ムクティナートの村をぶらぶら
聖地ムクティナートからムクティナートの村までは、1kmぐらいの道のりだろうか。
寺院では雪がぱらついていたが、高度が下がった村のほうは、それほど寒くは感じない。
とはいえ、ポカラで防寒具を買ってこなかったら、10分も我慢できなかっただろう。
ムクティナートの村は、あちこちでホテルの建築中だった。
私たちが泊まったのは、上の写真の立派なホテル。
経営しているのは、同行のネパール人M氏の奥さんの親戚だと初めて知った。
まだ20代後半からせいぜい30代前半と見える地元出身の男性だが、カトマンドゥの大学に進学したインテリで、私よりずっと英語がうまい。
生まれ故郷に戻って旅行者向けのホテルや貸し自転車の経営をしているという。
M氏によれば、彼のおじいさんが日本人なのだそうだが、詳細を聞き損なった。
ジョムソンにもない立派なホテルで、宿泊者がのんびりできるラウンジもあって気が利いている。
「日本製のボイラーはいくらぐらいしますか?」と彼はいう。
聞くと、何日もトレッキングを続けてきた旅行者に、温かい湯を提供できたら、もっと評判になるだろうとのこと。
ちょうど1年前に、わが家のマンション部屋用ボイラーを30万で交換したことを教えたが、ホテルとなるとそんな価格ではすまないだろう。
輸送費も大変に違いないし。
そんなことを話して、日が出ているうちに村をぶらぶら。
これは、凹レンズの原理で熱を集めて料理をする道具らしい。
村のあちこちでホテルの建設が行われていて、あと10年くらいしたらずいぶん変わってしまっていることだろう。
逆に、10年前はもっと素朴な村だったかもしれない。
上の写真は、ホテル ボブ・マーリー。
ムスタンとレゲエはあまり関係ないような気もするが、寺院の参道にいた修行者(らしき人)のスタイルはまさにレゲエだったことを思い出す。
この門が村の入口。ここから村のなかは特別の許可がないと車が入れないが、前に書いたとおり、ホテルのオーナーの威光で私たちは車のまま(といっても、彼の自家用車に乗り換えたのだが)入ることができた。
とうやら、私たちが着く前に村長に連絡して許可とったらしい。
村の外を眺める。ここに駐車場があって、観光客を乗せてきた車はここに停めておくわけだ。
小さな村を端から端まで一往復したところで、村のレストランに入ることにした。
カトマンドゥにあるM氏のレストランで初日に食べたのは、この地に住むタカリ族の料理。
ダルバートには違いないのだが、前の記事に書いたように、米の代わりにそばがきが注文できた。
ところが、ここではちゃんと米が出てきた。田んぼはなさそうなので、車か飛行機で運んでくるのだろう。
そして、妻と私は、一息ついてビールを飲んだ。
うまかった……が、このビールによって翌朝まで高山病の症状で苦しむことになるとは、不覚千万であった。
« 聖地ムクティナート寺院に潜入(下) | トップページ | ムクティナートで高山病の洗礼 »
「南アジアの旅」カテゴリの記事
- ムクティナートで高山病の洗礼(2020.12.22)
- ムクティナートの村をぶらぶら(2020.12.01)
- 聖地ムクティナート寺院に潜入(下)(2020.10.11)
- 聖地ムクティナート寺院に潜入(上)(2020.09.08)
コメント