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2015年8月の9件の記事

2015-08-31

わが憧憬の町シャッカへ

9月17日、3泊したトラーパニを朝9時に出発。1日に3便しかないバスで向かったのはシャッカ(Sciacca)の町である。
所要は2時間10分。かつては鉄道が走っていたのだが、現在は途中のカステルヴェトラーノ止まり。シャッカまで行く路線は廃止になっているので、やむなくバスを利用するしかないのだ。

シャッカ遠景

途中で乗客は乗ったり降りたりするが、バスの乗客はつねに10人程度。のんびりした田舎の中距離バスである。
運転手がかけているカーラジオから流れてくるのは、1960~80年代の懐かしのイタリアポップスの番組のようで、私にとっては楽しいのだが、やけに大きなボリュームでかけているので、ほかの乗客はうんざりした表情。しかも、ときに運転手がラジオに合わせて歌いだすのである。
はて、いつか似たような体験をした覚えがあるなあと思ったら、20年ほど前のインドのバスだった。あのときは夜行列車明けに乗ったので、眠れなくて困ったものだった。

シャッカ丘上の展望台

さて、シャッカは、私にとって憧れの町の一つだった。
海に面した丘かびっしりと建物で埋めつくされている様子。丘の上の町を網の目のように走る路地。その路地がしばしば行き止まりになっているのは、アラブ支配の時代の名残なのだそうだ。
そんな町で道に迷いながら散歩をしたかった。

シャッカという変わった名前の由来は、アラブ支配時代の人名だとか、ラテン語の温泉から来ている、いやアラビア語の温泉の意味だとか、シリアの神様の名前だとか、諸説ふんぶんのようである。
ちなみに、この前日に訪れたマルサーラの語源は、アラビア語のマルス・アッラーで、「神の港」という意味だというのが定説のようである。

シャッカ旧市街

温泉が地名の由来だという説があるくらいで、この地には有名な温泉場がある。妻は興味津々だったようだが、イタリアの温泉に入るには医師の診断を受けなければならず、面倒くさいからやめようと必死に説得した。
で、ひたすら私は町歩きに没頭したのである。
で、歩いた結果はどうだったかというと、実に散歩に適した素敵な町だったといえる。

シャッカ旧市街

また、シャッカの町の目の前には大きな漁港があって、漁船が活発に行き交っている。
だから、魚料理のレストランも何軒かある。
だが、一番ウマいとされている漁港前のレストランに行ったところ、残念ながら休業日。
それでも、たまたま店にいたおじさん(オーナーかも)に、「この近くに、ほかにおいしい店はある?」と尋ねることで、そこそこウマい食事にありつくことができた。

パラッツォ ステリピント

と、ここまで読んで、今回の文章と写真が、これまでとはちょっと雰囲気が違うと感じた人がいるかもしれない。
まあ、そこまで読み込んでいるヒマな人がいるとは思えないのだが、今回はわれながらまったくまとまりのない内容だと自覚している。
そして、写真もよく見ると、シャッカの雰囲気がよく伝わってこないんだなあ。

港の夕景

実は、それには理由があるのであって、種明かしは次回のお楽しみに。
次回もシャッカです。

2015-08-30

ワインとハタに感動したマルサーラ

2014年9月の旅の続き。

エリチェからトラーパニに戻ったのが午後5時ごろ。
予定より少し遅くなったが、まだ日没まで時間があるので、トラーパニから20kmあまり南にあるマルサーラ(Marsala)に向かうことにした。
夕食もそこで食べてこようというたくらみである。

マルサーラ駅近くの踏切

マルサーラへは、バスよりも鉄道のほうが便利である。1時間に1本ほど出ているし、なにしろ速い。
しかも、バスは町の中心部に入ってこないのだ。
たいていの行き先にはバスを勧めるトラーパニの人たちも、マルサーラとその南にあるマザーラ・ディ・ヴァッロへは鉄道がいいという。

駅から中心部まで歩いて20分以上かかるのだが(長距離バス停からだともっとかかる)、夕方ということもあって、どんどんと人が増えてくる。
そして、広場と教会が連続する中心部にやってくると、上の写真のような賑わいとなっていた。
シチリアの西の果てなので、小さな田舎町かと思っていたら意外にも市街地は立派であった。

マルサーラ中心部

さて、マルサーラに来たら、まずマルサーラワイン(マルサーラ酒)を飲まなくてはならない。
……ならないわけじゃないけれど、飲みたいという気持ちがつのる。
そして、路地にあったワインバーで2種類のワインを2人で注文。
上品な甘みと高いアルコール度数で、すっかり気分がよくなった私たちである。

海岸に出て日没を拝み、集会を開いていたネコたちとたわむれたのちに、再び中心地に戻ると、さらに人出は多くなっていた。
といっても、9時20分ごろの最終電車に乗り遅れてはいけないので、ガイドブックを見ながら急いでレストランを探す。

マルサーラワイン

Touring Club Italianoのガイドブック「Guida Rapida d'Italia」で「安価なトラットリーア」とあるので選んだのが、「La Bottega di Carmine」(ラ・ボッテーガ・ディ・カルミネ)という店。
店に入ったのは7時半すぎだから、最終電車に乗るには、1時間ちょっとしか残り時間がない。

ところが入ってビックリ。内装は白で統一され、おしゃれな中庭があって、ピアノまで据え置かれているではないか。
「ホントにここが安い店なの!?」と心配になったが、いまさら出て行くのもみっともない。
もちろん、時間が早いのでほかに客はいないから、「これならなんとか電車に間に合うだろう」とほっとした私たちであった。

マルサーラ中心部

だが、10分以上たっても注文をとりにやってこない。
あせって厨房を覗きにいって、「最終電車に乗るから急いでね」と一人しかいない若いシェフに言うと、そこからさらに数分たったところで、ようやく一人の派手めの女性がワゴンを押してテーブルにやってきた。
ワゴンには、何種類もの魚がぎっしりと配置されて壮観である。

そして、さきほどのシェフがやってきた。
よく見ると、おしゃれな店にはあまり釣り合わない、いかにも下町の食堂の兄さんといった風貌と服装で親しみがもてる。
彼は、おもむろに魚の説明をはじめた。

「あの魚を並べるのに時間がかかったんだよ」時としてするどい勘を発揮する妻は、小さな声で私にそうつぶやいた。

ハタのグリル

兄さんはわかりやすいイタリア語で魚の説明をしたあとで、「もう1つ、チェルニアがありますよ。きょう、大きくていいのが入ったのでとってもおすすめ」
「チェルニア?」
「白身でおいしい魚ですよ!」
手元の辞書では見つからなかったが、なんとなく彼は信用できそうだったので、前菜は魚介の盛り合わせ、メインはチェルニアのグリルを注文することにした。

私たちは急いでワインを飲み、急いで前菜を食べ、急いでメインを食べた。
チェルニアのグリルは、野菜を下に敷き、まるで高級レストランの創作料理みたい。
肝心の味はというと、これまでイタリアで食べた魚のメイン料理のなかで最高でございました。上の写真は、おいしそうに写っていないけれど……。

大変に満足した旨をシェフの兄ちゃんに伝え、内容にくらべてとても安価な支払いを済ませて、私たちは早足で駅に向かった。
「最初からあの魚にするんだったら、ワゴンに並べてくれなくてもよかったのに。おかげで時間がなくなったよね」と妻は鋭い指摘をする。

トラーパニの宿に戻ると、真っ先にやったのはネットでチェルニア(Cernia)の意味を調べること。
それは……、日本語でハタだった。
うまいはずだ。
東京で同じものを食べたら、あの3倍近い値段をとられるかもしれない。

2015-08-27

丘上の桃源郷エリチェでの不思議な再会

トラーパニをベースキャンプとして、出かけたのはエガディ諸島だけではない。
町の東側にあるエリチェにも行った。
海抜750mほどの素敵な丘上都市で、私にとっては2000年以来15年ぶりの訪問。妻は初訪問である。

エリチェ

15年前は、トラーパニ市内から遠回りをして、バスで1時間ほどかかった記憶がある。
しかも、直通バスは1時間に1本ほどで、時間帯によっては途中のヴァル・デリチェで乗り換える必要があった。

それが、トラーパニ市街地東端からのロープウェイができて、気軽に行けるようになった。
ロープウェイ乗り場は、新市街の中心部から3kmほど。路線バスの21、23番か、観光路線バスのA、Bに乗るといい。
ロープウェイはイタリア語でFunivia(フニヴィーア)だが、ここでは英語でCable Wayと記されていた。

さて、ロープウェイの所要時間は10分ほど。トップの写真のように眺めはいいのだが、太陽があたると搬器の中はまるで温室のよう。
脱水症状寸前でエリチェに着いた。

エリチェ

交通が便利になったこともあってか、15年前にくらべてエリチェの町には数多くの観光客で賑わっていた。
「地球の歩き方」にもエリチェが紹介されるくらいだから、日本人もずいぶん訪れているのだろう。
ちなみに、少なくとも2、3年前の版まではアクセントの位置を誤って「エリーチェ」と記されていたが、正しくは「エーリチェ」である。現在はどうなっているか知らない。

それはさておき、三角形をした市街地(というほど大きくないが)は、道が狭いこともあって、すぐに方向感覚を失ってしまうのが楽しい。

エリチェ

町の頂上近くからは、海と空の青が一体となった素晴らしいパノラマが眺められる。
それがこの写真なのだが、残念ながら水平線近くに灰色の雲が出てしまって、「一体」とはいえない感じ。
理想的な姿は、以前つくったホームページのエリチェ のトップに置いた写真を見ていただきたい。

エリチェ

「前に来たときはね、この近くのお城の前で、若い大道芸人がいてさ。観光客はめったに来ないんだけど、たぶんシチリアの兵隊の格好をして、商売道具を馬にひかせて、シチリア民謡に欠かせない口琴をビヨンビヨンと鳴らしていたんだ」

私が妻にそんなことを話していると、行く手からそのビヨンビヨンという音が聞こえてきた。
そして、見たことのある飾りをつけた馬の前で、40歳くらいのおじさんが観光客を相手に歌っていたのである。

「まさか! でも、年が違うよね」
一瞬そう思ったが、自分も年をとったことを忘れていた。
よく考えてみれば、前回が25歳ならば今じゃ40歳になっているのは当然である。

芸が一段落したところで話しかけてみた。
「15年前にここに来たことがあるんだけど、そのときに同じような馬を連れて、口琴を鳴らして歌を歌っていたのはあなた?」

エリチェでの再会

「そうだよ! 兄弟!」
もちろん、私のことは覚えているわけはないのだが、再訪をとても喜んでくれた。そして、異様な盛り上がりのなか、妻に撮ってもらったのが上の写真である。
彼は、「チャララ、チャラララ、チャラララー」とゴッドファーザーのテーマを口ずさみながら、商売道具のハンチング帽を私にかぶせてくれた。
イタリアでの食い過ぎのためか、顔がむくみ気味なのが恥ずかしい。

その後、その場で彼の歌や芸を楽しんだのだが、声のよさと観客に対するあしらいのうまさを見て、「なるほど15年間これだけで食ってこられたわけだ」と納得した。

エリチェ

笑ったのは、イタリア人観光客からの「あんたはこのあたりの出身なのかい?」という質問に対してこう答えたときである。
「パレルモ」
そういって一呼吸おいたあと、「イタリアの首都の」

2015-08-21

シチリアの西の果てマレッティモ島

昼過ぎにレヴァンツォ島から,向かったのは、エガディ諸島の一番西に位置するマレッテモ(Marettimo)島である。
日本で地図を見ていると、どれほどの辺境なのかと思ってしまうが、人口はレヴァンツォ島の3倍以上の700人弱。
それでも、集落が島の東側にある港付近集中しているために、意外とまとまった町になっているなというのが第一印象だった。

マレッティモ島の港

おそらく、ここに長期滞在するのだろう、船からは大きなリュックやスーツケースを持って下りる人も十数人ほどいた。

港から2分も歩くと、そこは島の中心部。バールだけでなくレストランも何軒かある。
大きなホテルはないが、民宿のような宿があちこちで目につく。

マレッティモ島中心部

日帰りの観光客の多くは、朝早くやってきて、もう帰ってしまったのかもしれない。
ひと気のない道をぶらぶらと歩いていると、5分ほどで漁港にたどりついた。

「洞窟めぐりをしないかい? 1人40ユーロなんだけど、2人で50ユーロにまけとくよ」
60代なかばくらいの漁師に声をかけられた。
東京・牛込で1980年代からイタリアレストランをやっているカルミネ・コッツォリーノさんによく似たおじさんである。

洞窟からの帰り

私の興味はもっぱら町や人なので、こうしたものには、ほとんど関心はないのだが、同行の妻はすでに乗る気満々である。
はたして50ユーロが安いのか高いのか、そもそも本当に安くしてくれているのかわからないが、トラーパニからの高速船2人分の料金の1.5倍くらいだし、せっかくここまで来たのだから、ということで世話になることにした。

マレッティモ島の親父連


洞窟めぐりは、そこそこ楽しめた。カプリ島やアマルフィ海岸にあると言われる青い洞窟もあれば、見るも不思議な奇岩もあった。案内してくれたおじさんも、過剰なサービスもなく、ほどほどの距離感で接してくれるのがいい。まあ、もともとは漁師なんだからね。

港近くのバール


「これで青の洞窟らしきものを見たから、もうカプリ島やアマルフィ海岸で船に乗らなくてもいいよね」
トラーパニへの帰りの高速船を待つ間、バールの簡易なテラス席で白ワインを飲みながら、私はそれとなく因果を含めたのであった。

ハイシーズンを過ぎた昨年9月の話である。
ここにはファビニャーナ島の喧騒もレヴァンツォ島の不便さもなく、ほどほどの賑わいとのんびりした雰囲気がある。この島ならば、ゆっくり滞在してもいいかなと思った。

2015-08-17

陽光に映えるレヴァンツォ島

昨年秋のイタリア旅行の続き。
前々日のファビニャーナ島に続いて、1日おいた16日に向かったのは、同じエガディ諸島のレヴァンツォ(Lavanzo)島とマレッティモ(Marettimo)島である。

レヴァンツォ島は、ファビニャーナ島のすぐ近くにあるが、面積はずっと小さく、人口も約200人という静かな島。
最初の音節にアクセントをつけて「レーヴァンツォ」と発音するようだ。
ファビニャーナ島はすぐそこに見えるが、ここではあの喧騒がうそのようである。

レヴァンツォ島

人家は港の周囲に集中しており、宿泊施設はどうやら1軒しかないようで、バールも2、3軒程度しか見なかった。
それでも、シーズン中は1日に10便ほどの定期船が発着して、港はひとときの賑わいを見せる。

定期船以外にもクルーズ船がたまに立ち寄り、そうした船が停泊している20分程度の間は、下船して散策する人たちで港の周辺100mほどは人が一時的にあふれることになる。

レヴァンツォ島

もっとも、港から300mも離れると人家はなくなってしまうから、散歩にも限度がある。
結局、港近くのバールでビールを飲みながら、ぼんやりと海を見ているというぜいたくな時間を過ごすことになるわけだ。

レヴァンツォ島

とはいえ、貧乏性の私たちは、集落の隅から隅まで歩き回ってみないことには気が済まない。
9月とはいえ、じりじりと刺すような日射しのもと、地元の人しか通らない狭い路地まで、たぶん集落のほぼすべての道を歩いたと思う。

レヴァンツォ島


あとは、先史時代の遺跡があるという西岸の「ジェノバの洞窟」(Grotta genovese)に向かう小さな船に乗るか、島の反対側の野性的な海岸まで3~4kmほどのトレッキングコースを歩くかだが、あまりに暑くて検討の対象にすらならなかった。

レヴァンツォ島


でも、港のまわりを歩くだけでも、この島に来たかいはあるというものだ。
何日もいたら飽きるだろうが、まあ2時間の滞在というのはちょうどよかったのかもしれない。

2015-08-14

観光地ファヴィニャーナ島に残るマグロ漁の面影

ファヴィニャーナ(Favignana)島は、エガディ諸島の観光の中心である。3つの有人島のうち、もっとも面積が広く、ホテルやレストランなどの施設も整っている。
初日は、この島に往復することにした。シーズン中は、トラーパニの港から15往復以上の船が出ていて、所要は高速船なら30分、フェリーだと1時間である。最終便は夜9時過ぎまであるので、十分に夕食を食べて帰ってこられる。

ファヴィニャーナ島

ちょうど日曜日だったこともあり、船着場は山のような人だかり。島の中心部の広場に行くと、こんな小さな島によくぞこれだけというほど、観光客がひしめいていた。
今回の旅の前までは、「地の果て、それはエガディ諸島」というイメージが残っていたので、多少は観光化されているとは思ったものの、さすがに驚いた。
もう一つ驚いたのは、観光客のほとんどすべてがヨーロッパ人で、この日、東洋人は一人も見なかったことである。

ファヴィニャーナ島

それでも、中心部を外れると、静かな家並みが続いている。
そんな店で見つけた魚屋がこの写真。
マグロがごろごろと並んでいた。

ちなみに、このあたりの地中海は、昔からマグロ漁が盛んだったところだ。
何隻もの漁船が、網を使ってマグロを中央に追い込み、最後にモリで突いて引き上げるという勇壮な漁法である。
マグロはイタリア語でトンノ(Tonno)で、マグロ漁はトンナーラ(Tonnara)。そして、この漁の最後の場面がマッタンツァ(Mattanza)と呼ばれている。

ファヴィニャーナ島

現在も、無形文化財のような形でマッタンツァは残っているようである。
ファビニャーナ島の土産物屋やレストランでは、そのマッタンツァの写真をよく目にすることができた。
その1枚が上の写真である。店内には、マグロのオイルやら身を加工した食品がいろいろと並んでいた。
中央に写っている親父さんは、いかにもシチリアの漁師という雰囲気で、なかなかの存在感。あごひげが見事である。

ファヴィニャーナ島

これは、別の土産物屋でみかけた写真。
どうやら、さっきの写真の中央に写っていた男性の最近の姿のようである。
「オレがファヴィニャーナのマグロ漁をしている最後の船長(漁夫長?)だ。地中海の赤マグロは最高だね。香りもいいしね。あんたも試してみなよ」といった推薦のことばが書かれている。

かつてはマッタンツァでマグロが取れると、 沖合で待ち構えていた日本の商社の船が高く買い付けをしていたのだそうだ。太平洋のマグロの漁獲が制限されているので、地中海産を輸入していたわけだ。
一部では、日本による買い占めという評判もあったが、当の漁師からは「日本のおかげで伝統的な漁を継続できている」とむしろ感謝されていたという話も聞いたことがある。
いずれにしても、日本食が広まってマグロを食べる習慣がアジア全体、そして世界中に広がったことから、状況もずいぶん変わってしまっているのだろう。

ファヴィニャーナ島

そんなことをつらつら思いつつ、夕食の時間になって選んだのがこの「トラットリーア ラ・ランパラ」。
マッタンツァを描いた絵が外壁に飾られていた。
よく見ると、さっきの写真とは、構図も人物の雰囲気もそっくりである。
あの写真を下敷きにして描いたのだろう。

ファヴィニャーナ島の夕食


最終の船に乗り遅れてはいけないので、落ち着かない食事になってしまったが、それでも最近イタリアでも人気になっている地ビールを飲み、魚介の前菜を食べ、ワインを飲み、魚介のミックスフライ(フリット ミスト)を食べることができた。
行き当たりばったりの店で魚介を食べるときは、フリットミストなら当たり外れがない。

2015-08-13

愛想のいいトラーパニの漁師たち

トラーパニ(Trapani)の旧市街は、いってみれば、シチリア島西端から伸びる岬の突端にある。
町を西へ西へと歩いていくと、徐々に幅が狭まっていき、進行方向の右側にも左側にも海が見えてくる。

トラーパニの岬近く

それにしても、空がからりと晴れていると、町の印象なんてがらっと変わるものである。
14年前にはちょっと怪しかった町が、今回ずいぶん明るく感じられたのは、単に観光化が進んだだけでなく、天気の具合もあるのかもしれない。

トラーパニの岬近く

旧市街の中心部から岬の突端近くまではミニバスが走っているのだが、本数が少ないので、結局30分近く歩いてしまった。
行きは、岬の北側を歩き、帰りは漁港がある南側をぶらぶら。漁港は、エガディ諸島への高速船が出る波止場からは1.5kmほど西側に位置している。

トラーパニ漁港

漁港では、ちょうど漁からもどってきたらしい船があったので、さっそく接近して撮影。
「撮っていい?」と聞くと、「いいよ。1枚5ユーロ!」と笑って返事をする。
もちろん冗談である。
近くには、魚介料理のレストランもあった。

トラーパニ漁港近く

漁港近くの家並みをうろついていると、網の手入れをしていたおじさんがいた。
ここでもまた、「写真、撮っていい?」
すると、おいでおいでをして、一緒に撮ろうという。
こういうのは、残念だけど男の一人旅では、あまりない反応である。

トラーパニ漁港近く

最後の写真は、道のまんなかで、とれたてのウニを売っていたお兄さん。
笑顔でポーズをとってくれた。
このときは腹いっぱいだったけど、今思えばこのウニも食べてみればよかった。

いずれにしても、従来のトラーパニのイメージががらりと変わる3泊の滞在であった。
そうそう、宿泊したのはアパートを改造した旅行者向けの施設。
部屋がとても広くて自炊もでき、値段も安い。愛想のいい若い兄弟が経営する旅行社が管理しているようで、今回の旅ではイタリアの宿泊事情もずいぶん変わってきたなと感じるのであった。

2015-08-12

立派な観光地になったトラーパニ

そういえば、昨年(2014年)秋のイタリア旅行の話が途中だった。
もう、ほぼ1年たってしまったけれど、恥ずかしながら続きを。

9月13日の真夜中、トリノから飛行機でシチリアのパレルモに到着。
パレルモで一泊したのち向かったのは、シチリアの西端に位置するトラーパニ(Trapani)である。
ここに3泊して、さらに西に浮かぶエガディ諸島や、町の東に隣接するエリチェを訪れるという寸法だ。

トラーパニ中心地

前回トラーパニにきたのは2000年だから、14年ぶりということになるが、その間に町はすっかり変わっていた。
当時は旧市街を縦横に走る狭い路地がいかにも怪しげで、治安にも問題があると言われたトラーパニだが、今回訪れてみると観光客がずいぶんいて、あちこちにワインバーもできていた。
とくに、メインストリートのジュゼッペ・ガリバルディ通りやヴィットリオ・エマヌエーレ通りには、おしゃれなブティックやレストランが軒を連ねていて、まさに隔世の感がある。

クスクス屋

ところで、トラーパニというと有名な料理がクスクス。もちろんオリジナルは北アフリカ料理なのだが、チュニジアへの航路もあるトラーパニでは、すでに地元の料理となっている。
上の写真は昔ながらのクスクスの店。クスクス屋はCouscouseria(クスクセリーア)というのだと初めて知った。
つづりはフランス語とイタリア語のミックスだ。

ウニのクスクス

昼すぎに到着したので、当日はエガディ諸島で一番大きなファビニャーナ島だけを訪問することにした。
その前に、トラーパニ港で軽く腹ごしらえのつもりで、港に面した安っぽいテラスのある定食屋に入店。ビールとパニーノくらいで済まそうと思っていたら、目に入ってきたのが「ウニ入りクスクスあります 10ユーロ」の看板である。これで本格的なランチになってしまった。
ウニ自体はたいして新鮮でもなく、味もまあまあというところだが、ソースに魚の味がたっぷり出ているのが日本人向きである。

港の食堂

給仕をしてくれたのが、見るからに「漁師のついでに食堂も手伝っています」あるいは「数年前まで漁師をしていましたが、思い切って転職しました」という親父(といっても私よりは若いだろう)。
声はムダに大きいし、がさつな立居振舞に最初はがっかりしたが、だんだん話をしていくうちにかわいく見えてきた。

妻が持っていた「地球の歩き方」を見ると、なんとこの店が紹介されているではないか。投稿した人も、たまたま船の待ち時間にここに入ったのだろう。
その記事を見せると、もちろん日本語は読めないが、たいそう喜んでくれて、店のなかにいた女性たちに紹介してくれた。
店のなかには、かなり太った3人の中年女性が、テレビを見つつ絶えず何かを口に入れながら世間話(たぶん)をしていたので気にはなっていたのだが、どうやら家族らしい。
こうして、トラーパニに着いた直後から、狂乱の記念撮影大会になってしまった。

食事が終わると勘定の支払いの段になるのだが、やはり財布の紐をしっかり握っているのは奥さんやお母さん(らしき人)である。男たちがレジに近寄ることもできないのは、イタリア南部の家族経営の店ではよく目にする光景である。

ちなみに、この数時間後、ファビニャーナ島からの帰りにこの店を覗いてみると、3人の女性はやはり同じ場所で同じ格好をして、相も変わらずテレビを見つつ何かを口に運びながら世間話(たぶん)をしていたのであった。

2015-08-02

富山地方鉄道 西魚津駅

多忙やら暑さやら気分の問題やらで、しばらくごぶさたしてしまいました。
リハビリを兼ねて、今春の北陸の旅で印象に残った、ある駅のご紹介を……。

小松での仕事が終わってそのまま帰宅するのもつまらないので、当夜は自腹で宿泊。
週末ということもあって金沢のホテルはどこも満員だったが、なんとか富山駅近くのホテルに宿をとることができた。


西魚津駅のホーム

そして、翌朝は完成なった富山駅付近をぶらぶら歩いたあとで、富山地方鉄道の西魚津駅を訪ねることにしたのである。
ここは、以前から降りてみたいと思っていた駅だった。

西魚津駅

北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)で富山に向かうと、魚津付近から海側に富山地方鉄道の単線の線路が並走する。
そして魚津駅を過ぎると、目の前の田んぼの向こうに小さな木造の駅舎が見え、続いて2面の相対式ホームが目に入ったかと思うと、すっーと線路がカーブして北陸本線の下をくぐっていくのである。
その様子が、まるで鉄道模型を見ているようで好ましかった。

西魚津駅

今回は、魚津駅で下車して、隣接する富山地方鉄道の新魚津駅へ乗り換えると、まもなくやってきたのが西魚津止まりの電車だった。
「はて、あんな小さな駅を終着駅にする列車があるのか?」
しかも、ターミナルの富山側ではなく、西魚津と宇奈月温泉を走る各駅停車である。
案の定、新魚津駅で車内はガラガラ。2つ先の西魚津で降りたのは私を含めて3人であった。

西魚津駅

ダイヤを見ると、西魚津折り返しの電車は、急行通過駅の利用客救済の意味もあるようだ。

私が乗ってきた旧・京阪電鉄の電車は、そのまま富山方面に向かって発車すると、ホームから200m離れたあたりで折り返して、反対側のホームに入ってきた。それが上の写真である。

西魚津駅

西魚津駅の雰囲気は期待通りのものだった。
木造のホーム待合室、構内踏み切り、昔の観光案内図などなど。
すでに無人駅になっていたけれど、かつてはそこそこ賑わっていただろう駅舎も魅力的だった。

西魚津駅

そしてなによりも、大きな木が1本立っている駅前の雰囲気も、まるで昭和30年代の地方私鉄風景を再現したジオラマのようだった。

西魚津駅

小雨模様の天気も、むしろ雰囲気にぴったりだったように思える。
もちろん、駅前に食堂やコンビニはおろか、商店の1軒もない。昼どきだったが、しかたなく自動販売機の飲料で空腹をまぎらせるしかなかった。

西魚津駅

ひと気のない駅で40分ほど過ごしたのち、やってきた富山行きは、旧・西武鉄道の特急レッドアローだった。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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