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2017年6月の4件の記事

2017-06-22

ジャワ島横断 鉄道の旅2 スラバヤ~ソロ

スラバヤから乗った「ランガージャーティー号」でも、やはり一番高いエグゼクティブクラスを購入した。
「日本円にすればたいした違いがないから、一番高いのにすれば間違いないですよ」というのはラジャアンパット在住の知人の話である。

エクセクティフクラスの車両

さて、この列車の始発駅スラバヤと終点のチルボンは、どちらもジャワ島の北海岸にある都市だが、この列車は海岸沿いを走るわけではない。
ジャワ島中央部を東から西に斜めに南下して、中央部にある古都ジョグジャカルタを経由すると、今度は北上してチルボンに向かうという遠回りのルートをとるのである。

スラバヤ~ソロの車窓

島の中央部を通るというので、さぞかし山また山の車窓が見られるかと思ったら、意外にもずっと平坦であった。
ちょっと拍子抜けしたが、車窓の田園風景には心が休らぐ。

スラバヤ~ソロの車窓

発車してしばらくすると、車内販売がまわってきた。
バニュワンギ~スラバヤでの食いはぐれ事件かあったので、1回目の巡回で弁当を確保しようと、まさに販売員に声をかけようとしたところで、妻から「待った」がかかった。

朝食をしこたま食べたので、たぶん昼になってもお腹が空かないだろうという。
確かに、スラバヤの新しいホテルはバイキング方式のメニューがどれも美味だったので、朝っぱらから満腹になっていたのであった。

車内の巡回サービス

今度の車内販売のお姉さんは、写真のように髪をすっぽりと覆ったヘジャブ風の制服(制帽?)をつけている。
せっかくだから、コーヒーを注文した。インドネシアでコーヒーを頼むと、「カプチーノ? ブラックコーヒー?」と聞かれる。

ブラックコーヒーというから砂糖なしなのかと思うと、そうではなくてミルクコーヒーでないやつは全部ブラックコーヒー(コピ・ヒタム)と呼ぶようだ。

スラバヤ~ソロの車窓

あとはコーヒーを飲みながらのんびりと車窓を楽しむだけなのだが、この列車の窓ガラスは汚れていて(あるいは傷だらけで)、残念ながら撮影欲はあまり刺激されなかった。
といいながら、それでも何枚か撮ったのが今回の車窓写真である。

ソロ・バラパン駅

この日の宿泊地は、ジョグジャカルタの手前にあるソロという町。
ソロ出身の音楽家グサンによるクロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」は、この町を流れるソロ川を歌ったものだ。

ソロ・バラパン駅

ガイドブックによれば、ジョグジャカルタを京都とすれば、ソロは奈良に当たるという。
「ソロは落ち着いたいい町ですよ!」
ラジャアンパットの知人のすすめもあって、ジャカルタでの宿泊を省略してソロに泊まることにした私たちである。

彼のアドバイスの前半は必ずしも正しくはなかったが、後半は間違いではなかった。
いや、彼が何年も前に訪れたときは、もっと車もオートバイもなくて落ち着いた町だったに違いない。

ソロ・バラパン駅

ちなみに、ソロの現在の正式名称はスラカルタだそうだが、今でも旧称で親しまれているようだ。
ソロの中央駅にあたるソロ・バラパン駅には、定刻の13時25分に到着した。

2017-06-17

インドネシアで鉄道の切符を手に入れるまで

インドネシアでは、鉄道の切符を買うまでが一苦労だった。
一番簡単なのは、出発直前に駅の窓口で買う方法だが、スラバヤのような大きな駅だと、窓口に長~い行列ができていて、切符を手に入れるまで1時間もかかることが珍しくないという。

それでは困るので、事前に予約することになるのだが、そこにもまた問題が。
事前予約の方法はいくつかある。
1. ネットの予約サイトを利用する。
2. 駅の切符予約機を利用する。
3. コンビニの情報端末を利用する。
4. 旅行代理店を利用する。

スラバヤ駅の窓口の行列

まず、日本国内で1を試してみた。
だが、インドネシア国鉄のサイトではすべてインドネシア語表示だったので断念。
次に、ガイドブックやネットでも紹介されているTiket.comというサイトにアクセス。英語もあるので無事に列車も決めて、さあクレジットカードで支払い……という段になって受け付けてくれない。
何度やってもだめなのだ。

いろいろと調べてみると、どうやら最近になってインドネシア国内で発行されたクレジットカードでなくてはだめになったようだ。同じVisaカードでもインドネシア国外発行のものは使えない。

この時点で、最初のバニュワンギ~スラバヤだけは、ラジャアンパットの知人にお願いして予約しておいてもらった。

駅の切符予約機

そして、スラバヤ以降の切符を買おうと思って、バニュワンギ市内のコンビニの情報端末を使ってみたのだが、なぜかここも最後の最後で受け付けてくれなかった。
やむなく、スラバヤ駅に着いてすぐインフォメーション窓口で予約をお願いしようと思ったら、セルフサービスの切符予約機を使えという。
そうしてたどりついたのが、上の写真の予約機である。

ちなみに、インドネシアの長距離列車の切符は実名制だ。これは、ダフ屋を排除するための措置なのだという。
おかげで、パスポート番号(インドネシア人ならばIDカード番号)やら携帯電話番号も入力しなければならない。

ところがである。パスポート番号を入れようとしても、冒頭のアルファベットを受け付けてくれないのだ。
──これは困ったぞ。
インドネシア人のIDカードは数字だけだからいいが、日本のパスポートはアルファベットではじまるのだ。

──どうすりゃいいんだ!
と、困り果てたところで、ピンとひらめいた。
──そうか、ダフ屋を防ぐための制度なんだから、本人だとわかればいいだけのこと。どうせ改札では写真入りのパスポートを見せんだし、ここでは数字の部分だけ入力すれば十分だろう。

駅のチェックイン機

セキュリティが目的の空港での厳密なチェックとは違うのだから、確かにその程度でいいのだった。
しかも、このときは私の後ろに何人もの人が並んでいて、あせって名前の「Takashi」を「Taashi」と入力したことをあとで気づいた。でも、何も問題はなかった。

予約機の横には、写真のように係員がたいていついているので、困ったときには英語で相談できる。
それでも、クレジットカードが使えないのは参った。
2人で何十万ルピア(実は何千円)という金額のために、5万ルピア紙幣を延々と投入しなければならなかったのである。
(しかもお釣りが出てこないので、ある程度細かい紙幣も持っていないともったいない)

スラバヤ駅の時刻表

すべて受け付けられると、最後にぬるぬると長いレシートが出てきた。
それが予約票である。
(この予約票だけでは乗れないので要注意)

当日になって、駅のチェックイン機(3枚目の写真)に、セルフサービスで予約票のQRコードをかざすか、印刷されている予約番号を入力することで、晴れて乗車券が印刷されてくるのである。
これを持って、パスポートとともに改札の係員に提示すればいい。

コンピニの端末で「i-tiket」を選べば、同じように予約票が購入できる。
やはり、パスポート番号のアルファベットを入れないのがコツということもわかった。
画面はインドネシア語しか出てこないが、インドネシアの若いコンビニ店員さんはみな親切なので、手伝ってくれるはずだ。
コンビニならばクレジットカードも使える。

ここに書くと、まずまずスムーズに進んだように見えるが、あっちに聞いたりこっちに聞いたり、ああしたりこうしたり、いやはや大変な試行錯誤の連続だったのである。

待合室のライブ音楽

スラバヤ駅は大混雑かもしれないからと、発車時刻である9時15分の1時間も前に駅に着いたものの、チェックインも改札も拍子抜けするほどスムーズ。
あとは待合室で延々と時間を過ごすこととなった。

上の写真は、改札内の待合室で朝っぱらからやっていた、キーボードのライブ演奏。
ヘジャブをかぶった白装束の女性が奏でる音楽ということ、何やら宗教っぽい音楽かと思うかもしれないが、日本のニューミュージックのような軽やかなメロディに、明るく張りのある声で歌っていた。

無料足マッサージ機

この写真は、改札外の待合室に設置されていた足マッサージ機!
なんと無料で使える。
おばさんたちが気持ちよさそうに居眠りをしていた。

そして、発車時刻が近づくと案内放送があって、三々五々ホームへと歩きだす。
まあ、全車指定なので、あせって急ぐ人もいない。

待合室からホームへ

通路のかたわらには、乗り場と列車名が記されたボードが置かれていた。
乗るのは5番線の「ランガージャーティー号」。スラバヤ発ジョグジャカルタ経由チルボン行きである。
この列車に乗って、古都のソロまで4時間あまりの旅が始まる。

2017-06-09

スラバヤでの怒濤の一夜

スラバヤの中央駅であるスラバヤ・グベン駅は、東側がローカル線、西側が長距離優等列車が発着するホームになっている。
ガイドブックによると、インドネシア国鉄では、大きくて重い荷物をもった乗客がスリや置き引きにあわないように、停車駅や出口を分けて保護してくれているのだそうだ。
その配慮はありがたいが、おかげでクラシックな駅舎の東口を撮影する時間がなくなってしまったのは残念である。

スラバヤのホテルからの眺め

スラバヤについたのはもう夕方。東口からホテルまでは、荷物がなければ歩いていける距離だが、西口からだと大回りになるのでタクシーに乗って、できたばかりの近代的なホテルにたどり着いた。

翌日は朝9時15分の列車に乗らなくてはならないので、町をゆっくり見物する時間がないのがこれまた残念である。
それでも、ネットでおいしいという評判の鶏肉料理店を目指し、都心ではない方角に向かって夜のスラバヤに繰り出した。

夜のメインストリート

大通りは、車とバイクが途切れることなく走り抜け、その音と排気ガスでくらくらしてくる。
「脇道を通って行こう。ちょっとした商店街があるようだし」
私の提案にしたがって脇道に入ってしばらく歩いたところで、一天にわかにかき曇り、音を立てて大粒の雨が降ってきた。

「しまった~! 油断して傘を持ってこなかった……」
だが、後の祭り、先のフェスタである。
たまたま大きな中華料理店があったので、その軒先でしばらく雨宿りをすることにした。

露店

散歩時間を30分も無駄にしてしまったが、ほぼ雨がやんだところで行軍を再開。
「その角を左に曲がれば、賑やかな商店街があるはずだけど……」

確かに商店街らしきものはあった。
だが、日本のそれとはだいぶ趣が違って、なにより街灯が少なくて薄暗い。
歩道らしきところには店が張り出していて歩けないから、車道を歩くしかないが、車道の道幅はせいぜい3mほど。
一応舗装はされているが、ひび割れと穴ぼこだらけなので、さきほどのにわか雨であちこに水たまりができている。
しかも、そこをバイクと車がひっきりなしにガーガー通り抜けていくものだから、あれこれと注意を払わなくてはならず、緊張状態の連続。

雨の商店街

写真にするとすっきりと見えるが、いやはや大変な道中だった。
30分ほど歩いてようやく広い道に出たと思ったら、やはり歩道があちこちで崩れていて、ただ歩くのも危ない。
時折雨が思い出したように降ってくるなか、車に気をつけながら、薄暗いなか、歩道と車道を行ったりしながら、ようやく目指す鶏肉料理の店にやってきた。

踏切の標識

それは立派な店だったが、残念ながらメニューにビールがなかった。
確かに店の雰囲気からして、経営者は華人ではなくてイスラム教徒であることがうかがえた。

で、お味はというと、どの料理も味つけがとっても甘かった。
「この店が人気店ということは、地元の人にはこういう味が好まれるのか……」

帰りは、まずまずまともな歩道がある大通りを、とぼとぼと歩いてホテルに帰還。
ロビーで飲んだビールが全身にしみわたった夜であった。

2017-06-07

ジャワ島横断 鉄道の旅1 バニュワンギ~スラバヤ

インドネシアの朝は早い。私もつられて早起きになった。
といえば聞こえはいいが、その理由は朝4時から町じゅうに響くアザーンの声である。
しかも、1つのモスクだけでなく、町のあちこちから大音量で別々の声でコーランを詠唱するものだから、寝ていられないのだ。
十数年前に旅行したエジプトでもアザーンはあったが、5時とか6時だったような覚えがある。

バニュワンギ・バルー駅

さて、5月5日は、バニュワンギ・バルー駅から朝9時発の列車に乗車する。
実は、ここからが今回の旅のメインイベント。ジャワ島横断鉄道の旅なのだ。
4回に分けてジャカルタに向かう列車の旅で、この日は6時間あまりをかけて東ジャワの中心都市であるスラバヤに向かう。

始発駅のバニュワンギ・バルー駅は、町の中心部から北へ10キロ近く。バリ島からのフェリーが発着する港の近くに位置している。
クラシックな駅を想像していたら、意外にもなかなか近代的な駅舎であった。

バニュワンギ・バルー駅構内

ここを発車する列車は日に10本ほどで、うち3往復が、私たちの乗るスラバヤ行きのムティアラ・ティムール号。「東の真珠」という意味だ。2本が昼行で1本が夜行である。
数えていなかったが、全部で10両ほどの編成で、1等車というべきエクセクティフ(エグゼクティブ)クラスと、2等車のビスネス(ビジネス)クラスだけの高級列車だ。ちなみに3等車はエコノミーである。

編成が長いので、私たちが指定されたエクセクティフの1号車は、ホームからはみ出していた。
まだ発車時間まで間があるのをいいことに、ホームから降りて線路際を歩いて撮ったのが下の写真である。

発車を待つ「ムティアラ・ティムール号」

バニュワンギ・バルー駅を発車して町を出ると、右側の車窓には美しい山並みが目を楽しませてくれる。
窓は開かないが、車内が空いていたので、私は右に左に座席を移動して、しばらく写真を撮っていたのであった。

すると、町なかの駅に1つか2つ停まったのち、田園地帯の小さな村のはずれで列車は急停車。
しばらく停まっていたので何事かと思ったら、どうも自転車かバイクの接触事故があったらしい。どうなることかと思ったが、周囲の様子を見る限り、人命にかかわるような重大事故ではなかったようで、約15分後にゆるゆると発車した。

車窓の風景

その後、沿線はずっと田んぼが広がって、田植えの人の姿も見える。ときに小さな村や町が見えて、踏み切りを通過するときは、バイクの列や下の写真のような小学生の姿を見ることもできる。
この小学生は制服を着ているようだが、カラフルな配色が熱帯の日射しに映える。

始発駅では1両に3、4人しか乗客がいなかったが、停まるたびに乗客が増え、10時ごろから11時ごろにかけての山越え区間の前後で8割ほどの席が埋まった。

車窓の風景

弁当や飲み物の車内ワゴン販売は、10時すぎに1回目がまわってきたが、まだ腹が減っていなかったのでスルーしてしまった。
実は、これが大きな間違いだったとあとで知ることになる。

やがて、昼どきになって再び車内販売がやってきた。女性は宮崎あおいに似た、笑顔がかわいい子である。
今度は弁当のワゴンがなく、希望者から注文をとっていた。どうやら、食堂車でつくってくるらしい。
私たちもナシゴレンを注文。どんなものが来るかわくわくして待っていたのである。

昼食を前に食事の注文

ところがである。30分過ぎても40分過ぎても食事がこない。
いいかげん空腹が限界に近づいた1時間後、さきほどの男女がやってきた。
──さあ、食うぞ!
そう思ったが、彼らの手元には何もない。
ちょっと嫌な予感がした。

「すみません、売り切れです」
「ご飯がなくなってしまったんです」
下手な英語ですまなそうに言うのだが、妻は激怒。
「なんでなの!? 1時間も前に注文したでしょう!」と問い詰めるが、複雑な英語は通じないのか、相手はすまなそうな顔をして、「返金しましょうか、それとも麺にしますか?」と言うだけ。
さすがに近くのインドネシア人も憤然として、返金を求めていたっけ。

山間の小さな村

私たちは仕方がないので麺を頼んだら、15分ほどしてカップ麺に牛肉のつみれ(これはオリジナル品)をいくつか載せたものが出てきた。
しかも、お湯がぬるくて少なくてマズかった。

食い物の恨みは恐ろしいものである。妻はこの日の夕方まで機嫌が悪かった。
私はといえば、腹が減ったのは困ったが、「まあ、ここはインドネシアだし、こんなもんだろう」という感じで、がっかりはしたが怒る気にはならなかった。

スラバヤ到着
そんなハプニングもあったが、終点のスラバヤには約15分遅れの15時40分に無事に到着。結局、事故の停車分が最後まで響いたわけだが、逆にいえば遅れが広がらなかったわけで、ずいぶん運行は正確だと感じた。

ここスラバヤで1泊。今回の旅で初めての大都会である。ちょっとドキドキ。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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