1990-2019年 カリアリ定点写真
サルデーニャ島自体は10年ほど前に訪れていたが、カリアリは29年ぶり。そこで、例によって定点比較をしてみた。
1990年当時はイタリアの経済が大きく成長した時期で、カリアリも変化をはじめたころである。
それぞれ、上が1990年、下が2019年である。
まずは、先日紹介した城砦バスティオーネ・ディ・セイント・レミーの正面にあるコスティトゥツィオーネ(憲法)広場の定点比較から。
昔の写真のフィアットが懐かしい。前の車がフィアット・パンダ、後ろがフィアット126のようだ。
2019年になると、歩道が広くなって正面の道への車の進入が制限されていた。
そのコスティトゥツィオーネ(憲法)広場をバスティオーネ・ディ・セイント・レミーの上から見たところ。
トップの写真は、この左下にあたる。
街路樹は大きく成長したけれど、建物も道もそれほど変わっていないのは、ヨーロッパらしいところである
駅や港に近いローマ通り。デパートやカフェが建ち並ぶカリアリの表玄関である。
テーブルクロスも椅子も赤で統一されていたのが印象的だった。
2019年になると、シックな黒っぽい色に統一されていた。左の店は「カフェ・トリノ」という看板が掲げられている。やはりカフェといえばトリノが本場なんだと納得。
これは、6世紀に建設がはじまったというBasilica di San Saturnino(サトゥルニーノ大聖堂)。
歴史的、文化的に重要な教会であるが、第二次世界大戦中に爆撃されて損傷を受けたという。イタリアのガイドブックに書かれていたので訪ねてみたが、修復も進んでおらず、観光スポットという感じではなかった。周囲に車が雑然と停められている。
2019年に訪ねてみると、周囲も含めてきれいに整備されていた。
最後の写真は、カリアリ市内で一番変わったと思われる場所。
中心部から離れたレプッブリカ広場の片隅にサルデーニャ鉄道のカリアリ駅があり、1990年当時は、島の中央部に向けてディーゼルカーが1~2時間に1本しか運転されていなかった。
その後、イタリア鉄道を除く島内の公共交通は公共企業体arstに統合され、カリアリの近郊区間はトラム(ライトレール)に姿を変えた。
スマートな車両が、なんと10分おきに発着していた。現在、かつての線路を復活させてカリアリの中心部(鉄道駅や港)に向けた路線が建設中である。
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