ムスタンからポカラへの恐怖の道程(下)
長々と書き続けてきた2019年春のネパールの旅も、いよいよ大団円まぢか。
ムスタン街道に新しくできた食堂でランチをとって気分一新。ムスタンを南下してひたすらポカラを目指す私たちであった。
行く手に見えるのは、相変わらずこのような崖沿いの道。
今改めて見ると恐さを感じるが、連続ロデオ状態が何時間も続くと、感覚がマヒしてくるから不思議である。
何度も書くが、感心するのはこの道を大型バスが通っていくことである。
しかも、かなりのスピードである。
われわれの四駆の運転手も素晴らしい運転の腕であるが、バスの運転手は神業に近い。
しかも、道路はあちこちで工事中である。
外から見ているだけでも、大型バスは上下左右に大きく車体を揺らしながら進んでいく。
はたして雨期になったらどうなるのか。想像もしたくない。
街道沿いには温泉もあった。タトパニである。
ここの地名だと思っていたが、あとで調べると、「タト」はネパール語で「温かい」、「パニ」が「水」だから、まさに「温泉」を示す普通名詞のようである。
「ここは日本じゃないからね、裸になったら捕まっちゃうよ」とM氏。
水着は持っていなかったが、肌着でも問題ない。
ヒマラヤ山脈はもう火山活動はしていないように見えるが、地中ではまだマグマが活動しているのだろうか。
湯はぬるかったが、まあゆったりとした気分になった。
この写真は、入場券売場兼湯上がりの休憩所である。飲み物を売っていた。
入場料は、確か日本円に換算して15円ほどだったように記憶している。
M氏と妻と私はゆったりと浴槽に浸かったが、運転手氏はこういうのに慣れていないようで、パイプを流れてくる湯をシャワーのようにして、顔や体を洗っているだけだった。
街道には、こうしたチェックポイントが何カ所かある。
訪れる観光客が、きちんと入境証明書を持っているかどうかチェックしているわけである。
もっとも、チェックポイントを通るたびにチェックされるわけではなく、係員の気が向くと、「ちょっとちょっと」と手招きして車を停めるのである。
いってみれば、全件調査ではなくて、サンプル調査のようなものなのかもしれない。
ときには、こんな心細い橋も渡る。
もちろん、橋の上ではすれ違えないから早い者勝ち。向こう側の車が通りすぎるまで、停まって待っていなければならない。
私たちの乗った四駆は悪路を快調に飛ばし、「これなら遅くならないうちにポカラのホテルに着けそうだ」と誰もが思いはじめたそのとき、こんな光景が待っていた。
道の中央でショベルカーがエンコしているわけではなく、通行止めの看板代わりである。
その少し向こうで土砂崩れの復旧工事をしているらしい。
前の工事現場では1時間で開通したので、今回もそのくらいかと思っていたが、いつまで待っても状況に変化がない。
道端には、どこから情報を聞いて、どこからやってきたのか、即席の売店まで開かれる始末。
そして、車はたまる一方である。
結局、このときは開通まで3時間かかった。
開通直前には、まだ目の前のショベルカーが動いていないというのに、バスが割り込んでくるわ、何台もの四駆が道いっぱいに広がってエンジンをふかしているわで大混乱。
だが、不思議だったのは、そんな無法があっても、ネパール人運転手が平然としていることである。
ほかの車も、クラクションを鳴らしているものは皆無だった。
インドやエジプトだったら、いや先進国だって、クラクションと罵詈雑言の嵐になるところだが、いやにネパール人が鷹揚なのには感心した。
道が開通すると、何十台という車が先を争って走るものだから、道は土埃でいっぱい。
かたや崖だというのに、前方が見えないなかを、あらゆる車が猛スピードで山を下っていくのであった。
ポカラに着いたのは夜11時ごろ。最後には、タイヤがパンクするというおまけもついた。
あれだけの悪路を飛ばしたら、パンクもするだろう。
夜のポカラ郊外でスペアタイヤの交換もして、運転手はその日の夜に家に帰るのをようやくあきらめたようだった。
そうでなければ、真っ暗な崖の道を戻っていくつもりだったというから、想像するだに恐い。
休憩と道路封鎖を含めて、しめて16時間の旅であった。
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