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2022年9月の4件の記事

2022-09-11

「伝統的なサルデーニャ」の中心都市ヌーオロ

サルデーニャ島というと、世界のセレブが集まるリゾートのイメージが強いかもしれないが、それは海岸沿い──とくに北東部のコスタ・ズメラルダ(エメラルド海岸)が中心だ。
有史以来、あまたの民族がやってきたこの島では、海岸沿いは異民族が襲ってくる危険な場所という認識だった。だから、昔からこの島に住む人たちは、海岸から離れた山岳地帯に逃れて暮らしてきたのだそうだ。
だから、島の中央部のバルバジア地方には、そんな人たちの子孫がずっと住んでおり、伝統的な風習や言語が残っている。
そのバルバジア地方の中心都市がヌーオロだ。

旅行者用のアパート

上の写真は、3泊した旅行者用のアパートの素敵な中庭。
アパートの部屋は3つか4つの部屋に分かれていて広々としている。

ヌーオロ旧市街グラツィーア・デレッダ通り

50代の主人は、部屋の案内もそこそこに、なぜか近所に住むおばさんの家まで連れていってくれた。私たちがイタリア文化に興味を持っていることを喜んでくれて、紹介してくれたようだ。
80歳前後と見えるおばさん2人が共同で生活しているという。
「あら、カリアリからはバス? え、あのオンボロ列車に乗ってきたの!?」と驚かれてしまった。

昔ながらの旧市街の家だったが、内部はきれいにリフォームされていて、台所の壁には昔ながらの調理器具が所狭しとぶら下がっていたのが印象的だった。

上の写真は、宿の近くにあるノーベル賞作家グラツィーア・デレッダの名前を冠した小径。

グラツィーア・デレッダ記念館

そして、宿のすぐ近くには、グラツィーア・デレッダが過ごした家をそのまま保存している博物館があった。
彼女は、この町が生んだ自慢の作家である。宿の主人は、私がデレッダの名前を知っていることに感激したようだが、実をいうとたまたま前回の訪問で名前を知っていただけなのである。文学部出身でイタリア好きでありながら、残念ながらその作品を読んだことはない。

若者で賑わうカフェ

ヌーオロには1990年に訪問したが、なんとなく沈んだ雰囲気で、昼間から酒を飲んでバールでクダを巻いている若者もいた。
経済的にも遅れていて失業率が高いことがひと目でわかったものだった。
今回の旅でも、カリアリの宿の若い主人は「ヌーオロのあたりは閉鎖的だから気をつけたほうがいいですよ」と教えてくれた。

そんな先入観があったから、ヌーオロの町を歩いて驚いた。
中心部にあるバール・ヌオーボは若者でいっぱいで楽しそう。その斜向かいにある昔ながらの雰囲気のバールには、親爺軍団がいっぱいで賑わっていた。

旧市街の目抜き通り

そして、この写真は旧市街の目抜き通り。
何の変哲もない狭い道だが、両側にはおしゃれなブティックをはじめ、さまざまな商店が並び、夕方になると多くの人が行き来する。
しかも、この狭い道を大型の路線バスが通るのである。

町の東端からの眺め

旧市街の東側は崖になっており、パノラマが広がっている。
夕方になると、車でここまでやってきてのんびりとしている人も多かった。

クラフトビールのレストラン

そして、この日の夜は、友人に教えてもらったクラフトビールのレストランへ。
ヌーオロの東端にある旧市街から、ヌーオロ駅前、新市街を通り過ぎ、住宅地の間にある店まで30分以上も歩いてたどりついた。
若者3人ではじめたという醸造場で、上の写真の壁に飾ってある絵に、その3人が描かれている。
右側には醸造用の大きなタンクが見える。

クラフトビールのレストラン

入店したのは夜10時近かったが、店はがらがら。
こんなんでやっていけるのだろうかと人ごとながら心配したが、10時を過ぎるとあっというまに満席になった。
地元でも評判の店というくらいだから、ビールはもちろん、食べ物も絶品。
ビールは種類を変えて3種類を制覇。おつまみは、周囲の人がみな注文しているキノコのフリットを頼んだところ、やはりうまい。牛肉のタリアータも大満足。
12時をまわった真夜中の市内を、ほろよい加減で宿までまた歩いて帰ったのだった。

2022-09-05

サルデーニャ鉄道に乗ってヌーオロへ

カリアリに3泊したあとは、サルデーニャ島の古い文化が残る中央部のヌーオロ(Nuoro)へ。
直通の高速バスではなく、あえてイタリア鉄道と私鉄のサルデーニャ鉄道の乗り継ぎを選択した。

カリアリから乗り換え駅のマコメールまでは、イタリア鉄道の軽快なディーゼルカー「ミヌエット」が島のメイン街道を2時間で走破。
カリアリ出発直後はほぼ満員だったものの、なんとか座席にありつけた。

イタリア鉄道マコメール駅

上の写真はイタリア鉄道のマコメール駅。広場をはさんで、サルデーニャ鉄道の駅が相対している。
1990年に来たときは、イタリア鉄道が当たり前のように30分以上も遅れたけれど、今回はほぼ定刻に到着した。
15分ほどしかない乗り換え時間が心配だったけれども、杞憂に終わった。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

サルデーニャ鉄道の駅で待っていたのは、先日カリアリ-イージリ線で乗ったのと同じ旧型ディーゼルカーだ。
上の写真では、左の柱の陰に隠れてしまった。
構内には、客車や貨車が留置されているが、グラフィティという名の落書きだらけなのが残念。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

駅の背後には車庫があって、ここにもディーゼルカーと貨車が置かれていた。
最近になって導入されたという新型車は見えなかったが、あとになって営業運転中だと知った。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

駅のホームには、こんな年代物の転轍機が。
これが信号と連動してポイント(分岐器)を操作するわけだ。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

結局、乗客は私たちを除いて5人ほど。29年前はほぼ満席で出発したのに……。
ホームには駅員や乗務員が、これまた5人ほど、発車に向けてあちこち動き回っていた。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

側面のサボ(行き先表示板)には、行き先の「Nuoro」の上に、サルデーニャ鉄道の略称である「FdS」が記されている。
一方、ドアの左側には、現在の運行主体である公共企業体「arst」のロゴが書かれている。

こうして隅から隅まで写真を撮っているうちに、発車時刻の14時45分になった。
ここから、ヌーオロまでの約58km、1時間20分の小旅行のはじまりだ。
私たちは運転席かぶりつきの場所に座り、さらに側面の窓を開け放って車窓を楽しむことにした。

サルデーニャ鉄道の車窓

写真でわかるように、線路はきっちりと整備されている様子。
公営のarst社に移管された2010年に一時営業を停止して、2年かけて曲線改良と線路強化をしたという。

サルデーニャ鉄道の車窓

車窓には、茫漠とした乾いた大地が続き、オリーブ畑があちこちに見られる。
サルデーニャ島独特の石積みの遺跡ヌラーゲも見ることができた。

ステッドラー社製の新型車

途中で対向列車と2回交換したのだが、どちらも新型車両がやってきた。
2016年に営業開始したスイス・ステッドラー社製の電気式ディーゼルカーとのことである。
エアコンもあって乗り心地はよさそうだが、こちらの旧型車は窓が開くのが何よりも素晴らしい。

サルデーニャ鉄道の車窓

サルデーニャ島では、人の数よりも多いといわれる羊。
車窓からも放牧している様子を見ることができた。

ヌーオロの遠景

終点に近づくと、急勾配を登り、山腹のすさまじい崖上を走る。
土砂崩れでもあったら谷底にまっさかさまだ。雨の日には乗りたくないな……なんて思っているうちに、ヌーオロの町が見えてきた。

サルデーニャ鉄道ヌーオロ駅

終点のヌーオロに定刻の16時5分に到着。
到着したホームの横(写真の左側)では、新しいホームが工事中のよう。
日本に帰ってきてネットで調べたら、新しいホームに停まっている車両の写真が掲載されていた。

この日から旅行者用のアパートに3泊する。がらんとしたコンコースを抜けた先で、アパートの管理人がクルマで迎えにきてくれていた。
私たちが写真撮影に時間を食っていたので、本当に乗ってやってきたのか心配になっていたようだった。

2022-09-02

鉱山で栄えた町イグレジアス

ポルト・フラーヴィアからマズーアのバス停まではあまりに遠いので、結局行きに乗ったタクシーを電話で呼んだ。
イグレジアスの町なかも見たいので、旧市街で降ろしてもらうことにした。
「ここから坂道を登ると眺めがいい場所に出るよ。帰りはこの方向に15分くらい歩くと駅に出る」
50代後半と見える運転手は、親切に案内してくれた。

イグレジアス旧市街

Iglesiasとは、スペイン語だと「教会」という意味だ。
「この町は教会が多いんだ」と運転手が言っていたが、はたしてそれが語源なのか。
ただ、調べてもスペイン語起源のような記述はなく、運転手も否定気味だ。
ネットではラテン語が起源だと書かれていたがわからない。

ちなみに、スペイン語だと濁らずに「イグレシアス」だが、イタリア語だと「イグレジアス」になる。さらにいえば、「レー」にアクセントを置いて、「イグレージアス」とイタリア人は発音していた。

イグレジアス旧市街

旧市街を歩いていると、単なる田舎町とは思えない立派な町並みが続き、かつての鉱山町の賑わいを偲ばせる。
日本で鉱山町というと、閉山とともに寂れていくのが相場だが、ここはそこそこ人口もあって昔の面影を残しているのが興味深い。
マズーア海岸の観光で多少はうるおっているのだろうか。

イグレジアス旧市街

上の写真は、イグレジアス旧市街の中心にあるサンタ・キアラ教会。正面のデザインが現代的だ。
広場にはカフェテラスが設けられていたが、中途半端な時間だったためか人影はほとんどなかった。

イグレジアス旧市街

確かに、町の至るところで大小の教会や教会跡を見ることができた。
また、昔の鉱山学校だった立派な建物は鉱山博物館に変わっていた。

イグレジアス旧市街

このカラフルな建物は、マドンナ・デッレ・グラツィエ教会。
どこまでが教会で、どこからが民家なのか、不思議な建物だ。通りの反対側もカラフルな建物が続く。
広場でビールを飲んでから駅に戻ると、駅前に見慣れたタクシーが客待ちをしているではないか。
「おう、どうだった? 楽しめた? 鉱山博物館は立派だったろう」
 やはり、この町には1台しかタクシーがないようである。朝うまく捕まえることができたのは幸運だった。

イグレジアス駅

イグレジアス駅で待っていたのは、ディーゼルカーATR365。サルデーニャ島向けにスペインCAF社が製造したものだ。2015年末から使用が開始されたというから、ほぼ新車といっていい。
カーブを高速で通過できるよう、振り子装置を搭載しているとのことで、曲線の多いサルデーニャに適しているのだろう。
座席にはテーブルが設けられているほか、普通列車とは思えないほど座り心地のいいクロスシートの座席に腰を落ち着けると、この日の疲れがどっとでたのか、動き出したとたんに眠ってしまったようだ。

2022-09-01

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡めぐり

廃鉱山ツアーは所要1時間で、坑道を歩きながら説明を受ける。
しばらく歩くと、下の写真のような鉱石運搬用のレールが現れた。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここでは、亜鉛と鉛、そして少々の銀が採れていたという。
どちらも近代工業の発達に欠かせないもので、この鉱山は重要なものだったが、大変な環境で長時間働く鉱山労働者には健康被害が続出した……というくらいは聞きとることができた。

ちなみに、鉱山の名前のフラーヴィアは、  鉱山関係者の娘の名前なんだとか。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

しばらくすると、突然目の前に海を望む絶景が開けた。
ここでレールはヘアピンカーブを描き、別のトンネルを通って戻っていく。
このカーブの内側に、下の階のサイロへ鉱石を落とす場所があり、そこから鉱石が積み出されて行ったのだそうだ。

当時は、サルデーニャ島内に精錬する施設がなかったために、船を使って別の島や国に鉱石のままで運んで行ったという。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここがツアーのクライマックスで、しばし記念撮影の時間に。

パン・ディ・ズッケロ

向こうに見える不思議な形の島は「パン・ディ・ズッケロ」

まあ、日本の足尾銅山のような工夫を凝らしたツアーにくらべたら、シンプルこのうえないものだったが、十分に楽しむことはできた。
ただ、もう一つ、ここで見ておかなくてはならないものがあった。そのために、私たちはすぐそばのマズーア海岸に向かったのである。
9月半ばだが、日曜日のマズーア海岸はイタリア人の海水浴客で賑わっていた。

マズーア海岸

見たいものとは、鉱石の積み出し口である。さきほどは内側からたどりついたが、それを外から見ようというわけである。

ネット情報では、ボートツアーに参加すれば積み出し口を見ることができるというので、さっそく加わることにした。
「次のが満員でね。2時間後になるんだけど……」
海の家のような案内所のお姉さんにいわれ、ビールを飲んだり、あちこちぶらぶらしたりして待つ。

洞窟めぐりツアー

ツアーボートというから、近くの小さな桟橋から漁船のような船に乗り込むのかと思っていたが、なんと10人乗りのゴムボートだった。
しかも、海水浴場の砂浜から乗るのだ! 岸から10mほど歩かなくてはならず、長ズボンはびちゃびちゃ。

「普段着でも問題ないけど、荷物は置いて靴は脱いでいくといいよ」といわれた理由がわかった。
私たち以外の参加者は、みな水着だったのは言うまでもない。

鉱石の積み出し口

そんな苦労をしてでも見たかったのがこれ!
2年くらい前に、ネットで写真を見て驚いた。岩肌をくり抜いて建造物が建っている様子は、ヨルダンのペトラ遺跡を連想させる。
さきほどの鉱山ツアーでは、この「建物」の上から外を見たわけだ。
下の大きなアーチ状の穴から、鉱石を船に運び出したのだろう。どうやって積み込んだのかは知らないが……。穴の上には「FLAVIA」という文字が刻まれている。

洞窟めぐりツアー

私としては、ここですぐに戻ってもいいのだが、「洞窟めぐりツアー」はここからが本番だった。いくつもの洞窟をめぐり、参加者は潜ったり泳いだり写真を撮ったり。
普段着の私たちは、暇そうにそれを見ているだけであった。

ところで、鉱山跡ツアーのガイドのお姉さんは、さすがに訓練されているのか、きれいな発音ではっきりと話してくれたのだが、ボートの船長のイタリア語はなまりが強く、半分もわからなかった。冗談ばかりいっているようなのだが、私たちだけ笑えないのは寂しかった。

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