« 鉱山跡が残る西海岸のポルト・フラーヴィアへ | トップページ | 鉱山で栄えた町イグレジアス »

2022-09-01

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡めぐり

廃鉱山ツアーは所要1時間で、坑道を歩きながら説明を受ける。
しばらく歩くと、下の写真のような鉱石運搬用のレールが現れた。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここでは、亜鉛と鉛、そして少々の銀が採れていたという。
どちらも近代工業の発達に欠かせないもので、この鉱山は重要なものだったが、大変な環境で長時間働く鉱山労働者には健康被害が続出した……というくらいは聞きとることができた。

ちなみに、鉱山の名前のフラーヴィアは、  鉱山関係者の娘の名前なんだとか。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

しばらくすると、突然目の前に海を望む絶景が開けた。
ここでレールはヘアピンカーブを描き、別のトンネルを通って戻っていく。
このカーブの内側に、下の階のサイロへ鉱石を落とす場所があり、そこから鉱石が積み出されて行ったのだそうだ。

当時は、サルデーニャ島内に精錬する施設がなかったために、船を使って別の島や国に鉱石のままで運んで行ったという。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここがツアーのクライマックスで、しばし記念撮影の時間に。

パン・ディ・ズッケロ

向こうに見える不思議な形の島は「パン・ディ・ズッケロ」

まあ、日本の足尾銅山のような工夫を凝らしたツアーにくらべたら、シンプルこのうえないものだったが、十分に楽しむことはできた。
ただ、もう一つ、ここで見ておかなくてはならないものがあった。そのために、私たちはすぐそばのマズーア海岸に向かったのである。
9月半ばだが、日曜日のマズーア海岸はイタリア人の海水浴客で賑わっていた。

マズーア海岸

見たいものとは、鉱石の積み出し口である。さきほどは内側からたどりついたが、それを外から見ようというわけである。

ネット情報では、ボートツアーに参加すれば積み出し口を見ることができるというので、さっそく加わることにした。
「次のが満員でね。2時間後になるんだけど……」
海の家のような案内所のお姉さんにいわれ、ビールを飲んだり、あちこちぶらぶらしたりして待つ。

洞窟めぐりツアー

ツアーボートというから、近くの小さな桟橋から漁船のような船に乗り込むのかと思っていたが、なんと10人乗りのゴムボートだった。
しかも、海水浴場の砂浜から乗るのだ! 岸から10mほど歩かなくてはならず、長ズボンはびちゃびちゃ。

「普段着でも問題ないけど、荷物は置いて靴は脱いでいくといいよ」といわれた理由がわかった。
私たち以外の参加者は、みな水着だったのは言うまでもない。

鉱石の積み出し口

そんな苦労をしてでも見たかったのがこれ!
2年くらい前に、ネットで写真を見て驚いた。岩肌をくり抜いて建造物が建っている様子は、ヨルダンのペトラ遺跡を連想させる。
さきほどの鉱山ツアーでは、この「建物」の上から外を見たわけだ。
下の大きなアーチ状の穴から、鉱石を船に運び出したのだろう。どうやって積み込んだのかは知らないが……。穴の上には「FLAVIA」という文字が刻まれている。

洞窟めぐりツアー

私としては、ここですぐに戻ってもいいのだが、「洞窟めぐりツアー」はここからが本番だった。いくつもの洞窟をめぐり、参加者は潜ったり泳いだり写真を撮ったり。
普段着の私たちは、暇そうにそれを見ているだけであった。

ところで、鉱山跡ツアーのガイドのお姉さんは、さすがに訓練されているのか、きれいな発音ではっきりと話してくれたのだが、ボートの船長のイタリア語はなまりが強く、半分もわからなかった。冗談ばかりいっているようなのだが、私たちだけ笑えないのは寂しかった。

« 鉱山跡が残る西海岸のポルト・フラーヴィアへ | トップページ | 鉱山で栄えた町イグレジアス »

イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

鉄道、乗り物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鉱山跡が残る西海岸のポルト・フラーヴィアへ | トップページ | 鉱山で栄えた町イグレジアス »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.