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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2017-07-14

インドネシアの古都ソロのカオスな表通り

ソロの宿泊は、ジャワ文化が満喫できるというロイヤル・スラカルタ・ヘリテージ・ソロというホテルを予約しておいた。名前からして豪勢なホテルだが、事実、名前負けしない見事なものだった。
部屋はそれなりだが、歴史ある古いホテルなのでしかたがない。

内装をいちいちお見せしていたらきりがないので、ホテルの入口付近からフロントを見たところを1枚。スタッフも訓練が行き届いていて、これで1泊6000円弱だからお値打ちである。

歴史的なホテル

1泊しかしないので、そそくさと部屋を出て町歩きへ。ホテル前がちょうど町の中心部である。

ジャワの古都というから優雅な雰囲気の町を思い浮かべていたが、大通りの車とバイクの洪水は、まさにカオス!
頭のてっぺんに赤道近くの真昼の日射しを受けていることも相まって、私の頭はくらくらしてきた。

交差点で客待ちをするペチャ

しかも、片側3車線もあろうかという広い道なのに横断歩道がない。
ひっきりなしに通る車の隙を狙い、ドライバーの目をしっかと見据えながら向こう側に渡らなくてはならないのである。

屋台が並ぶ通り

メインルートを外れると、両側に簡易な食堂や屋台が軒を連ねる庶民的な道となった。
写真でわかるように、道路にはレールが敷かれている。
「はて、路面電車の廃線跡か」と思ったのだが、その正体は翌日にわかる。

簡易な食堂が並ぶ

ごみごみした露店街の背後には城砦が広がっていた。門が空いていたので入ってみると、なんと城砦の内側の更地でコンサートの準備をしているではないか。

近寄ってよくみると、土曜日であるこの日の夜に、ガムランの演奏会が開かれるようである。さすが古都ソロである。
バックのビジョンには、たぶん名演奏家なのだろう、顔が大写しになっていた。

ガムラン音楽祭準備中

大通りに戻ってぶらぶらしていたら、いろいろなものを見つけた。
下の写真はバス停である。歩道を嵩上げして乗り場としている。
なるほど、これなら段差なしで乗ることができる。バスを低床化するのではなく、こういう方法もあるのかと思った。東京の都電方式である。

大通りのバス停

次の写真は、ご想像がつくだろうが花輪屋である。右の花輪は、結婚式のものらしく、新郎新婦の名前と披露宴会場のホテルの名前が記されていた。

ベニヤ板に飾りつけをしているのかと思ったら、なんと段ボールであった。
だから、このようにペチャ(三輪の人力車)で運ぶことができるわけだ。

花輪づくりの店

最後の写真は銀行の看板。
この国の共通語であるインドネシア語はラテン文字なのだが、この看板の上側にはジャワ語が書かれている。
王家があり、伝統文化の栄えたジャワ島で話されてきたジャワ語(今も話されている)は、日本語以上に敬語表現が発達していて難しいという。
文字は南インド由来らしく、確かにタミール文字に似ている。

ジャワ文字の看板

意味がわかるかどうかはともかく、読めない……というか発音できない文字が世の中にあるのは悔しいものである。
そう思って、これまでアラビア文字、ギリシャ文字、キリル文字、ハングルは、なんとかそれらしく発音だけはできるようになったが、インド、東南アジア系はまだまだ。
アルメニア文字やエチオピアのアムハラ文字も知りたいが、日々の塵労に追われて時間がとれないのが残念である。

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