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2018年6月の6件の記事

2018-06-26

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(4) 備後落合~新見

備後落合駅の中を15分ほどぶらぶらしたのち、14時37分発の芸備線の新見行き列車に乗車。
厳密にいうと、備中神代までは芸備線で、そこから新見までの最後の2駅間は伯備線である。

備後落合から途中の東城までは、なんと1日に3往復しかない。これを逃すと次は6時間後の最終列車。一方、これの前は、8時間前に出る6時台の一番列車である。

備後落合駅

広島からやってきたおばちゃんのグループは木次線に乗り換えた。
逆に、木次線から乗ってきた男性が3、4人、同じ列車に乗り込んできた。
みんな、私と同じく、わざわざこの線に乗りにきましたという人ばかりのようだ。

内名駅

途中駅の付近には集落があるのだが、乗降客はない。

車窓で印象に残ったのは、備後八幡と東城の美しい渓谷である。
最後尾の窓ガラスに張りついて、スマホの動画で撮ってみた。

東城からは本数が2倍に増える……といっても1日6往復。
そして、東城と次の野馳(のち)の間で県境を越えて、広島県から岡山県に入る。
すると、車窓はそれまでとは変わって、開けた盆地を縫って走るようになった。

布原駅

終点の新見駅の1つ手前が、この布原駅。
1970年代の蒸気機関車ブームの際に、D51の三重連で有名だった場所である。
当時は布原信号場だったここを発車すると、トンネルまでの急勾配を、すさまじい迫力で力行した、らしい。
らしい、というのは、残念ながら私は訪れることがなかったからだ。
高校生のときまではあったような気がするが、あまりにも有名になってしまって、へそ曲がりに私は、無理をしてまで来ようとは思わなかったのである。
思い返すと少し惜しい。

新見駅

今では、秘境駅としてのほうが有名になった布原駅は、伯備線の駅でありながら、芸備線直通の列車しか停まらない。つまり、1日6往復しか停車しないわけである。
新見までの道路は、狭い山道しかないようで、この駅を訪問するにはしっかり予定を立てる必要があるだろう。

なんて考えているうちに、列車は定刻の16時に新見に到着。
これで、所要約1時間半の普通列車を、1日3本乗り継いだことになる。
だが、まだこれで終わりではないのだ。

2018-06-21

『日本懐かし駅舎大全』刊行

ここでちょっとコマーシャル(古いフレーズ!)
5月に、こんな本を出しました。
その名も『日本懐かし駅舎大全』! タツミムック「懐かし大全シリーズ」の1冊です。

70年代、80年代の駅の懐かしい写真を紹介しています。
単なる駅舎やホームの写真を集めた本ではなく、駅を行き交う人びと、駅で働く駅員、懐かしい列車・車両、売店などなど、当時の雰囲気や空気感が伝わる写真を紹介しています。
前回のブログ記事で紹介した備後落合駅も出てきます。

日本懐かし駅舎大全
日本懐かし駅舎大全

最初は写真を何枚か提供してキャプションを書くのかなと思って引き受けたところ、なんと著者となって本文もすべて書くことになりました。
写真はなるべくカラーということなので、私の写真だけでは足らずに、4分の1ほどはほかの方の写真を使っています。

そうして、巻末には対談が!
対談の相手は、20年来の知人である「鉄道フォーラム」の伊藤博康代表。
昔の駅の思い出を語り合っているほか、お互いの好きな駅ベスト5を、現役の駅のなかから選んでいます。
そこで備後落合駅を紹介した手前、久しぶりに訪ねてみようと思ったわけです。

昔を懐かしみたい中高年の方々、元気だったころの鉄道の姿を知りたいという若い方々におすすめしたい1冊です!

2018-06-20

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(3) 備後落合駅

三次から1時間20分、森と渓谷を抜けて、備後落合駅に到着。
1988年に急行「ちどり」に乗ったままで見て以来、30年ぶりの訪問である。
いや、あのときはホームに降りて駅のおでんうどんを食べたっけ。

 

写真の左側が、これまで乗ってきた三次からの列車。
右側が、これから乗る新見行きである。乗り換えになるが、やはり芸備線である。
発車まで10分ほどあるので、駅舎の写真を撮ったり、周辺をぶらぶらしてみた。

 

備後落合駅

 

30年前に乗った急行「ちどり」は、米子発木次線経由広島行きだった。
夜行の連続で頭がぼーっとしていたので、あまり記憶はないのだが、いやというほど森や林の中を走り続けたあとで、山の中に思いのほか大きな駅があって印象的であった。

 

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だが、それから30年の月日がたち、駅はすでに無人になっており、ホームにあった売店兼そば屋も姿を消した。
例によって、30年前に撮ったのと同じアングルで撮影してみた。

 

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やけにすっきりしてしまったのが寂しい。

 

ちなみに、この駅の名物だった環翠楼の「おでんうどん」は、近くのドライブインで今も食べることができるらしい。
現在、この駅を発着する列車は、芸備線三次方面5本、新見方面3本、木次線3本のみ。
30年前は、現在の3倍ほどの本数があった。さらにさかのぼると、何本もの急行が走り、貨物列車もあり、蒸気機関車のための機関区もあったのだ。町は鉄道関係の人でにぎわっていたとか。
それが今では、まるで秘境駅である。

 

次の写真は、30年前に乗った急行「ちどり」。
その下の写真は、同じアングルからの写真を撮りそこねてしまったが、似たような方向である。

 

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遠くに停まっているのは木次線の列車。
ちょうど、14時20分過ぎになると、3方向からの列車が集まり、そして接続して次々に発車していくのだ。
もっとも、地元の人でこの路線を使う人は、ほとんどゼロに近く、鉄道マニアかマニアックな観光客だけである。

2018-06-15

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(2) 三次~備後落合

同じ芸備線ではあるが、三次駅で乗り換え。
三次駅は、このようにディーゼルカーだらけという印象。
ここからは、かなり閑散区間となり、キハ120が単行で走る。

三次駅

塩町までは福山に向かう福塩線と共用になるので、1日に14往復もあるが、そこを過ぎると備後庄原までが8往復、備後落合までは6往復である。

塩町駅

塩町は福塩線の終点だから、そこそこ大きな駅だと思っていたら大間違い。田舎の小駅だった。
30年以上前にここで乗り換えたはずなのだが、すっかり記憶から抜け落ちていた。
現在、福塩線の塩町折り返しの列車はなく、すべて三次へ直通である。そもそも、数は少ないが。

備後庄原~高駅

三次~備後落合の間でもっとも大きな町は備後庄原駅周辺。
その備後庄原駅を過ぎると、もうすべて山の中。ヒバゴンが出てきそうな比婆山の中を進んでいく。
こんな山の中ではあるが、一応庄原市なのだそうだ。

芸備線キハ120の車内

それにしても、キハ120は本当に経済性第一の車両なのだろう。お世辞にも乗り心地がいいとはいえない。
ボックスシートが1両に4つあったほかは、すべてロングシート。これで2時間近く乗っているのはつらい。
しかも、空いたからと思ってボックスシートに座ってみたら、なんとも座り心地が悪くてくつろげなかった。

比婆山~備後落合駅

さて、この写真は比婆山と備後落合の間。
川を渡っているのではなく、線路が川に張り出している箇所である。
ガードレールもなく、ちょっと恐い。
同乗していたおばさんの団体は、スリル満点の風景に大声をあげて喜んでいた。

備後落合駅付近

そして、いい加減、山の中を走るのに飽きたころ、となりに別の線路が寄り添ってくる。木次線である。
三次から1時間20分。広島からだと約3時間。まもなく、山の中のジャンクション備後落合駅に到着だ。

2018-06-09

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(1) 広島~三次

5月末から6月初めにかけて、久しぶりに中国山地のローカル線に乗る機会を得た。
まずは30年ぶりに乗った芸備線。広島と新見を結ぶ路線だが、すでに全線を直通する列車はなく、3列車に分けて乗車することになった。

最初の列車は、広島駅を11時5分に発車する三次行きである。
しばらく来ないうちに、見違えるようにすっきりしてしまった広島駅に、キハ40系の3両編成がエンジンを響かせて入線してきた。

広島駅

ところで、最近は鉄道の本などを出すようになったものだから、「フタムラさんは、ノリテツなんですかトリテツなんですか」と聞かれることが多い。

そういわれても、適当に乗ったり撮ったりしているわけで、どちらかに肩入れしているわけではない。
ところが、どちらかに分類しないと納得してくれない人が多いようなので、「まあ、乗るのが好きかなあ。車を持っていないから、わざわざ山奥の有名撮影地まで行くこともないし。でも、駅ではバチバチとっていますよ」などどいってお茶を濁している。

上深川(かみみかわ)駅

ただ、いわゆる撮り鉄と呼ばれる人たちは、大きくて重いフルサイズのデジタル一眼レフを持って人が多いようなので、私のようにミラーレスとコンパクトしか持っていない人間は、その範疇には入れてもらえないようである。

上三田駅

とはいえ、大きなカメラでは撮れない写真もある。その一つが、2015年のシベリア鉄道横断で目覚めた車窓の風景写真である。
これは、駅舎やホーム、沿線の雰囲気を、見た印象のまま画像に残そうという試みで(と偉そうにいうほどユニークなものでもないが)、これには機動性の高い小ぶりのカメラがふさわしい。
そんなわけで、今回のローカル線乗り歩きも、車窓風景をメインにして撮ってみたわけだ。

井原市(いばらいち)駅

と、能書きが長くなってしまったが、今回取り上げたのは、芸備線のうちで乗客の多い区間である。
それでも、広島を発車してたいして時間もたたないうちに、車窓には田園風景が広がってくる。

険しい四国山地とは対照的に、比較的穏やかな山並みが続くのは中国山地らしい風景である。

三次駅

山ふところに抱かれた盆地の集落が、次々に現れては消えていく。
そして、ローカル色豊かな駅に停まるたびに、少しずつ乗客が降りていく。
そんなことを繰り返していくうちに、12時51分の定刻に三次駅に到着した。

2018-06-05

郡山の駅前2丁目から大町1丁目

以前から、撮ったままにしていた郡山駅前の写真である。
いわきからの仕事の帰り道、磐越東線を経由してやってきた。

郡山駅西口駅前

私が幼かったころ、東京墨田区にある母の実家に遊びにいくと、郡山の大おばさん(祖母の姉)とときどき顔を合わせたものだった。
母方の先祖は現・田村市船引の奥にあり、大おばさんは結婚して郡山市内に住んでいたのである。

そのころは、いったい郡山という町はどんな遠いところにあるんだろうと思いながら、福島弁の大おばさんの話を聞きながら、お土産の薄皮まんじゅうをほおばっていたものだった。

郡山駅西口駅前

自分で旅行をするようになっても、郡山はまだまだ遠い土地だった。
福島市よりは近いかなという程度の印象である。

それが、東北新幹線が開通してみると、なんと上野から1時間半。都内でうろうろしているうちに経ってしまうくらいの時間である。
年をとった大おばさんではあったが、一時東京に来る頻度も高くなったようだった。

郡山駅西口駅前

とはいえ、私はなかなか郡山で下車する機会もなく、あったとしても三春に滝桜を見にいった帰りに駅で乗り換える程度。
ようやく、まともに駅を降りて町を散歩する機会を得たのは、恥ずかしながら2016年になってからのことである。

郡山駅西口駅前

すでに駅の周辺はすっかり近代化されていて、昔を偲ぶよすがもなかったのが、唯一、昭和を思わせる商店がつ伝ていたのが、西口を降りて大町に向かう界隈である。

……続いていたといっても、櫛の歯が抜けたように、あちこちに更地がある。
ここにも、再開発の波が迫っているのかもしれない。

郡山駅西口駅前

2016年から2018年の春にかけて、3回ほど郡山で降りる機会を得たが、今のところ大きな変化はないようである。
それにしても、大おばさんが生きていたころの郡山はどんな様子だったのだろうか。一度見てみたかった。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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