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著書

  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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2020年12月の2件の記事

2020-12-22

ムクティナートで高山病の洗礼

昼のビールを飲んでいい気分になり、ホテルに戻ったところで、それまでの疲れがどっと出た。
そこで昼寝をしたのがいけなかった。
「高山病を防ぐために昼寝はダメ」とガイドブックにも書かれていたのが、睡魔には勝てなかった。

その後は、1時間ごとにひどい頭痛で目が覚めては深呼吸。
たっぷり酸素を吸うと、頭痛が和らぐので、また寝る。すると、また1時間後……という情けない繰り返しを続けたのである。
それでも、なんとか晩飯を軽く食べて、M氏やホテルのオーナーといろいろと話ができたのだから、それほど重症ではなかったのだろう。

朝のヒマラヤ

なぜ昼寝をするといけないのかというと、呼吸が浅くなるからである。
だったら、夜に寝るのも同じことで、結局、翌朝まで何度も目を覚ましては深呼吸をして、また寝るという繰り返しだった。

ムクティナートにて

たぶん朝は氷点下まで気温が下がったのだろう。頭痛に加えて寒さでも目が覚めた。暖房がほとんど効いていないのだ。
新しいホテルでこうなんだから、ほかの宿はどんなものなのだろうか。

それでも、夜明けのヒマラヤの神々しい情景が目に入ると、頭はすっきり。
寒さに耐えてホテルの屋上に上がって撮ったのが一番上の写真である。

ヒマラヤの段々畑

そして、短い滞在だったが、午前中にムクティナート出発である。
名残惜しいような、早く高山病の頭痛から解放されたいような複雑な思いであった。

この日は、ポカラまで四輪駆動をチャーターして山下りである。
ポカラ~ジョムソンの飛行機は、行きの便はとれたのだが、帰りは満員で確保できなかったのである。

ヤク?ヒツジ?

カトマンドゥの旅行社の社長がぎりぎりまで粘ってくれたのだが、結局席は空かなかった。
「帰りは8時間くらいかかるけれども大丈夫?」
カトマンドゥの出発前にM氏が言ったが、私はむしろ望むところであった。

──せっかく秘境に足を踏み入れるというのに、行きも帰りも30分くらいの飛行機では物足りないではないか。

これがあまりに甘い考えだったことは、このあと数時間でしみじみと味わうことになる。

巡礼のバスとすれ違うd

M氏がこの日チャーターした四輪駆動の運転手は30代なかばといったところだろうか。
寡黙だが運転技術は確実なようである。
「ネットで、一番信用できそうな人を選んだからね」
M氏は自慢げに言った。
M氏が助手席に陣取り、私と妻が後部座席に座った。

ロバに乗る人

まずは、行きにすでに通ったジョムソン空港までの道である。
バスで聖地ムクティナートに向かうバスと何台もすれ違った。
そして、上の写真のようなロバだか馬ともすれ違った。
道路はもちろん舗装されていないので、四六時中ガタガタと上下左右に揺れてロデオ状態である。

──ジョムソンを過ぎれば、道はよくなるだろう。

誤った期待ででこぼこ道を我慢していた私だった。

ジョムソン空港

1時間もかからずにジョムソン着。
ここで、前日に泊まった宿のロビー(というよりテーブルと椅子を置いた空間)で休憩。
空港の滑走路を見ると、この日は風向きが違っていたのか、上の写真のように、前々日とは逆向きに離陸していく様子が見えた。
これはちょっと恐い。
通常の離陸コースだと目の前がだいぶ開けているのだが、このコースでは目の前に山が幾重にもそびえている。
だから、離陸直後にこのように右に急旋回をして、山の間を縫っていかなくてはならないのだ。

──帰りはクルマにしてよかった。

勝手にそう思うことにした私であった。

2020-12-01

ムクティナートの村をぶらぶら

聖地ムクティナートからムクティナートの村までは、1kmぐらいの道のりだろうか。
寺院では雪がぱらついていたが、高度が下がった村のほうは、それほど寒くは感じない。
とはいえ、ポカラで防寒具を買ってこなかったら、10分も我慢できなかっただろう。

真新しいホテル

ムクティナートの村は、あちこちでホテルの建築中だった。
私たちが泊まったのは、上の写真の立派なホテル。
経営しているのは、同行のネパール人M氏の奥さんの親戚だと初めて知った。
まだ20代後半からせいぜい30代前半と見える地元出身の男性だが、カトマンドゥの大学に進学したインテリで、私よりずっと英語がうまい。
生まれ故郷に戻って旅行者向けのホテルや貸し自転車の経営をしているという。

ムクティナート随一の大通り

M氏によれば、彼のおじいさんが日本人なのだそうだが、詳細を聞き損なった。
ジョムソンにもない立派なホテルで、宿泊者がのんびりできるラウンジもあって気が利いている。
「日本製のボイラーはいくらぐらいしますか?」と彼はいう。
聞くと、何日もトレッキングを続けてきた旅行者に、温かい湯を提供できたら、もっと評判になるだろうとのこと。
ちょうど1年前に、わが家のマンション部屋用ボイラーを30万で交換したことを教えたが、ホテルとなるとそんな価格ではすまないだろう。
輸送費も大変に違いないし。

太陽光で料理?

そんなことを話して、日が出ているうちに村をぶらぶら。
これは、凹レンズの原理で熱を集めて料理をする道具らしい。

ホテル ボブ・マーレー

村のあちこちでホテルの建設が行われていて、あと10年くらいしたらずいぶん変わってしまっていることだろう。
逆に、10年前はもっと素朴な村だったかもしれない。

上の写真は、ホテル ボブ・マーリー。
ムスタンとレゲエはあまり関係ないような気もするが、寺院の参道にいた修行者(らしき人)のスタイルはまさにレゲエだったことを思い出す。

村の入口

この門が村の入口。ここから村のなかは特別の許可がないと車が入れないが、前に書いたとおり、ホテルのオーナーの威光で私たちは車のまま(といっても、彼の自家用車に乗り換えたのだが)入ることができた。
とうやら、私たちが着く前に村長に連絡して許可とったらしい。

村の入口あたり

村の外を眺める。ここに駐車場があって、観光客を乗せてきた車はここに停めておくわけだ。

小さな村を端から端まで一往復したところで、村のレストランに入ることにした。

ダルバート

カトマンドゥにあるM氏のレストランで初日に食べたのは、この地に住むタカリ族の料理。
ダルバートには違いないのだが、前の記事に書いたように、米の代わりにそばがきが注文できた。
ところが、ここではちゃんと米が出てきた。田んぼはなさそうなので、車か飛行機で運んでくるのだろう。

そして、妻と私は、一息ついてビールを飲んだ。
うまかった……が、このビールによって翌朝まで高山病の症状で苦しむことになるとは、不覚千万であった。

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