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著書

  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2020-05-15

パクタプル30年の定点写真(町外れ編)

カトマンドゥ中心部を見る限り、30年経っても意外と昔の面影を残していたのは意外だった。確かに郊外には新しいビルが建っていたが、中心部の世界遺産地区とその周辺は変わりようがないのだろう。

驚いたのはバクタプルの町外れである。前回はカトマンドゥから下の写真のトロリーバスに乗ってやってきた。
畑の広がる田舎道をトロリーバスが走るというのも不思議だったが、排気ガスを出さないのは環境にもいいのだろうと感じていた。
ところが、そのトロリーバスは廃止され、パクタプルにはミニバスで行くしかなくなっていた。

まずは、パクタプルのトロリーバス終点の昔(上)と今(下)である。
現在の写真で、壁が鏡面になっているビルあたりにトロリーバスの終点があったと聞いた。
あまりの変わりように呆然とするしかない。

200515a

200515b

そして、トロリーバスの終点から町の中心部を見たのがこれ。
奥のほうに薄く白く見えるのはヒマラヤの峰々である。また、中央やや左にはニャタポーラ寺院の塔がくっきりと見える。

カトマンドゥのレストランの主人で、日本語が堪能なM氏はこのパクタプル出身。
私がこれらの写真を見せると、懐かしそうに眺めながら、こう言った。
「町へ行く道はびっしり家が建って、昔の風景は想像できませんよ」
その言葉がなかったら、本当に場所を間違えたと思っただろう。
現在ではヒマラヤどころか町の中心部も見えなくなっていた。
たとえ建物がなくても、大気汚染でヒマラヤは見えないことだろう。

200515c

200515d

町へ向かう一本道。30年前はフィルムカメラだったので、ご苦労にもカラーポジ用の一眼レフ(ミノルタXD)とモノクロネガ用のセミ判カメラ(フジカGS645)の2台を持っていった。
太陽の光が強いのでカラーポジではコントラストが強すぎて、うまく再現できないが、モノクロフィルムのほうは人の顔までよくわかる。
そこで驚いたのがM氏。下の写真の天秤棒をかついでいる中年男性は、なんと知り合いだったというのだ。
「この人は、トロリーバスの運転手でした。つい最近亡くなりましたよ」
不思議なこともあるものだ。もっとも、当時はそんな人口が多くなかったし、M氏の家はこの町の名士だったそうだから、知り合いが写っていてもおかしくはないだろう。

200515e

200515f

町の入口近くまで歩いて、振り返ったのが次の写真。
中央左の電柱のすぐ右遠くに、小さくトロリーバスが写っている。
それにしても、のどかな風景である。当時は、さえぎるものもなくて、ただ暑かった記憶があるのみだが。
現在の写真では、わずかに山の稜線が見えている。

200515g

200515h

そして、やってきた町の入口の橋。天秤棒をかついだおじさんが、不審そうにこちらを振り返っている。
これも同じ場所とは思えないが、欄干の上に置かれた2体のライオンの像は、確かに昔のままだった!

200515i

200515k

 

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