楽園ラジャアンパットでひらすらゴロゴロ
2日目はダイビングに行く妻と友人夫妻を見送ると、あとはただぼんやりするだけ。
宿舎の付近を散歩しようにも、どこにも通じる道はなく、船着場を中心に左右100mも歩けばあとは行き止まりというか、密林になってしまう。
ぶらぶらと散歩をしたあとは、東京でやり残したわずかな仕事を半分だけ片づけて昼寝するというのんびりした1日となった。
おかげで、日本で悩まされていた眼精疲労も、いつのまにか治っていた。
3日目は気の毒に思ってくれたのか、3人がダイビングの拠点としているリゾートコテージまで連れて行ってもらった。
モーターボートで10分ほどの距離にある施設で、スイス人が経営しているのだそうだ。質素なつくりだが居心地はよさそうである。
もっとも、ツアー料金はかなりいい値段なのだそうだ。町からここまでの移動も大変だし、食料もすべて町から運ぶのだから、高いのも致し方ないだろう。
われわれが到着したのはそのリゾートの裏側の港で、入江の奥まったところにあるためか、まるで油を流したような水面が印象的だった。
トップの写真がそれである。
ダイビングに向かう人びとを見送ると、経営者の一人である若いスイス人に、裏の岩山に登ることを勧められた。途中に鎖場があるらしいが、頂上からの展望は抜群とのこと。
ビーチサンダルで来たことを悔いたが、「ゆっくり登れば大丈夫」と言われてチャレンジした。
登山といっても、ビーチサンダルで10分ほど。確かに素晴らしい眺めだった。
しばらくここにいたいと思ったが、9時を過ぎて日射しも強くなってきた。
リゾートの食堂に戻り、ビンタンビールで喉をうるおす。
やはり労働をしたあと(ちっとも労働じゃないが)のビールはうまい。
1時間ほどして、出迎えのモーターボートで宿に戻った。
上の写真の手前左に停泊しているのは、リゾートに魚を納入している地元の漁師さんの船。
途中、海にそそりたつ岩肌にある、「古代人の手形」というものを見せてもらった。
下の写真にあるような「遺跡」で、写真では見づらくて恐縮だが、中央付近に3つの手形が見える。
この「遺跡」については、この後に乗ったガルーダ・インドネシア航空の機内誌でも紹介されていた。
もっとも、私が世話になった職場で働く2人の日本人は、その「遺跡」にかなり懐疑的であった。
「あんなに、はっきりと手形が残っているものなんですかねえ。最近になって誰かがペンキで塗ったんじゃないのかなあ?」とのこと。
とはいえ、「手形」は絶壁のかなり高いところにある。現代人が描くにしても一筋繩ではいかないだろう。
……なんてことを考えながら宿に着いたのはまだ10時ごろ。夕方のビールの時間まで、この日もごろごろしながら風景を眺めるという生活であった。
最後の写真、モーターボートを操縦してくれているのは、知人の仕事場で働いている、気のいいインドネシア人従業員である。この日は日曜日だったので、知人が個人所有しているモーターボートを借りて迎えに来てくれたのであった。
ちなみに、インドネシア東部のパプア州は、この右側の若者のように、メラネシア系の人が多い。インドネシアは多民族国家であることがよくわかる。
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