パクタプル30年の定点写真(中心部編)
1989年と2019年のパクタプルの比較の続き。
激変した周辺部にくらべて、町の中心部はそれほど大きく変化しているわけではない。
とはいえ、世界遺産に指定されている遺跡や広場は別として、まわりの建物や道ゆく人びとの格好は、かなり近代化されていた。
まずは、ニャタポーラ寺院の東側に延びる繁華街の比較。
上(1989年)の写真では、インドの偉大な歌姫ラター・マンゲーシュカルによるコンサートの横断幕が見える。
下(2019年)の写真を見ると、沿道はすっかり土産物屋ばかりになっていることがわかる。
賑やかだった道も、ずっと東に進んでいくとだんだんと人通りが少なくなっていった。
ペプシコーラの看板が印象的。まるで西部劇に出てきそうな光景だ。
現在では、ここまで来ても人通りは絶えない。
以前のダッタトラヤ寺院は、内も外も暇そうなおじさんたちが、座り込んでおしゃべりをしていた。
2019年には、そんなおじさんの数は激減して、学生たちやおしゃれな男女が行き交っていた。
王宮のあるダルバート広場の東側。広場の建物のいくつかは地震で崩壊してしまった。
修復工事を待っている様子だったが、どれだけ時間がかかるだろうか。
最後の写真は、ニャタポーラ寺院のあるタウマディ広場に戻る。
右奥にちらりとニャタポーラ寺院が見えている。
中央の建物は、当時から外国人に人気だった喫茶店。看板には、カフェ・ニャタポーラと書かれている。
現在も喫茶店として営業していた。
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