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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2018年7月の3件の記事

2018-07-27

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(2) 木次~出雲横田

木次駅を出ると、乗客は10人以下に減っていた。
車窓はといえば、次の日登(ひのぼり)駅を発車すると、一転して山の中の風景に変わっていく。
私は、空いた先頭の座席に移って、子どものように前方を眺めていたのである。

日登~下久野

トンネルを抜けたと思うとまたトンネル、そして橋、またトンネルの連続。
とうとう我慢できなくて、気に入った風景が前方に出現すると、恥をしのんで立ち上がって前方のガラスにかぶりつき、写真を撮ることにしたのである。

日登~下久野

こんなとき、キハ120のようなワンマン仕様の車両は都合がいい。
運転台が片隅にあるので、運転台のない側に立てば、運転の邪魔になることなく前方の景色が、まるまる見えるのである。

下久野駅

上の写真は下久野駅。
ここから次の出雲八代までは、沿線に家屋もなく、並行する道路もなく、まさに深山幽谷を突っ切っていく。
見渡す限りの緑色の世界であった。

出雲三成駅

そして、そろそろ山の中の風景に飽きてきた12時31分、出雲三成(いずもみなり)駅に到着した。
ここは、上下の列車がすれ違いできる駅で、久しぶりに町らしき町を目にしたという印象である。

1988年の出雲三成駅

出雲三成駅で1988年に列車の窓から撮ったのが、この写真。ほぼ同じアングルのはずである。
上下の急行「ちどり」が交換する場面で、乗っていた広島行きが停車しているところに、松江方面行きの列車が入ってきたところ。向こう側のホームには、タブレットを持った駅長か助役が立っている。

いかにも味わいのある国鉄駅だったが、現在ではその上の写真のようにホームも短くなり、やけにさっぱりしてしまった印象である。

亀嵩駅

出雲三成駅の次が、この亀嵩(かめだけ)駅。
松本清張の小説『砂の器』では、重要な舞台となる駅だ。
私は、丹波哲郎、加藤剛、緒方拳、森田健作らが出演した映画を見ただけだが、やはり亀嵩駅は深く印象に残っている。

亀嵩駅では、ベレー帽をかぶった中年の男性が下車していった。
地元の人なのか、それとも『砂の器』の聖地めぐりをしている人なのか。
さきほどの日登駅では、60代くらいの夫婦が、地元の知り合いらしき人に出迎えられて降りている。
残りは5人ほどになった。

亀嵩~出雲横田

いったん人里に降りてきたと思われた線路だが、亀嵩駅を出ると再び深山幽谷となった。
しかも、線路の正面に山が立ちふさがり、その下をトンネルで抜けるという風景が何回か続いた。

そして、不思議なことに、トンネルの入口付近には、この写真のように白い煙のようなものが充満しているのである。
温かい水でも湧いているのか、あるいは木々のフィトンチッドが低い場所にたまっているのか。
いずれにしても、トンネルの入口だけに充満しているのが不思議だった。
周囲の景色もおどろおどろしく、妖怪の仕業のようにも思えてきた。

出雲横田駅

そして、12時51分に出雲横田駅に到着。
ここはかなり規模の大きな町であり、駅も立派である。

2018-07-23

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(1) 宍道~木次

前日は芸備線を全線乗車して松江で1泊。旧友とも再会して、翌5月29日は木次線全線乗車である。

10時40分松江発の特急「やくも」に乗り、木次線の始発駅である宍道駅に到着。
新幹線も在来線特急も乗れるJR西日本の「おとなびパス」だから、近距離でも特急を使わねばもったいないという貧乏性である。

宍道駅

さて、宍道駅のホームは木の柱に山型の屋根という、昔ながらの趣のあるホームを持つ駅だった。
木次線自体は、ちょうど30年前の1988年に乗ったのだが、松江発の直通急行だったので、宍道駅をじっくり見るのははじめてである。
11時18分発の備後落合行きの発車まで20分ほど、なめるように駅の撮影をした。

宍道駅

しばらくして入線してきた木次線の列車は、前日に乗った芸備線の閑散区間と同じキハ120。
違う点は、2両編成であったこと。1両でも十分な乗客と思われるのだが、それでも十数人の乗客が降りてきた。
もっとも、地元の利用者はそのうちの2、3人と思われ、それ以外の人は、いかにも「おとなびパス」でやってきたという中高年の単独客やグループである。

2両編成のまま折り返すのだが、2両目は締め切られ、1両目にしか乗せてもらえない。その理由はあとでわかる。
もっとも、全部で十数人の乗客だから、それでもまったく問題はない。

木次線の車内

木次駅を発車してしばらくは狭い道路と並行して走るのだが、驚いたのは10分もすると雑木林というか、まるで森の中を進んでいくことである。

全国有数の山岳路線ということは知っていたが、山陰本線と分かれたとたんに山中に分け入っていくとは思わなかった。
もっとも、それも2つ目の加茂中駅あたりまでで、ここからはしばらく盆地を縫って走るイメージである。

木次駅到着

木次までは沿線に住宅も多く、かつては地元の人たちがよく利用していたのだろうと想像がつく。
今でも、朝夕には中高生の利用はあるのだろう。

木次駅2番線に11時53分に到着。反対側の1番線ホームには宍道行きの列車が待っていた。
この駅で数人の乗客が降りていった。

1988年の木次駅

上の写真は、1988年に乗った急行「ちどり」の窓から撮った木次駅。
駅のホームには「出雲そば」の看板を掲げたスタンドそば屋が見える。

このとき停まったのは、2番線とは島式ホームの反対側にある3番線なのだろう。
写真のホームの右側の乗り場が2番線のはずである。
現在、3番線はすでに使われていないそうなので、同じアングルからの写真は撮れなかった。
もちろん、そば屋はすでにない。

木次駅

さて、興味深いのがこの木次駅の駅名票。「木♡」と書いて「きすき」と読ませている。
閑散線に似合わない遊び心と思ったが、よく考えると週末には観光列車も走っているのだったっけ。
そうそう、現在の木次線は超ローカル線というイメージではあったが、宍道~木次は1日に10往復ほど走っている。

2018-07-17

趣深い松江の街並み

例によって、仕事に追われて5月末の中国地方の旅のアップが進まないうちに、7月6日から9日にかけて、記録的な豪雨とそれにともなう災害「平成30年7月豪雨」が起きてしまいました。
前回まで紹介した芸備線も全線ストップして、復旧まで何カ月もかかりそうとのこと。
1日も早い復旧を望むとともに、相変わらずこの記事も牛歩で進めていきます。

新大橋からの大橋川の眺め

さて、新見からは伯備線の特急「やくも」に乗車。
米子に泊まるか松江に泊まるか迷ったのだが、池袋のベルギービール屋で知り合った知人が故郷の松江に帰っていることを思い出し、その日の午後に松江のホテルを予約しておいた。

昨年故郷に帰った知人は、すでに町の飲み屋で知られた存在になっているようで、郷土料理のおいしい「やまいち」と宍道湖が見渡せる素敵なバー「プエンテ」(カフェ・プエンテ)に連れていってくれた。

東本町の街並み 米田酒造

松江の町は、1979年、1988年に続いて3度めの訪問である。
印象に残ったのは、町のすぐそば……というより、町のまんなかに雄大な宍道湖があること。
湖の水は大橋川となって町の中央を横切っていく。

大橋川沿いの家並み

前回は、あまりゆっくりと町歩きする時間がなかったのだが、今回改めて見てみると、大橋川の北側にある東本町の通りには、実に趣のある家々が並んでいる。

大橋川沿いの家並み

「豊の秋」で知られる造り酒屋の米田酒造のような豪壮で風格ある建物がいいのはもちろんだが、昔の木造家屋を補強して飲み屋にしている雰囲気も悪くない。
そして、川沿いには昭和モダニズムともいえる味わい深い建物も見ることができた。

松江大橋と宍道湖


結局、今回も夕方に着いて翌朝に発つという急ぎ足になってしまったが、次回こそは端から端まで、この町を味わいつくしたい。

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