ジャワ島東端 夕刻のバニュワンギで味わった幸福感
マカッサルでは名物の牛煮込みスープ「チョト・マカッサル」を食べることもなく、翌日早朝にあわただしくスラバヤに向けて出発。
空港のゲートからバスに乗ってプロペラ機に搭乗し、座席につこうと思ったら、なんと先客がいる。
チケットを見せて、ここは自分たちの席であることを主張したところ、彼もチケットを見せてここは自分の席だと言っているようである。
すぐにCAの女性が駆けつけてチェック。数秒して、私たちに向かい、
「あなたがた、スラバヤ?」と尋ねる。
うなずくと、
「これはスラバヤ行きじゃないわ!」
突如、周囲が大騒ぎとなった。乗務員たちがあちこちに無線で連絡をはじめ、私たちは閉まりかけた飛行機のドアに一目散に駆けつける。
たまたま、飛行機のそばに停まっていた業務用の車(たぶん)に便乗して、ほぼ空港の反対側に停まっていたスラバヤ行きに横付け。
インドネシア人乗客の注目を浴びながら(たぶん)、席に着いた。
「これが日本だったら、白い目でお出迎えされるところだったね」と言いつつ。
それにしても、同じゲートから、ほぼ同じ時刻にガルーダ・インドネシア航空の国内線が出発するのが間違いのもとである。
私たちがゲートでチケットを見せたとき、その場にいた係員が何か話し合っていたように見えたのだが、なぜそこでしっかりと確認してくれなかったのだろう。
チケットはマカッサル~スラバヤとスラバヤ~バニュワンギ行きの2枚重ねで、すでに1枚目のチケットは半分切ってあるのでわかりにくかったのだろうか?
それにしても、2枚目のチケットがスラバヤ~バニュワンギならば、ちょっと考えれば見当がつきそうなものである。
もっとも、タカをくくって搭乗時間に遅れて来たわれわれもいけなかった。
バスでの搭乗だったので、もっと時間にぴったりに着いておくべきだったのである。
と、心の中で反省はしてみたが、なかなか得難い体験ができて、わくわくしたというのが正直なところである。
そんなハプニングもあったが、昼頃にはジャワ島の東端にある町、バニュワンギに無事到着。
観光地としては、あまり知られていないが、対岸には大きくバリ島が見えている。
ガイドブックには、「バリ島からのフェリーの到着地であり、イジェン山への夜行登山が有名」とある。夜には噴出するガスが青く見えるのだそうだ。
東京で今年の春まで日本語を教えていた介護士候補生インドネシア人グループの一人が、このバニュワンギ出身であった。
彼女によれば、「イジェン山では、毎年毒ガスで死ぬ人がいるんですよ」とのこと。どうやら硫化水素ガスのようである。日本でも草津白根山で以前何度か事故があったっけ。
私はバリ島のリゾートも夜行登山もあまり興味がないので(妻は夜行登山に興味を示していたが……)、一休みしたのち、町のぶらぶら散歩を楽しんだ。
最初に尋ねたのは、ホテルの近くにある市場通り。
大昔の上野アメ横の道幅を広くした感じで、なかなか雰囲気がよい。
最初の3枚の写真である。
もう3時過ぎだったためか、人通りはあまりなく、リヤカーならぬフロントカー式の人力車「ペチャ」の車夫のおじさんたちも暇そうであった。
空港からホテルまでのタクシーでは、中心部に大きなショッピングモールがあるのが見えた。
あちらは若い人を中心に賑わっていたことから、最近では日用品や食料品は、市場通りよりもショッピングモールで買う人が多いのではないかと想像する。
バニュワンギは大通り(街道といったほうが正確か)に沿って、断続的に数キロも市街地が続いている。
だから、どこが都心だかよくわからないのだが、一応、ショッピングモールと市場通りの間あたりが商店も多く、人通りも多い。
バイクや車もずいぶん多かったが、このあとに見ることになるインドネシアの大都会とくらべて、田舎臭いところがよい。その一方で、活気もあるのが好ましく思えた。
大通りを行ったり来たりしているうちに、そこから脇に入っていく細い路地が気になってきた。
だが、いかにもごく普通の民家が建ち並んでいるだけで、しかも夕涼みに人が出ているものだから、ちょっと入りにくい。
そんな路地の1本を大通りから撮っていたら、上の写真のような風呂上がり(?)の上半身裸のおじさんと目が合って、にこやかな表情で大きく手を振ってくれるではないか。
「これは行ける」と私は判断した。
まあ、ここでおじさんのところに突撃するのも恥ずかしいので、もう1本先の路地から探索することにした。
まず目に入ったのは、狭い路地に置いた机に向かって、石をコツコツと叩いている男性。よく見ると、会社のネームプレートを彫っている職人さんのようである。
NHKでやっていた世界なんとか街歩きのディレクター気分で、しばし(といっても20秒ほどだが)間近で作業を見学させてもらった。
見事な腕前をほめたいのだが、「ほー」とか「ふーん」とかしか言えないのがもどかしい。
英語で「ベリー・グッド」なんて言ったが、やはり地元のことばで話しかけたいものである。
そこで、せめて「こんばんは」だけは口にできるようにしようと、「地球の歩き方」を開いた。
朝のあいさつ「Semalat pagi」(スマラッ・パギ)だけは覚えていたが、あとの昼のあいさつ、夕方のあいさつ、夜のあいさつは、まだ頭に入っていなかったのだ。
夕方のあいさつが「Semalat sore」(スマラッ・ソレ)だと知って百人力。
さらに路地裏を奥へたどっていくと、ちょっとおしゃれな家が続くかと思うと、古めかしい家もあったりするところは、東京の下町と変わらない。
かと思うと、放し飼いのニワトリが道端でうろうろしているのは、こちらならではの風景である
道がカーブしたあたりに、家の前で夕涼みをしていた中年男女4人と遭遇。近所の人なのだろう。
にこやかに微笑んで「スマラッ・ソレ」と言うと、穏やかな表情で「スマラッ・ソレ」と返してくれた。
さらに進むと、なんと川が流れているではないか。
かなり汚い川であるが、風景だけは上等である。
遠くのほうをよく見ると、川のなかに子どもが2人、向こうむきで座り込んでいた。
何をしているのかと見ていたら、立ち上がったその下半身は裸であった。
「トイレ代わりか!」
日本語にもトイレのことを「かわや(厠)」というが、その語源は「川屋」のようであるからして、川で用便をしてもまあ不思議ではない。
汚い川沿いを歩いていたら、3m幅くらいの少し広い道に出た。
道沿いには瓦葺きの民家が建ち並び、ゴム草履またははだしの子どもたちが凧をあげて遊んでいた。
空を見ると、いくつかの凧が上空で小さく舞っている。すると、どこにこんなにいたのだろうという子どもたちがやってきて、空を見上げながら、あっちに走り、こっちに走りしていくのだ。
そんな道を、時折バイクに乗ったおばさんが走り抜けていく。
地元の人と視線が合うたびに「スマラッ・ソレ」を連発。
おかげで、たくさんの微笑みに出合うことができた。
バニュワンギでは、夜の民族舞踊ショーも見ず、夜行登山にも行かなかったが、夕刻にこの路地裏に居合わせただけで、もう十分に幸福だった。
« スラウェシ島でひと休み | トップページ | ジャワ島横断 鉄道の旅1 バニュワンギ~スラバヤ »
「インドネシアの旅」カテゴリの記事
- ジャワ島横断 鉄道の旅4 ジョグジャカルタ~ジャカルタ(2017.09.04)
- 世界遺産ボロブドゥールへの道(2017.09.02)
- ジョグジャカルタ 古い顔と新しい顔、昼の顔と夜の顔(2017.08.31)
- ジャワ島横断 鉄道の旅3 ソロ~ジョグジャカルタ(2017.08.29)
- 廃線跡かと思っていたレールの上を……(2017.08.07)
nebbioloさん、お久しぶりです。
……って、私が更新をサボっていたのがいけないのですが。
私もインドネシアは初めてでした。
やはりスラウェシ島の形は、想像力を刺激しますよね。
ところで、インドネシアのテレビのニュースを見ていたら、どこかイタリア語とリズムが似ているのに気づきました。
やはり、子音+母音の音が多いからなのかも。
投稿: 駄菓子 | 2017-06-01 21:09
インドネシアは私にとって未踏の地。記事を楽しく拝読しております。
地図を眺めるのが大好きだった子供の頃、スラウェシ島の不思議な形がとても印象的でした。
投稿: nebbiolo | 2017-05-31 11:07