「伝統的なサルデーニャ」の中心都市ヌーオロ
サルデーニャ島というと、世界のセレブが集まるリゾートのイメージが強いかもしれないが、それは海岸沿い──とくに北東部のコスタ・ズメラルダ(エメラルド海岸)が中心だ。
有史以来、あまたの民族がやってきたこの島では、海岸沿いは異民族が襲ってくる危険な場所という認識だった。だから、昔からこの島に住む人たちは、海岸から離れた山岳地帯に逃れて暮らしてきたのだそうだ。
だから、島の中央部のバルバジア地方には、そんな人たちの子孫がずっと住んでおり、伝統的な風習や言語が残っている。
そのバルバジア地方の中心都市がヌーオロだ。
上の写真は、3泊した旅行者用のアパートの素敵な中庭。
アパートの部屋は3つか4つの部屋に分かれていて広々としている。
50代の主人は、部屋の案内もそこそこに、なぜか近所に住むおばさんの家まで連れていってくれた。私たちがイタリア文化に興味を持っていることを喜んでくれて、紹介してくれたようだ。
80歳前後と見えるおばさん2人が共同で生活しているという。
「あら、カリアリからはバス? え、あのオンボロ列車に乗ってきたの!?」と驚かれてしまった。
昔ながらの旧市街の家だったが、内部はきれいにリフォームされていて、台所の壁には昔ながらの調理器具が所狭しとぶら下がっていたのが印象的だった。
上の写真は、宿の近くにあるノーベル賞作家グラツィーア・デレッダの名前を冠した小径。
そして、宿のすぐ近くには、グラツィーア・デレッダが過ごした家をそのまま保存している博物館があった。
彼女は、この町が生んだ自慢の作家である。宿の主人は、私がデレッダの名前を知っていることに感激したようだが、実をいうとたまたま前回の訪問で名前を知っていただけなのである。文学部出身でイタリア好きでありながら、残念ながらその作品を読んだことはない。
ヌーオロには1990年に訪問したが、なんとなく沈んだ雰囲気で、昼間から酒を飲んでバールでクダを巻いている若者もいた。
経済的にも遅れていて失業率が高いことがひと目でわかったものだった。
今回の旅でも、カリアリの宿の若い主人は「ヌーオロのあたりは閉鎖的だから気をつけたほうがいいですよ」と教えてくれた。
そんな先入観があったから、ヌーオロの町を歩いて驚いた。
中心部にあるバール・ヌオーボは若者でいっぱいで楽しそう。その斜向かいにある昔ながらの雰囲気のバールには、親爺軍団がいっぱいで賑わっていた。
そして、この写真は旧市街の目抜き通り。
何の変哲もない狭い道だが、両側にはおしゃれなブティックをはじめ、さまざまな商店が並び、夕方になると多くの人が行き来する。
しかも、この狭い道を大型の路線バスが通るのである。
旧市街の東側は崖になっており、パノラマが広がっている。
夕方になると、車でここまでやってきてのんびりとしている人も多かった。
ヌーオロの東端にある旧市街から、ヌーオロ駅前、新市街を通り過ぎ、住宅地の間にある店まで30分以上も歩いてたどりついた。
若者3人ではじめたという醸造場で、上の写真の壁に飾ってある絵に、その3人が描かれている。
右側には醸造用の大きなタンクが見える。
入店したのは夜10時近かったが、店はがらがら。
こんなんでやっていけるのだろうかと人ごとながら心配したが、10時を過ぎるとあっというまに満席になった。
地元でも評判の店というくらいだから、ビールはもちろん、食べ物も絶品。
ビールは種類を変えて3種類を制覇。おつまみは、周囲の人がみな注文しているキノコのフリットを頼んだところ、やはりうまい。牛肉のタリアータも大満足。
12時をまわった真夜中の市内を、ほろよい加減で宿までまた歩いて帰ったのだった。
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