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2017年3月の3件の記事

2017-03-08

Nikkei Styleトラベル「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅」公開

3月11日を前に、「NikkeiStyleトラベル」のサイトに記事が公開されました。

女川駅に到着する石巻線の列車

今回のタイトルは「震災復興6年目 三陸縦断 鉄道とバス乗り継ぎの旅

1月下旬に、鉄道と路線バス10路線を乗り継いで、3泊4日かけて三陸沿岸を縦断した旅の記録です。
もっと書きたいことやお見せしたい写真がたくさんあるのですが、スペースの関係で泣く泣くカットしたところも数多くあります。
お時間のあるときにご覧ください。

2017-03-07

多良間島から豚も船に乗る

宮古島から多良間島まで、行きは飛行機(プロペラ機)に乗ったので、帰りはフェリーにしようと思っていた。
フェリー「たらまゆう」は日曜を除いて、毎日1往復しているが、年に7カ月ほどの19日には牛のセリがあるために、多良間島止まりの片道運航。翌20日は宮古島止まりになる。
牛の積み込みと積み下ろしに時間がかかるからなのだろう。

宮古島と多良間島を結ぶフェリー「たらまゆう」

帰りは19日の予定だったが、その7月は牛のセリがない月なので、平常運航であることを多良間海運のホームページで確認しておいた。
ところが……である。

前の週にドックで整備されて出てきたはずの船に不具合があったとのことで、なんと19日からしばらく運休ということに。
これにはさすがにあせったが、飛行機の空席があって安堵した。

積み込みを待つ豚2頭

この写真は、ぞの前日の18日、再ドック入り直前の運航。「徐行」して宮古島に向かうという。
知人がこれに乗って帰るというので、例の村営バスで港まで見送りに行った。

すると、牛の積み込みこそなかったものの、その代わりに港で見つけたのが檻に入った2頭の豚。
このあとの我が身の運命も知らずに、フガフガと音をたてながら無心に餌をむさぼり食っていた。

いよいよ豚の積み込み

興奮させるといけないので、遠巻きに見守っていた私である。
出航時刻が近づくと、フォークリフトが檻ごと豚を持ち上げて、船尾から船に積み込んでいった。

多良間空港のヘミングウェイ氏

さて、19日の午前中、再び村営バスで空港に。
それにしても、飛行機の定員は19名である。空席があったからよかったものの、なかったからどうなったのか。
……と思ったが、勤め人の妻はいざ知らず、フリーランスの私はとくに問題がないことに気づいたのであった。

狭い空港では時間を持て余すかと思ったが、空港の片隅にある喫茶店でマスターとあれこれを話しているうちに、いつしか時間が過ぎていった。
愛想のいいマスターは、ひげの様子がちょっとヘミングウエイに似た、なかなか魅力的な中年男性である。
多良間のことばについて、いろいろ質問をしたが、今となってはわからないことも多いようである。

伊良部島上空

帰りも宮古島まで20分ほど。怖がるまもなく着いてしまった。
本来ならば、ボンバルディアのプロペラ機、村営のミニバス、フェリー「たらまゆう」という、多良間島の3つの公共交通を制覇するはずだっが、前述のようにフェリーに乗り損ねたのは残念である。
いつか再挑戦をしなくては。

2017-03-03

多良間島の集落をぶらぶら散歩

夏の思い出、多良間島の続きです。
村の周囲に点在する史跡をめぐったのち、集落に突入。

おしゃれなおばちゃん

上の写真は中心部あたりで見かけたおばちゃん。
帽子(?)がおしゃれだ。

比嘉おかず店

これもまた中心部近くの「比嘉おかず店」。
沖縄の食堂では、よく「おかず」という謎のメニューを見かけることがある。
野菜とポークの炒めものをベースにした一皿で、ときに目玉焼きが乗っていたりする。
で、「おかず店」というのは弁当屋のような存在……であるらしい。
この店は覗いていないのでよくわからないけれど。
この小さな島で、どれだけ弁当屋の需要があるのかは不明である。

多良間シャンゼリゼ通り

多良間島の集落の中心部がここ。
私たちは多良間シャンゼリゼと呼んでいた。
手前はコープ多良間店、向かいは中央スーパーである。都会ならともかく、このような小さな島で、似たような業態の店が向かい合ってやっていけるのだろうか、ひと事ながら心配になる。
正面には池城商店という看板が見えるが、どうも営業していないようだ。

多良間島唯一の信号

沖縄の離島に来ると、どんなに小さな島でも、たいてい必ず1カ所は信号が設けられている。
「子どもが都会に出たときに、戸惑わないために」という教育的配慮なのだそうだ。
波照間島にも与那国島にも伊是名島にもあったっけ。
ここ多良間島にも、石嶺商店の前にあった。
たまに通る車は、律儀に信号を守っていたけれど、自転車のおばさんや歩行者はあまり気にしている風はなかった。

多良間島の標語 その1

多良間島の村内では、あちこちに標語を書いた看板が立っていた。
対人口比標語看板率は、日本有数かもしれない。
そのうちから、2つほどをピックアップ。

「家庭学習 上手にかけば せいせきアップ」
あまりにもストレートで潔い内容に圧倒される。多良間小学校3年生の作のようである。
7・7・7という、意表をつきながらもまとまりのあるリズムにも脱帽した。

多良間島の標語 その2

その2
「声かけよう うちの子 よその子 見かけた子」
こちらは、6・4・4・5である。多良間村学力向上対策委員会の作。
本土の7・5調でもなく、琉歌の8・8・8・6でもないところが新鮮。
うまくまとまっているが、さっきの小学校3年生の作のほうが素朴な力強さがある。
たとえてみれば、「万葉集」と「古今和歌集」の違いかな。

それにしても、これは、子どもを見たら誰でも声をかけろということか。
「声かけよう 見かけた子」で済む内容であるが、それじゃ標語にならないね。
うちの子に声をかけることを、わざわざ言わなくてもいいと思うが、まあそれは語調を整えるために必要なんだろう。

夏休みの小学生

ランニング姿で捕虫網を持って歩いている小学生というのは、もはや離島に生息する昆虫以上に絶滅危惧種かもしれない。
実は、妻が世話になっているダイビングショップの息子の友だちの一人である。
ところで、多良間島では地域のみんなで子どもを育てるという風習が残っていて、近所の子どもを預かったり、いつのまにかよその子が泊まりに来ていたりするということが、よくあるのだそうだ。
どこかの大学の社会学だか文化人類学だかの先生が研究に来たという話を聞いた。

アイス屋

そして、その近所には不思議な「アイス屋」の看板が。色が落ちた部分もよく見ると「島アイス」と書かれている。
はたして、この家に入っていけば買えるのか。
結局、確かめなかった。
(つづく)

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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