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2016-08-17

沖縄 多良間島へ

旧盆も過ぎて今さらだが、7月なかばに沖縄の多良間島へ行ったときのことなどを書いてみたいと思う。

出発は7月17日の日曜日。羽田空港から那覇空港、宮古空港と2回乗り換えて、多良間島へ。
多良間島は宮古島と石垣島の中間に位置する島で、古くから宮古島とのつながりが強い。
かつては石垣島からも飛行機が飛んでいたが、今は宮古島から飛行機か船で行くしかない。

宮古空港

宮古空港からはRAC(琉球エアコミューター)のプロペラ機。39人乗りのボンバルディア社製だ。
以前はトラブルが頻出した同社製のプロペラ機だったが、最近では幸いなことにあまり不調を聞かない。

ちょっとドキドキはしたが、乗ったらもうどうしようもないので、運を天に任せるしかない。
十数人を乗せた飛行機は、ブルンブルンとプロペラを回しはじめて、めでたく離陸。
恐いと思うひまもなく、多良間空港まで20分で着いてしまった。
眺めもよかったし、こうなるともう少し乗っておきたかったと勝手なことを思うのであった。

宮古空港

ところで、RACやJTAの飛行機では、ちょっと楽しい到着の案内放送がある。
那覇から宮古に着いたときに知ったのだが、「到着地の方言で案内をします」というのだ。
そして、「たんでぃがー、たんでぃー」で始まったからビックリした。
これは、宮古方言の「ありがとうございます」のこと。那覇方言だと「にふぇーでーびる」だから、まったく違う。

「えっ、まさか、ずっと宮古方言で案内をするの?」と、さすがの私もあせった。
那覇方言ならば、何を言っているかくらい、ある程度見当はつくが、宮古方言になるとチンプンカンプンである。
……と思ったら、方言は最初の「ありがとう」でおしまい。
あとは標準語の案内になってしまった。
「なーんだ」と、ほっとしながらも少しがっかり。

機上から

で、多良間島到着のときはどうだったかというと、やっぱり多良間方言でやってくれた。
「すーでぃが ぷ」
東京・亀戸にある宮古島料理の店「ラッキー」のおばあに聞いた通りであった。
この最後の「ぷ」がユニークである。
多良間のことばを素でしゃべると、那覇の人にはもちろん、宮古の人にも通じないという。

ちなみに、下から2枚目の写真に、「かりゆす 多良間空港」という掲示が見えるだろう。
これは、那覇方言ならば「かりゆし」となるところだ。
ちょっとナマっていてかわいい。

多良間空港ターミナル

さて、多良間空港は2003年に現在の場所に移転したとかで、小さいけれどもこぎれいなターミナルが待っていた。
もちろん、飛行機からターミナルへは徒歩移動である。

多良間空港

降りたはいいが、那覇で預けた荷物を受け取らなくてはならない。
どこの空港でも同じなのだが、「ここをいったん外に出たら、戻ることはできません」という掲示があるので、私は荷物受け取りカウンターの前でしばらく待たなくてはならない。
ほかの乗客はというと、一人残らず素通りをして出て行ってしまった。
「ああ、地元の人はたいした荷物もないんだな」

エアコンの効いていない狭苦しい部屋にしばらく一人で残されていたものだから、心細いこと限りない。しかも、到着時間に合わせて運転されているという村営バスに置いてけぼりを食わないか、気が気じゃない。

荷物の運び出しにずいぶん時間がかかり、そろそろチビりそうになるころ、ようやくトラックが建物に横付けされて、シャッターがガラガラと音を立てて開けられた。

多良間村営バス

と、そのときである。
エアコンの利いた待合室から、ぞろぞろとさきほどの飛行機の乗客が"逆流"してきたではないか。
バカ正直に、暑くて狭いところで待っていた私が愚かだった。
あなどりがたし多良間島。私はさっそくその洗礼を受けることとなってしまった。

もっとも、村営バスはちゃんと待っていてくれた。
タクシーのないこの島で、集落まで行く唯一の交通機関である。
外に出ると、日射しは東京のそれとはケタ違いに強かった。

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