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2021年10月の3件の記事

2021-10-15

ロバート・キャパゆかりの地でもあったスペルリンガ

スペルリンガの村(イタリアでは自治体はみなコムーネなので、村も町も市も区別はないのだが)をぶらぶらしていると、下のような立て看板を見つけた。

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これは、ロバート・キャパが撮った写真である。キャパといえば、ノルマンディー上陸作戦やスペイン市民戦争などを撮った報道写真家、とくに戦争写真家として有名だが、この村にも来ていたのである。

ときは第二次世界大戦末期。イタリアのファシスト政権はすでに崩壊し、パルチザンを中心にした新政府が占領軍であるドイツに宣戦布告をした。一方、シチリアに上陸した連合軍は、徐々に北上してドイツ軍を追いやっていく。
そんな時期の一場面である。地元の老人が、アメリカの斥候兵(たぶん)に道を案内している。

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もっとも、あまりにも構図が決まり過ぎているし、緊張感も感じられない。
やらせとはいわないが、「ちょっと、その姿勢で待っていて。そうそう、中腰がいいなあ」なんていいながらポーズをとってもらって撮影したのではないかと個人的には思っている。

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なんて想いながら、ぶらぶらと村の中心に戻ってきた。
狭いながらも国道が走り、バールがある広場である。
階段を降りてくると、そこには親爺軍団が集まっていた。私たちの姿を見てみな微笑んでくれる。
「こんな田舎町までよく来たな」という歓迎の気持ちなのだろうか。

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私たちはこの広場でB&Bの若夫婦と待ち合わせをしている。
まだ姿が見えないのでバールでコーヒーを飲んでのんびりしていると、親爺軍団のうちの何人かが店の外でトランプをはじめた。
これが毎日の日課なのだろう。ギャラリーも集まっているのが微笑ましい。
学生時代の雀荘を思い出した。

211010e

それにしても、なんとぜいたくな環境。
広場の向こう側には、広々とした丘陵が広がっている。
狭いところに集まってトランプをしているなんて、もったいない!

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まあ、そんなふうに思うのは、旅行者の勝手な感想だろう。
ずっとこの環境に住んでいる人は、珍しくもないともない風景に違いない。
生活はけっして便利ではないだろうが、これはこれで幸せそうである。

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2021-10-09

岩窟住居の村 スペルリンガ

ニコジーアには2泊3日の滞在。その中間の日は、午前中にニコジーアの丘上に登り、午後からは直線距離で3kmほど北西にあるスペルリンガ(Sperlinga)を訪れた。
山道をゆくので道のりは8km近くあるようだ。普段の平日ならばバスが1日に何往復かあるのだが、休校日にはいい時間帯のバスが運休。すでに9月になっていたが、イタリアの学校はまだ夏休みだった。

スペルリンガ遠景

3kmならば歩いて行けるが、8kmの往復はちょっとつらい。
そこで、前もってB&Bの人に「町にタクシーはないか」と伝えておいたところ、「タクシーはないけれど心配するな」という返信があった。
結局、タクシーよりもずっと安い料金で往復してくれたわけだ。

スペルリンガの城砦

スペルリンガの遠景は、トップの写真にあるとおり、かなり異形である。村のニコジーア側には、巨大な岩がそびえたっており、そのてっぺんには城砦の跡が残っている。そこに達するには、岩の中をくりぬいた通路を歩く。そして、城砦の上からは絶景が楽しめるはずだったが、なんと最近になって落石事故があったとかで、立入禁止になっていた。

スペルリンガの岩窟住居c

しかたがないので、B&Bの若夫婦に2時間後に迎えにきてもらうことにして、ぶらぶらと村めぐりをすることにした。
岩城については予備知識があったものの、現地に行って驚いたのが岩窟住居である。岩をくりぬいて住まいにしているのだ。
世界遺産になったマテーラは石灰岩をくり抜いたものだが、ここの岩は見るからに固そうである。さぞかし掘るのは大変だっただろう。

スペルリンガの岩窟住居

ただ、見た限りではほとんどが無人となっており、どれだけが使われているのかはわからない。
現在では、すぐそばに一般の住宅が建てられているので、わざわざ不便な(たぶん)岩窟住居に住みつづける必要はないのだろう。
驚くのは、家の扉の脇に、番地を表す陶器の板がはめ込まれていたことだ。ということは、比較的最近まで使われていたに違いない。

スペルリンガの岩窟住居教会

岩窟住居跡の近くにある家のベランダから、こちらを見ている老婦人がいたので尋ねてみた。
「あの家々は、いつごろまで使われたのですか? 1950年代から60年代ころまで使われていた?」
老婦人はにっこりと「Sì」(そうよ)とひと言。
もしかすると、この人も岩窟住居で生まれ育ったのかもしれない。 

スペルリンガの岩窟住居の町並み

入口の扉が開いている岩窟住居の中に入ってみた。10畳みほどの広さの湿っぽい室内には、ポンペイの遺跡で見たようなかまどがあり、フライパンのような日用品が転がり、朽ちたソファが放置されていた。

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2021-10-02

ニコジーアの丘上の出会い

2017年9月の旅の続き。
ニコジーア到着の翌日は、朝から狭い町をぶらぶら。
やはり、煙となんとかは高いところに登りたがるので、旧市街を経由して丘のてっぺんにある城砦跡へ。

ニコジーアの丘上

町の雰囲気を見る限り、丘の斜面にあるのが旧市街のようである。
いつのもイタリア町めぐりのように、ひらすら急坂を登る私たちであった。
坂の途中にはネコがいたり、こんなフィアット500も生息している。

ニコジーアの丘上で見たフィアット500

城砦からは町が一望できる。下の写真は、そこよりも少しくだったところで、こちらのほうが写真としては見栄えがする。
城砦はほとんどが崩れていて、ところどころに残る岩に往事の面影を残すのみである。
写真を撮っていたら、同じ宿に泊まっていたブラジル人男性2人とばったり。
「そりゃ、行くところは限られるから会うよね」

ニコジーアの丘上から見た中心部

そういえば、B&Bの兄さんがこんなことを言っていた。
「きょうは、あなたたち日本人のほか、ブラジル人、ドイツ人、オーストラリア人が泊まっているんだよ。なんてインターナショナルなんだ!」
観光地でもないシチリア内陸の田舎町では、画期的なことなのかもしれない。
ちなみに、私たち2人は、B&B開業以来はじめての日本人宿泊客なのだそうだ。

ニコジーアの丘上

城砦で写真を撮っているうちに、一天にわかにかき曇り、ぽつぽつと雨が降ってきた。
こりゃ大変だと、急坂を転がるように下り、バールに雨宿りをしたとたん土砂降りになった。
上の写真は、翌日の訪問で撮ったので晴れている。
道の左側にバールがあり、右のテラス席からは素晴らしい眺めが楽しめる。
奥に見える建造物は、「フェデリーコ2世の時計塔」と呼ばれているが、どこまでフェデリーコ2世と関係があるかは不明である。

ニコジーアの丘上のバール

時刻は11時過ぎだったが、5、6人いた客はみな当たり前のようにビールを飲んでいた。
顔見知りのメンバーがのんびりしているところに、いきなり東洋人の夫婦が飛び込んできてイタリア語でなにやら話すのだから、大いに興味をもたれて大歓迎された。
写真中央がマスターで、ちょっと英国のチャールズ皇太子に似ている。

ニコジーアの丘上のバール

客のおじさんの説明によると、カヴァリエーレ(騎士)の末裔なのだそうで、正装で撮った写真がバールの片隅に飾られていた。
「馬(カヴァッロ)を持っていないカヴァリエーレだよ」とおじさんは笑っていた。
さきの写真の3人のうち、左の男性は郵便配達中の郵便局職員。さすがに勤務中なのでビールは飲んでいなかった。
右端の男性は「象さん」と呼ばれていて、近くにある教会の鍵を持っているとのこと。

ニコジーアの教会

「もう時間が過ぎて閉めちゃったけれど、見ていかない?」
「喜んで!」
ということで、見せてくれたのがこの教会である。鄙には稀なといっては失礼だが、実に見事な内陣である。
柱にも美しい装飾がほどこしてあるのが珍しい。修復されて間がないのか、天井画もすばらしかった。

ニコジーアの教会

昼間からビールを飲んでご機嫌なわれわれ。
テラスに戻ると、また別のおじさんに「夕食はもう決めている?」と聞かれた。
「いや、まだ」と答えると、
「じゃあ、おれの親戚の店に行くといい。予約しておこうか?」
「お願いしま~す!」
さらには、アランチーノがおいしい店まで紹介してくれた。

ニコジーアのネコ

「いやあ、きょうの昼は楽しい出会いだったね」
その日の夜、予約してもらったレストランでそんなことを話していたときに、ふと思い出した。
「ビール代、払ってない!」

その翌日は午後に出発なので、午前中にまた丘の上までえっちらおっちら登って、バールを再訪した。
カウンターにいたお姉さんに、「きのうの御勘定を払うの忘れた」というと、
「いいのよ、あれはおごり。またビール飲んでいく?」
「喜んで!」
その日もテラス席でわいわいいいながら記念写真を撮り、またもや代金を受け取ってもらえずに帰って来た私たちであった。
コロナ禍でみんなどうしていただろう。元気でいるだろうか。

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