中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(3) 備後落合駅
三次から1時間20分、森と渓谷を抜けて、備後落合駅に到着。
1988年に急行「ちどり」に乗ったままで見て以来、30年ぶりの訪問である。
いや、あのときはホームに降りて駅のおでんうどんを食べたっけ。
写真の左側が、これまで乗ってきた三次からの列車。
右側が、これから乗る新見行きである。乗り換えになるが、やはり芸備線である。
発車まで10分ほどあるので、駅舎の写真を撮ったり、周辺をぶらぶらしてみた。
30年前に乗った急行「ちどり」は、米子発木次線経由広島行きだった。
夜行の連続で頭がぼーっとしていたので、あまり記憶はないのだが、いやというほど森や林の中を走り続けたあとで、山の中に思いのほか大きな駅があって印象的であった。
だが、それから30年の月日がたち、駅はすでに無人になっており、ホームにあった売店兼そば屋も姿を消した。
例によって、30年前に撮ったのと同じアングルで撮影してみた。
やけにすっきりしてしまったのが寂しい。
ちなみに、この駅の名物だった環翠楼の「おでんうどん」は、近くのドライブインで今も食べることができるらしい。
現在、この駅を発着する列車は、芸備線三次方面5本、新見方面3本、木次線3本のみ。
30年前は、現在の3倍ほどの本数があった。さらにさかのぼると、何本もの急行が走り、貨物列車もあり、蒸気機関車のための機関区もあったのだ。町は鉄道関係の人でにぎわっていたとか。
それが今では、まるで秘境駅である。
次の写真は、30年前に乗った急行「ちどり」。
その下の写真は、同じアングルからの写真を撮りそこねてしまったが、似たような方向である。
遠くに停まっているのは木次線の列車。
ちょうど、14時20分過ぎになると、3方向からの列車が集まり、そして接続して次々に発車していくのだ。
もっとも、地元の人でこの路線を使う人は、ほとんどゼロに近く、鉄道マニアかマニアックな観光客だけである。
« 中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(2) 三次~備後落合 | トップページ | 『日本懐かし駅舎大全』刊行 »
「ニッポンぶらぶら歩き(東京、沖縄以外)」カテゴリの記事
- 高島屋史料館の「ジャッカ・ドフニ」展とゲンダーヌさんの思い出(2024.08.24)
- 夕刻に訪れた伊予長浜 瑞龍寺(2023.08.27)
- 予讃線(海線)に乗って伊予長浜へ(2023.08.14)
- 豪壮な家並みが残る内子の町(2023.08.08)
- 松山市内で乗り物三昧とぶらぶら散歩(2023.08.03)
「鉄道、乗り物」カテゴリの記事
- 夕暮れのロッサーノ・カラブロ(2024.08.26)
- 800体のしゃれこうべが眠る平和な保養地オートラント(2024.05.12)
- 尖塔そびえる静かな田舎町ソレート(2024.04.30)
- 陽光ふりそそぐガッリーポリ(2024.04.29)
- 明るく近代的に変身したバーリ駅(2024.02.13)
untipogiappneseさん、はじめまして!
連休中は、まともに電波の届かないような僻地にいたので、お返事が遅くなってすみません。
そう、「ちどり」ですよね。5枚目の写真にちゃんと写っているのに……。
お恥ずかしい間違いで失礼しました。ご指摘ありがとうございます。のちほど修正しておきます。
夜行「ちどり」にお乗りになったとは、貴重な体験ですね。
周遊券での旅でしょうか。
夜行3連泊は体力の限界ですね。現在では頼まれてもやりたくないですが、私も若いときは節約のためにやったものです。
投稿: 駄菓子 | 2019-05-09 19:18
はじめまして。
定点撮影を中心に興味深く拝見しております。(ファドを聴きながら)
当時の木次線の急行の名称は、「ちどり」ではないでしょうか。
昭和54年3月、中学生時分に夜行「ちどり」で宍道から広島まで乗った記憶があります。
「富士」-「かいもん(座席)」-「ちどり」と3夜連続夜行でしたので、席にあぶれては大変と指定券をとって乗りましたが、ガラガラの車内でした。
投稿: untipogiappnese | 2019-05-02 14:04
少なくとも、私が乗った平日の午後の列車には、学生(というか地元の人)はゼロでした。それでも、三次~備後落合は6往復走っているので、通学生がいるかもしれません。
一方、木次線と芸備線新見方面は1日3往復しかなく、しかも早朝と昼過ぎと夜なので果たして通学に使えるのかどうか。
投稿: 駄菓子 | 2018-06-26 06:11
ローカル線の乗客と言えば、通学の高校生が主役という印象ですが、この路線は彼らもいないのでしょうか?
投稿: nebbiolo | 2018-06-26 01:49