コインブラの夜
コインブラ(Coimbra)の主要駅には、コインブラB駅とコインブラA駅がある。
リスボンやポルトと結んでいる本線上にあるのは、町外れにあるB駅。町の中心部に行くには、そこからローカル列車に乗ってA駅まで行く必要がある。
B駅とA駅の間は約3km。1区間だけの盲腸線が結んでいる。
あとで知ったのだが、2010年ごろまではA駅から先に路線が延びていたようだ。
Googleストリートビューを見ると、確かに廃線跡が伸びていて駅も残っている。そのまま跡をたどっていきたかったが、1泊2日ではそんな時間はなく、道路上に残るレールを撮ったのみに終わった。
コインブラ訪問の目的は、世界遺産にもなっているコインブラ大学と、コインブラ独自のファドである。
情念の固まりのようなリスボンのファド(みんながみんなそうではないけれど)と違って、コインブラのファドは青春のセンチメントを歌いあげるというのが私の勝手なイメージである。
なにより、歌い手がコインブラ大学の在学生か卒業生の男性に限られているというが興味深い。
下調べをしてみると、コインブラのファドが聴ける場所は限られているようで、そのなかでも夜遅くまでやっている中心部のカフェ・サンタクルス(Café Santa Cruz)に向かうことにした。
金曜日の夜なので、そこそこ人は出ているが、さすがに大学を中心にできた都市だけあって、リスボンのような喧騒はない。
その代わり、中心部の広場ではなぜか東欧風の民族舞踊が行われていて黒山の人だかり。
しかし、踊りはともかく歌い手がひどく下手だった。
それは素人でもわかる下手さ加減で、妻も同意見だから間違いない。
だが、それでも見物人はみな喜んでいるようなのは解せないところである。ほかに娯楽が少ないからなのだろうかと勘繰ってしまうほどの体験であった。
それはそれでいいのだが、目指すカフェ・サンタクルスの入口が、その踊りをやっているすぐ脇にあるのだ。
上の写真で、中央に見えるのがサンタクルス教会で、カフェはその右の建物である。
「こんなうるさくちゃ、ファドのライブは休みかな……」
心配になったが、店の入口には18時からと22時からライブがあるとの貼り紙がしてある。
恐る恐るドアを開けると、カフェの内部はかなり広く、奥の舞台で男性歌手がギタリスト二人を従えて歌っていた。
防音もしっかりしているのか、店に入るとあの下手くそな歌声はほとんど聴こえなくなっていたのは幸いである。
来店が遅くて結局1時間弱しか聴けなかったが、いかにもコインブラ大学卒業生という感じの中年インテリ男性は、透き通った高い声でファドをすがすがしく歌いあげていた。
そして、ここでも客で唯一CDを購入。カフェが製作したオムニバス盤であった。
「私は20年ほど前、演奏旅行で日本に行ったことがありますよ。素晴らしい国民ですね!」
サインをしながら、歌手のアントニオ・ディニスさんは穏やかな微笑みを浮かべて語った。
半分は社交辞令であっても、うれしいものである。
そういえば、上の写真では、舞台の上に椅子が逆さまに吊る下げてあるのが見えるが、その理由を聞きそこなった。
「ダモクレスの剣」のようなものなのか。よくわからない。
さて、目的のコインブラのファドは聴けたが、すでに時刻は11時半。
カフェの飯では寂しいので、まともな晩飯を食べようと町をめぐるのだが、どこも閉店の札が。
最後にたどりついたのが、その名も「ソラール・ド・バカリャウ」(Solar do Bacalhau)という鱈(タラ)が名物らしきレストラン。バカリャウは、ポルトガル語でタラのことである。
団体観光客でも来るのか、かなりの広さの店であった。
もう、一部では片づけはじめていたところを、店長らしき人がにこやかに招き入れてくれた。
料理は十分にうまかった。
名前になっているだけあって、干し鱈の料理はとくによい。
店の片隅には、干し鱈ミニ博物館のようになっていて、ビンテージ干し鱈がぶら下がっていた。最後の写真である。
料理を食べ終わり、ホテルにたどりついたのは夜中の1時ごろ。
フロントは24時間サービスをしているというので、まるで警備員のようなフロントのおじさんにお願いして、エスプレッソコーヒーを入れてもらい、薄暗いロビーで飲む私たちであった。
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