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2022年8月の8件の記事

2022-08-30

鉱山跡が残る西海岸のポルト・フラーヴィアへ

カリアリ滞在3日目は、西海岸に面した知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない観光スポット、ポルト・フラーヴィアへ。
そこで催されている1時間ほどの廃鉱山めぐりツアーに参加するためである。
ツアーは10時から1時間おきに催されていて、10時の回を日本から2週間ほど前にネットで予約した。11時の回はすでに30名の定員が満員だった。

まずは、イタリア鉄道でイグレジアスという町に向かう。カリアリ駅構内には、29年前と同じように蒸気機関車が保存・展示されていた。

カリアリ駅

テンダー付きの744型3号機で、軸配置は1D(つまり動輪の数が片側4つ)日本でいえば9600と同じコンソリデーションだ。
でも、レール幅が標準軌なので、車体はとても大きく感じられる。

カリアリ駅

日曜日の朝だけあってコンコースはがらんとしていたが、そこには昔のサルデーニャの田舎の家を模した興味深い展示があった。
「Pani, casu e binu a rasu」というのはサルデーニャ語で、「パン、チーズ、グラス(山盛り1杯)のワイン(があればいい)」という意味で、島の酔っぱらいのよくあるせりふである……と、上のほうに標準イタリア語で説明がある。

カリアリ駅

行き止まりのホームの端には、カルボニア行きのディーゼルカーが停まっていた。
サルデーニャ島の南西には、カルボニアとイグレジアスという2つの大きな都市があって、どちらにもイタリア鉄道線が通じている。
日中はカリアリから直通列車が交互に1時間おきに運転されていて、分岐駅のヴィッラマッサルジャ-ドムスノヴァスでは別方向の列車が待っていてくれている。

イグレジアス駅

終点イグレジアスから目的地ポルト・フラーヴィアへは20kmほどの道のりだ。
ポルト・フラーヴィアの入口にあたるマズーアの町までは路線バスがあるのだが、本数が少なくて午前10時開始のツアーには間に合わない。

がらんとした駅前のタクシー乗り場で5分ほど待っていると、タクシーがやってきて人を降ろした。
「ポルト・フラーヴィア? いいよ、でも予約の人がいるから、その人を先に運んでから戻ってくるよ。15分くらいかかるけど待っていてくれる?」
50歳くらいの運転手はそう言って去っていった。

イグレジアス駅

しばらくして戻ってきたタクシーの助手席には、女性が座っていた。
「同じ方向だから、親戚の人を途中まで乗せていくね」
こんなところがいかにも田舎町らしい。あとで知ったのだが、この日稼働していたのはこのタクシー1台だけだったようだ。

町から出ると、沿道には廃鉱の跡があちこらに見えた。
「イグレジアスは鉱山で栄えたんだ。今でも町には鉱山博物館があるから、帰りに見ていくといいよ」
いろいろと会話を交わしながら、やってきたのがポルト・フラーヴィアの駐車場だった。時刻は9時半だったので余裕で間に合うはずである。
「タクシーはここまでしか入れないんだ。鉱山ツアーには海岸沿いにまっすぐいけばいいよ」

はあ、そうですか。と降りたのだが、崖沿いの道が入り組んでいて、どの道を行くとどこに通じるのかもわからない。
さんざん迷いに迷った末、ようやく狭い1本道のカーブのはるかかなたに入口の建物を見つけたのだが、そのときすでに9時50分!
集合時間とされる15分前を過ぎており、目的地まではまだ10分ほどかかりそうである。

「こりゃ、もうダメだ! 12時の回に空きがあることを祈るしかない」

ポルト・フラーヴィアの鉱山入口

あきらめかけた直後、後ろから1台の自家用車が私たちに迫ってきた。
恥をしのんで大きく手を振ると、10mほど行き過ぎたところで車が止まった。

「ありがとう! この先で鉱山ツアーが10時からはじまるんです」
私がいうと、車を運転していた30歳くらいの女性はこういった。
「わかってるわ、私がそのツアーガイドだから」
「……」

ポルト・フラーヴィアの鉱山入口

運がよかった。
それにしても、15分前に集合のはずのツアーのガイドが、10分前にこんなところにいるとは……。
そわそわしている私たちを見て、「大丈夫、私が行かないとツアーははじまらないから」
そりゃそうだ。

集合場所に着くと、彼女は係の人に遅刻を冷やかされているし、私たちはといえば、同じツアーの参加者からは「おお、間に合ったか」と笑われる。どうやら、車で私たちを追い抜いていった人たちらしい。それならば、必死の形相で急ぐわれわれを乗せてくれてもよかったのに……。

まあ、ともかくも、ツアーは10時5分にはじまった。
総員20名のほとんどはイタリア人。外国人はスペイン人2人と私たち日本人2人だけだった。

2022-08-27

ごく普通の町ドリアノーヴァを散歩

ドリアノーヴァの駅前を見わたしても、ごく普通の住宅が広がるだけ。
さあ、次の列車までの1時間をどうしようかと思い、スマホでGoogle先生に相談。
すると、歩いて10分ほどのところに聖パンタレオ聖堂という立派な教会があるらしい。

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だらだらと登り坂をいくと、なかなか立派な教会が目の前に現れた。
しかも、結婚式のようで、人が集まっているではないか。なにやら高そうなクルマも停まっている。

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しばらくすると、別のクルマがやってきて、ウェディングドレスに身を包んだ女性が、父親とともに教会に入っていった。
ほかにも、小さな教会を眺めたり、広場にたむろする親爺軍団と微笑みを交わしたりしながら、列車待ちの時間を有意義に過ごすことができた。

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さて、このサルデーニャ鉄道の路線だが、公共企業体arstに統合されて公的資金が投入されたためか、ご覧のようにレールも枕木もしっかりしている。曲線も改良されているようで、車窓からも取り残された古い線路跡をあちこちで見ることができた。
これだけ投資しているなら、廃止されることはないだろうと一安心した私であった。

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さて、乗った列車はゴッタルドから2つ手前のセッティモ・サンピエトロ止まり。ここでカリアリ行きに乗り換えろということであった。
前にも書いたように、カリアリからゴッタルドを経由してこの駅までは電化されており、トラムタイプの新型車が乗り入れている。

ホームで待っていると、やってきたのは新型のスペインCAF社製車両だった。いかにもサルデーニャという茫漠とした風景のなかで、都会風のトラムタイプの車両を見るのはちょっと不思議な感じである。

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新型車両は、行きの車両とは違って座席も多かった。

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ここで、1990年の同じ路線の写真を貼っておこう。
このときは、カリアリから終点のイージリまで通して乗ることができた。
返す返すも残念なのは、途中のマンダスから山脈を越えて東岸のアルバタックスまでの路線に乗らなかったことだ。
「世界でもっとも美しい車窓」ともいわれているその路線は、今も観光シーズンに特別列車が走っているので、ぜひ乗りにいきたいものである。

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最後の写真は、イージリに到着した列車である。Googleストリートビューを見ると、今でもほとんど変わらない姿で残っていることがわかる。
またぜひ終点まで乗ってみたいものだ。

2022-08-25

サルデーニャ鉄道の旧型車に乗車

サルデーニャ鉄道の旧型ディーゼルカーは、戦前に開発された軽量気動車「リットリーナ」の流れを汲む車両で、イタリア国内でも現役で走っているのは、もうここくらいになってしまった。線路の幅は950mmの狭軌だ。

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ゴッタルド駅を出たときには満員だった車両も、駅に止まるたびに客が減っていった。
トラムタイプの新型車両は、ゴッタルドから2つめのセッティモ・サンピエトロ(Settimo San Pietro)駅まで乗り入れており、そこまでは電化されているが、そこから先、終点のイージリ(Isili)まで60kmあまりは非電化区間となる。

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ところで、サルデーニャ島を走るバス、トラムなどは2008年に発足した公共企業体arst社(州政府が株主)に統合され、この路線を運営していたサルデーニャ鉄道(Ferrovie della Sardegna)も、2011年までに完全に統合されたそうだ。

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ゴッタルド駅を発車してしばらくすると家並みが途切れ、いかにもサルデーニャ内陸を感じさせる荒涼とした大地が車窓に広がる。
これは、牧草地とオリーブ畑。

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隣のボックスには、スケートボードを抱えたアメリカ人らしき若い男性が乗り込んでいた。
途中の小さな駅で降りていったのだが、何をしているのだろうか。

スケートボードの合宿か英語の先生か、勝手な想像をめぐらす私であった。

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乗った車両は途中のドリアノーヴァ(Dolianova)止まり。
ドリアノーヴァ駅まではほぼ1時間おきに走っているが、その先は3時間に1本ほど。今回は時間の関係で、そこから引き返すことにした。
イージリまでは1990年に乗ったことがあるし、今回は妻という同行者がいるので自重した。

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左が私たちの乗ってきたリットリーナ。
奥地からやってきたのが右側のディーゼルカー。こちらもグラフィティと呼ばれるペイントだらけだった。
緑深いドリアノーヴァ駅での交換風景である。
次の上り列車までは1時間ほど。それまでドリアノーヴァの町をぶらぶらすることにした。

2022-08-24

ローカル私鉄が軽快なトラムに変身

カリアリ滞在中には新装なったトラムに乗ってみた。始発駅は、中心部から500m以上離れたレプッブリカ(共和国)広場に面したビルの1階にあるレブップリカ駅だ。
1990年に訪れたときは、前回の記事で書いたように、私鉄サルデーニャ鉄道のディーゼルカーが1~2時間に1本ほど発車するだけだったが、2008年に途中駅までがライトレール化されて10分おきに発着している。

シュコダ社製車両

いかにも大都市郊外という平凡な沿線を約20分走って、上の写真のゴッタルド駅に到着した。
この車両は、2008年の開業当初から使われているチェコ・シュコダ社製車両である。
電車はここから写真奥の急勾配を越えて、2駅先のポリクリニコ駅に向かうが、大多数の乗客はここで下車。その一部は、昔ながらのローカル線に乗り換えて島の中部に向かうことになる。

トラムの路線図

これが車内に掲示されているカリアリのトラムの路線図。駅(停留所)間の所要時間も書かれているのが、昔のイタリアでは想像できない親切さだ。
赤で示されているのが1号線、青が2号線で、両者の乗り換え駅なっているのがゴッタルド駅。右から2つめだ。
右端がポリクリニコ駅で、この2駅間が2008年に新設された。それ以外の路線は、以前からあったサルデーニャ鉄道の路線である。

シュコダ社製車両の車内

開業当時から走るシュコダ社製車両の車内。座席が異様に少ない。
全車両が横向きシートだが、ロングシートではなくて個別の座席になっている。

CAF社製車両

ゴッタルド駅をぶらぶらしていたら入線してきた最新のスペインCAF社製車両。
実は、このゴッタルド駅近くには、かつての車両基地を転用したサルデーニャ島鉄道博物館があって、蒸気機関車を含む歴史的車両が保存されている。以前から訪問を楽しみにしていたのだが、何年も前から改装中のようなのだ。駅員に尋ねたが、やはりまだ開館していなかった。

旧型ディーゼルカー

博物館に行けなかった代わりに、時刻表を確認して、ライトレール化されていないローカル線に途中まで乗ってみることにした。
すでに16時をまわっていたので、通学の中高生がかなり乗り込んできた。
いざ、落書きだらけの旧型ディーゼルカーで島の中部へ出発である。

2022-08-23

1990-2019年 カリアリ定点写真

サルデーニャ島自体は10年ほど前に訪れていたが、カリアリは29年ぶり。そこで、例によって定点比較をしてみた。
1990年当時はイタリアの経済が大きく成長した時期で、カリアリも変化をはじめたころである。
それぞれ、上が1990年、下が2019年である。

1990年のコスティトゥツィオーネ広場

2019年のコスティトゥツィオーネ広場

まずは、先日紹介した城砦バスティオーネ・ディ・セイント・レミーの正面にあるコスティトゥツィオーネ(憲法)広場の定点比較から。
昔の写真のフィアットが懐かしい。前の車がフィアット・パンダ、後ろがフィアット126のようだ。

2019年になると、歩道が広くなって正面の道への車の進入が制限されていた。

1990年のコスティトゥツィオーネ広場

2019年のコスティトゥツィオーネ広場

そのコスティトゥツィオーネ(憲法)広場をバスティオーネ・ディ・セイント・レミーの上から見たところ。
トップの写真は、この左下にあたる。
街路樹は大きく成長したけれど、建物も道もそれほど変わっていないのは、ヨーロッパらしいところである

1990年のローマ通り

2019年のローマ通り

駅や港に近いローマ通り。デパートやカフェが建ち並ぶカリアリの表玄関である。
テーブルクロスも椅子も赤で統一されていたのが印象的だった。

2019年になると、シックな黒っぽい色に統一されていた。左の店は「カフェ・トリノ」という看板が掲げられている。やはりカフェといえばトリノが本場なんだと納得。

1990年のサトゥルニーノ大聖堂

2019年のサトゥルニーノ大聖堂

これは、6世紀に建設がはじまったというBasilica di San Saturnino(サトゥルニーノ大聖堂)。
歴史的、文化的に重要な教会であるが、第二次世界大戦中に爆撃されて損傷を受けたという。イタリアのガイドブックに書かれていたので訪ねてみたが、修復も進んでおらず、観光スポットという感じではなかった。周囲に車が雑然と停められている。
2019年に訪ねてみると、周囲も含めてきれいに整備されていた。

1990年のサルデーニャ鉄道カリアリ駅

2019年のカリアリ・レプッブリカ駅

最後の写真は、カリアリ市内で一番変わったと思われる場所。
中心部から離れたレプッブリカ広場の片隅にサルデーニャ鉄道のカリアリ駅があり、1990年当時は、島の中央部に向けてディーゼルカーが1~2時間に1本しか運転されていなかった。

その後、イタリア鉄道を除く島内の公共交通は公共企業体arstに統合され、カリアリの近郊区間はトラム(ライトレール)に姿を変えた。
スマートな車両が、なんと10分おきに発着していた。現在、かつての線路を復活させてカリアリの中心部(鉄道駅や港)に向けた路線が建設中である。

2022-08-22

週末のカリアリで晩メシ難民に

カリアリを甘く見ていた。晩メシの場所に苦労するとは思ってもみなかった。
もっとも、日本ではあまり知られていない町ではあるが、れっきとしたサルデーニャ州の州都であり、観光スポットも数多い。
コロナ禍の前の土曜日、夜の中心部は観光客と地元の人であふれていた。

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妻のイタリア人知人から、おいしい店の情報を何軒か得ていたが、とても予約なしでは入れない。
路地から路地へと30分ほどさまよい、何軒もの店に断られたのちに目に入ったのが、ムール貝のイラストを描いた店。
「La Cozzeria della Marina」(ラ・コッツェリーア・デッラ・マリーナ)と記されていた。cozzeはムール貝のこと。ムール貝専門店らしい。こざっぱりしておしゃれな店だった。
ダメでもともとと聞いてみると、外のテーブルが空いたからすぐに片づけるという。

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こうして晩メシにようやくありつくことができた。
ムール貝は好物なのだが、隣のテーブルを見て驚いた。大きなフライパンのような容器に、ムール貝が山のように盛られている。
しかも、その下に恐るべきほどのスバゲッティがある! メニューを見ると500gと書かれていた。
バケツに入った山盛りのムール貝はベルギーで見たことがあったけれど、それにパスタが加わる恐怖の一皿である。
「こりゃ、とてもじゃないけど2人がかりでも食えない!」

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そんなわけで、パスタ抜きのムール貝を2人でシェアしたわれわれであった。飲み物は白ワイン。
「それだけじゃ申し訳ないような気がするなあ」とタコのフリットを注文したのだが、これがまたデカい足であった。
例のスパゲッティ入りムール貝は、さすがのイタリア人も難儀しているようで、上の写真の男性も残していたほどだった。

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そんな店に閉店近くまで粘っていたら、やはりムール貝と格闘していた隣席の女性2人と仲よくなった。
とくに中央の女性がおもしろい人で、今はどこかの企業の秘書をしているが、少し前まで修道女をしていたのだという。
どんな会話を交わしたかよく覚えていないが、ずっと笑っていた記憶だけはある。イタリア語を習っていてよかったと思うのは、こんな瞬間だ。
彼女とはFacebookの友だちとなって現在に至っている。

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翌日は、前夜の失敗を反省して、早めに店の予約を入れることにした。
魚料理がうまいという「Su Cumbidu Mare」(ス・クンビドゥ・マーレ)という店である。ちなみに、Suはサルデーニャ語の定冠詞だ。

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翌日からは内陸に向かうので、2日連続だが海の幸を満喫。前菜、パスタも食べて、メインの皿がこれ。
上のほうにある魚はスズキだったかな。中央のステーキはマグロ。
焼き具合はレアで味付けもさっぱりめで絶品! こんなうまいマグロのステーキは日本でも食べたことがなかった。
そして、アルト・アディジェ(南チロル)から来たという隣席のご夫婦と、この日も盛り上がってしまった。

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店の外に看板があったので、外で食べている人といっしょに記念撮影。

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最後の写真は、地元サルデーニャでつくられているビール「Ichnusa」(イクヌーザ)。サルデーニャでは、こればかり飲んでいた。
左が通常の製品で、右は無濾過と書かれている。好き好きだろうけど、無濾過のほうが味が濃くて好みだった。
ラベルのデザインは、サルデーニャの旗をベースにしている。

2022-08-21

カリアリ市内をぶらぶら散歩

長時間のフライトに加えて夜中までビールを飲んでいたので、翌朝はゆっくりと起きてカリアリ市内をのんびりと見物することにした。
宿は駅や港がある中心部に位置しているが、そこから観光名所がひしめく旧市街へは歩いて5分ほどである。

バスティオーネ・ディ・セイント・レミー

まずは、旧市街の入口にあたる城砦バスティオーネ・ディ・セイント・レミーへ。
前回来たときは薄汚れていたような記憶があるが、すっかりきれいになって陽光に映えていた。

バスティオーネ・ディ・セイント・レミー

バスティオーネ・ディ・セイント・レミーの階段を上ると、市街が一望できる。
城砦の上は広々としていて、休日を楽しむ地元の人や観光客で賑わっていた。

カリアリの旧市街

広々とした城砦を抜けると、イタリアの旧市街らしい狭い道が続く。
9月とはいえ、強い日射しのもと、上り坂をひいはあいいながら歩いていった。

カリアリのドゥオーモ

しばらく歩くと、目の前が広がってカリアリドゥオーモが出現した。小さな広場にはなっているが、教会全体を撮るのは難しい。
多くのアーチが並んだファサードは、ピサやルッカの教会を思わせる。

町を見わたす

その後も、狭い道をひたすら歩いたり、パノラマを眺めたりというぶらぶら散歩であった。
この写真は、旧市街の西の縁にあるサンタ・クローチェ通りからの眺め。
素晴らしい展望のカフェテラスがあったので、ちょっと休憩して冷たいスプリッツァを1杯。

町を見わたす

そして、旧市街を一回りして城砦に戻ったあたりから、あらためて港を眺める。

夕方の商店街

おしゃれなブティックや商店が建ち並ぶジュゼッペ・マンノ通り。前夜ビールを飲んだカルロ・フェリーチェ大通りからバスティオーネ・ディ・セイント・レミーに至る、カリアリの目抜き通りだ。

夕方の商店街

ジュゼッペ・マンノ通り寸景。どこで晩メシを食べるか、そろそろ考えなくては。

2022-08-20

2019年 サルデーニャ島への旅

新型コロナの行動制限が緩和されたとはいえ、ウクライナ情勢もあって海外旅行に行けない期間が丸2年を超えてしまいました。
それでも、せっかく「旅と鉄道」誌にイタリア・サルデーニャ鉄道の記事を書いたので、そのときの旅をざっと振り返ってみたいと思います。

時は2019年9月中旬にさかのぼります……

真夜中のカリアリ

成田を出て17時間あまり、ローマで乗り換えてやってきたのはサルデーニャ島南部に位置する州都カリアリ(カッリャリ)。
空腹のままホテルに着いたのが0時過ぎ。どこかで食べるところがないかと聞いたところ、ビール屋なら広場に行けばあるという。
真夜中の静かな町を4、5分ほど歩き、「この先に開いている店なんかあるのか」と思った直後に、まさかの光景が目の前に広がった。

真夜中のカリアリ

この写真を撮ったのは、午前1時半過ぎ。金曜日の夜とはいえ、若者を中心にしてとんでもない人出だった。
喉が渇いていたので、生ビールの種類が多そうな店を選んで店先のテーブルに陣取り、イタリアビールとベルギービールの生で妻と乾杯!
その後も若者は増える一方だったが、みんなどうやって帰るんだろう。

真夜中のカリアリ

夜にイタリアの町をそぞろ歩くというと、「治安は大丈夫か」とよく聞かれるのだが、危なっかしい雰囲気はなかった。ミラノ、ローマ、ナポリなどの大都市の町はずれならいざ知らず、田舎町ならまず心配はいらない。

私にとってサルデーニャ島は3回目。カリアリには1990年以来、29年ぶりの訪問。ここにまず3泊して市内と近郊をぶらぶらする予定である。

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