岩窟住居の村 スペルリンガ
ニコジーアには2泊3日の滞在。その中間の日は、午前中にニコジーアの丘上に登り、午後からは直線距離で3kmほど北西にあるスペルリンガ(Sperlinga)を訪れた。
山道をゆくので道のりは8km近くあるようだ。普段の平日ならばバスが1日に何往復かあるのだが、休校日にはいい時間帯のバスが運休。すでに9月になっていたが、イタリアの学校はまだ夏休みだった。
3kmならば歩いて行けるが、8kmの往復はちょっとつらい。
そこで、前もってB&Bの人に「町にタクシーはないか」と伝えておいたところ、「タクシーはないけれど心配するな」という返信があった。
結局、タクシーよりもずっと安い料金で往復してくれたわけだ。
スペルリンガの遠景は、トップの写真にあるとおり、かなり異形である。村のニコジーア側には、巨大な岩がそびえたっており、そのてっぺんには城砦の跡が残っている。そこに達するには、岩の中をくりぬいた通路を歩く。そして、城砦の上からは絶景が楽しめるはずだったが、なんと最近になって落石事故があったとかで、立入禁止になっていた。
しかたがないので、B&Bの若夫婦に2時間後に迎えにきてもらうことにして、ぶらぶらと村めぐりをすることにした。
岩城については予備知識があったものの、現地に行って驚いたのが岩窟住居である。岩をくりぬいて住まいにしているのだ。
世界遺産になったマテーラは石灰岩をくり抜いたものだが、ここの岩は見るからに固そうである。さぞかし掘るのは大変だっただろう。
ただ、見た限りではほとんどが無人となっており、どれだけが使われているのかはわからない。
現在では、すぐそばに一般の住宅が建てられているので、わざわざ不便な(たぶん)岩窟住居に住みつづける必要はないのだろう。
驚くのは、家の扉の脇に、番地を表す陶器の板がはめ込まれていたことだ。ということは、比較的最近まで使われていたに違いない。
岩窟住居跡の近くにある家のベランダから、こちらを見ている老婦人がいたので尋ねてみた。
「あの家々は、いつごろまで使われたのですか? 1950年代から60年代ころまで使われていた?」
老婦人はにっこりと「Sì」(そうよ)とひと言。
もしかすると、この人も岩窟住居で生まれ育ったのかもしれない。
入口の扉が開いている岩窟住居の中に入ってみた。10畳みほどの広さの湿っぽい室内には、ポンペイの遺跡で見たようなかまどがあり、フライパンのような日用品が転がり、朽ちたソファが放置されていた。
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あー、マテーラとここでは、リッチさが全然違いますね~(笑)
もっとも、マテーラもかつては静かな田舎町だったはずですが。
投稿: 部屋主 | 2021-10-13 01:54
かつてSassiを望むマテーラのレストランで、実に美味な子羊のホイル蒸しを、驚く程安価な赤ワインと共に食した記憶がよみがえりました。
投稿: nebbiolo | 2021-10-12 11:37