったので、新潟駅構内の「ぼんしゅ館」へ。
まずは、新潟の地酒飲み比べセットからスタート。これは下越の酒蔵4銘柄。

2022-12-04

庭園の郷・保内から加茂まで三国街道中通りを歩いてみた(1)

新潟から三条に行く途中で、信越線のローカル列車の車窓から味わい深そうな町並みが目に入ってきた。
加茂~保内(ほない)の間で、線路から数百mほど離れたあたりを並行している道のあたりである。

信越線保内駅

さっそくGoogleマップ先生で調べてみると、「三国街道中通り」とのこと。
新潟への帰る途中、まだ日没までは時間があったので、保内駅で下車して1駅4kmあまりを歩くことにした。

信越線保内駅

ぽつんと立つ保内駅。駅前も酒屋が一軒あるだけで静かである。
下車したのは私のほかに中年女性が1人だけ。彼女は自転車に乗って帰っていった。

三国街道中通り

駅から2分ほど歩くと三国街道中通りに出る。そこから加茂に向かって歩きはじめた。
駅前の看板によると保内は「庭園の郷」なのだそうで、確かに旧街道沿いに数多くの園芸業者が建ち並んでいる。

保内の五葉松

て保内が属する三条市の「市の樹」は五葉松だとか。保内駅に近い沿道のあちこちで見ることができた。
この園芸業者の庭には、何十本という五葉松が植えてあった。

五葉松のマンホール

なんとマンホールにも五葉松が!
(つづく)

2022-12-03

燕のクラシックな町並み

三条市内徘徊のあとは、ヤクルトスワローズファンなら巡礼に行かねばならない燕市へ。
三条が商人の町だとすると、燕は職人の町なのだとか。
食器などの金属加工品は有名で、iPhoneの外装も燕でつくられているという話を聞いた。

燕駅

弥彦線の北三条駅から燕駅へ。
燕駅を通過したことはあったが、下車するのは初めてである。

本町バス停

まず、駅前の通りを線路と直角に進む。沿道には、かなり年季の入った建物が見られる。
これは本町のバス停。支柱が木製なのは今では珍しい。

宮町商店街

そして、3、4分ほど歩くと宮町商店街に出る。サンロード宮町という愛称がついているようだ。
この道沿いには立派な屋根の建物が多い。
これはお寺のようだと思っていたら、ごく普通の商店だった。

秋葉町

そして、宮町商店街を10分ほど歩くと国道を渡って秋葉町になる。
商店街の続きの道だが、今ではかなり寂しくなっていた。
それでも、妻入りの建物が何軒も続く町並みは、かつての賑わいを偲ばせる。

燕市のマンホール

そして、これが燕市のマンホール。
上側に燕が、下には市の花である菊が描かれている。

2022-12-02

三条市 神明町~本町の町並み

新潟訪問2日目は、三条と燕に向かうことにした。
「燕三条」という駅があるので、そんな名前の市があると思っている人が多いが、燕と三条は別の自治体である。
「じゃあ、どう違うの?」と問い詰められたときに備えて、自分の足で訪ねてみることにしたわけである。
まずは昔からの交通の要衝である三条を訪問。

一ノ木戸商店街

新潟から信越線で東三条駅へ。そこから西へ歩いて10分ほどで中心部の神明町にたどりつく。
神明町には、立派なアーケードがついた一ノ木戸商店街があった。
洋風の建物が印象的。その手前は国の有形文化財である旧新光屋米店。現在は喫茶店となっている。

本町商店街

一ノ木戸商店街からさらに西に歩いていくと本町商店街となる。
ちょっと寂れているが、味わいある建物が並んでいる。
「モロハシ」はこの地域に多い姓なのか、『大漢和辞典』著した諸橋轍次は三条市出身だ。

三条市のマンホール

三条市のマンホールのデザインは金属工具だった。

本町の旧料亭

本町商店街から北三条駅に向かって裏通りに入ると、木造3階建板壁の建物を発見!
このあたりは料亭や飲み屋が並ぶ一角で、ここも昔の料亭だったらしい。

本町の旧料亭

さらに近寄って撮影。2、3階のガラス戸が趣深いけれどもちょっと恐い。
簡単には開けられないようだが、泥酔してつまずいたら、そのまま戸を突き破って落下しそうだ。

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著書

  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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