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2021-06-16

墨田区京島 キラキラ橘商店街

京島三丁目というと有名なのが、橘通り商店街である。昔ながらの雰囲気が残る商店街として、よくテレビにも紹介される。
最近では「下町人情 キラキラ橘商店街」という、ちょっぴり照れくさい、文字通りキラキラネームがついている。以前は「橘銀座商店街」といわれていたが、そのいわれは、かつてここに橘館という映画館があったからだ。だから、1960年代ころまで、地元の人たちは「橘館通り」と呼んでいた。

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前回の記事でネコとすれ違った路地を出ると、橘通り商店街のここに出る。
正面は「たぬき寿司」、写真の左手前にちらりと写っているのは、この界隈で最古参の店の一つだと祖母がいっていた「さがみ庵」である。以前は、「相模屋」という店名だったと記憶している。

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このあたりは、橘通りの北の端。すぐ向こうに見えているのは明治通りである。昔、地元の人たちは「環状線」と呼んでいた。
この明治通りは昭和になってからできた道で、橘通りは斜めに交差している。明治通りの向こう側にも同じ角度で細い道が続いているのは、昔1本の道だった名残だろう。
上の写真に写っている「バーバー アラキ」は、幼稚園・小学校のころにお世話になった店である。

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このあたりは、関東大震災前は田んぼが広がっていたという。震災後に周辺に数多くの工場ができたために、そこに勤める人たちの住宅が次々にできて、一気に住宅密集地になったのだそうだ。
1960年代前半だったか、週刊誌の記事に「世界第2番目の人口密度の町」として取り上げられたのを覚えている。
母の実家に行ったときに、叔父がその週刊誌を開き、「ほらこんなに有名になってる」「2番目というのがちょっと怪しい」などと笑いながらみんなに紹介していた。

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かつて橘通りは、夕方になると買い物客で大変に賑わったものだった。とくに年末になると、それはそれはすごい人出であった。
現在は、高齢化が進んで商店街はシャッターを閉めたままの店も多い。
とはいえ、ここ数年、若い人が中心になって地域を盛り上げる活動が起きているのは頼もしい。
昔のままに朽ちていく様子が取り柄の町だったが、ここに来て興味深い店や住宅が次々にできている。
私も、この町にもっと足を運び、母のいなくなった実家を拠点にして、できればあちこちの店に少しずつカネを落としつつ、変化を見つめていきたいと思っている。

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コメント

駒川商店街、地図で調べてみたら、2、3年前に通ったことがありました! 南海電鉄軌道線(いまの阪堺電車)の跡をたどったときに、たまたまそのあたりを通りました。アーケードがずっと続く商店街は、賑わいがあっていい雰囲気でした。

もう20数年前のことになりますが、大阪で暮らしていた時、自宅から少しばかり歩いたところに、賑やかな駒川商店街があり、よく利用していました。

橘通り商店街の再活性化を願っています。

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