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2017-05-22

ラジャアンパットでご近所めぐり

ラジャアンパット(Raja Ampat)という地名は、王様を意味する「ラジャ」と、4を意味する「アンパット」を合わせたもの。
かつて、この地を4人の王様が治めていたことに由来するという。

とはいえ、パプア島ソロン(Sorong)からの高速船が着くワイサイ(Waisai)のほか、いくつかの小さな町以外は、ほとんど人の住んでいない未開の土地である。はたして、ほんとうに4人もの王様がいたのだろうか。

ソロンとワイサイを結ぶ高速船

ワイサイの町は、ラジャアンパット県の県庁所在地である。ラジャアンパット県はいくつかの島からなっていて、総人口は5万人弱というから、ここにも1万人くらいはいるのかもしれない。

ワイサイの町をゆっくり歩き回る余裕はなかったが、港から少し離れたところに市場があって、そこを巡ることができた。

ワイサイの市場

「なかなか雰囲気のいい市場じゃないですか」
私がいうと、知人は、
「いや、最近になって観光客が増えてきて手狭になったので、ここに市場を新しく建てただけなんですよ」とのこと。その割には年季が入っているように見える。

市場にある食べ物は、魚を除いてほとんどが、ほかの島から運んできたものだから、物価が高いのだという。よく見ると、袋詰めの「味の素」も売られていた。日本語が書いてある。

ワイサイの市場

ラジャアンパットの宿泊施設は、このワイサイ周辺に集中しているようで、海辺に立つ木造のゲストハウスがボートからもいくつか見えた。クルーズ用の豪華ヨットも2、3艘見かけた。

もっとも、ボートで10分も走ると、もう原始のままの状態である。

ラジャアンパットの漁村

そんななかで、海辺に建つ漁村を3つほど見ることができた。海中に柱を打ち込んで建てられた家々は、まるでおもちゃのようである。
背後には小さな畑らしきものも見える。自給自足で生活しているのだろうか。

ラジャアンパットの漁村

私たちの宿からは、たまに小さな漁船が通っていくのが見えて、「いったいどこからどこに行くんだろう」と思っていたのだが、こんな村に住む人たちなのかもしれない。
最近では、町や宿泊施設に魚を売って現金収入にしているようである。

私が厄介になっている仕事場の若きインドネシア人社員

4月30日から3泊したラジャアンパットとも、5月3日でお別れ。
これで今回の旅も終わり……ではなく、実はこれからが本番なのである。

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